2011年05月
2011年05月31日
2011年05月30日
2011年05月29日
2011年05月28日
2011年05月26日
2011年05月25日
2011年05月24日
名歌鑑賞・1482
香具山と 耳成山と 闘ひし時 立ちて見に来し
印南国原
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
(万葉集・14)
(かぐやまと みみなしやまと あいしとき たちて
みにこし いなみくにはら)
意味・・ああ、ここが、香具山と耳成山とが争った時、
阿菩大神(あぼのおおかみ)が立って、見に来た
という印南国原だ。
大和三山の妻争いの伝説を歌ったもの。大和平野
には香具山(男山)・畝傍(うねび)山(女山)・耳成
山(男山)が向い合い、この三山が妻争いをしたと
いう伝説。阿菩大神が仲裁に来たという。
神代の時代からこんなふうであり、昔もそうだか
ら、今の世でも妻を求めて争うものだと嘆いた歌。
作者・・中大兄皇子=後の天智天皇。
印南国原
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
(万葉集・14)
(かぐやまと みみなしやまと あいしとき たちて
みにこし いなみくにはら)
意味・・ああ、ここが、香具山と耳成山とが争った時、
阿菩大神(あぼのおおかみ)が立って、見に来た
という印南国原だ。
大和三山の妻争いの伝説を歌ったもの。大和平野
には香具山(男山)・畝傍(うねび)山(女山)・耳成
山(男山)が向い合い、この三山が妻争いをしたと
いう伝説。阿菩大神が仲裁に来たという。
神代の時代からこんなふうであり、昔もそうだか
ら、今の世でも妻を求めて争うものだと嘆いた歌。
作者・・中大兄皇子=後の天智天皇。
2011年05月23日
2011年05月22日
名歌鑑賞・1480
心爰になきか鳴かぬか郭公
西鶴(さいかく)
(西鶴全句集・2)
(こころここに なきかなかぬか ほとどぎす)
意味・・私がついうっかりして他の事を考えていた為に、
お前が折角よい声で鳴いたのに、それを聞かなか
ったのだろうか、それともお前が鳴かなかったの
だろうか、郭公よ。今度しっかり聞くから鳴いて
くれないか。
中国の古典「大学」の次の語句を参考にして詠ま
れています。
心焉(ここ)に在らざれば視れども見えず、聞けど
も聞えず。
注・・爰(ここ)に=ここに、すなわち。
焉(ここ)に=いずくんぞ、これより、ここに。
作者・・西鶴=1642~1693。西山宗因に入門。談林派。
「浮世草子」。
西鶴(さいかく)
(西鶴全句集・2)
(こころここに なきかなかぬか ほとどぎす)
意味・・私がついうっかりして他の事を考えていた為に、
お前が折角よい声で鳴いたのに、それを聞かなか
ったのだろうか、それともお前が鳴かなかったの
だろうか、郭公よ。今度しっかり聞くから鳴いて
くれないか。
中国の古典「大学」の次の語句を参考にして詠ま
れています。
心焉(ここ)に在らざれば視れども見えず、聞けど
も聞えず。
注・・爰(ここ)に=ここに、すなわち。
焉(ここ)に=いずくんぞ、これより、ここに。
作者・・西鶴=1642~1693。西山宗因に入門。談林派。
「浮世草子」。
2011年05月21日
名歌鑑賞・1479
こんなにも 湯呑み茶碗は あたたかく しどろもどろに
吾はおるなり
山崎方代(やまさきほうだい)
(左右口)
(こんなにも ゆのみちゃわんは あたたかく しどろ
もどろに われはおるなり)
意味・・湯飲み茶碗の手ざわりというより、茶碗に茶を
注ぎ、その温かさにしどろもどろになっている。
方代は定職を持たず、家庭を持たず援助者の好
意で生活をして一生を終えている。孤独の生活
は、その裏返しの温かさをかみしめる生活の累
積でもあった。たった一碗のお茶の温かさに心
が揺れるほど、現実は孤独。自分の人生を振り
返ればしどろもどろ。この先もしどろもどろ。
作者・・山崎方代=1914~1985。尋常高等小学校卒業。
「山崎方代全歌集」。
吾はおるなり
山崎方代(やまさきほうだい)
(左右口)
(こんなにも ゆのみちゃわんは あたたかく しどろ
もどろに われはおるなり)
意味・・湯飲み茶碗の手ざわりというより、茶碗に茶を
注ぎ、その温かさにしどろもどろになっている。
方代は定職を持たず、家庭を持たず援助者の好
意で生活をして一生を終えている。孤独の生活
は、その裏返しの温かさをかみしめる生活の累
積でもあった。たった一碗のお茶の温かさに心
が揺れるほど、現実は孤独。自分の人生を振り
返ればしどろもどろ。この先もしどろもどろ。
作者・・山崎方代=1914~1985。尋常高等小学校卒業。
「山崎方代全歌集」。
2011年05月20日
名歌鑑賞・1448
めづらしき 声ならなくに 郭公 ここらの年を
飽かずもあるかな
紀友則(きのとものり)
(古今和歌集・359)
(めずらしき こえならなくに ほとどぎす ここらの
としを あかずもあるかな)
意味・・毎年聞いているので、もはや珍重するには当たら
ないほとどぎすだが、それにしても、長年にわた
って、よくもあきずに鳴いているものだ。
長年鳴き続けるほとどぎす、それを長年聞き続け
ることは長生きの印でありめでたい事だ、という
気持も詠んでいます。
注・・めづらしき・・=今年だけ聞く珍しい声ではない
のに。
郭公=ほとどぎす、時鳥、不如帰、子規とも書く。
ここら=数多く、たくさん。
作者・・紀友則=~905頃没。紀貫之の従兄弟。古今和歌集
の撰者。
飽かずもあるかな
紀友則(きのとものり)
(古今和歌集・359)
(めずらしき こえならなくに ほとどぎす ここらの
としを あかずもあるかな)
意味・・毎年聞いているので、もはや珍重するには当たら
ないほとどぎすだが、それにしても、長年にわた
って、よくもあきずに鳴いているものだ。
長年鳴き続けるほとどぎす、それを長年聞き続け
ることは長生きの印でありめでたい事だ、という
気持も詠んでいます。
注・・めづらしき・・=今年だけ聞く珍しい声ではない
のに。
郭公=ほとどぎす、時鳥、不如帰、子規とも書く。
ここら=数多く、たくさん。
作者・・紀友則=~905頃没。紀貫之の従兄弟。古今和歌集
の撰者。
2011年05月19日
2011年05月18日
名歌鑑賞・1476
べくべから べくべかりべし べきべけれ すずかけ並木
来る鼓笛隊
永井陽子(ながいようこ)
(樟の木のうた)
意味・・調子よく弾む「べし」の活用形の音は、すずかけの
並木を、太鼓やシンバルなどでくっきりとリズムを
とりながら姿勢よく演奏行進してくる鼓笛隊に調子
が良くあっている。
助動詞「べし」の活用形を用いて詠んだ歌です。
遊び心の歌がのびやかである一首だが、「べし」と
いう命令調へのやわらかな拒否の心が入っている。
べし=可能の意味、「一念岩を通すべし」。決意を表す意
味、「必ず参上いたすべし」。義務を表す意味、
「租税は納むべきものなり」。命令の意味、「ま
すらをは名をし立つべし」。
作者・・永井陽子=1951~2000。東洋大学卒。短大教員。
来る鼓笛隊
永井陽子(ながいようこ)
(樟の木のうた)
意味・・調子よく弾む「べし」の活用形の音は、すずかけの
並木を、太鼓やシンバルなどでくっきりとリズムを
とりながら姿勢よく演奏行進してくる鼓笛隊に調子
が良くあっている。
助動詞「べし」の活用形を用いて詠んだ歌です。
遊び心の歌がのびやかである一首だが、「べし」と
いう命令調へのやわらかな拒否の心が入っている。
べし=可能の意味、「一念岩を通すべし」。決意を表す意
味、「必ず参上いたすべし」。義務を表す意味、
「租税は納むべきものなり」。命令の意味、「ま
すらをは名をし立つべし」。
作者・・永井陽子=1951~2000。東洋大学卒。短大教員。
2011年05月16日
2011年05月15日
2011年05月14日
名歌鑑賞・1472
かくしつつ とにもかくにも ながらへて 君が八千代に
あふよしもがな
仁和帝(にんわのみかど)
(古今和歌集・347)
(かくしつつ とにもかくにも ながらえて きみが
やちよに あうよしもがな)
詞書・・仁和の御時、僧正遍照に七十の賀たまひける
ときの御歌
意味・・今日はこうして宴席を設けてあなたの七十の
賀をともに祝っているが、自分もこれから何
とか生きながらえて、さらにあなたの八千代
の賀宴にあいたいものと思う。
注・・仁和の御時=光孝天皇の仁和年間(885年)。
かくしつつ=こうすること。70歳を祝う宴会
を開いて楽しむこと。
八千代=八千年。きわめて長い年代。
作者・・仁和帝=831~887。光孝天皇。
あふよしもがな
仁和帝(にんわのみかど)
(古今和歌集・347)
(かくしつつ とにもかくにも ながらえて きみが
やちよに あうよしもがな)
詞書・・仁和の御時、僧正遍照に七十の賀たまひける
ときの御歌
意味・・今日はこうして宴席を設けてあなたの七十の
賀をともに祝っているが、自分もこれから何
とか生きながらえて、さらにあなたの八千代
の賀宴にあいたいものと思う。
注・・仁和の御時=光孝天皇の仁和年間(885年)。
かくしつつ=こうすること。70歳を祝う宴会
を開いて楽しむこと。
八千代=八千年。きわめて長い年代。
作者・・仁和帝=831~887。光孝天皇。
2011年05月13日
2011年05月12日
名歌鑑賞・1470
山高み 雲井に見ゆる 桜花 心のゆきて
折らぬ日ぞなき
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
(古今和歌集・358)
(やまたかみ くもいにみゆる さくらばな こころの
ゆきて おらぬひぞなき)
詞書・・右大将定国四十の賀で。
意味・・山が高いので、大空はるかに見える桜の花は、
実際に手折ることは出来ないが、気持だけは
そこまで行って折り取らない日はない。
人間以上の力にあやかって越えようとする願望
と祈願を寿歌として詠んでいます。
注・・雲井=雲のある所、空。
折らぬ日ぞなき=当時の人は花や紅葉を折って
家に持ち帰ったり、人に贈る習慣があった。
作者・・凡河内躬恒=900年前後に活躍した人。「古今
和歌集」の撰者。
折らぬ日ぞなき
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
(古今和歌集・358)
(やまたかみ くもいにみゆる さくらばな こころの
ゆきて おらぬひぞなき)
詞書・・右大将定国四十の賀で。
意味・・山が高いので、大空はるかに見える桜の花は、
実際に手折ることは出来ないが、気持だけは
そこまで行って折り取らない日はない。
人間以上の力にあやかって越えようとする願望
と祈願を寿歌として詠んでいます。
注・・雲井=雲のある所、空。
折らぬ日ぞなき=当時の人は花や紅葉を折って
家に持ち帰ったり、人に贈る習慣があった。
作者・・凡河内躬恒=900年前後に活躍した人。「古今
和歌集」の撰者。
2011年05月11日
2011年05月10日
名歌鑑賞・1468
桃の花 君に似るとは いひかねて ただうつくしと
愛でてやみしか
金子薫園(かねこくんえん)
(片われ月)
(もものはな きみににるとは いいかねて ただ
うつくしと めでてやみしか)
意味・・桃の花を、君のようだとは言えなくて(恥ずか
しくて)、ただ綺麗だなあと賞(ほ)めるだけで
終わってしまった。
桃の花といえば桃の節句を、そして万葉集の
「春の苑くれない匂ふ桃の花下照る道に出で
立つ乙女」を連想し、若い女性をたとえるの
に相応(ふさ)しい花です。
(歌の意味は下記参照)
注・・うつくし=かわいい、いとしい、きれいだ。
愛づ=心ひかれる、褒める、愛する。
作者・・金子薫園=1876~1951。歌集「片われ月」。
参考歌です。
春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に
出で立つ少女
大伴家持(おおとものやかもち)
(万葉集・4139)
(はるのその くれないにおう もものはな したてる
みちに いでたつおとめ)
意味・・春の庭園に紅の色が美しく映える桃の花、その
木の下までも照り輝いている道に出て立って
いる娘さんよ、ともに美しいなあ。
注・・苑=庭園。
愛でてやみしか
金子薫園(かねこくんえん)
(片われ月)
(もものはな きみににるとは いいかねて ただ
うつくしと めでてやみしか)
意味・・桃の花を、君のようだとは言えなくて(恥ずか
しくて)、ただ綺麗だなあと賞(ほ)めるだけで
終わってしまった。
桃の花といえば桃の節句を、そして万葉集の
「春の苑くれない匂ふ桃の花下照る道に出で
立つ乙女」を連想し、若い女性をたとえるの
に相応(ふさ)しい花です。
(歌の意味は下記参照)
注・・うつくし=かわいい、いとしい、きれいだ。
愛づ=心ひかれる、褒める、愛する。
作者・・金子薫園=1876~1951。歌集「片われ月」。
参考歌です。
春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に
出で立つ少女
大伴家持(おおとものやかもち)
(万葉集・4139)
(はるのその くれないにおう もものはな したてる
みちに いでたつおとめ)
意味・・春の庭園に紅の色が美しく映える桃の花、その
木の下までも照り輝いている道に出て立って
いる娘さんよ、ともに美しいなあ。
注・・苑=庭園。
2011年05月09日
2011年05月08日
2011年05月06日
名歌鑑賞・1464
みがかずば 玉も鏡も なにかせむ 学びの道も
かくこそありけれ
昭憲皇太后(しようけんこうたいごう)
(みがかずば たまもかがみも なにかせん まなびの
みちも かくこそありけれ)
意味・・磨く事をしないならば、玉といい鏡といっても一体
何になろうか。学問の道もまた同じである。
女子教育の振興のため詠んだ歌であり、次の詩は
東京女子師範学校に贈られ、校歌となっています。
金剛石(こんごうせき)も みがかずば
玉の光は 添わざらん
人も 学びて 後にこそ
まことの 徳は 現れる
時計のはりの 絶間なく
めぐるがごとく 時のまも
光陰(ひかげ)惜しみて 励みなば
いかなる業(わざ)か ならざらん
水は器に したがいて
そのさまざまに なりぬなり
人は交る 友により
よきにあしきに
うつるなり
己に優る よき友を
えらび求めて もろともに
心の駒に 鞭うちて
学びの道に
進めかし
作者・・昭憲皇太后=1850~1914。明治天皇の皇后。
女子教育の振興に尽力。
かくこそありけれ
昭憲皇太后(しようけんこうたいごう)
(みがかずば たまもかがみも なにかせん まなびの
みちも かくこそありけれ)
意味・・磨く事をしないならば、玉といい鏡といっても一体
何になろうか。学問の道もまた同じである。
女子教育の振興のため詠んだ歌であり、次の詩は
東京女子師範学校に贈られ、校歌となっています。
金剛石(こんごうせき)も みがかずば
玉の光は 添わざらん
人も 学びて 後にこそ
まことの 徳は 現れる
時計のはりの 絶間なく
めぐるがごとく 時のまも
光陰(ひかげ)惜しみて 励みなば
いかなる業(わざ)か ならざらん
水は器に したがいて
そのさまざまに なりぬなり
人は交る 友により
よきにあしきに
うつるなり
己に優る よき友を
えらび求めて もろともに
心の駒に 鞭うちて
学びの道に
進めかし
作者・・昭憲皇太后=1850~1914。明治天皇の皇后。
女子教育の振興に尽力。
2011年05月05日
名歌鑑賞・1463
よの中よ 産ませる医者に 流すいしゃ
作者不明
(出典・雨の落葉)
(よのなかよ うませるいしゃに ながすいしゃ)
意味・・世はさまざま、子供の欲しい所には出来ないし、いらぬ
貧家ではいくらでも生まれる。一方に産科医があれば、
その脇では堕胎医が繁盛している。
人は様々、価値観も様々という事をいっています。
「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴く」
の第一句を題とした小倉付けでもあります。
(意味は下記参照)
注・・小倉付け=「世の中よ」など百人一首の歌の上五文字を
笠付題とする形式。
参考歌です。
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山のおくにも
鹿ぞ鳴くなる
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
(千載和歌集・1151、百人一首・83)
(よのなかよ みちこそなけれ おもいいる やまの
おくにも しかぞなくなる)
意味・・世の中は逃れるべき道がないのだなあ。
隠れ住む所と思い込んで入った山の奥
にも悲しげに鳴く鹿の声が聞こえる。
作者・・藤原俊成=1204年没。91歳。正三位
皇太后大夫。「千載和歌集」の選者。
作者不明
(出典・雨の落葉)
(よのなかよ うませるいしゃに ながすいしゃ)
意味・・世はさまざま、子供の欲しい所には出来ないし、いらぬ
貧家ではいくらでも生まれる。一方に産科医があれば、
その脇では堕胎医が繁盛している。
人は様々、価値観も様々という事をいっています。
「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴く」
の第一句を題とした小倉付けでもあります。
(意味は下記参照)
注・・小倉付け=「世の中よ」など百人一首の歌の上五文字を
笠付題とする形式。
参考歌です。
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山のおくにも
鹿ぞ鳴くなる
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
(千載和歌集・1151、百人一首・83)
(よのなかよ みちこそなけれ おもいいる やまの
おくにも しかぞなくなる)
意味・・世の中は逃れるべき道がないのだなあ。
隠れ住む所と思い込んで入った山の奥
にも悲しげに鳴く鹿の声が聞こえる。
作者・・藤原俊成=1204年没。91歳。正三位
皇太后大夫。「千載和歌集」の選者。
2011年05月04日
2011年05月03日
名歌鑑賞・1461
(5月3日)
郭公 なくや五月の あやめぐさ あやめも知らぬ
恋もするかな
読人知らず
(古今和歌集・469)
(ほとどぎす なくやさつきの あやめぐさ あやめも
しらぬ こいもするかな)
意味・・ほとどぎすの鳴く五月となり、家々には菖蒲が
飾られている。私の恋はあやめ(理性)も失い、
ひたすら情熱に流されるばかりである。
注・・あやめぐさ=菖蒲。
あやめも知らず=物事の道理もわからない。
(5月2日)
夕靄は 蒼く木立を つつみたり 思へば今日は
やすかりしかな
尾上柴舟(おのうえさいしゅう)
(永日)
(ゆうもやは あおくこだてを つつみたり おもえば
きょうは やすかりし)
意味・・日も暮れなずむころ、靄がしっとりと蒼く立ち
こめて、深い木立を静かに包んでしまった。考
えてみるに、今日も何事もなく平穏な一日であ
ったことだ。
平穏な日々を暮らすことは当たり前な事であろ
うが、当たり前と思っていた事が実はそうでは
ないと言っています。
作者・・尾上柴舟=1876~1957。東大国文科卒。前田
夕暮・若山牧水らと事前草社を興す。
(5月1日)
神奈備の 石瀬の杜の 呼子鳥 いたくな鳴きそ
我が恋まさる
鏡王女(かがみのおおきみ)
(万葉集・1419)
(かんなびの いわせのもりの よぶこどり いたく
ななきそ わがこいまさる)
意味・・神奈備の石瀬の森に鳴く呼子鳥よ、そんなに鳴くな、
私の恋しい心が増すばかりだから。
注・・神奈備=神が宿る場所。多く山や森にこの名が与え
られ、祭祀(さいし)の対象とされた。
石瀬の杜=奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)にある森。
呼子鳥=人にうったえて呼ぶような声で鳴くという。
いたく=強く、熱心に。
作者・・鏡王女=額田王の姉。藤原鎌足の正妻。
(4月30日)
夕されば 君来まさむと 待ちし夜の なごりぞ今も
寝ねかてにする
読人知らず
(万葉集・2588)
(ゆうされば きみきまさんとまちしよの なごりぞ
いまも いねかてにする)
意味・・夕方になると以前あなたは必ず来て下さいましたね。
で、私は夜いつも起きてお待ちしていました。習慣
って恐ろしいものですね、誰かさんのもとに行って、
来て下さらなくなった今でも私は、夜目がさえて眠
ることが出来ないのですよ。
注・・なごり=余韻、余情、習慣の残り。
かてに=・・出来ないで、・・に耐えられないで。
郭公 なくや五月の あやめぐさ あやめも知らぬ
恋もするかな
読人知らず
(古今和歌集・469)
(ほとどぎす なくやさつきの あやめぐさ あやめも
しらぬ こいもするかな)
意味・・ほとどぎすの鳴く五月となり、家々には菖蒲が
飾られている。私の恋はあやめ(理性)も失い、
ひたすら情熱に流されるばかりである。
注・・あやめぐさ=菖蒲。
あやめも知らず=物事の道理もわからない。
(5月2日)
夕靄は 蒼く木立を つつみたり 思へば今日は
やすかりしかな
尾上柴舟(おのうえさいしゅう)
(永日)
(ゆうもやは あおくこだてを つつみたり おもえば
きょうは やすかりし)
意味・・日も暮れなずむころ、靄がしっとりと蒼く立ち
こめて、深い木立を静かに包んでしまった。考
えてみるに、今日も何事もなく平穏な一日であ
ったことだ。
平穏な日々を暮らすことは当たり前な事であろ
うが、当たり前と思っていた事が実はそうでは
ないと言っています。
作者・・尾上柴舟=1876~1957。東大国文科卒。前田
夕暮・若山牧水らと事前草社を興す。
(5月1日)
神奈備の 石瀬の杜の 呼子鳥 いたくな鳴きそ
我が恋まさる
鏡王女(かがみのおおきみ)
(万葉集・1419)
(かんなびの いわせのもりの よぶこどり いたく
ななきそ わがこいまさる)
意味・・神奈備の石瀬の森に鳴く呼子鳥よ、そんなに鳴くな、
私の恋しい心が増すばかりだから。
注・・神奈備=神が宿る場所。多く山や森にこの名が与え
られ、祭祀(さいし)の対象とされた。
石瀬の杜=奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)にある森。
呼子鳥=人にうったえて呼ぶような声で鳴くという。
いたく=強く、熱心に。
作者・・鏡王女=額田王の姉。藤原鎌足の正妻。
(4月30日)
夕されば 君来まさむと 待ちし夜の なごりぞ今も
寝ねかてにする
読人知らず
(万葉集・2588)
(ゆうされば きみきまさんとまちしよの なごりぞ
いまも いねかてにする)
意味・・夕方になると以前あなたは必ず来て下さいましたね。
で、私は夜いつも起きてお待ちしていました。習慣
って恐ろしいものですね、誰かさんのもとに行って、
来て下さらなくなった今でも私は、夜目がさえて眠
ることが出来ないのですよ。
注・・なごり=余韻、余情、習慣の残り。
かてに=・・出来ないで、・・に耐えられないで。