2008年06月
2008年06月30日
2008年06月29日
名歌観賞・429
親しからぬ 父と子にして 過ぎて来ぬ 白き胸毛を
今日は手ふれぬ 土屋文明(つちやぶんめい)
(したしからぬ ちちとこにして すぎてきぬ しろき
むなげを きょうはたふれぬ)
意味・・あまり親しくない父と子として、我々親子は
今日まで過ごして来た。その父も今は重い病
で臥床(がしょう)している。そのような父の
白くなった胸毛に今日は手を触れた。思えば
こんなこともしたことのない私だった。親子
の縁(えにし)などというものは不思議なもの
だ。
「父なむ病む」の題で詠んだ歌です。
父は農民であったが多くの事業に手を出して
失敗ばかりした。あげくの果て家を売り村を
捨てた。そのような父であったのでやさしくも
してもらえず親しみを持てなかった。
今日は手ふれぬ 土屋文明(つちやぶんめい)
(したしからぬ ちちとこにして すぎてきぬ しろき
むなげを きょうはたふれぬ)
意味・・あまり親しくない父と子として、我々親子は
今日まで過ごして来た。その父も今は重い病
で臥床(がしょう)している。そのような父の
白くなった胸毛に今日は手を触れた。思えば
こんなこともしたことのない私だった。親子
の縁(えにし)などというものは不思議なもの
だ。
「父なむ病む」の題で詠んだ歌です。
父は農民であったが多くの事業に手を出して
失敗ばかりした。あげくの果て家を売り村を
捨てた。そのような父であったのでやさしくも
してもらえず親しみを持てなかった。
2008年06月28日
たのしみは 妻子むつまじく うちつどい 頭ならべて 物をくふ時
たのしみは 妻子むつまじく うちつどい 頭ならべて
物をくふ時 橘曙覧(たちばなあけみ)
(たのしみは めこむつまじく うちつどい かしらならべて
ものをくうとき)
意味・・私が楽しみとするのは、妻と子供たちと
仲良く集まり、頭を並べて一緒にものを
食べる時。おいしいね、おいしいねとう
なずき合いながら口に運ぶ時は本当に楽
しい。
うなずき合うということは、次の歌のよう
に親しみあう為の基本ですね。
たのしみは 君の口癖 「そうか」が 耳に優しく
聞こえてくる時 破茶(はちゃ)
(うん、そうかそうか、そうだそうだ、と
うずき合って聞いてくれる人。こういう
人と一緒にいると、心を開いて何でもお
しゃべりしたくなるものだ。私はこんな
時に優しい気持になり親しみも深まって
本当に楽しいものです。)
物をくふ時 橘曙覧(たちばなあけみ)
(たのしみは めこむつまじく うちつどい かしらならべて
ものをくうとき)
意味・・私が楽しみとするのは、妻と子供たちと
仲良く集まり、頭を並べて一緒にものを
食べる時。おいしいね、おいしいねとう
なずき合いながら口に運ぶ時は本当に楽
しい。
うなずき合うということは、次の歌のよう
に親しみあう為の基本ですね。
たのしみは 君の口癖 「そうか」が 耳に優しく
聞こえてくる時 破茶(はちゃ)
(うん、そうかそうか、そうだそうだ、と
うずき合って聞いてくれる人。こういう
人と一緒にいると、心を開いて何でもお
しゃべりしたくなるものだ。私はこんな
時に優しい気持になり親しみも深まって
本当に楽しいものです。)
2008年06月27日
名歌観賞・427
浮世には かかれとてこそ うまれたれ ことわりしらぬ
我が心かな 北条重時(ほうじょうしげとき)
(うきよには かかれとてこそ うまれたれ ことわりしらぬ
わがこころかな)
意味・・憂さ辛さのあるのも浮世なら、楽しみがあるのも
浮世である。我々、人間はその浮世に寄り掛かっ
て住んで行けと神仏の思召しに従って生まれたの
である。それゆえ、悲しみもあれば苦しみもある
ものだ。この道理を知らなかった自分は、あさは
はかだった。浮世の常を知れば、何も自分ばかり
が苦しいのでも、辛いのでもないのだ。
北条重時が家訓で次のような事を言った時に詠ん
歌です。
思わぬ失敗をしたり、不慮の災難に遭ったりなど
して嘆かわしい事が起こったとしても、むやみと
嘆き悲しんではなりませぬ。これも前世の報いだ
と思って、早くあきらめなさるがよい。それでも
悲嘆の心がやまぬならば、上記の歌を口づさみ、
唱えていると、自然に嘆きの心も忘れて行くだろ
う。
注・・浮世=思いのまま楽しんで過ごす世の中。憂き世
を掛ける。
憂き世=辛い世の中、苦しみの満ちた世の中。
かかれ=寄りかかる、つながりが出来る。
我が心かな 北条重時(ほうじょうしげとき)
(うきよには かかれとてこそ うまれたれ ことわりしらぬ
わがこころかな)
意味・・憂さ辛さのあるのも浮世なら、楽しみがあるのも
浮世である。我々、人間はその浮世に寄り掛かっ
て住んで行けと神仏の思召しに従って生まれたの
である。それゆえ、悲しみもあれば苦しみもある
ものだ。この道理を知らなかった自分は、あさは
はかだった。浮世の常を知れば、何も自分ばかり
が苦しいのでも、辛いのでもないのだ。
北条重時が家訓で次のような事を言った時に詠ん
歌です。
思わぬ失敗をしたり、不慮の災難に遭ったりなど
して嘆かわしい事が起こったとしても、むやみと
嘆き悲しんではなりませぬ。これも前世の報いだ
と思って、早くあきらめなさるがよい。それでも
悲嘆の心がやまぬならば、上記の歌を口づさみ、
唱えていると、自然に嘆きの心も忘れて行くだろ
う。
注・・浮世=思いのまま楽しんで過ごす世の中。憂き世
を掛ける。
憂き世=辛い世の中、苦しみの満ちた世の中。
かかれ=寄りかかる、つながりが出来る。
2008年06月26日
雲はみな はらひ果てたる 秋風を 松に残して 月を見るかな
雲はみな はらひ果てたる 秋風を 松に残して
月を見るかな
藤原良経(ふじわらよしつね)
(新古今和歌集・418)
(くもはみな はらいはてたる あきかぜを まつにのこして
つきをみるかな)
意味・・雲をすっかり払ってしまった秋風を、松
に残るさわやかな音として聞きつつ、澄
んだ月を見ることだ。
雲を吹き払い、松に音だけ残している秋
風の中で、澄んだ月を見るさわやかさを
詠んでいます。
注・・雲は=「雲をば」の意で主語ではない。
なお、裏の意味として、
徳川家康は武士が読書する目的は身を正
しくせんがためであると言って、源義経
が滅んだのは歌道に暗く「雲はみなはら
ひ果てたる秋風を・・」の古歌の意味も
知らずに、身上(しんしょう)をつぶして
平家退治に没頭したためと言っています。
雲はみな=敵、辛いこと。
はらひはてたる=取り除く。
秋風を=味方。軍資金とか有能な部下、
作戦、知識・・などなど。
松に残して=味方が育つまで忍耐強く
待つ。
月を見る=勝って心地よい気分になる。
意味・・戦いに勝つにはそれなりの作戦が必要
である。敵の内情をさぐり内部の分裂
を策し、敵の勢力を分散させる一方、
我が陣営は一人一人の志気を高め一つ
にまとめて戦いに望むことが大切だ。
勝てる体勢になるまで待って戦いを仕
掛ける。そうしたならば勝利して心地
良い気分を味わえるものだ。
月を見るかな
藤原良経(ふじわらよしつね)
(新古今和歌集・418)
(くもはみな はらいはてたる あきかぜを まつにのこして
つきをみるかな)
意味・・雲をすっかり払ってしまった秋風を、松
に残るさわやかな音として聞きつつ、澄
んだ月を見ることだ。
雲を吹き払い、松に音だけ残している秋
風の中で、澄んだ月を見るさわやかさを
詠んでいます。
注・・雲は=「雲をば」の意で主語ではない。
なお、裏の意味として、
徳川家康は武士が読書する目的は身を正
しくせんがためであると言って、源義経
が滅んだのは歌道に暗く「雲はみなはら
ひ果てたる秋風を・・」の古歌の意味も
知らずに、身上(しんしょう)をつぶして
平家退治に没頭したためと言っています。
雲はみな=敵、辛いこと。
はらひはてたる=取り除く。
秋風を=味方。軍資金とか有能な部下、
作戦、知識・・などなど。
松に残して=味方が育つまで忍耐強く
待つ。
月を見る=勝って心地よい気分になる。
意味・・戦いに勝つにはそれなりの作戦が必要
である。敵の内情をさぐり内部の分裂
を策し、敵の勢力を分散させる一方、
我が陣営は一人一人の志気を高め一つ
にまとめて戦いに望むことが大切だ。
勝てる体勢になるまで待って戦いを仕
掛ける。そうしたならば勝利して心地
良い気分を味わえるものだ。
2008年06月25日
2008年06月24日
2008年06月23日
2008年06月22日
2008年06月21日
2008年06月20日
2008年06月19日
2008年06月18日
2008年06月17日
2008年06月16日
わが袖は 名に立つ末の 松山か そらより浪の 越えぬ日はなし
わが袖は 名に立つ末の 松山か そらより浪の
越えぬ日はなし 土佐(とさ)
(わがそでは なにたつすえの まつやまか そらよりなみの
こえぬひはなし)
意味・・私の袖は、あの有名な末の松山なのでしょうか。
空から浪の越えない日はない状態で、あなたの
嘘にあざむかれて、涙を袖に落とさない日とて
ありません。
約束の固さにもかかわらず男が裏切ったことを
恨んで詠んだ歌です。
男女の約束を破ったなら、次の歌のように、
浪が越える事の無い末の松山も越えると言われ
ている。
「君をおきて あだし心を わがもてば 末の松山
浪も越えなむ」(08年2月27日名歌観賞・306)
注・・末の松山=宮城県多賀城市にあるという山。
末の松山を浪が越えないとされている。
そら=「空」と「虚」を掛ける。
越えぬ日はなし 土佐(とさ)
(わがそでは なにたつすえの まつやまか そらよりなみの
こえぬひはなし)
意味・・私の袖は、あの有名な末の松山なのでしょうか。
空から浪の越えない日はない状態で、あなたの
嘘にあざむかれて、涙を袖に落とさない日とて
ありません。
約束の固さにもかかわらず男が裏切ったことを
恨んで詠んだ歌です。
男女の約束を破ったなら、次の歌のように、
浪が越える事の無い末の松山も越えると言われ
ている。
「君をおきて あだし心を わがもてば 末の松山
浪も越えなむ」(08年2月27日名歌観賞・306)
注・・末の松山=宮城県多賀城市にあるという山。
末の松山を浪が越えないとされている。
そら=「空」と「虚」を掛ける。
2008年06月15日
名歌観賞・415
死にそこなって 虫を 聴いている 山頭火(さんとうか)
(しにそこなって むしを きいている)
意味・・死のうと思っても死ねない。死を意識して、死に
対して用意するときほど、冷静に自己を観照する
ことはない。
しみじみ自分の命を知ってみて、虫の声を聴いて
いる。虫の声が、静かにひびく。あんな小さな虫
でも、一生懸命に生きている。とにかく、恥ずか
しめられても、生きてゆこう。生きて、歩いて、
自分にはそれしかない。
妥協することは難しい事ではあるが、過酷な事で
はあるが、それを選ばなければならない。
山頭火は日記を書き、それを句にしています。
それで、日記は句の解説となっています。
また、山頭火は薬を飲んで数度自殺を図っていま
す。
注・・観照(かんしょう)=主観をまじえないで現実を
冷静に見つめること。
(しにそこなって むしを きいている)
意味・・死のうと思っても死ねない。死を意識して、死に
対して用意するときほど、冷静に自己を観照する
ことはない。
しみじみ自分の命を知ってみて、虫の声を聴いて
いる。虫の声が、静かにひびく。あんな小さな虫
でも、一生懸命に生きている。とにかく、恥ずか
しめられても、生きてゆこう。生きて、歩いて、
自分にはそれしかない。
妥協することは難しい事ではあるが、過酷な事で
はあるが、それを選ばなければならない。
山頭火は日記を書き、それを句にしています。
それで、日記は句の解説となっています。
また、山頭火は薬を飲んで数度自殺を図っていま
す。
注・・観照(かんしょう)=主観をまじえないで現実を
冷静に見つめること。
2008年06月14日
わたのはら たつ白波の いかなれば なごりひさしく 見ゆるなるらん
わたのはら たつ白波の いかなれば なごりひさしく
見ゆるなるらん 源朝任(みなもとともとう)
(わたのはら たつしらなみの いかなれば なごりひさしく
みゆるなるらん)
意味・・海原に立っている白波が、なんで余波がいつまでも
静まらないのだろうか。
あなたは私に対して恨んでいるようだが、どうして
いつまでも腹を立てているのだろうか。もういい加
減にしてほしいものだ。
人にした仕打ちが憎まれていた時分、その相手に
詠んで贈った歌です。
注・・わたのはらたつ白波=「わたのはら(海原)」と
「腹(立つ)」、「(腹)立つ」と「立つ(白波)」
の掛詞。
なごり=「余波」、海辺に打ち寄せた波が引いたあと。
「名残」、事のあったこと、余情。この二つ
を掛ける。
見ゆるなるらん 源朝任(みなもとともとう)
(わたのはら たつしらなみの いかなれば なごりひさしく
みゆるなるらん)
意味・・海原に立っている白波が、なんで余波がいつまでも
静まらないのだろうか。
あなたは私に対して恨んでいるようだが、どうして
いつまでも腹を立てているのだろうか。もういい加
減にしてほしいものだ。
人にした仕打ちが憎まれていた時分、その相手に
詠んで贈った歌です。
注・・わたのはらたつ白波=「わたのはら(海原)」と
「腹(立つ)」、「(腹)立つ」と「立つ(白波)」
の掛詞。
なごり=「余波」、海辺に打ち寄せた波が引いたあと。
「名残」、事のあったこと、余情。この二つ
を掛ける。
2008年06月13日
名歌鑑賞・413
あしきだに なきはわりなき 世の中に よきを取られて
われいかにせむ
宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)
意味・・世の中には、悪い物でさえ、無いとどうしょうも
なく都合の悪いことがあるものなのに、よき(斧)を
取り上げられてしまって、私はどうしたらよいもの
でしょうか、途方にくれています。
説話物語に出て来る歌です。
ある男が他人の山林で盗伐していて、山番に斧を
取り上げられてしょんぼりしている折、山番に今
の状況を歌に詠めば許す、と言われて詠んだ歌です。
芸(和歌を詠む事)は身を助ける、という説話です。
また、「悪い物も無いと都合の悪い」となぞなぞ
のように取れますので、「必要悪」も説いています。
たとえば、
物が腐食することは人間にとっては悪いことだが、
物を分解して土に戻すことは自然界にとっては大切
な働きです。ストライキは生産を止める事なので悪
い事ですが、働く人の労働条件を良くするので必要
悪です。また「心を鬼にする」ことも時には必要です。
注・・わりなき=どうしょうもない、するすべがない。
よき=「斧」と「良き」を掛ける。
心を鬼にする=可愛そうだとか、気の毒だという
気持になった時、人間の情を持たない鬼のよう
なつもりになって、相手のため非情な態度に出
ること。
われいかにせむ
宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)
意味・・世の中には、悪い物でさえ、無いとどうしょうも
なく都合の悪いことがあるものなのに、よき(斧)を
取り上げられてしまって、私はどうしたらよいもの
でしょうか、途方にくれています。
説話物語に出て来る歌です。
ある男が他人の山林で盗伐していて、山番に斧を
取り上げられてしょんぼりしている折、山番に今
の状況を歌に詠めば許す、と言われて詠んだ歌です。
芸(和歌を詠む事)は身を助ける、という説話です。
また、「悪い物も無いと都合の悪い」となぞなぞ
のように取れますので、「必要悪」も説いています。
たとえば、
物が腐食することは人間にとっては悪いことだが、
物を分解して土に戻すことは自然界にとっては大切
な働きです。ストライキは生産を止める事なので悪
い事ですが、働く人の労働条件を良くするので必要
悪です。また「心を鬼にする」ことも時には必要です。
注・・わりなき=どうしょうもない、するすべがない。
よき=「斧」と「良き」を掛ける。
心を鬼にする=可愛そうだとか、気の毒だという
気持になった時、人間の情を持たない鬼のよう
なつもりになって、相手のため非情な態度に出
ること。
2008年06月12日
2008年06月11日
2008年06月10日
2008年06月09日
2008年06月08日
誰ならん 荒田の畔に すみれ摘む 人は心の わりなかるべし
誰ならん 荒田の畔に すみれ摘む 人は心の わりなかるべし
西行(さいぎょう)
(たれならん あらたのくろに すみれつむ ひとはこころの
わりなかるべし)
意味・・誰であろう、荒れ果てた田の畦で菫を
摘んでいる人がいるが、きっとあの人
は何ともいえない思いに駆られて摘ん
でいることであろう。
戦乱で荒れた世の中でも、美を求める
人がいるが、その人々のやるせない気
持を詠んでいます。
注・・畔(くろ)=田のふち、畦(あぜ)。
荒田の畔=「戦乱の世の中」を荒田にたと
えている。
菫=「美を求める心」を象徴している。
わりなし=やるせない、どうしょうもない。
西行(さいぎょう)
(たれならん あらたのくろに すみれつむ ひとはこころの
わりなかるべし)
意味・・誰であろう、荒れ果てた田の畦で菫を
摘んでいる人がいるが、きっとあの人
は何ともいえない思いに駆られて摘ん
でいることであろう。
戦乱で荒れた世の中でも、美を求める
人がいるが、その人々のやるせない気
持を詠んでいます。
注・・畔(くろ)=田のふち、畦(あぜ)。
荒田の畔=「戦乱の世の中」を荒田にたと
えている。
菫=「美を求める心」を象徴している。
わりなし=やるせない、どうしょうもない。
2008年06月07日
2008年06月06日
2008年06月05日
名歌観賞・405
わが心 慰めかねつ 更級や 姥捨山に 照る月を見て
読人知らず
(わがこころ なくさめかねつ さらしなや うばすてやまに
てるつきみて)
意味・・私の心はついに慰められなかった。更級の
姥捨山の山上に輝く月を見た時はかえって
悲しくなった。
「大和物語」説話によると、信濃国に住む
男が、親の如く大切にして年来暮らして来
た老いた伯母を、悪しき妻の誘いに負けて
山へ捨てて帰るが、家に着いてから山の上
に出た限りなく美しい月を眺めて痛恨の思
いに堪えず詠んだ歌、です。
大江千里の次の歌
「月見れば ちぢに物こそかなしけれ わが身 ひとつの
秋にはあらねど」(07・5月22日 名歌観賞・25)
の気持です。
注・・更級=長野県更級の地。
姥捨山=更級郡善光寺平にある山。観月の名所。
読人知らず
(わがこころ なくさめかねつ さらしなや うばすてやまに
てるつきみて)
意味・・私の心はついに慰められなかった。更級の
姥捨山の山上に輝く月を見た時はかえって
悲しくなった。
「大和物語」説話によると、信濃国に住む
男が、親の如く大切にして年来暮らして来
た老いた伯母を、悪しき妻の誘いに負けて
山へ捨てて帰るが、家に着いてから山の上
に出た限りなく美しい月を眺めて痛恨の思
いに堪えず詠んだ歌、です。
大江千里の次の歌
「月見れば ちぢに物こそかなしけれ わが身 ひとつの
秋にはあらねど」(07・5月22日 名歌観賞・25)
の気持です。
注・・更級=長野県更級の地。
姥捨山=更級郡善光寺平にある山。観月の名所。
2008年06月04日
2008年06月03日
2008年06月02日
たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かへりけるとき
たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで
かへりけるとき 橘曙覧(たちばなあけみ)
意味・・私の楽しみは、嫌いな人がやって来て、いやな
気分だったのに、長居をせずに早々と帰ってく
れたときです。憂鬱だっただけにほっとする気
持だ。
「客と白鷺は立ったが見事」であり「禍福は糾
(あさなえる)縄の如し」です。
注・・客と白鷺は立ったが見事=白鷺は立った姿が
素晴しい。客も長居せずに早く立つのが
良い、ということ。
禍福は糾える縄の如し=災厄と幸運とはより
合わせた縄のように表裏一体をなしてい
て、代わる代わるやって来る、ということ。
かへりけるとき 橘曙覧(たちばなあけみ)
意味・・私の楽しみは、嫌いな人がやって来て、いやな
気分だったのに、長居をせずに早々と帰ってく
れたときです。憂鬱だっただけにほっとする気
持だ。
「客と白鷺は立ったが見事」であり「禍福は糾
(あさなえる)縄の如し」です。
注・・客と白鷺は立ったが見事=白鷺は立った姿が
素晴しい。客も長居せずに早く立つのが
良い、ということ。
禍福は糾える縄の如し=災厄と幸運とはより
合わせた縄のように表裏一体をなしてい
て、代わる代わるやって来る、ということ。
2008年06月01日
名歌観賞・401
斯う活きて 居るも不思議ぞ 花の陰 一茶(いっさ)
(こういきて いるもふしぎぞ はなのかげ)
意味・・木の陰と違って花の陰は誰からも注目されない
ように、私も日陰者のように生きてきた。漂泊の
この36年間のつらく、苦しい思いに満ちた半生
を振り返ると今日まで命をつないで生きてきた事
が不思義に思われることだ。
この句の前に書かれた日記に「漂泊の36年間
千辛万苦して一日も心楽しむこと無く、己を知
らずしてついに、白頭の翁になる」と記されて
います。
自分の存在の不思議さ、数奇な運命にもまれな
がら、今日まで生き続けた自分の命の不思議さ
に胸を打たれ、野心を秘めて詠んだ句です。
注・・千辛万苦(せんしんばんく)=さまざまな難儀や
苦労。
(こういきて いるもふしぎぞ はなのかげ)
意味・・木の陰と違って花の陰は誰からも注目されない
ように、私も日陰者のように生きてきた。漂泊の
この36年間のつらく、苦しい思いに満ちた半生
を振り返ると今日まで命をつないで生きてきた事
が不思義に思われることだ。
この句の前に書かれた日記に「漂泊の36年間
千辛万苦して一日も心楽しむこと無く、己を知
らずしてついに、白頭の翁になる」と記されて
います。
自分の存在の不思議さ、数奇な運命にもまれな
がら、今日まで生き続けた自分の命の不思議さ
に胸を打たれ、野心を秘めて詠んだ句です。
注・・千辛万苦(せんしんばんく)=さまざまな難儀や
苦労。