2010年08月

2010年08月31日

名歌鑑賞・1218

竹敷の 浦みの黄葉 我れ行きて 帰り来るまで
散りこすなゆめ 
            壬生宇太麻呂(みぶのうだまろ)
              (万葉集・3702)

(たけしきの うらみのもみじ われゆきて かえりく
 るまで ちりこすなゆめ)

詞書・・遣新羅の途中で竹敷の浦に船泊りした時に
    各々の思いを詠んだ歌。

意味・・竹敷の浦のあたりの紅葉よ、私が新羅へ行
    って再びここに帰ってくるまで、散らない
    でいてくれ、けっして。
 
    紅葉を惜しむ心に、新羅の往復が短期間で
    すむように願った歌です。

 注・・竹敷の浦=対馬の浅茅(あそう)の南部の湾。
    新羅(しらぎ)=朝鮮半島の古代王国。
    ゆめ=禁止表現を伴って、決して。

作者・・壬生宇太麻呂=746年頃の人。大判官(副使
     の次の官)として遣新羅に行く。従五位下。


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2010年08月30日

名歌鑑賞・1217

枝に漏る 朝日の影の 少なさに 涼しさ深き
竹の奥かな 
           京極為兼(きょうごくためかね)
             (玉葉集・419)

(えだにもる あさひのかげの すくなさに すずしさ
 ふかき たけのおくかな)

意味・・枝の間から漏れて来る朝日の光が少ないために、
    夏の朝も涼しさが底深く感じられる、竹林の奥
    であるなあ。
    
    竹林の朝のひんやりとした涼しさを詠んでいま
    す。

作者・・京極為兼=1254~1332。正二位権大納言。1316
     年から死去まで土佐に配流される。


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2010年08月29日

名歌鑑賞・1216

夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は
苦しきものぞ      
            坂上郎女(さかのうえいらつめ)
              (万葉集・1500)

(なつののの しげみにさける ひめゆりの しらえぬ
 こいは くるしきものぞ)

意味・・夏の野の草むらにひっそり咲いている姫百合の
    ように、あの人に知ってもらえない恋は何とも
    苦しいものだ。

    片思いの切なさを詠んでいます。

 注・・姫百合の・・=姫百合が夏草の深い茂みにおお
     われ人に気づかれない。「姫百合」は百合の
     一種。朱色の小さな花を咲かす。

作者・・坂上郎女=~750頃。大伴旅人の異母妹。


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2010年08月28日

名歌鑑賞・1215

鯛は花は 見ぬ里もあり けふの月

            井原西鶴(いはらさいかく)

(たいははなは みぬさともあり けふのつき)

意味・・鯛を賞味出来ない里もあろう。桜の美しさを
    満喫出来ない里もあろう。だが、今夜の名月
    だけはどこの里に住んでいようとも皆楽しむ
    ことが出来ることだ。

    句の眼目は名月の美しさを言っています。

作者・・井原西鶴=1642~1693。大阪の商家に生れる。
     一昼夜に2万5千句の連吟の記録を持つ。
     「好色一代男」を書く。


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2010年08月27日

名歌鑑賞・1314

忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの
命ともがな 
           儀同三司母(ぎどうさんしのはは)
            (新古今集・1149、百人一首・54)

(わすれじの ゆくすえまでは かたければ きょうを
 かぎりの いのちもがな)

意味・・いつまでも忘れまいとあなたはおっしゃって
    下さいますが、そのように遠い将来のことは
    頼みがたいことですから、そうおっしゃって
    くださる今日を限りの命であってほしいもの
    です。

    当時の上流貴族たちは一夫多妻であり、結婚
    当初は男が女の家に通っていた。男が通って
    来なくなれば自然に離婚となっていた。いつ
    しか忘れ去られるという不安のなかで、今日
    という日を最良の幸福と思う気持を詠んでい
    ます。

 注・・忘れじの=いつまでも忘れまいと。
    行く末=将来。
    かたければ=難ければ。難しいので。
    命ともがな=命であってほしい。「もがな」
     は願望の助詞。

作者・・儀同三司母=~998。高階成忠の娘。藤原道隆
     の妻。「儀同三司」は「太政大臣・左大臣・
     右大臣」に同じの意味。


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2010年08月26日

名歌鑑賞・1213

われのみや あはれと思はむ きりぎりす 鳴く夕かげの
大和なでしこ        
               素性法師(そせいほうし)
                (古今和歌集・244)
(われのみや あわれとおもわん きりぎりす なく
 ゆうかげの やまとなでしこ)

意味・・これを私だけが「きれいだなあ」と思って見る
    だけで、むなしく散るにまかせるのだろうか。
    こおろぎが寂しく鳴くなかで、夕日を浴びた
    大和なでしこの花を。

    美しさを自分一人で見て終らせる残念さ、寂し
    さの思いを詠んでいます。

 注・・われのみや=「や」は反語の意。
    あはれ=しみじみと心を打つさま。すてきだ。
    きりぎりす=今のこおろぎ。
    夕かげ=夕日。
    大和なでしこ=河原撫子。

作者・・素性法師=~909頃。遍照僧正の子。


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2010年08月25日

名歌鑑賞・1212

月影の 宿れる袖は せばくとも とめて見せばや
飽かぬ光を           (源氏物語・須磨)

(つきかげの やどれるそでは せばくとも とめて
 みせばや あかぬひかりを)

意味・・月の光の宿っている私の袖は狭くとも、留めて
    見たいものです。飽きることの無い美しい光を。
    ものの数でもない私ですが、見飽きない源氏様
    を引き留めておきたいものです。

    須磨で源氏との別れが近くなり、再び会う事が
    出来るだろうかと、悲しみの涙を流しながら心
    細くなり詠んだ歌です。

    悲しみの涙顔の表情はこの歌です。

    「合ひに合ひて物思ふころのわが袖に宿る月へ
    濡るる顔なる」 (意味は下記参照)  

 注・・月影の宿れる袖=涙で袖が濡れているので、月
     の影が映るという誇張した表現。
    光=光源氏を掛ける。

参考歌です。

合ひに合ひて 物思ふころの わが袖に 宿る月さへ
濡るる顔なる        伊勢(いせ)
                (古今和歌集・756)

(あいにあいて ものおもうころの わがそでに やどる
 つきさえ ぬるるかおなる)

意味・・私の心にぴったりだ。物思いに沈んでいる袖の
    涙に映った月影までが私に負けずに涙に濡れた
    ような顔つきをしているよ。

 注・・合ひに合ひて=私の心によく合って。同じ動詞
     を重ねてその間に「に」を用いると意味を強調
     することになる。
    物思ふ=何となく憂鬱に。「物」は漠然とした
     ものをさす。

作者・・伊勢=生没年未詳。大和守藤原継影の娘。父が
     890年頃、伊勢守であったので伊勢といった。

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2010年08月24日

名歌鑑賞・1211

みなれ棹 とらでぞくだす 高瀬舟 月の光の
さすにまかせて      源師賢(みなもとのもろかた)
               (後拾遺・836)

(みなれざお とらでぞくだす たかせぶね つきの
 ひかりの さすにまかせて)

詞書・・「船中の月」という題で詠みました歌。

意味・・月の光のさすのに任せて、みなれ棹を取ら
    ないで高瀬舟を川下に下している。

 注・・みなれ棹=水馴れ棹。水にひたし使い慣れ
     た棹。棹は舟を漕ぐ時に用いる棒。
    くだす=下す。舟を川下にくだすこと。
    高瀬舟=底は平たくて浅い舟。
    さすに=「光が差す」と「棹をさす」の掛詞。

作者・・源師賢=1035~1081。蔵人頭、正四位下。
   

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2010年08月23日

名歌鑑賞・1210

長者の子しかも美人の明き盲    求笑(きゅうしょう)
                   (二葉の松)

(ちょうじゃのこ しかもびじんの あきめくら)

前句・・かわゆがれて暮らすなりけり

意味・・可愛いがられる子供の第一条件は、金持ちの
    家に生れることだが、その娘が美しいことも
    二番目の条件。さらに、その子が、不幸にし
    て、明き盲である不憫(ふびん)さが重なる時、
    親の愛情が集中することになる。

    美しい盲女の飾られた生活、それ故に哀れは
    いっそう深い気持を詠んでいます。

 注・・長者=銀五百貫(2億5千万円)以上の金持ち
     を分限とし、千貫以上を長者といった。
    明き盲=文盲(文字の読めない人)でなく、目
     の明いて見えない盲人。

作者・・求笑=伝未詳。江戸時代の初期、1690年頃
     活躍した俳人。
    

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2010年08月22日

名歌鑑賞・1209

あらそはぬ 風の柳の 糸にこそ 堪忍袋
ぬふべかりけれ    鹿都部真顔(しかのつべのまがお)
             (狂歌才蔵集)

(あらそわぬ かぜのやなぎの いとにこそ かんにん
 ぶくろ ぬうべかりけれ)

意味・・風に争うこともなく、吹くままになびいている
    柳の枝。あの柳の糸でこそ、めったに破っては
    ならない人間の堪忍袋を縫うべきだ。

    糸と袋の見立ての面白さをふまえた処世訓です。

 注・・柳の糸=細長い柳の枝を糸に見立てた語。
    堪忍袋=堪忍する心の広さを袋に例えた語。

作者・・鹿都部真顔=1753~1829。北川嘉兵衛。狂歌
     四天王の一人。


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2010年08月21日

名歌鑑賞・1208

縄の浦ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 漕ぎ廻る舟は
釣りしすらすも      山部赤人(やまべのあかひと)
               (万葉集・357)

(なわのうらゆ そがいにみゆる おきつしま こぎみる
 ふねは つりしすらすも)

意味・・縄の浦にたどり着いて振り返ると、はるか
    沖合いに見える島、その島のあたりを漕い
    でいる舟は、まだ釣りの真っ最中らしい。
    
    旅の舟が着いた頃合いになっても、釣り舟
    がまだ沖で操業していることに感嘆して詠
    んだ歌です。

 注・・縄の浦=兵庫県相生市那波の海岸。
    そがひ=背向ひ。後ろの方。

作者・・山部赤人=生没年未詳。奈良時代の初期の
     宮廷歌人。
    

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2010年08月20日

名歌鑑賞・1207

水鳥の 立ちの急ぎに 父母に 物言ず来にて
今ぞ悔しき      有度部牛麻呂(うとべのうしまろ)
             (万葉集・4337)

(みずとりの たちのいそぎに ちちははに ものはず
 きにて いまぞくやしき)

意味・・水鳥が飛び立つ時のような、旅立ちの慌(あわ
    ただ)しさにまぎれ、父母にろくに物を言わず
    に来てしまって、今となって何とも悔しくて
    ならない。

    慌しく防人として連れ出された心残りを詠んだ
    歌です。

 注・・水鳥=「立ち」の枕詞。
    物言(ものは)ず来て=「物言(ものい)はず来て」
     の訛り。言い残したことが多い。
    防人=上代、東国から送られて九州の要地を守っ
     た兵士。
    
作者・・有度部牛麻呂=生没年未詳。防人。

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2010年08月19日

名歌鑑賞・1206

世の中の 憂きもつらさも 告げなくに まづ知るものは
涙なりけり             読人しらず
                   (古今集・941)

(よのなかの うきもつらさも つげなくに まずしる
 ものは なみだなりけり)

意味・・私はこの世の憂いも辛さも告げた覚えは
    ないのだが、涙というものは真っ先に知
    るとみえて、事があればすぐに出て来る。

    悲しい時はすぐに涙が出て来る気持です。

 注・・憂き=つらいこと、せつないこと。

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2010年08月18日

名歌鑑賞・1205

かよひなれて あづまもちかし 足がらの 関路はるかに
思ひしかども       慈円(じえん)
             (南海漁父北山樵客百番歌合・150)

(かよいなれて あずまもちかし あしがらの せきじ
 はるかに おもいしかど)

意味・・通い慣れて見ると、東国も近く思われるよ。
    都から足柄の関路は遙かに遠いと思って来た
    けれど。

    東国の遠路も通い慣れると、辛かったのが何
    ともなくなるという気持を詠んでいます。

 注・・足柄=相模国(神奈川県)の足柄山。関所があ
     った。

作者・・慈円=1155~1225。天台座主。大僧正。新古
     集に二番目に多く92首入首。
    

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2010年08月17日

名歌鑑賞・1204

思ひやれ 真木のとぼそ おしあけて 独り眺むる
秋の夕暮れ        後鳥羽院(ごとばいん)
              (遠島御百首・39)

(おもいやれ まきのとぼそ おしあけて ひとり
 ながむる あきのゆうぐれ)

意味・・想像して欲しい。真木の戸を押し開けて、
    独り物思いにふけりながら眺める秋の夕暮
    のわびしさを。

    承久の乱(1221年)によって隠岐(おき)に配
    流された無念の気持を詠んでいます。

 注・・真木のとぼそ=杉やヒノキなどで作った戸。

作者・・後鳥羽院=1180~1239。82代天皇。承久
     の乱で鎌倉幕府に破れ隠岐に配流された。




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2010年08月16日

名歌鑑賞・1203

梓弓 引き豊国の 鏡山 見ず久さならば 
恋しけむかも      鞍作益人(くらつくりのますひと)
              (万葉集・311)

(あずさゆみ ひきとよくにの かがみやま みずひさ
 ならば こいしけんかも)

詞書・・住み慣れた任地を離れ京に上る時に詠んだ歌。

意味・・こうして見慣れた豊国の鏡山、この山を久しく
    見ないようになったら、きっと恋しく思うこと
    だろう。

 注・・梓弓引き=梓弓を引き響(とよ)もす、の意で、
     「豊国」を起こす序の詞。
    豊国(とよくに)=豊前(ぶぜん)の国。福岡県
     東部と大分県の北部。

作者・・鞍作益人=伝未詳。

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2010年08月15日

名歌鑑賞・1202

鶉鳴く 古りにし里ゆ 思へども 何ぞも妹に
逢ふよしもなき      大伴家持(おおとものやかもち)
               (万葉集・775)

(うずらなく ふりにしさとゆ おもえども なにぞも
 いもに あうよしもなき)

意味・・鶉の鳴く古びた里にいた頃から想い続けていた
    のに、どうしてあなたに逢う機会もないのであ
    ろうか。

    家持が紀女郎(きのいらつめ)に贈った歌です。

 注・・鶉鳴く=「古る」の枕詞。草深い荒涼のさまを
     表している。
    古りにし里=ここでは旧都奈良をさす。
    妹=男性から女性を親しんでいう語。妻・恋人
     にいう。

作者・・大伴家持=718~785。大伴旅人の長男。万葉集
     後期の代表的歌人。中納言、従三位。

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2010年08月14日

名歌鑑賞・1201

忘れ草 我が紐に付く 香具山の 古りにし里を
忘れむがため       大伴旅人(おおとものたびびと)
               (万葉集・334)

(わすれぐさ わがひもにつく かぐやまの ふりにし
 さとを わすれんがため)

意味・・萱草(わすれぐさ)を下紐に付けました。香具山の
    聳(そび)える故郷をいっそうのこと忘れようと思
    って。

    故郷での失恋の思いを忘れたい気持です。

 注・・忘れ草=萱草(かんぞう)。夏から秋にかけて黄赤
     色の花をつけるユリ科の多年草。この花を着物
     の紐に付けて置くと嫌なことを忘れるという。

作者・・大伴旅人=665~731。太宰師(そち・長官)の後に
     大納言になる、従二位。

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2010年08月13日

名歌鑑賞・1200

逢坂の 関の戸ささぬ 古へを 知るも知らぬも
さぞ忍ぶらむ     藤原良基(ふじわらのよしもと)
             (詠百首和歌・90)

(おうさかの せきのとささぬ いにしえを しるも
 しらぬも さぞしのぶらん)

意味・・逢坂の関の戸を鎖さなかった聖代の昔を、
    今の世のよく知る人も知らない人も、さぞ
    かし思い慕(した)っていることだろう。

戦乱の時勢にあって平和を念じた歌です。

    本歌は、
    「これやこの行くも帰るも別れつつ知るも
    知らぬも逢坂の関」です。(意味は下記参照)    

 注・・逢坂の関=近江の国、逢坂に設けられた
     関所。
    忍ぶ=ここでは偲ぶ。過去を思い出して慕う。

作者・・藤原良基=1320~1388。北朝の天皇に仕えて
     摂関職にあった。南朝と北朝が激しく攻め
     ぎ会った戦乱期であった。

本歌です。

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも
逢坂の関              蝉丸(せみまる)
                   (後撰和歌集)

(これやこの ゆくもかえるも わかれては しるも
 しらぬも おうさかのせき)

意味・・これがあのう、こらから旅立つ人も帰る人も、
    知っている人も知らない人も、別れてはまた
    逢うという、逢坂の関なのですよ。
    
 注・・これやこの=これが噂に聞いているあのう・・、
       という言い方。
    逢坂の関=山城国(京都府)と近江(滋賀県)の
       境の関所。




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2010年08月12日

名歌鑑賞・1199

ふかき夜の むら雨かかる 朝じめり まだ咲ききえぬ
花の色かな             正徹(しょうてつ)
                (招月正徹之詠歌・103)

(ふかきよの むらさめかかる あさじめり まださき
 きえぬ 花のいろかな)

意味・・深夜に降ったにわか雨で、朝方湿りながら
    まだ咲いたまま朝露も消えていない、清々
    しい花の色だなあ。

    昨夜の雨に濡れてまだ玉の露が残り、花が
    一段と艶(あで)やかに見えて、朝の清々しさ
    を詠んでいます。

 注・・むら雨=にわか雨。

作者・・正徹=1381~1459。字は清岩。室町中期の
     歌僧。




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2010年08月11日

名歌鑑賞・1198

老いぬれば さらぬ別れの ありといへば いよいよ見まく
ほしき君かな       伊豆内親王(いずないしんのう)
              (伊勢物語・84、古今集・900)

(おいぬれば さらぬわかれの ありといえば いよいよ
 みまく ほしききみかな)

意味・・私もこの年になったので、永久の別れがいつ
    あるか分かりません。そのせいで、この頃は
    あなたにますます会いたくなりました。

 注・・さらぬ別れ=人間として避けられない別れ。
     死別。
    いよいよ=ますます。

作者・・伊豆内親王=生没年未詳。桓武天皇の皇女。
     在原業平の母。

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2010年08月10日

名歌鑑賞・1197

かたはらに 秋ぐさの花 かたるらく ほろびしものは
なつかしきかな     若山牧水(わかやまぼくすい)

(かたわらに あきぐさのはな かたるらく ほろびし
 ものは なつかしき)

詞書・・小諸懐古園にて

意味・・廃墟となった小諸城址に、むなしく座っている
    と、かたわらで秋草の花が語ることに「亡んだ
    ものはなつかしいですねぇ」。

    牧水が恋愛にも生活にも疲れ果て、小諸の地に
    静養している時に詠んだ歌です。

    悠久(ゆうきゅう)な自然の中に滅び去ったもの
    を思い、懐かしく思う気持を詠んだ歌です。

 注・・かたはらに=作者が座って瞑想にふけっている
     近くでの意。
    かたるらく=語ることには。

作者・・若山牧水=1885~1928。43歳。早稲田大学卒業。
     歌集に「路上」、「海の声」など。

    

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2010年08月09日

名歌鑑賞・1196

信濃なる 浅間の嶽に 立つ煙 をちこち人の
見やはとがめぬ      在原業平(ありはらのなりひら)
              (伊勢物語・8、新古今・903)

(しなのなる あさまのたけに たつけむり おちこち
 ひとの みやはとがめぬ)

意味・・信濃の国にある浅間山に立ちのぼる噴煙は、
    遠くの人も近くの人も、どうして目を見張ら
    ないことであろうか、誰しも目を見張ること
    であろう。

    旅の途中で見た浅間山の噴煙の素晴らしさを
    詠んだ歌です。

 注・・信濃なる=信濃(長野県)にある。
    見やはとがめぬ=「やは」は反語の助詞。見
     とがめないことがあろうか。どうして注目
     しないことがあろうか。

作者・・在原業平=880年没。56歳。従四位上・左近衛
     権中将。「伊勢物語」。






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2010年08月08日

名歌鑑賞・1195

忘れては うち嘆かるる 夕べかな われのみ知りて
過ぐる月日を      式子内親王(しきしないしんのう)
             (新古今集・1035)

(わすれては うちなげかるる ゆうべかな われのみ
 しりて すぐるつきひを)

意味・・自分だけが恋い慕(した)って過ぎた月日を
    忘れてしまって、叶わぬ恋の嘆かれる夕方
    だなあ。
    
    思い初めた頃を忘れるほどの昔より恋しく
    思う人だが、相手に分かってもらえない片  
    思いの嘆きを詠んでいます。

 注・・われのみ知りて=自分の心の中だけに秘め
     て恋している片思いをいったもの。

作者・・式子内親王=1201年没。後白河天皇の第二
     皇女。新古今時代の代表的女流歌人。

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2010年08月07日

名歌鑑賞・1194

とことはに 吹く夕暮れの 風なれど 秋立つ日こそ
涼しかりけれ      藤原公実(ふじわらのきんざね)
             (金葉和歌集・156)

(とことはに ふくゆうぐれの かぜなれど あきたつ
 ひこそ すずしかりけれ)

意味・・いつも吹く夕暮れの風だが、今日の立秋の日は
    格別に涼しいことだ。

 注・・とことはに=常に。

作者・・藤原公実=1053~1107。権大納言、正二位。

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2010年08月06日

名歌鑑賞・1193

松山の 波の景色は 変らじを かたなく君は
なりましにけり       西行(さいぎょう)
               (山家集・1354)

(まつやまの なみのけしきは かわらじを かたなく
 きみは なりましにけり)

詞書・・讃岐に詣でて、松山と申す所に、院おはしまし
    けん御跡たづねけれど、かたも無かりければ。

意味・・この松山の岸に寄せる波の景色は昔どおりで変
    ることはあるまいと思うのに、同じように永遠
    不変だと思われた院は今、跡形も無くおなりに
    なってしまった。

    崇徳院の御陵に詣でた所、松や柏で茂った所の
    木立ちがわずかに空いた所に、土を高く積み上
    げ石を三段に積み重ねただけのものであり、茨
    や蔓に埋もれていた。西行が以前、崇徳院を見
    た姿は、紫宸殿(ししんでん)で政務をとり清涼
    殿に君臨して賢明な天子と崇められていた姿で
    あった。その落差に悲しくなり詠んだ歌です。     

 注・・讃岐=崇徳院が配流された地。
    松山=讃岐国(香川県)綾歌郡松山。
    院=崇特院。保元の乱(1156)の結果讃岐に流さ
     れ1164年に崩御。46歳。
    紫宸殿=天皇の御殿。政務を行う所。
    清涼殿=天皇のふだんお住みになる所。

作者・・西行=1118~1190。
 

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2010年08月05日

名歌鑑賞・1192

年も経ぬ 祈る契は 初瀬山 尾上の鐘の 
よその夕暮れ      藤原定家(ふじわらのさだいえ)
              (新古今集・1142)

(としもへぬ いのるちぎりは はつせやま おのえの
 かねの よそのゆうぐれ)

意味・・恋の成就を長谷観音に祈って年久しい。しかし、
    契も空しく、恋人のもとに通う時を告げる尾上
    の鐘は他人のために鳴るのだ。

    参考歌です。
    「うかりける人を発瀬の山おろしよ激しかれとは
    祈らぬものを」(意味は下記参照)

 注・・祈る契=恋の成就を祈る仏への約束。
    初瀬山=奈良県桜井市初瀬。長谷寺があり観音
     を祀(まつ)っている。「契を果つ」を掛ける。
    尾上の鐘=山の峰で撞く鐘。
    よその夕暮れ=自分とは関係の無い他の恋人が
     逢う夕暮れ。

作者・・藤原定家=~1241。80歳。正二位権中納言。
     「新古今集」の撰者の一人。

参考歌です。

憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは
祈らぬものを       源俊頼(みなもととしより)
             (千載集・708、百人一首・74)


(うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげし
 けれとは いのらぬものを)

意味・・つれなかった人をどうか私になびかせてくださいと
    初瀬の観音に祈ったのだが。初瀬山から吹き降ろす
    山風が激しく吹きすさぶように、ますます薄情にな
    れとは祈らなかったのに。

    ままならぬ恋を詠んだ歌です。
    つれない相手の心がなびくように初瀬の観音に祈った。
    しかし、その思いは通じるどころか、相手はいよいよ
    冷たくあたるようになったというのです。

 注・・憂かる=まわりの状況が思うにまかせず、気持が
        ふさいでいやになること。
    初瀬=奈良県にある地名。長谷寺の11面観音がある。
    やまおろし=山から吹きおろす冷たく激しい風。



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2010年08月04日

名歌鑑賞・1191

嬉しさを 何に包まん 唐衣 袂ゆたかに
たてと言はましを        読人知らず
                 (古今集・865)

(うれしさを なににつつまん からころも たもと
 ゆたかに たてといわましを)

意味・・嬉しさを何に包もうか、着物の袖をゆったり
    裁(た)って包めるように言っておけばよかっ
    たなあ。

 注・・唐衣=ここでは衣服の意味。
    ゆたかに=大きく、広く。

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2010年08月03日

名歌鑑賞・1190

思へども いはでの山に 年を経て 朽ちや果てなん
谷の埋れ木       藤原顕輔(ふしわらのあきすけ)
             (千載和歌集・651)

(おもえども いわでのやまに としをへて くちや
 はてなん たにのうもれぎ)

意味・・心の中で思っていても言い出せずに年を経て、
    岩手の山の谷の埋れ木の如く朽ち果ててしまう
    のであろうか。

    恋心を詠んだ歌です。

 注・・いはで=「言はで」と「岩手(陸奥国の歌枕)」を
     掛ける。

作者・・藤原顕輔=1090~1155。詞花和歌集の撰者。

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2010年08月02日

名歌鑑賞・1189

種まきし その世ながらの 友なれや 苔むす岩も
高砂の松         源政賢(みなもとのまさかた)
              (宝徳二年仙洞歌合・137)

(たねまきし そのよながらの ともなれや こけむす
 いわも たかさごのまつ)

意味・・種をまいたその昔の代からの友であろうか。
    苔の生えている高く大きな岩と、木高い高砂の
    松とは。

    「誰をかも知る人にせん高砂の松も昔の友なら
    なくに」により、松と岩は昔ながらの友だと、
    趣向をこらした歌です。(意味は下記参照)

 注・・高砂=播磨国(兵庫県)の歌枕。岩と松の「高し」
     を掛ける。

作者・・源政賢=~1487。従二位権大納言。

参考歌です。

誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の
友ならなくに     藤原興風(ふじわらのおきかぜ)
            (古今集・909、百人一首・34)

(たれをかも しるひとにせむ たかさごの まつも
 むかしの ともならなくに)

意味・・(こんなに年老いた)私は、いったい誰を親しい
    知り合いとしょうか。昔からの友人は皆、死んで
    しまい、生きながらえているのは、長寿で知られ
    るあの高砂の松くらいだが、それも昔の友という
    わけにいかないし。

    親しい友人を新たに作ろうと思っても、そういう
    心の友は長年の交流によってはくぐまれるもので、
    老齢の自分には出来ない、と孤独な老人の悲しみ
    を詠んでいる。




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2010年08月01日

名歌鑑賞・1188

刈り残す みつの真菰に 隠ろへて かげもち顔に
鳴くかはづかな        西行(さいぎょう)
                (山家集・1018)

(かりのこす みつのまこもに かくろえて かげもち
 かおに なくかわずかな)

意味・・刈り残された御津(地名)の真菰の陰に隠れて
    自分は身を守ってくれる影を待っているぞと
    自慢げな顔で鳴いている蛙だなあ。

    頼りない真菰の陰で鳴く蛙がささやかな物に
    楽しみを感じる無邪気さを滑稽味をもって詠
    んでいます。

 注・・みつ=地名の御津(難波)又は美豆(山城)。
    真菰(まこも)=イネ科の多年草。水辺に生え
     葉、茎で莚(むしろ)を編む。
    かげもち顔=得意顔。「影を待つ」を掛ける。

作者・・西行=1118~1190。鳥羽院の北面の武士。23
     歳で出家。「山家集」。

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