2010年01月

2010年01月31日

名歌鑑賞・1011

袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの
風やとくらむ        紀貫之(きのつらゆき)
 
(そでひちて むすびしみずの こおれるを はるたつ
 けふの かぜやとくらん)

意味・・暑かった夏の日、袖の濡れるのもいとわず、
    手にすくって楽しんだ山の清水、それが寒さ
    で凍っていたのを、立春の今日の暖かい風が、
    今頃は解かしているだろうか。

 注・・ひちて=漬ちて。侵って、水につかって。

作者・・紀貫之=872年生。土佐守。古今和歌集の撰
     者。「土佐日記」。


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2010年01月30日

名歌鑑賞・1010

塩之入の 坂は名のみに なりにけり 行く人しぬべ
よろづ世までに         良寛(りょうかん)

(しおのりの さかはなのみに なりにけり ゆくひと
 しぬべ よろづよまで)

意味・・塩之入峠が険しいというのは、うわさだけに
    なったものだ。その坂道を行く人は、通りや
    すく作り直してくれた方のことを、いつまで
    も有難く思い顧みなさい。

 注・・塩之入(しおのり)の坂=新潟県与板町と和島
     村の境にある峠。「親知らず」を思わせる
     険しい坂であった。
    しぬべ=偲べ。「しのべ」と同じ。思いしたう。

作者・・良寛=1758~1831。


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2010年01月29日

名歌鑑賞・1009

里の名を 我が身に知れば 山城の 宇治のわたりぞ
いとど住み憂き          源氏物語・浮舟

(さとのなを わがみにしれば やましろの うじの
 わたりぞ いとどすみうき)

意味・・私の住む里の名の「憂し(つらい)」を私は
    身にしみて知っていますので、山城の国の
    宇治のあたりはほんとうに住みにくく感じ
    られます。    

    「宇治」を「憂し」と詠んだ喜撰法師の歌
    「我が庵は都の辰巳しかぞすむ世をうぢ山
    と人は言ふなり」を念頭に詠んだ歌です。
    (意味は下記参照)

参考歌です。

わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 
人はいふなり      喜撰法師(きせんほうし)

(わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よを
 うじやまと ひとはいうなり)

意味・・私の庵(いおり)は都の東南にあって、この
    ように心のどかに暮らしている。だのに、
    私がこの世をつらいと思って逃れ住んでい
    る宇治山だと、世間の人は言っているよう
    だ。    

 注・・庵=草木で作った粗末な小屋。自分の家を
     へりくだっていう語。
    たつみ=辰巳。東南。
    しかぞすむ=「しか」はこのように。後の
     「憂し」に対して、のどかな気持という
     ていどの意。
    うぢやま=「う」は「宇(治)」と「憂(し)」
     を掛ける。



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2010年01月28日

名歌鑑賞・1008

いかばかり うれしからまし 面影に 見ゆるばかりの
あふ夜なりせば    藤原忠家(ふじわらのただいえ)

(いかばかり うれしからまし おもかげに みゆる
 ばかりの あうよなりせば)

意味・・恋しい人の面影をいつも思い浮かべているが、
    面影に見るほど度々現実に逢う夜であったら
    どんなにうれしいことであろうか。

作者・・藤原忠家=1033~1091。大納言正二位。


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2010年01月27日

名歌鑑賞・1007

一えだの梅はそへずや柊うり
               横井也有(よこいやゆう)

(ひとえだの うめはそえずや ひいらぎうり)

意味・・節分の頃となると、柊売りが来るが、柊売りよ、
    そのとげとげしい葉のほかに、梅の一枝でも添
    えたらどうかね。

    今夜は鬼が集まる夜だからといって、どこの家
    でも、鰯の頭を柊に刺し戸口に立てて身を慎ん
    だものだ。そして、声をふるわせて「福は内鬼
    は外」と鬼を追い出していたことが懐かしい。
    今ではただ形ばかりの豆まきをするようになった。
    過ぎ行く年がますます積み重なって姿は老け込み
    心は頑固になり、今では世の嫌われ者の老人が
    鬼と一緒に放り出されないのがせめてもの幸せ
    だ。

 注・・柊(ひいらぎ)うり=節分の時、焼いた鰯の頭を
     柊に刺して厄除けのまじないとして戸口に刺
     す風習があった、この柊を売る人。

作者・・横井也有=1702~1783。尾張藩御用人。俳文集
     に「鶉(うずら)衣」など。
    

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2010年01月26日

名歌鑑賞・1006

ますらをは 友の騒ぎに 慰もる 心もあらむ
我ぞ苦しき           読人知らず

(ますらおは とものさわぎに なくさもる こころも
 あらん われぞくるしき)

意味・・殿方は、友達とのつきあいに興じて憂さを
    晴らすこともありましょう。けれど、女の
    私はそれも出来なくて苦しくてなりません。
 
    男性には仕事があり、またそれに伴っての
    付き合いもあって、妻とだけの生活の度合
    が少ない。女性は家事が主体なので生きる
    対象は夫である。夫のいない時の寂しさを
    詠んだ歌です。

 注・・ますらを=勇ましい男子。立派な人。
    騒ぎ=騒ぐこと、遊興。
    慰もる=慰める。

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2010年01月25日

名歌鑑賞・1005

難波人 芦火焚く屋の 煤してあれど 己が妻こそ
常めづらしき            読人知らず

(なにわびと あしびたくやの すしてあれど おのが
 つまこそ とこめずらしき)

意味・・難波の人が芦を燃やすので家の中が煤けて
    いるように、私の家内(うちのばあさん)も
    汚(きたな)く年老いたが、永年つれそった
    私にとっては、いつまでも見飽きないかけ
    がえのない人だよ。

 注・・芦火=燃料として芦を焚くので家の中は
     煤ける。
    常(とこ)=不変、永遠。
    めづらしき=賞美するにふさわしい。

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2010年01月24日

名歌鑑賞・1004

移りゆく 時見るごとに 心痛く 昔の人し
思ほゆるかも     大伴家持(おおとものやかもち)

(うつりゆく ときみるごとに こころいたく むかしの
 ひとし おもおゆるかも)

意味・・次々と移り変わってゆく季節のありさまを
    見るたびに、心も痛くなるばかりに昔の人
    が思われてなりません。

    前年は聖武天皇が没し(733年)この年には
    知友が捕らえらて死んだり配流された。
    この貴族暗闘の醜い時局を読み取りつつ、
    これらの人々を心にしながら詠んだ歌です。

 注・・移り行く時=季節と時世の流れを掛ける。
    し=上接語を強調する。

作者・・大伴家持=718~785。大伴旅人の子。万葉集
     を編纂(へんさん)。


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2010年01月23日

名歌鑑賞・1003

易水にねぶか流るる寒さかな 
                 蕪村(ぶそん)

(えきすいに ねぶかながるる さむさかな)

意味・・昔、「易水寒し」と壮士荊軻(けいか)が吟じた
    易水は、今も流れている。ふと水面に目をやる
    と、だれか洗いこぼしたらしい葱(ねぎ)が浮き
    沈みしながら流れてゆく。「壮士一たび去って
    復(ま)た還らず」という詩意も思いあわされ、
    この流れ去る葱の行方を見つめていると、ひと
    しお川風の寒さが身にしみるようだ。

 注・・易水=中国河北省易県付近に発し大清流に合流
     する川。秦の始皇帝を刺すために雇われた剣客
     荊軻(けいか)が旅立つにあたり、易水のほとり
     で壮行の宴が張らた。そのおりに吟じた詩に
    「風蕭蕭(しょうしょう)として易水寒し。壮士
     一たび去って復た還(かえ)らず」があります。
     (意味は下記参照)
    ねぶか=根深。葱(ねぎ)の別称。
    壮士=人に頼まれて暴力で事件の始末をする人。

参考の詩です。

風蕭蕭(かぜしょうしょう)として易水寒し。壮士一たび
去って復た還(かえ)らず。

意味・・風はものさびしげな音をたてて吹き、易水の
    流れは寒々として身にしみるようだ。壮士で
    ある私は、一たびこの地を去って秦に行った
    なら、二度と生きて帰ることはないだろう。


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2010年01月22日

名歌鑑賞・1002

濁りなき 亀井の水を むすびあげて 心の塵を
すすぎつるかな    藤原彰子(ふじわらのあきこ)

(にごりなき かめいのみずを むすびあげて こころの
 ちりを すすぎつるかな)

詞書・・天王寺の亀井の水をご覧になって。

意味・・濁りの無い亀井の水を手にすくいあげて飲んで、
    心の穢(けが)れを洗い清めたことだ。

    霊水に触れて、心の煩悩の穢れを洗い清められた
    思いのさわやかさを詠んでいます。

 注・・天王寺=四天王寺。大阪市天王寺区元町にある。
    亀井の水=四天王寺の境内にあった石造りの亀
     から湧き出た霊水。
    むすび=手ですくう。
    心の塵=心の穢れ。
    すすぎ=濯ぎ。水で洗い清める。罪や恥を清める。

作者・・藤原彰子=1074年没。87歳。一条天皇の中宮。
     紫式部・和泉式部などの才媛女房を輩出した。


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2010年01月21日

名歌鑑賞・1001

思ひきや わがしきしまの 道ならで うきよのことを
とはるべしとは     藤原為明(ふじわらのためあき)

(おもいきや わがしきしまの みちならで うきよの
 ことを とわるべしとは)

意味・・思ったであろうか、いや思いもかけなかった
    ことだ。自分が家の職としている和歌の道の
    ことではなく、こんな世俗的なことで尋問さ
    れようとは。

    1331年後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐の議に参加
    した嫌疑で拘引された時に詠んだ歌です。
    この歌を見て北条則貞は「感歎肝に銘じけれ
    ば、涙を流して理に伏」し、ために「咎なき
    人」になったという。

 注・・しきしまの道=敷島の道。和歌の道。歌道。
    うきよ=俗世間。

作者・・藤原為明=1295~1364。正二位権中納言。
     後醍醐天皇の北条氏討伐の議に参加した
     嫌疑で拘引された。


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2010年01月20日

名歌鑑賞・1000

いつの間に 空のけしきの 変るらん はげしき今朝の
木枯しの風       津守国基(つもりのくにもと)

(いつのまに そらのけしきの かわるらん はげしき
 けさの こがらしのかぜ)

意味・・いつの間に空の様子が変わったのであろうか。
    目覚めると、昨日とはうって変って激しく吹い
    ている、今朝の木枯しの風であることだ。

    季節感の変化に新鮮な驚きを感じて詠んだ歌で
    す。

 注・・木枯らし=初冬にかけて吹く、荒く冷たい風。

作者・・津守国基=1102年没。80歳。従五位下、住吉
     神社の神主。


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2010年01月19日

名歌鑑賞・999

真木の屋に つもれる雪や 解けぬらん 雨に知られぬ
軒の玉水        宗尊(むねたつしんのう)親王

(まきのやに つもれるゆきや とけぬらん あめに
しられぬ のきのたまみず)

意味・・真木の屋に積もった雪が解けたのだろうか、
    雨では見られない玉のような雫が軒から落ち
    ている。

    参考歌に
   「山深み春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる
    雪の玉水」があります。(意味は下記参照)

 注・・真木の屋=杉や檜の皮で屋根を葺(ふ)いた家。

作者・・宗尊親王=1242~1275。33歳。後嵯峨天皇の
     第二皇子。鎌倉幕府の第六代将軍。

山深み 春とも知らぬ 松の戸に たえだえかかる 
雪の玉水     式子内親王(しよくしないしんのう)

(やまふかみ はるともしらぬ まつのとに たえだえ
 かかる ゆきのたまみず)

意味・・山が深いので、春になったとも知らない山家
    (やまが)の松で作った戸に、とぎれとぎれに
    雪どけの玉のように美しい滴(したた)りが落
    ちかかっている。

    しんと静まった風景の中で滴りの音だけがする。
    このことより、深山の雪に埋もれた山荘にも、
    かすかな春の訪れが来た事を詠んでいます。

 注・・松の戸=松の枝や板でを編んで作った粗末な戸。
    たえだえに=とぎれとぎれに。



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2010年01月18日

名歌鑑賞・998

木の葉なき 空しき枝に 年暮れて また芽ぐむべき
春ぞ近づく     京極為兼(きょうごくためかね)

(きのはなき むなしきえだに としくれて また
 めぐむべき はるぞちかづく)

意味・・木の葉が落ち尽くした何も無い枝に
    一年は暮れて、また新しい芽が生ま
    れてくる春が近づいてくるのだなあ。

    一見枯れたかのような冬の木だが、
    再び春が巡ってくればまた新しい
    生命が萌える。その感動を、期待を
    こめて詠んでいます。

 注・・空しき=中に何にも無い。

作者・・京極為兼=1254~1332。正二位権大納言。



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2010年01月17日

名歌鑑賞・997

昔とは 遠きをのみは 何かいはん 近き昨日も
けふはむかしを    永福門院(えいふくもんいん)

(むかしとは とおきをのみは なにかいわん ちかき
 きのうも けふはむかしを)

意味・・昔というのは、遠い過去のことだけと、
    どうしていえようか。近い昨日にしても
    今日になってみれば過ぎ去ってしまった
    昔に変りはないのに。

作者・・永福門院=1271~1342。藤原実兼(さねかね
     ・太政大臣)の娘。伏見天皇の中宮。



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2010年01月16日

名歌鑑賞・996

敵というもの今は無し秋の月  
            高浜虚子(たかはまきょし)

(てきという ものいまはなし あきのつき)

意味・・憎しみの対象として、また恐怖の根元として、
    今までは敵というものがあった。その「敵」
    というものが、今は全くなくなってしまい、
    清澄な秋の月が光を放って空にあるだけだ。

    昭和20年8月25日の朝日新聞に載った句です。
    日本民族がかって経験したことのない、前面
    的な敗戦によって一億国民は虚脱状態に陥っ
    ていた。この句には、当時の日本人に共通し
    た、一種のむなしさが裏打ちされている。
    しかし、「敵というもの」といったところに、
    人間の繰り返してきた戦争というものの愚か
    さが指摘された句です。

作者・・高浜虚子=1874~1959。正岡子規と交際。
     「ほとどぎす」を通じて、飯田蛇笏・前田
     普羅・渡辺水把らを輩出させる。


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2010年01月15日

名歌鑑賞・995

夕闇は 道たづたづし 月待ちて 行ませ我が背子
その間にも見む        大宅女(おおやけめ)

(ゆうやみは みちたずたずし つきまちて いませ
 わがせこ そのまにもみん)

意味・・夕闇は道が暗くて心もとのうございます。
    あなた、どうか月が出るまで待ってその上で
    お出かけ下さい。その間にもあなたのお側に
    いとうございます。

    万葉の頃は、婿が女房の家に行く通い婚であ
    った。それで女房は何のかんのと云って引き
    留める。月が出るまでここに居て下さいね。
    途中が危ないですよ、などと口説いている情
    景です。

    参考歌です。
   「月よみの 光を待ちて 帰りませ 山路は栗の 
    いがのしげきに」(意味は下記参照)

 注・・たづたづし=不確かな、危なっかしい。
    背子=妻が夫を、女性が恋人を呼ぶ語。

作者・・大宅女=伝未詳。遊女婦(うかれめ)か。

参考歌です。

月よみの 光を待ちて 帰りませ 山路は栗の 
いがのしげきに         良寛(りようかん)

(つきよみの ひかりをまちて かえりませ やまじは
 くりの いがのしげきに)

意味・・月の光が明るく射すのを待ってお帰りなさい。
    山路は栗のいがが多くて危ないですから。

    訪れた親友に少しでも長く引きとめようとする
    気持を詠んだ歌です。やさしく暖かい心が込め
    られています。

 注・・月よみ=月の異名。




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2010年01月14日

名歌鑑賞・994

ながれての 末をも何か 頼むべき 飛鳥の川の
あすしらぬよに     永福門院(えいふくもんいん)

(ながれての すえをもなにか たのむべき あすかの
 かわの  あすしらぬよに)

意味・・生きていく先のことなど、どうしてあてに
    できようか。渕瀬の変りやすい飛鳥川のよ
    うに、明日のことさえもわからない世の中
    なのに。

    参考歌です。
   「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の渕ぞ今日
    は瀬になる」(意味は下記参照)

 注・・頼む=あてにする、期待する。

作者・・永福門院=1271~1342。藤原実兼(さねかね
     ・太政大臣)の娘。伏見天皇の中宮。

参考歌です。

世の中は なにか常なる 飛鳥川 昨日の渕ぞ
今日は瀬になる         読人しらず

(よのなかは なにかつねなる あすかがわ きのう
 のふちぞ けふはせになる)

意味・・この世の中は、いったい何が変わらないのか、
    不変のものは何一つない。飛鳥川の流れも昨
    日渕であった所が今日はもう浅瀬に変わって
    いる。

    世の中の移り変わりが速いことを詠んだもの
    です。

 注・・あすか川=奈良県飛鳥を流れる川。明日を掛
     けている。
    渕=川の深く淀んでいる所。
    瀬=川の浅く流れの早い所。







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2010年01月13日

名歌鑑賞・993

身をしれば うらむることも なけれども 恋しき外に
袖もぬれけり     藤原為兼(ふじわらのためかね)

(みをしれば うらむることも なかれども こいしき
 ほかに そでもぬれけり)

意味・・身のほどを知っているからあの人を恨むことも
    ないけれど、恋しい思い以外のことで、身の程
    を思う悔し涙に袖も濡れてしまいました。

    本歌は
   「身を知れば人の咎とはおもはぬにうらみがお
    にもぬるる袖かな」です。(意味は下記参照)

作者・・藤原為兼=1254~1332。権中納言にまでなるが
     失脚して佐渡に配流される。

本歌です。

身をしれば 人の咎とも おもはぬに うらみがほにも 
ぬるる袖かな           西行(さいぎょう)

(みをしれば ひとのとがとも おもわぬに うらみがおにも
 ぬるるそでかな)

意味・・身の程を知るゆえ、あの人のつれなさを悪いとは
    思わないのに、まことに恨みがましい様子の涙で
    濡れる私の袖だ。

    取るに足りない身なので、冷淡な仕打ちを受ける
    のも仕方がないと思いつつ、恨まずにいられない
    悔しい気持を詠んでいます。    

 注・・咎(とが)=欠点、罪。



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2010年01月12日

名歌鑑賞・992

夜を寒み 朝戸を開き 出で見れば 庭もはだらに
み雪降りたり           読人知らず

(よをさむみ あさとをひらき いでみれば にわも
 はだらに みゆきふりたり)

意味・・昨夜は寒かったが、朝、戸をあけて外へ
    出て見ると、何と庭一面まだらに雪が降
    り積もっている。

 注・・はだら=斑。雪や霜がまだらに降ったさま。

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2010年01月11日

名歌鑑賞・991

夕されば 衣手寒し 高松の 山の木ごとに 
雪ぞ降りたる        読人知らず

(ゆうされば ころもてさむし たかまつの やまの
 きごとに ゆきぞふりたる)

意味・・夕方になると、着物の袖がうすら寒い。
    ふと見上げると、あれあのように高松山
    の木という木全部に雪が降り積もってい
    る。ああ寒いはずだ。

 注・・衣手=着物の袖。
    高松の山=奈良市の東部にある山。


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2010年01月10日

名歌鑑賞・990

淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ
須磨の関守      源兼昌(みなもとのかねまさ)

(あわじしま かようちどりの なくこえに いくよ
 ねざめぬ すまのせきもり)

意味・・淡路島から通って来る千鳥の悲しそうに鳴く
    声に、いったい幾夜眠りを覚ましてしまった
    ことだろうか、ここ須磨の関の関守は。

    冬の夜、荒涼とした須磨の地を通り過ぎる旅
    人は、向いの淡路島から飛び通って来る千鳥
    の鳴き声を聞き、旅人の旅愁が関守のわびし
    い心を思いやった歌です。
    なお、本歌は
   「友千鳥もろ声に鳴く暁は一人寝覚めの床も頼
    もし」です。(意味は下記参照)


 注・・淡路島=兵庫県須磨の西南に位置する島。
    須磨=神戸市須磨区。古くは関所があった。
    関守=関所の番人。

作者・・源兼昌=生没年未詳。12世紀初めの人。

本歌です。

友千鳥 もろ声に鳴く 暁は 一人寝覚めの
床も頼もし         源氏物語・須磨

(ともちどり もろこえになく あかつきは ひとり
 めざめの とこもたのもし)

意味・・多くの千鳥が声をそろえて鳴く暁は、一人で
    目を覚まして床の中で泣いていても、泣く仲
    間がいるので頼もしい。

    

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2010年01月09日

名歌鑑賞・989

裾に置て 心に遠き 火桶かな
                     蕪村(ぶそん)

(すそにおいて こころにとおき ひおけかな)

意味・・寒い外から帰ってきて、火桶を裾に置いて
    手をあぶっていても、心までは中々暖まら
    ない。

    嫌な事があり、外から帰ってきて火鉢に当
    たるのだが、むしゃくしゃした心は暖まらず、
    ほぐされない。

 注・・火桶=木をくぐり抜いて造った火鉢。

作者・・蕪村=与謝蕪村。1716~1783。南宗画家。

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2010年01月08日

名歌鑑賞・988

うづみ火の あたりは春の ここちして ちりくる雪を
花とこそ見れ         素意法師(そいほうし)

(うずみびの あたりははるの ここちして ちりくる
 ゆきを はなとこそみれ)

意味・・灰の中にいけてある炭火のあたりは春の
    ような気持ちがして、散ってくる雪を花
    のようにながめていることだ。

 うづみ火=埋火。灰の中にいけてある炭火。

作者・・素意法師=生没年未詳。紀伊守従五位と
     なったが出家した。

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2010年01月07日

名歌鑑賞・987

年を経て 変らぬ梅の 匂ひにも なほいにしえの
春ぞ恋しき           散逸物語

(としをへて かわらぬうめの においにも なお
 いにしえの はるぞこいしき)

意味・・何年も過ぎても変らぬ梅のよい香りが
    ただよっているが、やはり好きな人と、
    かって一緒に見た昔の春の梅が恋しく
    思われる。

 注・・散逸物語=散らばって今では無い昔の
     物語。


sakuramitih31 at 18:09|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2010年01月06日

名歌鑑賞・986

都だに 消えあへず 降る白雪に 高野の奥を
思ひこそやれ          読人知らず

(みやこだに きえあえず ふるゆきに たかのの
おくを おもいこそやれ)

意味・・都でさえ、十分消えないうちに白雪が
    降っているので、あなたの住む高野の
    奥はどんなにきびしい毎日かと思いや
    っています。

    都から高野山に移り住んだ人に贈った
    歌です。

 注・・高野=和歌山県高野山。

sakuramitih31 at 18:05|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2010年01月05日

名歌鑑賞・985

おほわだ波 うちあがり 岩をのりこゆる そのくりかへし
心に沁む        鹿児島寿蔵(かごしまじゅぞう)

(おおわだなみ うちあがり いわをのりこゆる その
 くりかえし こころにしむ)
  
意味・・湾の中で波が岩に打ち上がり、乗り越えて白波を
    立てている。その永遠の繰り返しを思い、顧みる
    と、人の存在する短い時間をしみじみと思うのだ。
    
    老妻を失った晩年の作です。

 注・・おほわだ=大曲。海の湾入した所。

作者・・鹿児島寿蔵=詳細不詳。

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2010年01月04日

名歌鑑賞・984

思わじと 思うも物を 思うなり 思わじとだに
思わじやきみ         沢庵(たくあん)

(おもわじと おもうもものを おもうなり おもわじ
 とだに おもわじやきみ)

意味・・思うまいと思い込むことも、そのことに
    とらわれて思っているということなので
    す。思うまいとさえ思わないことです。

    「思」の語を重ねて詠んだ歌として、
    「思ふまじ 思ふまじとは 思へども思
    ひ出して袖しぼるなり」があります。
     (意味は下記参照)

作者・・沢庵=1573~1645。大徳寺153世の往持。

参考歌です。

思ふまじ 思ふまじとは 思へども 思ひ出だして
袖しぼるなり          良寛(りょうかん)

(おもうまじ おもうまじとは おもえども おもい
 いだして そでしぼるなり)

意味・・亡くなった子を思い出すまい、思い出すまい
    とは思うけれども、思い出しては悲しみの涙
    で濡れた着物の袖を、しぼるのである。

    文政2年(1819年)に天然痘が流行して子供が
    死亡した時の歌です。



sakuramitih31 at 19:46|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2010年01月03日

名歌鑑賞・983

埋火もきゆやなみだの烹る音  芭蕉(ばしょう)

(うずみびも きゆやなみだの にゆるおと)

詞書・・少年を失へる人の心を思ひやりて。

意味・・終日火桶に寄りながら、亡き人を思っている
    お宅では、葬(ほうむ)り落ちるあなたの涙の
    ために、埋火もさぞかし消えがちなことであ
    りましょう。いま私に、その涙がこぼれて、
    埋火に煮える切ない音まで、聞えてくるよう
    に思われます。

    埋火という言葉に、終日なすこともなく火鉢
    をかかえ、悲しみに沈んでいる人の面影が見
    えてきます。

 注・・埋火(うずみび)=炉や火鉢の灰に埋めた炭火。

作者・・芭蕉=1644~1694。奥の細道、笈の小文など。

sakuramitih31 at 20:01|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2010年01月02日

名歌鑑賞・982

あらざらむ この世のほかの 思い出に 今ひとたびの 
逢うこともがな      和泉式部(いずみのしきぶ)

(あらざらん このよのほかの おもいでに いま
 ひとたびの あうこともがな)

詞書・・病に臥(ふ)せていました頃に、人のもと
    に贈った歌。

意味・・病気も重くなり、私はまもなくこの世を
    去ると思いますが、せめてあの世への思
    い出として、もう一度だけ逢って欲しい
    なあ。
    
    逢いたい相手は誰か不明です。
    和泉式部は4回結婚をしている。
    初めの夫、橘道貞(みちさだ)と別れると
    為尊(ためたか)親王、その死後、敦道(
    あつみち)親王と結婚。再び親王が死亡
    すると藤原保昌(やすまさ)の嫁になる。
    この歌は比較的若い頃に詠まれたと言わ
    れています。

 注・・あらざらむ=生きていないであろう。
    この世のほか=「この世」は現世。来世・
     死後の世界。
    もがな=願望を表す助詞。・・であって
     ほしいなあ。

作者・・和泉式部=980頃の生まれ。70歳くらい。
     「和泉式部日記」他。



    

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2010年01月01日

名歌鑑賞・981

忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の
惜しくもあるかな       右近(うこん)

(わすらるる みうをば おもわず ちかいてし ひとの
 いのちの おしくもあるかな)

意味・・あなたに忘れられる私の身を、少しも私は
    辛(つら)いとは思いません。ただ、私への
    愛を神に誓ったあなたの命が、神罰を受け
    て縮まるのではないかと、惜しまれるので
    す。

    当時は神仏に対する信仰が強く、神に誓っ
    た愛を破ると神罰が下って命を失うに違い
    ないと信じられていた。
    相手の男に捨てられながらも、なおその男
    の身を案じるという、愛を捨てることの出
    来ない悲しみが詠まれた歌です。

 注・・忘らるる=恋をしている相手の男性に忘れ
     られる。
    誓ひてし=いつまでも心変わりせずに愛す
     ると、神かけて約束した。
    惜しく=失うのにしのびない。男が神罰を
     こうむって命を落とすことを心配する。

作者・・右近=生没未詳。十世紀前半の女性歌人。

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