2024年03月05日
月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして
月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは
もとの身にして
在原業平
(つきやあらぬ はるやむかしの はるならぬ わがみ
ひとつは もとのみにして)
意味・・この月は以前と同じ月ではないのか。春は去年の春と
同じではないのか。私一人だけが昔のままであって、
月や春やすべてのことが以前と違うように感じられる
ことだ。
しばらく振りに恋人の家に行ってみたところ、すっかり
変わった周囲の光景(すでに結婚している様子)に接して
落胆して詠んだ歌です。
作者・・在原業平=ありわのらなりひら。825~880。従四位・
美濃権守。
出典・・古今和歌集・747。伊勢物語4段。
2024年03月02日
人問はば 見ずとやいはむ 玉津島 かすむ入江の 春のあけぼの
山口県北長門・青海島の日の出
人問はば 見ずとやいはむ 玉津島 かすむ入江の
春のあけぼの
藤原為氏
(ひととわば みずとやいわん たまつしま かすむ
いりえの はるのあけぼの)
意味・・人が尋ねたなら「見ませんでした」と言おうか。
この玉津島のある入江に霞のかかった春の曙の
景色を。言葉でとうていこの美しさを言い表す
ことは出来ないから。
この歌に逸話が残っています。
為氏は第二句を「見つといはん」(はい見ました
よ、と言おう)として作ったが、父の為家に見せ
ところ、「つ」の横に「す」と書いて返された
のでこう改めて歌の会に出すと、賞賛されたと
いう。
たった一字の違いで歌を大きく変えています。
注・・玉津島=紀伊の和歌の浦にあった小島。
あけぼの=曙。夜がほのぼのと明ける頃。
作者・・藤原為氏=ふじわらためうじ。1222~1286。
正二位権大納言。
出典・・続後撰和歌集(福武書店「名歌名句鑑賞辞典」)
春のあけぼの
藤原為氏
(ひととわば みずとやいわん たまつしま かすむ
いりえの はるのあけぼの)
意味・・人が尋ねたなら「見ませんでした」と言おうか。
この玉津島のある入江に霞のかかった春の曙の
景色を。言葉でとうていこの美しさを言い表す
ことは出来ないから。
この歌に逸話が残っています。
為氏は第二句を「見つといはん」(はい見ました
よ、と言おう)として作ったが、父の為家に見せ
ところ、「つ」の横に「す」と書いて返された
のでこう改めて歌の会に出すと、賞賛されたと
いう。
たった一字の違いで歌を大きく変えています。
注・・玉津島=紀伊の和歌の浦にあった小島。
あけぼの=曙。夜がほのぼのと明ける頃。
作者・・藤原為氏=ふじわらためうじ。1222~1286。
正二位権大納言。
出典・・続後撰和歌集(福武書店「名歌名句鑑賞辞典」)
2024年02月29日
明けばまた 越ゆべき山の 峰なれや 空ゆく月の 末の白雲
明けばまた 越ゆべき山の 峰なれや 空ゆく月の
末の白雲
藤原家隆
(あけばまた こゆべきやまの みねなれや そらゆく
つきの すえのしらくも)
意味・・夜が明けたら、また越えていかなければいけない
山の峰であろうか。空を渡る月が傾いていくあの
白雲がたなびいているあたりは。
明日の行程として山のことを思う旅人の心境です。
よしやっ、明日は頑張るぞ!
山の峰は人生の荒波でもあります。
注・・末=月の光の及ぶ末の意。
作者・・藤原家隆=ふじわらのいえたか。1158~1237。
末の白雲
藤原家隆
(あけばまた こゆべきやまの みねなれや そらゆく
つきの すえのしらくも)
意味・・夜が明けたら、また越えていかなければいけない
山の峰であろうか。空を渡る月が傾いていくあの
白雲がたなびいているあたりは。
明日の行程として山のことを思う旅人の心境です。
よしやっ、明日は頑張るぞ!
山の峰は人生の荒波でもあります。
注・・末=月の光の及ぶ末の意。
作者・・藤原家隆=ふじわらのいえたか。1158~1237。
非参議従二位。新古今の撰者の一人。
出典・・新古今和歌集・939。
2024年02月27日
さくら花 幾春かけて 老いゆかん 身に水流の 音ひびくなり
さくら花 幾春かけて 老いゆかん 身に水流の
音ひびくなり
馬場あきこ
(さくらばな いくはるかけて おいゆかん みに
すいりゅうの おとひびくなり)
意味・・たえず美しい花が開く桜は、いつまで咲き
誇り、老熟の時期を迎えるのであろうか。
桜ならぬ我が身には、老いて行く時の流れ
が、水流の音のように響いて来る。
注・・老いゆかん=「桜が老いゆかん」と「老い
ゆかん身」を掛けている。
作者・・馬場あきこ=ばばあきこ。1928~。昭和女
子大学卒。窪田章一郎に師事。
出典・・歌集「桜花伝承」。
2024年02月24日
亀の尾の 山の岩根を とめて落つる 滝の白玉 千代の数かも
亀の尾の 山の岩根を とめて落つる 滝の白玉
千代の数かも
紀惟岳
(かめのおの やまのいわねを とめておつる たきのしらたま
ちよのかずかも)
意味・・亀尾山の岩間を伝わって流れ落ちる滝の白玉は何と
美しいのでしょう。その無数の白玉がすなわちあなた
様の長いお年の数なのです。
おば君の40の祝賀が催された時、女性の長寿を祝っ
て詠んだ歌です。
注・・亀の尾の山=亀山のこと。京都区右京区にある山。
岩根=岩の下の方。
とめて=求めて、ここでは「伝わって」の意。
千代の数=非常に長い年月の数。
作者・・紀惟岳=きのこれおか。伝未詳。
出典・・古今和歌集・350。
2024年02月22日
花を見て 花を見こりし 花もなし 花見こりしは 今日の花のみ
花を見て 花を見こりし 花もなし 花見こりしは
今日の花のみ
橘曙覧
(はなをみて はなをみこりし はなもまし はなみこりしは
きょうのはなのみ)
意味・・花を見て美しいので、また見に来ようと思っても
次に来た時はもう美しい花はないものだ。
美しい花を見て楽しめるのは今日のこの日の花だ
けである。一期一会と、只今現在のこの美しい花
を存分にたんのうしょう。
「花」の繰り返しの面白さもあります。
注・・こり=凝り、深く思い込む、熱中する。
一期一会=一生に一度の出会いのことで、人との
出会いは大切にすべきとの戒め。ここではもと
もと茶道の心得を説いた言葉で、今日という日、
(はなをみて はなをみこりし はなもまし はなみこりしは
きょうのはなのみ)
意味・・花を見て美しいので、また見に来ようと思っても
次に来た時はもう美しい花はないものだ。
美しい花を見て楽しめるのは今日のこの日の花だ
けである。一期一会と、只今現在のこの美しい花
を存分にたんのうしょう。
「花」の繰り返しの面白さもあります。
注・・こり=凝り、深く思い込む、熱中する。
一期一会=一生に一度の出会いのことで、人との
出会いは大切にすべきとの戒め。ここではもと
もと茶道の心得を説いた言葉で、今日という日、
そして今いる時というものは二度と再び訪れる
ものではない。その事を肝に銘じて茶道を行う
べきである、の意。
たんのう=十分に満足する、心行くまで味あう。
たんのう=十分に満足する、心行くまで味あう。
作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。早く
父母に死に分かれ、家業を異母弟に譲り隠棲。
福井藩の重臣と親交。
出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。
2024年02月20日
敷島の 大和心を 人問はば 朝日ににほふ 山ざくら花
熊本城
敷島の 大和心を 人問はば 朝日ににほふ
山ざくら花
山ざくら花
本居宣長
(しきじまの やまとごころを ひととわば あさひに
におう やまざくらばな)
意味・・大和心とはどういうものですか、と人が問うた
ならば、朝の太陽に照り映えている山桜の花、
という比喩で私は答えます。
宣長は日本の心、すなわち本質を追求し、それ
を古代の日本に求めようとした。そして、日本
の心は「すなお」や「清らかさ」であると考え
の心は「すなお」や「清らかさ」であると考え
た。それが自然界にあっては、直(なお)らかに
咲いている山桜の花が清らかな朝日に照り映え
るようだと、宣長は考えたものです。
注・・敷島=大和に掛る枕詞。
大和心=日本人としての心情。美しい花、素直な花、
注・・敷島=大和に掛る枕詞。
大和心=日本人としての心情。美しい花、素直な花、
青く清らかな空、明るい雰囲気にたとえられる。
にほふ=色美しく照り映える。
にほふ=色美しく照り映える。
作者・・本居宣長=もとおりのりなが。1730~1801。賀茂
真淵の門下生。
出典・・肖像自賛(笠間書院「和歌の解釈と鑑賞事典」)
2024年02月17日
うばたまの わが黒髪や かはるらむ 鏡の影に 降れる白雪
うばたまの わが黒髪や かはるらむ 鏡の影に
降れる白雪
紀貫之
(うばたまの わがくろかみや かわるらん かがみの
かげに ふれるしらゆき)
意味・・私の黒髪はもう白くなってしまった。鏡に映る
私の頭には雪が降っている。
鏡の中の自分を見て、あらためて自分が老いて
しまったと自覚して、嘆いて詠んでいます。
注・・うばたまの=黒、闇、夜などの枕詞。
作者・・紀貫之=きのつらゆき。866~945。古今和歌集
の撰者。
出典・・古今和歌集・460。
2024年02月15日
からたちの 垣根つづきの 野の小みち 淋しきわれを みる野の小みち
そばの花
からたちの 垣根つづきの 野の小みち 淋しきわれを
みる野の小みち
狭山信乃
(からたちの かきねつづきの ののこみち さびしき
われを みるののこみち)
意味・・からたちの小さな白い花が咲き誇っている垣根。
その垣根が続いている野の小道。それはそこに
佇(たたず)む淋しい私を見る野の小道でもある。
淋しきわれは恋人のいない自分。
注・・からたち=蜜柑科の木。小さい白い花が4/10~
4/30頃まで咲く。枝に刺があり垣根にされる。
作者・・狭山信乃=さやましの。1885~1976。昭和期の
歌人。歌人、前田夕暮と結婚。
みる野の小みち
狭山信乃
(からたちの かきねつづきの ののこみち さびしき
われを みるののこみち)
意味・・からたちの小さな白い花が咲き誇っている垣根。
その垣根が続いている野の小道。それはそこに
佇(たたず)む淋しい私を見る野の小道でもある。
淋しきわれは恋人のいない自分。
注・・からたち=蜜柑科の木。小さい白い花が4/10~
4/30頃まで咲く。枝に刺があり垣根にされる。
作者・・狭山信乃=さやましの。1885~1976。昭和期の
歌人。歌人、前田夕暮と結婚。
出典・・新万葉集・巻四。
2024年02月13日
君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ
君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に
雪は降りつつ
光孝天皇
(きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもてに
ゆきはふりつつ)
意味・・あなたに差し上げるために春の野に出て若菜を摘む
私の袖には、雪がしきりに降りかかっていたのですよ。
若菜を贈るのに添えた歌です。若菜を贈る行為は相手の
長寿を願ったもので、雪と寒さを押して摘んだ自分の
志を伝えています。
注・・若菜=春になって萌え出た食用・薬用の草の総称。
1月7日に春の七草の若菜を食して長寿を祈った。
衣手=袖のこと。
作者・・光孝天皇=こうこうてんのう。830~887。
出典・・古今和歌首・21、百人一首・15。