2009年09月
2009年09月30日
2009年09月29日
2009年09月28日
名歌鑑賞・886
朝ゆふに 思ふこころは 露なれや かからぬ花の
うへしなければ 良暹法師(りょうせんほうし)
(あさゆうに おもうこころは つゆなれや かからぬ
はなの うえしなければ)
題意・・野の花を思う。
意味・・朝(あした)に夕べに秋野の花を思う私の心は
たとえて言えば露であろうか。露のかからな
い花のないように、心の懸からない花の上は
ひとつもないので。
注・・露なれや=露であるからであろうか。
かからぬ=心の「かからぬ」と露の「かからぬ」
を掛ける。
花のうへしなければ=花の上は一つもないの
で。「し」は上接する語を強調したり指示
する。
作者・・良暹法師=生没年未詳。1048頃の人。雲林院
の歌僧。
うへしなければ 良暹法師(りょうせんほうし)
(あさゆうに おもうこころは つゆなれや かからぬ
はなの うえしなければ)
題意・・野の花を思う。
意味・・朝(あした)に夕べに秋野の花を思う私の心は
たとえて言えば露であろうか。露のかからな
い花のないように、心の懸からない花の上は
ひとつもないので。
注・・露なれや=露であるからであろうか。
かからぬ=心の「かからぬ」と露の「かからぬ」
を掛ける。
花のうへしなければ=花の上は一つもないの
で。「し」は上接する語を強調したり指示
する。
作者・・良暹法師=生没年未詳。1048頃の人。雲林院
の歌僧。
2009年09月27日
名歌鑑賞・885
すむとても いくよもあらじ 世の中に くもりがち
なる 秋の夜の月 藤原公任(ふじわらのきんとう)
(すむとても いくよもあらじ よのなかに くもり
がちとなる あきのよのつき)
題意・・仲秋の八月、月が雲に隠れたのを見て
詠んだ歌。
意味・・月がよく澄むといっても幾夜もあるまい。
雲に隠れて光を失うことの多い秋の夜の
月なのだ。
(人がこの世に住むといってもそう長くは
あるまい。人生もいろいろ支障が多く心身
をそこなうものだ)。
注・・すむとてもいくよもあらじ=月が澄むとい
っても幾夜もあるまい。人がこの世に
住むといっても幾世もあるまい。
くもりがちなる=雲に隠れて光を失う事が
多い。人も色々と支障が多い。
作者・・藤原公任=966~1041。正二位権大納言。
「和漢朗詠集」等の和歌の編著も多い。
中古三十六歌仙の一人。
なる 秋の夜の月 藤原公任(ふじわらのきんとう)
(すむとても いくよもあらじ よのなかに くもり
がちとなる あきのよのつき)
題意・・仲秋の八月、月が雲に隠れたのを見て
詠んだ歌。
意味・・月がよく澄むといっても幾夜もあるまい。
雲に隠れて光を失うことの多い秋の夜の
月なのだ。
(人がこの世に住むといってもそう長くは
あるまい。人生もいろいろ支障が多く心身
をそこなうものだ)。
注・・すむとてもいくよもあらじ=月が澄むとい
っても幾夜もあるまい。人がこの世に
住むといっても幾世もあるまい。
くもりがちなる=雲に隠れて光を失う事が
多い。人も色々と支障が多い。
作者・・藤原公任=966~1041。正二位権大納言。
「和漢朗詠集」等の和歌の編著も多い。
中古三十六歌仙の一人。
2009年09月26日
2009年09月25日
名歌鑑賞・883
いかなれば おなじ時雨に 紅葉する ははその杜の
うすくこからん 藤原頼宗(ふじわらのよりむね)
(いかなれば おなじしぐれに もみじする ははその
もりの うすくこからん)
意味・・同じ時雨によって紅葉するものなのに、
どういうわけで、柞(ははそ)の森は薄か
ったり濃かったりするのだろうか。
参考歌として良寛の歌に「いかなれば同
じ一つに咲く花の濃くも薄くも色を分く
らむ」があります。(意味は下記参照)
注・・時雨=秋から冬にかけて降ったり止ん
だりする小雨。
ははその杜=柞の森。柞はイヌブナ科の
落葉高木。コナラ、クヌギなど。
作者・・藤原頼宗=993~1065。藤原道長の次男。
従一位右大臣。堀川右大臣と呼ばれ
和歌が巧みであった。
参考歌です。
いかなれば 同じ一つに 咲く花の 濃くも薄くも
色を分くらむ 良寛
(いかなれば おなじひとつにさくはなの こくもうすくも
色をわくらん)
意味・・どうしたことで、同じ一つの時期に咲く花が、
濃い色や薄い色に色を分けて咲くのだろうか。
注・・いかなれば=どうして。
蛇足・・人も持ち場や立場で、また得て不得手により
色々の花を咲かせるものである。
うすくこからん 藤原頼宗(ふじわらのよりむね)
(いかなれば おなじしぐれに もみじする ははその
もりの うすくこからん)
意味・・同じ時雨によって紅葉するものなのに、
どういうわけで、柞(ははそ)の森は薄か
ったり濃かったりするのだろうか。
参考歌として良寛の歌に「いかなれば同
じ一つに咲く花の濃くも薄くも色を分く
らむ」があります。(意味は下記参照)
注・・時雨=秋から冬にかけて降ったり止ん
だりする小雨。
ははその杜=柞の森。柞はイヌブナ科の
落葉高木。コナラ、クヌギなど。
作者・・藤原頼宗=993~1065。藤原道長の次男。
従一位右大臣。堀川右大臣と呼ばれ
和歌が巧みであった。
参考歌です。
いかなれば 同じ一つに 咲く花の 濃くも薄くも
色を分くらむ 良寛
(いかなれば おなじひとつにさくはなの こくもうすくも
色をわくらん)
意味・・どうしたことで、同じ一つの時期に咲く花が、
濃い色や薄い色に色を分けて咲くのだろうか。
注・・いかなれば=どうして。
蛇足・・人も持ち場や立場で、また得て不得手により
色々の花を咲かせるものである。
2009年09月24日
名歌鑑賞・882
年へぬる 秋にもあかず 鈴虫の ふりゆくままに
声のまされば 藤原公任(ふじわらのきんとう)
(としへぬる あきにもあかず すずむしの ふりゆく
ままに こえのまされば)
意味・・幾年も経った秋にもいやにならない事だ。
鈴虫は鈴を振るように鳴いて、年老いて
行くにつれて声がよりよくなるのだから。
自分自身の気持ちであり、年々良くなっ
て行く我が人生の喜びを詠んでいます。
注・・としへぬる=年経ぬる。幾年も経た。
ふりゆく=鈴を振って鳴く「振り」と
年老いるの「古り」を掛ける。
作者・・藤原公任=966~1041。正二位権大納言。
「和漢朗詠集」等の和歌の編著も多い。
中古三十六歌仙の一人。
声のまされば 藤原公任(ふじわらのきんとう)
(としへぬる あきにもあかず すずむしの ふりゆく
ままに こえのまされば)
意味・・幾年も経った秋にもいやにならない事だ。
鈴虫は鈴を振るように鳴いて、年老いて
行くにつれて声がよりよくなるのだから。
自分自身の気持ちであり、年々良くなっ
て行く我が人生の喜びを詠んでいます。
注・・としへぬる=年経ぬる。幾年も経た。
ふりゆく=鈴を振って鳴く「振り」と
年老いるの「古り」を掛ける。
作者・・藤原公任=966~1041。正二位権大納言。
「和漢朗詠集」等の和歌の編著も多い。
中古三十六歌仙の一人。
2009年09月23日
2009年09月22日
名歌鑑賞・880
きりぎりす 鳴くや霜夜の さ莚に 衣片敷き
ひとりかも寝ん 藤原良経(ふじわらのよしつね)
(きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころも
かたしき ひとりかもねん)
意味・・こおろぎの鳴く、霜の降りる寒い夜、莚
の上に衣の片袖を敷いて一人寂しく寝る
のであろうか。
「きりぎりす」や「さ莚」の語から山里
での一人住みや旅の仮寝が思われる。
恋の情調を漂わせながら、暮れ行く秋の
寂しさ、孤独な一人寝のわびしさを詠ん
でいます。なお、この歌を詠む直前に妻
に先立たれたと言われています。
注・・きりぎりす=今のこおろぎ。
さ莚=さは接頭語。藁や菅などで編んだ
粗末な敷物。「寒し」を掛ける。
衣片敷き=昔、共寝の場合は、互いの衣
の袖を敷き交わして寝た。片敷きは
自分の衣の片袖を下に敷くことで、
一人寝のこと。
作者・・藤原良経=1169~1206。従一位太政大臣。
新古今集の仮名序を執筆。
ひとりかも寝ん 藤原良経(ふじわらのよしつね)
(きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころも
かたしき ひとりかもねん)
意味・・こおろぎの鳴く、霜の降りる寒い夜、莚
の上に衣の片袖を敷いて一人寂しく寝る
のであろうか。
「きりぎりす」や「さ莚」の語から山里
での一人住みや旅の仮寝が思われる。
恋の情調を漂わせながら、暮れ行く秋の
寂しさ、孤独な一人寝のわびしさを詠ん
でいます。なお、この歌を詠む直前に妻
に先立たれたと言われています。
注・・きりぎりす=今のこおろぎ。
さ莚=さは接頭語。藁や菅などで編んだ
粗末な敷物。「寒し」を掛ける。
衣片敷き=昔、共寝の場合は、互いの衣
の袖を敷き交わして寝た。片敷きは
自分の衣の片袖を下に敷くことで、
一人寝のこと。
作者・・藤原良経=1169~1206。従一位太政大臣。
新古今集の仮名序を執筆。
2009年09月21日
2009年09月20日
2009年09月19日
名歌鑑賞・877
清滝の 瀬々の岩波 高雄山 人もあらしの
声ぞさびしき 明恵上人(みょうえしょうにん)
(きよたきの せぜのいわなみ たかおやま ひとも
あらしの こえぞさびしき)
意味・・清滝川の瀬々の岩波の音が高く聞こえて
くるこの高雄山では、訪れる人もなく、
峰の嵐の音だけが寂しく聞こえてきます。
いかがお過ごしですか、と問われて詠ん
だ歌です。人との交流が少なくなって寂
しい気持ちを詠んでいます。
注・・清滝川=京都市右京区栂尾・高雄を流れ
る川。
高雄山=京都市右京区にある山。「山名」
に「高し」を掛ける。
あらし=嵐。「有らじ」を掛ける。
作者・・明恵上人=1173~1232。鎌倉時代の栂尾
高山寺の僧。
声ぞさびしき 明恵上人(みょうえしょうにん)
(きよたきの せぜのいわなみ たかおやま ひとも
あらしの こえぞさびしき)
意味・・清滝川の瀬々の岩波の音が高く聞こえて
くるこの高雄山では、訪れる人もなく、
峰の嵐の音だけが寂しく聞こえてきます。
いかがお過ごしですか、と問われて詠ん
だ歌です。人との交流が少なくなって寂
しい気持ちを詠んでいます。
注・・清滝川=京都市右京区栂尾・高雄を流れ
る川。
高雄山=京都市右京区にある山。「山名」
に「高し」を掛ける。
あらし=嵐。「有らじ」を掛ける。
作者・・明恵上人=1173~1232。鎌倉時代の栂尾
高山寺の僧。
2009年09月18日
2009年09月17日
2009年09月16日
名歌鑑賞・874
能因にくさめさせたる秋はここ
大伴大江丸(おおともおおえまる)
(のういんに くさめさせたる あきはここ)
前書・・白河の関で詠んだ句。
意味・・能因法師は秋風に吹かれて白河の関を
越えて来て、奥州の冷気にさぞくしゃみ
をしただろうが、その旧跡はここなのだ。
古歌を滑稽化した作。能因法師が白河の
関で詠んだという「都をば霞とともに立
ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」を踏まえ
た句です。(意味は下記参照)
注・・白河の関=福島県白河市。645年頃の関。
能因法師=988~?。中古36歌仙の一人。
作者・・大伴大江丸=1722~1805。蕪村との交流
を持つ。
参考歌です。
都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く
白河の関 能因法師(のういんほうし)
(みやこおば かすみとともに たちしかど あき
かぜぞふく しらかわのせき)
意味・・都を春霞が立つ頃に旅立ったが、もう秋風
が吹いている、この白河の関では。
白河の関で秋を感じ、春に都を出発したが、
もう秋になったのか、ずいぶん長い月日の
旅をしてはるばるとやって来たものだ、と
いう感慨を詠んだものです。
また、「月日に関守なし」というが、時の
たつのは早いという事も言っています。
注・・白河の関=福島県白河市付近にあった。
大伴大江丸(おおともおおえまる)
(のういんに くさめさせたる あきはここ)
前書・・白河の関で詠んだ句。
意味・・能因法師は秋風に吹かれて白河の関を
越えて来て、奥州の冷気にさぞくしゃみ
をしただろうが、その旧跡はここなのだ。
古歌を滑稽化した作。能因法師が白河の
関で詠んだという「都をば霞とともに立
ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」を踏まえ
た句です。(意味は下記参照)
注・・白河の関=福島県白河市。645年頃の関。
能因法師=988~?。中古36歌仙の一人。
作者・・大伴大江丸=1722~1805。蕪村との交流
を持つ。
参考歌です。
都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く
白河の関 能因法師(のういんほうし)
(みやこおば かすみとともに たちしかど あき
かぜぞふく しらかわのせき)
意味・・都を春霞が立つ頃に旅立ったが、もう秋風
が吹いている、この白河の関では。
白河の関で秋を感じ、春に都を出発したが、
もう秋になったのか、ずいぶん長い月日の
旅をしてはるばるとやって来たものだ、と
いう感慨を詠んだものです。
また、「月日に関守なし」というが、時の
たつのは早いという事も言っています。
注・・白河の関=福島県白河市付近にあった。
2009年09月15日
2009年09月14日
名歌鑑賞・872
黄菊白菊其外の名はなくもがな
服部嵐雪(はっとりらんせつ)
(きぎくしらぎく そのほかのなは なくもがな)
意味・・眼前には色とりどりの菊があって、互いに
妍(けん)を競っている。けれども、菊の清
爽(せいそう)な風趣を愛する者には黄菊と
白菊があればよいので、その他の菊はむし
ろ無いほうがよい。
江戸時代には菊の品種がむやみと増加して、
大輪のものも作られ、夏菊20種、秋菊230種
がありその後も増加する勢いであった。
注・・なくもがな=いっそ、無いほうがよい。
其外の名は=其外の菊は。菊の重複を避け
た表現。
妍を競う=あでやかさを競う。
清爽=清らかでさわやかなこと。
作者・・服部嵐雪=1654~1707。30歳半ばまて武士
で20歳頃より芭蕉に師事した。
服部嵐雪(はっとりらんせつ)
(きぎくしらぎく そのほかのなは なくもがな)
意味・・眼前には色とりどりの菊があって、互いに
妍(けん)を競っている。けれども、菊の清
爽(せいそう)な風趣を愛する者には黄菊と
白菊があればよいので、その他の菊はむし
ろ無いほうがよい。
江戸時代には菊の品種がむやみと増加して、
大輪のものも作られ、夏菊20種、秋菊230種
がありその後も増加する勢いであった。
注・・なくもがな=いっそ、無いほうがよい。
其外の名は=其外の菊は。菊の重複を避け
た表現。
妍を競う=あでやかさを競う。
清爽=清らかでさわやかなこと。
作者・・服部嵐雪=1654~1707。30歳半ばまて武士
で20歳頃より芭蕉に師事した。
2009年09月13日
2009年09月12日
2009年09月11日
名歌鑑賞・869
君なくて 荒れたる宿の 浅茅生に うづらなくなり
秋の夕暮れ 源時綱(みなもとのときつな)
(きみなくて あれたるやどの あさじうに うずら
なくなり あきのゆうぐれ)
意味・・愛するあなたがいなくなって、荒れ果てた
住まいの浅茅生に鶉が鳴いている。わびし
い秋の夕暮れ時だなあ。
参考歌に藤原俊成の「夕されば野辺の秋風
身にしみて鶉なくなり深草の里」がありま
す。(意味は下記参照)
注・・君=あなた(愛する人)。万葉集では女性
から男性に対して、その以降は親しい
男女が互いに用いた。ここでは女性に
対していう。
浅茅生=たけの低い茅の生えている所。
うづら=鶉。鶉は荒れた野や里に鳴くもの
として歌に詠まれている。
作者・・源時綱=生没年未詳。1088年頃の人。肥後
守従五位上。
参考歌です。
夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり
深草の里 藤原俊成(ふじわらとしなり)
(ゆうされば のべのあきかぜ みにしみて うずら
なくなり ふかくさのさと)
意味・・夕暮れになると野辺を吹き渡ってくる秋風が
身にしみて感じられ、心細げに鳴く鶉の声が
聞こえてくる。この深草の里では。
捨て去られた女が鶉の身に化身して寂しげに
鳴く晩秋の夕暮れの深草の情景です。
(伊勢物語より)
注・・夕されば=夕方になると。
秋風=「秋」には「飽き」が掛けられている。
秋の夕暮れ 源時綱(みなもとのときつな)
(きみなくて あれたるやどの あさじうに うずら
なくなり あきのゆうぐれ)
意味・・愛するあなたがいなくなって、荒れ果てた
住まいの浅茅生に鶉が鳴いている。わびし
い秋の夕暮れ時だなあ。
参考歌に藤原俊成の「夕されば野辺の秋風
身にしみて鶉なくなり深草の里」がありま
す。(意味は下記参照)
注・・君=あなた(愛する人)。万葉集では女性
から男性に対して、その以降は親しい
男女が互いに用いた。ここでは女性に
対していう。
浅茅生=たけの低い茅の生えている所。
うづら=鶉。鶉は荒れた野や里に鳴くもの
として歌に詠まれている。
作者・・源時綱=生没年未詳。1088年頃の人。肥後
守従五位上。
参考歌です。
夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり
深草の里 藤原俊成(ふじわらとしなり)
(ゆうされば のべのあきかぜ みにしみて うずら
なくなり ふかくさのさと)
意味・・夕暮れになると野辺を吹き渡ってくる秋風が
身にしみて感じられ、心細げに鳴く鶉の声が
聞こえてくる。この深草の里では。
捨て去られた女が鶉の身に化身して寂しげに
鳴く晩秋の夕暮れの深草の情景です。
(伊勢物語より)
注・・夕されば=夕方になると。
秋風=「秋」には「飽き」が掛けられている。
2009年09月10日
名歌鑑賞・868
限りあらん 仲ははかなく なりぬとも 露けき萩の
上をだにとへ 和泉式部(いずみしきぶ)
(かぎりあらん なかははかなく なりぬとも つゆけき
はぎの うえだにとえ)
意味・・たとえ二人の仲は、限りがあってむなしく
絶えたとしても、せめて露を置いてしめり
がちな萩のあたりまで訪ねて下さい。
二人の仲が遠のいている時に詠んだ歌です。
もう二人は結ばれないだろうが、たまには
傷心の私を思い出して欲しいという気持を
詠んでいます。
注・・限りあらん仲=限界のある仲、二人の仲の
限界、すなわち恋が結ばれない意。
露けき萩をとへ=露を置いた風情のある萩
のあたりを訪ねてきてください。裏に
涙の露に濡れた傷心の私を思い出して
ください、の意を含める。
とへ=訪へ、訪れる。
作者・・和泉式部=生没年未詳、977頃の生まれ。
作品に「和泉式部日記」など。
上をだにとへ 和泉式部(いずみしきぶ)
(かぎりあらん なかははかなく なりぬとも つゆけき
はぎの うえだにとえ)
意味・・たとえ二人の仲は、限りがあってむなしく
絶えたとしても、せめて露を置いてしめり
がちな萩のあたりまで訪ねて下さい。
二人の仲が遠のいている時に詠んだ歌です。
もう二人は結ばれないだろうが、たまには
傷心の私を思い出して欲しいという気持を
詠んでいます。
注・・限りあらん仲=限界のある仲、二人の仲の
限界、すなわち恋が結ばれない意。
露けき萩をとへ=露を置いた風情のある萩
のあたりを訪ねてきてください。裏に
涙の露に濡れた傷心の私を思い出して
ください、の意を含める。
とへ=訪へ、訪れる。
作者・・和泉式部=生没年未詳、977頃の生まれ。
作品に「和泉式部日記」など。
2009年09月09日
2009年09月08日
2009年09月07日
2009年09月06日
名歌鑑賞・864
采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み
いたづらに吹く 志貴皇子(しきのみこ)
(うねめの そでふきかえす あすかかぜ みやこを
とおみ いたづらにふく)
詞書・・明日香の宮より藤原の宮に遷りし後に
作りし歌。
意味・・采女の袖をあでやかに吹き返す明日香
風も、都が遠のき采女もいなくなって
今は虚しく吹いているばかりだ。
華やかだった頃の都が寂びれ、かって
の面影がなくなった寂しさを詠む。
注・・明日香の宮=672年に遷都した明日香
清御原(きよみはら)の宮。奈良県
明日香村。
藤原の宮=694年藤原京に遷都時の宮。
奈良県橿原市。
采女(うねめ)=後宮で天皇の食事など
の世話した女官。容姿の整った者
から選ばれた。
いたづら=むなしいさま、つまらない
さま。
作者・・志貴皇子=~715。天智天皇の皇子。
いたづらに吹く 志貴皇子(しきのみこ)
(うねめの そでふきかえす あすかかぜ みやこを
とおみ いたづらにふく)
詞書・・明日香の宮より藤原の宮に遷りし後に
作りし歌。
意味・・采女の袖をあでやかに吹き返す明日香
風も、都が遠のき采女もいなくなって
今は虚しく吹いているばかりだ。
華やかだった頃の都が寂びれ、かって
の面影がなくなった寂しさを詠む。
注・・明日香の宮=672年に遷都した明日香
清御原(きよみはら)の宮。奈良県
明日香村。
藤原の宮=694年藤原京に遷都時の宮。
奈良県橿原市。
采女(うねめ)=後宮で天皇の食事など
の世話した女官。容姿の整った者
から選ばれた。
いたづら=むなしいさま、つまらない
さま。
作者・・志貴皇子=~715。天智天皇の皇子。
2009年09月05日
2009年09月04日
2009年09月03日
名歌鑑賞・861
おく露に たわむ枝だに あるものを いかでかをらん
宿の秋はぎ 橘則長(たちばなののりなが)
(おくつゆに たわむえだだに あるものを いかでか
おらん やどのあきはぎ)
詞書・・我が家の萩を人が分けて欲しいというので
詠んだ歌。
意味・・置く露によって撓(たわ)む枝さえ痛ましく
思うのに、我が宿の秋萩をどうして折れま
しょうか、折れはしません。(さしあげる
ことは出来ません、悪しからず)
とは言うものの、人のたっての所望を断り
おおせず、見事な枝にこの歌をつけて贈っ
たという。
注・・おく露にたわむ枝だにあるものを=置く露
によってしなえる枝さえ痛ましく思う
のに。
宿=家屋、住居、屋敷内の庭。
作者・・橘則長=生没年未詳。越中守従五位下。
清少納言の長男。
宿の秋はぎ 橘則長(たちばなののりなが)
(おくつゆに たわむえだだに あるものを いかでか
おらん やどのあきはぎ)
詞書・・我が家の萩を人が分けて欲しいというので
詠んだ歌。
意味・・置く露によって撓(たわ)む枝さえ痛ましく
思うのに、我が宿の秋萩をどうして折れま
しょうか、折れはしません。(さしあげる
ことは出来ません、悪しからず)
とは言うものの、人のたっての所望を断り
おおせず、見事な枝にこの歌をつけて贈っ
たという。
注・・おく露にたわむ枝だにあるものを=置く露
によってしなえる枝さえ痛ましく思う
のに。
宿=家屋、住居、屋敷内の庭。
作者・・橘則長=生没年未詳。越中守従五位下。
清少納言の長男。