2011年06月
2011年06月30日
2011年06月29日
2011年06月28日
2011年06月27日
名歌鑑賞・1516
髪あげて 挿さむと云ひし 白ばらも のこらずちりぬ
病める枕に
山川登美子(やまかわとみこ)
(恋衣)
(かみあげて ささんといいし しろばらも のこらず
ちりぬ やめるまくらに)
意味・・髪を結って挿しましょう、と言った、あの白ばらの
花もみんな散ってしまった。病んでいる私の枕許で。
病気中の枕許にきれいに活けられてあった白ばらの
花を、やがて病が治ったら結い上げた髪に挿そうと
思っていた。ところがいつのまにか花は散ってしま
った。
「白ばら」に希望を託していたのだが、それは叶わぬ
状態にあることを歌っています。
注・・髪あげて=髪を結って。
作者・・山川登美子=1879~1909。31歳。与謝野昌子・増田
雅子・山川登美子の共著の歌集「恋ごろも」を出版。
病める枕に
山川登美子(やまかわとみこ)
(恋衣)
(かみあげて ささんといいし しろばらも のこらず
ちりぬ やめるまくらに)
意味・・髪を結って挿しましょう、と言った、あの白ばらの
花もみんな散ってしまった。病んでいる私の枕許で。
病気中の枕許にきれいに活けられてあった白ばらの
花を、やがて病が治ったら結い上げた髪に挿そうと
思っていた。ところがいつのまにか花は散ってしま
った。
「白ばら」に希望を託していたのだが、それは叶わぬ
状態にあることを歌っています。
注・・髪あげて=髪を結って。
作者・・山川登美子=1879~1909。31歳。与謝野昌子・増田
雅子・山川登美子の共著の歌集「恋ごろも」を出版。
2011年06月26日
2011年06月25日
2011年06月24日
名歌鑑賞・1513
引き植えし 二葉の松は ありながら 君が千歳の
なきぞ悲しき
紀貫之(きのつらゆき)
(後撰和歌集・1411)
(ひきうえし ふたばのまつは ありながら きみが
ちとせの なきぞかなしき)
意味・・正月の子(ね)の日に引いて来て植えた二葉の松は
このようにここにあるけれども、この松に象徴さ
れるあなたの千歳の命がもう無くなったのが悲し
ことです。
紀貫之が5年ぶりに土佐から都に帰って来た時に
兼輔中納言が亡くなっていたので詠んだ歌です。
注・・引き植えし・・=正月の子(ね)の日に小松を根
から引き抜き、長寿を祝って植えた松。
二葉の松=「二葉」は芽を出したばかりの若い
植物。この場合は「小松」のこと。
兼輔中納言=藤原兼輔。紫式部の祖父。933年
57歳で没した。貫之が土佐から帰国したのは
その2年後。
作者・・紀貫之=866~945。古今集の中心的な撰者。
「土佐日記」の作者。
なきぞ悲しき
紀貫之(きのつらゆき)
(後撰和歌集・1411)
(ひきうえし ふたばのまつは ありながら きみが
ちとせの なきぞかなしき)
意味・・正月の子(ね)の日に引いて来て植えた二葉の松は
このようにここにあるけれども、この松に象徴さ
れるあなたの千歳の命がもう無くなったのが悲し
ことです。
紀貫之が5年ぶりに土佐から都に帰って来た時に
兼輔中納言が亡くなっていたので詠んだ歌です。
注・・引き植えし・・=正月の子(ね)の日に小松を根
から引き抜き、長寿を祝って植えた松。
二葉の松=「二葉」は芽を出したばかりの若い
植物。この場合は「小松」のこと。
兼輔中納言=藤原兼輔。紫式部の祖父。933年
57歳で没した。貫之が土佐から帰国したのは
その2年後。
作者・・紀貫之=866~945。古今集の中心的な撰者。
「土佐日記」の作者。
2011年06月23日
2011年06月22日
2011年06月21日
2011年06月20日
2011年06月19日
2011年06月18日
名歌鑑賞・1507
妹が見し 楝の花は 散りぬべし 我が泣く涙
いまだ干なくに
山上憶良(やまのうえおくら)
(万葉集・798)
(いもがみし おうちのはなは ちりぬべし わが
なくなみだ いまだひなくに)
意味・・妻が好んで見ていた楝(おうち)の花は、いくら
奈良でももう散ってしまったに違いない。妻を悲
しんで泣く私の涙はまだ乾きもしないのに。
咲くのも散るのも奈良より早い筑紫の楝を眺めつ
つ、妻にちなむ物がここもかしこも消えてしまう
のを嘆いた歌です。
注・・楝(おうち)=現在は栴檀と呼ばれている。高木
落葉樹。6月に紫色の花が咲く。
作者・・山上憶良=660~733。筑前守。遣唐使として三年
唐に滞在。
いまだ干なくに
山上憶良(やまのうえおくら)
(万葉集・798)
(いもがみし おうちのはなは ちりぬべし わが
なくなみだ いまだひなくに)
意味・・妻が好んで見ていた楝(おうち)の花は、いくら
奈良でももう散ってしまったに違いない。妻を悲
しんで泣く私の涙はまだ乾きもしないのに。
咲くのも散るのも奈良より早い筑紫の楝を眺めつ
つ、妻にちなむ物がここもかしこも消えてしまう
のを嘆いた歌です。
注・・楝(おうち)=現在は栴檀と呼ばれている。高木
落葉樹。6月に紫色の花が咲く。
作者・・山上憶良=660~733。筑前守。遣唐使として三年
唐に滞在。
2011年06月17日
2011年06月16日
名歌鑑賞・1505
来めやとは 思ふものから 蜩の 鳴く夕暮れは
立ちまたれつつ
読人知らず
(古今和歌集・772)
(こめやとは おもうものから ひぐらしの なく
ゆうぐれは たちまたれつつ)
意味・・来てくださるだろうか、いや期待はしないほうが
いい。そう思いながらも、蜩の鳴き出す夕暮れに
なると、じっと座っていられなくなる、私は。
和泉式部の参考歌です。
「なぐさむる 君もありとは 思へども なほ夕暮れは
ものぞかなしき」
私には、あなたという誇らしい恋人があります。
この世に、あなたのやさしさを超えるなぐさめが
あろうとは思いません。それなのに、夕暮れとも
なると、どうにもならない悲しみにうつむいてし
しまうのです。いったいどこから湧いてくる悲し
みなのでしょうか。
当時は通い婚であったので、夫は妻の家に行って
いた。
注・・来めや=来るだろうか。「めや」は反語。
立ちまたれつつ
読人知らず
(古今和歌集・772)
(こめやとは おもうものから ひぐらしの なく
ゆうぐれは たちまたれつつ)
意味・・来てくださるだろうか、いや期待はしないほうが
いい。そう思いながらも、蜩の鳴き出す夕暮れに
なると、じっと座っていられなくなる、私は。
和泉式部の参考歌です。
「なぐさむる 君もありとは 思へども なほ夕暮れは
ものぞかなしき」
私には、あなたという誇らしい恋人があります。
この世に、あなたのやさしさを超えるなぐさめが
あろうとは思いません。それなのに、夕暮れとも
なると、どうにもならない悲しみにうつむいてし
しまうのです。いったいどこから湧いてくる悲し
みなのでしょうか。
当時は通い婚であったので、夫は妻の家に行って
いた。
注・・来めや=来るだろうか。「めや」は反語。
2011年06月15日
名歌鑑賞・1504
ときは今 あめがしたしる 五月かな 水上まさる
庭の松山
明智光秀(あけちみつひで)
(ときはいま あめがしたしる さつきかな みなかみ
まさる にわのまつやま)
意味・・五月(太陽暦六月末)の梅雨の季節に、強い雨足で
降り、庭に流れ込む水も溢れんばかりになっている。
歌の上句は「土岐は今天が下知る五月かな」を意味
し、光秀の決意が秘められているといわれています。
土岐氏の流れをくむ明智光秀は、信長に替わって天
下に号令する統治者たらんと宣言しょう。この事は
朝廷も待ち望んでいることだ。
注・・したしる=滴しる。水が垂れ落ちる。
まさる=増さる。増える、多くなる。
下知る=指図をする、命令する、号令する。
庭=ここでは朝廷を意味する。
松山=ここでは待望しているの意。
作者・・明智光秀=1528~1582。土岐氏一族の出身。従五位
日向守。本能寺の変・・1582年秀吉の毛利征伐の
支援に出陣の時、「敵は本能寺にあり」と言って
本能寺にいる主君織田信長を討った。その後すぐ
豊臣秀吉に討たれた。
庭の松山
明智光秀(あけちみつひで)
(ときはいま あめがしたしる さつきかな みなかみ
まさる にわのまつやま)
意味・・五月(太陽暦六月末)の梅雨の季節に、強い雨足で
降り、庭に流れ込む水も溢れんばかりになっている。
歌の上句は「土岐は今天が下知る五月かな」を意味
し、光秀の決意が秘められているといわれています。
土岐氏の流れをくむ明智光秀は、信長に替わって天
下に号令する統治者たらんと宣言しょう。この事は
朝廷も待ち望んでいることだ。
注・・したしる=滴しる。水が垂れ落ちる。
まさる=増さる。増える、多くなる。
下知る=指図をする、命令する、号令する。
庭=ここでは朝廷を意味する。
松山=ここでは待望しているの意。
作者・・明智光秀=1528~1582。土岐氏一族の出身。従五位
日向守。本能寺の変・・1582年秀吉の毛利征伐の
支援に出陣の時、「敵は本能寺にあり」と言って
本能寺にいる主君織田信長を討った。その後すぐ
豊臣秀吉に討たれた。
2011年06月14日
名歌鑑賞・1503
いたづらに 過ぐす月日は 多かれど 花見て暮らす
春ぞすくなき
藤原興風(ふじわらのおきかぜ)
(和漢朗詠集・49、古今集・351)
(いたずらに すぐすつきひは おおかれど はなみて
くらす はるぞすくなき)
意味・・何もしないで過ぎていく一日一日は多いけれども、
いざ春となって花を見るとなると、楽しい春の日
というものは本当に短いものだ。
参考です。
人無更少時須惜 年不常春酒莫空 小野篁
人更ねて少きことなし 時すべからく惜しむべし
(ひとかさねてわかきことなし ときすべからくおしむべし)
年常に春ならず酒を空しくすることなかれ 小野篁
(としつねにはるならずさけをむなしくすることなかれ や)
意味・・少年時代は二度と来ないから寸陰を惜しんで学ばな
ければいけない。
年に春は二度と巡って来ないから、暮春を惜しんで
酒の楽しみを尽くせよ。
作者・・藤原興風=生没年未詳。890年頃活躍した六歌仙の
一人。
春ぞすくなき
藤原興風(ふじわらのおきかぜ)
(和漢朗詠集・49、古今集・351)
(いたずらに すぐすつきひは おおかれど はなみて
くらす はるぞすくなき)
意味・・何もしないで過ぎていく一日一日は多いけれども、
いざ春となって花を見るとなると、楽しい春の日
というものは本当に短いものだ。
参考です。
人無更少時須惜 年不常春酒莫空 小野篁
人更ねて少きことなし 時すべからく惜しむべし
(ひとかさねてわかきことなし ときすべからくおしむべし)
年常に春ならず酒を空しくすることなかれ 小野篁
(としつねにはるならずさけをむなしくすることなかれ や)
意味・・少年時代は二度と来ないから寸陰を惜しんで学ばな
ければいけない。
年に春は二度と巡って来ないから、暮春を惜しんで
酒の楽しみを尽くせよ。
作者・・藤原興風=生没年未詳。890年頃活躍した六歌仙の
一人。
2011年06月13日
2011年06月12日
2011年06月11日
2011年06月10日
名歌鑑賞・1499
とはれぬは たがためかうき 蓬生の 花よ人めを
待ちつけてみよ
小沢蘆庵(おざわろあん)
(六帖詠草)
(とわれぬは たがためかうき よもぎうの はなよ
ひとめを まちつけてみよ)
意味・・誰にも訪問されないのは一体だれにとってつらい
ことなのか。ほかならぬ自分がつらいのだ。荒廃
した我が家に咲く花よ、人の訪れを待ち迎えたら
どうだ。
こちらの気持など知りもしないですまして咲いて
いる花に、自分のようなつらい思いをしてみたら
どうだと嘆いています。
注・・たがためかうき=一体誰にとってつらいことなの
か、ほかならぬ自分がつらいのだ、の意。
蓬生(よもぎう)=「蓬生の宿」に同じ。荒廃した
我が家。
作者・・小沢蘆庵=1723~1801。和歌指導のみを生業とし
たため生活は貧しく京を転々とした。
待ちつけてみよ
小沢蘆庵(おざわろあん)
(六帖詠草)
(とわれぬは たがためかうき よもぎうの はなよ
ひとめを まちつけてみよ)
意味・・誰にも訪問されないのは一体だれにとってつらい
ことなのか。ほかならぬ自分がつらいのだ。荒廃
した我が家に咲く花よ、人の訪れを待ち迎えたら
どうだ。
こちらの気持など知りもしないですまして咲いて
いる花に、自分のようなつらい思いをしてみたら
どうだと嘆いています。
注・・たがためかうき=一体誰にとってつらいことなの
か、ほかならぬ自分がつらいのだ、の意。
蓬生(よもぎう)=「蓬生の宿」に同じ。荒廃した
我が家。
作者・・小沢蘆庵=1723~1801。和歌指導のみを生業とし
たため生活は貧しく京を転々とした。
2011年06月09日
名歌鑑賞・1498
光なき 谷には春も よそなれば 咲きてとく散る
物思ひもなし
清原深養父(きよはらのふかやぶ)
(古今和歌集・967)
(ひかりなき たににははるも よそなれば さきて
とくちる ものおもいもなし)
詞書・・にわかに権勢を失って嘆いている人を見て、時勢
の恩恵に浴した晴れがましさの覚えもないかわり、
急に時を得なくなった為のなげきをも知らないで
いる自分を詠んだ歌。
意味・・日の光が届かない谷間には春も無縁のものだから、
咲いた花がすぐに散りはしないかという心配さえ
もないのだ。
「光なき谷」を不本意な居場所と解釈すると、
もともと、陽当りのいい場所など望みようもない
我が身であるから、この人のように一喜一憂とは
無関係に生きていられる。
「光なき谷」をあえて求めた居場所と解釈すると、
自ら選んだ居場所なのだ、時勢に媚(こ)びる必要
もなければ、時勢に見放される不安もない心安さだ。
注・・光=時勢の恩恵のたとえ。
春もよそなれば=春も無関係であるから。
とく=疾く。早速、急いで。
物思ひ=心配ごと。
作者・・清原深養父=930年頃活躍した人。清少納言の曾祖父。
物思ひもなし
清原深養父(きよはらのふかやぶ)
(古今和歌集・967)
(ひかりなき たににははるも よそなれば さきて
とくちる ものおもいもなし)
詞書・・にわかに権勢を失って嘆いている人を見て、時勢
の恩恵に浴した晴れがましさの覚えもないかわり、
急に時を得なくなった為のなげきをも知らないで
いる自分を詠んだ歌。
意味・・日の光が届かない谷間には春も無縁のものだから、
咲いた花がすぐに散りはしないかという心配さえ
もないのだ。
「光なき谷」を不本意な居場所と解釈すると、
もともと、陽当りのいい場所など望みようもない
我が身であるから、この人のように一喜一憂とは
無関係に生きていられる。
「光なき谷」をあえて求めた居場所と解釈すると、
自ら選んだ居場所なのだ、時勢に媚(こ)びる必要
もなければ、時勢に見放される不安もない心安さだ。
注・・光=時勢の恩恵のたとえ。
春もよそなれば=春も無関係であるから。
とく=疾く。早速、急いで。
物思ひ=心配ごと。
作者・・清原深養父=930年頃活躍した人。清少納言の曾祖父。
2011年06月08日
2011年06月07日
2011年06月06日
名歌鑑賞・1495
白雲の たえずたなびく 峰にだに 住めば住みぬる
世にこそありけれ
惟喬親王(これたかのみこ)
(古今和歌集・945)
(しらくもの たえずたなびく みねにだに すめば
すみぬる よにこそありけれ)
意味・・何も大袈裟に騒ぐほどのこともない。白雲が
たえず棚引いているこんな峰にさえ、住もう
と思えば住める。世の中とはそんなものだ。
第一皇子でありながら、皇太子にも皇位継承
者にもなれなかった惟喬親王が出家して詠ん
だ歌です。
権勢、地位にあくせくして俗世にしがみつい
ていることはない、といっても天皇の第一皇
子。敗者の無念さが感じられます。
作者・・惟喬皇王=844~897。文徳天皇の第一皇子。
872年に出家。
世にこそありけれ
惟喬親王(これたかのみこ)
(古今和歌集・945)
(しらくもの たえずたなびく みねにだに すめば
すみぬる よにこそありけれ)
意味・・何も大袈裟に騒ぐほどのこともない。白雲が
たえず棚引いているこんな峰にさえ、住もう
と思えば住める。世の中とはそんなものだ。
第一皇子でありながら、皇太子にも皇位継承
者にもなれなかった惟喬親王が出家して詠ん
だ歌です。
権勢、地位にあくせくして俗世にしがみつい
ていることはない、といっても天皇の第一皇
子。敗者の無念さが感じられます。
作者・・惟喬皇王=844~897。文徳天皇の第一皇子。
872年に出家。
2011年06月05日
2011年06月04日
名歌鑑賞・1493
いつの日か昔語りに五月闇
恵好灯
(いつのひか むかしかたりに さつきやみ)
意味・・梅雨時の闇のように、つらい日々を送っていたと
しても、いつかは必ず、昔話になって語り合う事
が出来ます。生き続けましょう。
参考歌です。
「ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと
見し世ぞ 今は恋しき」(新古今)
(意味は下記参照)
注・・五月闇=五月雨(梅雨)の頃、どんよりと暗い昼や
月の出ない闇夜。
参考歌です。
ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しとみし世ぞ
今は恋しき
藤原清輔(ふじわらのきよすけ)
(新古今和歌集・1843)
(ながらえば またこのごろや しのばれん うしとみし
よぞ いまはこいしき)
意味・・この先、生きながらえるならば、つらいと感じている
この頃もまた、懐かしく思い出されることだろうか。
つらいと思って過ごした昔の日々も、今では恋しく
思われることだから。
今の苦悩をどうしたらよいものか・・
注・・憂し=つらい、憂鬱。
恵好灯
(いつのひか むかしかたりに さつきやみ)
意味・・梅雨時の闇のように、つらい日々を送っていたと
しても、いつかは必ず、昔話になって語り合う事
が出来ます。生き続けましょう。
参考歌です。
「ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと
見し世ぞ 今は恋しき」(新古今)
(意味は下記参照)
注・・五月闇=五月雨(梅雨)の頃、どんよりと暗い昼や
月の出ない闇夜。
参考歌です。
ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しとみし世ぞ
今は恋しき
藤原清輔(ふじわらのきよすけ)
(新古今和歌集・1843)
(ながらえば またこのごろや しのばれん うしとみし
よぞ いまはこいしき)
意味・・この先、生きながらえるならば、つらいと感じている
この頃もまた、懐かしく思い出されることだろうか。
つらいと思って過ごした昔の日々も、今では恋しく
思われることだから。
今の苦悩をどうしたらよいものか・・
注・・憂し=つらい、憂鬱。
2011年06月03日
名歌鑑賞・1492
今ははや 恋ひ死なましを あひ見むと 頼めしことぞ
命なりける
清原深養父(きよはらのふかやぶ)
(古今和歌集・613)
(いまははや こいしなましを あいみんと たのめし
ことぞ いのちなりける)
意味・・今頃はもうとっくに、ほんとうなら、恋焦がれて
死んでいたであろうに。「そのうちに逢いましょ
う」と、私を頼みに思わせた言葉が、今まで私を
生き長らえさせてくれたのだ。
注・・今ははや=今は直ちに。
恋ひ死なましを=恋こがれて死んでいたであろう
に。
あひ見む=逢いましょう、相手の言った頼め言。
頼めし=期待させる。
作者・・清原深養父=930年頃活躍した人。清少納言の曾
祖父。
命なりける
清原深養父(きよはらのふかやぶ)
(古今和歌集・613)
(いまははや こいしなましを あいみんと たのめし
ことぞ いのちなりける)
意味・・今頃はもうとっくに、ほんとうなら、恋焦がれて
死んでいたであろうに。「そのうちに逢いましょ
う」と、私を頼みに思わせた言葉が、今まで私を
生き長らえさせてくれたのだ。
注・・今ははや=今は直ちに。
恋ひ死なましを=恋こがれて死んでいたであろう
に。
あひ見む=逢いましょう、相手の言った頼め言。
頼めし=期待させる。
作者・・清原深養父=930年頃活躍した人。清少納言の曾
祖父。