2011年06月

2011年06月30日

名歌鑑賞・1519

駿河路や花橘も茶の匂ひ
               芭蕉
               (炭俵)
(するがじや はなたちばなも ちゃのにおい)

意味・・江戸から東海道を通って、駿河国あたりに来ると、
    この街道筋は暖かい地方なので、白い橘の花があ
    ちらにもこちらにも咲いてよい香りを放っている。
    だが、それにもましてこの地方は製茶が盛んで、
    さすが香気の高い橘の花までも、茶の匂いに包み
    こまれてつまうようだ。

 注・・駿河路=駿河(静岡県)を通る東海道筋。
    花橘=橘の花を賞美している語。橘は一種の蜜柑。

作者・・芭蕉=1644~1695。「奥の細道」「野ざらし紀行」。



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2011年06月29日

名歌鑑賞・1518

熊坂が死んでも国に鼠有
               作者 不明
               (出典・裏若葉)
(くまさかが しんでもくにに ねずみあり)

意味・・石川五右衛門は「石川や浜の真砂は尽きるとも
    世に盗人のたねはつきまじ」と詠んだというが、
    かの有名な熊坂長範が牛若丸に殺されても、広
    い日本には、鼠賊(そぞく)が出没、盗人の隠れ
    家など、どこにもできるものだ。

 注・・熊坂=熊坂長範。盗賊の首領。1174年美濃赤坂
     で牛若丸を襲って討たれた。
    鼠=鼠賊(そぞく)、こそどろ。



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2011年06月28日

名歌鑑賞・1517

われのみや 世を鶯と なきわびむ 人の心の 
花と散りなば
             読人知らず
             (古今和歌集・798)
(われのみや よをうぐいすと なきわびん ひとの
 こころの はなとちりなば)

意味・・もしもあの人の心が、花が散るように私から
    すっかり離れてしまったら、私だけが世を憂
    きものとはかなんで、鶯のように泣くのだろ
    うか。

 注・・鶯=「うぐいす」に「憂く」が掛けられている。



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2011年06月27日

名歌鑑賞・1516

髪あげて 挿さむと云ひし 白ばらも のこらずちりぬ 
病める枕に
             山川登美子(やまかわとみこ)
             (恋衣)
(かみあげて ささんといいし しろばらも のこらず
 ちりぬ やめるまくらに)

意味・・髪を結って挿しましょう、と言った、あの白ばらの
    花もみんな散ってしまった。病んでいる私の枕許で。

    病気中の枕許にきれいに活けられてあった白ばらの
    花を、やがて病が治ったら結い上げた髪に挿そうと
    思っていた。ところがいつのまにか花は散ってしま
    った。
   「白ばら」に希望を託していたのだが、それは叶わぬ
    状態にあることを歌っています。

 注・・髪あげて=髪を結って。

作者・・山川登美子=1879~1909。31歳。与謝野昌子・増田
    雅子・山川登美子の共著の歌集「恋ごろも」を出版。




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2011年06月26日

名歌鑑賞・1515

子の為に 残す命も へてしがな 老いて先立つ
否びざるべく
          藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)
          (兼輔集)
(このために のこすいのちも へてしがな おいて
 さきだつ いなびざるべく)

意味・・我が子の為にしてやれる残りの命も少なくなって
    しまった。年老いて子に先立つ事は逆らいようの
    ない事だ。我が亡き後、子供たちはどのようにし
    て生きていくことか。

 注・・へて=経て。時がたつ。
    否び=承知しない。断る。

作者・・藤原兼輔=877~933。紫式部の曽祖父。中納言。



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2011年06月25日

名歌鑑賞・1514

波の上ゆ 見ゆる小島の 雲隠り あな息づかし 
相別れなば
            笠金村(かさのかなむら)
            (万葉集・1454)
(なみのうえゆ みゆるこじまの くもがくり あな
 いきづかし あいわかれなば)

詞書・・733年に遣唐使が立つ時に贈った歌。

意味・・あなたの船が出帆して、波の上から見える小島
    のように、遠く雲がくれに見えなくなって、い
    よいよお別れということになるなら、ああ吐息
    の衝かれることだ、悲しいことだ。

 注・・波の上ゆ=「ゆ」は動作の時間的・空間的起点
     を表す。
    息づかし=息衝(づ)く、溜息が出るようにせつ
     ない。

作者・・笠金村=伝未詳。朝廷歌人。


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2011年06月24日

名歌鑑賞・1513

引き植えし 二葉の松は ありながら 君が千歳の
なきぞ悲しき
            紀貫之(きのつらゆき)
            (後撰和歌集・1411)
(ひきうえし ふたばのまつは ありながら きみが
ちとせの なきぞかなしき)

意味・・正月の子(ね)の日に引いて来て植えた二葉の松は
    このようにここにあるけれども、この松に象徴さ
    れるあなたの千歳の命がもう無くなったのが悲し
    ことです。

    紀貫之が5年ぶりに土佐から都に帰って来た時に
    兼輔中納言が亡くなっていたので詠んだ歌です。

 注・・引き植えし・・=正月の子(ね)の日に小松を根
     から引き抜き、長寿を祝って植えた松。
    二葉の松=「二葉」は芽を出したばかりの若い
     植物。この場合は「小松」のこと。
    兼輔中納言=藤原兼輔。紫式部の祖父。933年
     57歳で没した。貫之が土佐から帰国したのは
     その2年後。

作者・・紀貫之=866~945。古今集の中心的な撰者。
     「土佐日記」の作者。



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2011年06月23日

名歌鑑賞・1512

まつほどに 夏の夜いたく ふけぬれば おしみもあへぬ 
山の端の月
             源道済(みなもとのみちなり)
             (詞花和歌集・77)
(まつほどに なつのよいたく ふけぬれば おしみも
 あえぬ やまのはのつき)

意味・・月の出を待っているうちに短い夏の夜はひどく
    更けてしまったので、東の山の端に月は出たけ
    れど、その月を十分に愛惜するひまがない。

    夏の夜の短さを強調した歌。

 注・・ふけぬれば=「夜ふく」は、夜中を過ぎて明け
     方近くなること。

作者・・源道済=~1019没。筑前守。従五位下。中古
     三十六歌仙。



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2011年06月22日

名歌鑑賞・1511

荒き風 防ぎしかげの 枯れしより 小萩が上ぞ
静心なき
        桐壺の更衣の母(きりつぼのこういのはは)
          (源氏物語・桐壺)

(あらきかぜ ふせぎしかげの かれしより こはぎが
 うえぞ しずこころなき)

意味・・荒い風を防いでいた木陰が枯れてしまって以来、
    小萩の上は心静かでありません。
    世間のきびしい風当りを防いでいた桐壺の更衣
    が亡くなってから、若宮の上が心配で、落ち着
    きません。

    桐壺の更衣が亡くなって、幼子の事を心配して
    詠んだ歌です。

 注・・小萩=ここでは幼子、源氏の君、若宮の意。
    更衣=女御につぐ宮廷に仕える女官。
    女御=天皇の配偶者。



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2011年06月21日

名歌鑑賞・1510

百姓の 多くは酒を やめしといふ もっと困らば
何をやめるらむ 
            石川啄木(いしかわたくぼく)
            (悲しき玩具)

(ひゃくしょうの おおくはさけを やめしという もっと
 こまらば なにをやめるらん)

意味・・農民の多くは生活に困窮して好きな酒をやめた。
    もっと困ったら次に何をやめるだろうか。

    明治44年に詠んだ歌です。

作者・・石川啄木=1886~1912。26歳。地方の新聞記者を
     経て朝日新聞校正係りをする。「一握の砂」「
     悲しき玩具」。




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2011年06月20日

名歌鑑賞・1509

むさし野を 霧の晴れまに 見わたせば ゆく末とほき
心ちこそすれ
             平兼盛(たいらのかねもり)
             (後拾遺和歌集・427)

(むさしのを きりのはれまに みわたせばゆくすえ
 とおき ここちこそすれ)

詞書・・屏風に武蔵の国の絵を描いてありましたのを
    詠んだ歌。

意味・・武蔵野を霧の晴れ間にずっとながめ渡すと、
    野がはるばると続いて、行く末の遠い心地が
    します。あなた様もこの絵のように、行く末
    長くご長命なさることと存じます。

 注・・むさし野=武蔵の国一体に広がる平野。今の
     関東平野の一部。

作者・・平兼盛=~990。駿河守。三十六歌仙の一人。



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2011年06月19日

名歌鑑賞・1508

道とほみ いでへもゆかじ この里も 八重やは咲かぬ 
山吹の花
             藤原伊家(ふじわらのこれいえ)
             (後拾遺和歌集・157)

(みちとおみ いでへもゆかじ このさとも やえやは
 さかぬ やまぶきのさと)

意味・・道が遠いので井手には行くまい。井手は山吹の
    名所だが、この里だって八重の山吹の花は咲か
    ないことはないのだから。

 注・・いで=京都府綴喜(つづき)郡井手町。井手の玉
     川は山吹の名所として歌枕。
    やは=反語。八重が咲かないだろうか、いや咲く。
    山吹の花=バラ科の落葉低木、春に黄色の花が
     咲く。一重と八重がある。

作者・・藤原伊家=1041~1084。少納言、従五位下。




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2011年06月18日

名歌鑑賞・1507

妹が見し 楝の花は 散りぬべし 我が泣く涙
いまだ干なくに
            山上憶良(やまのうえおくら)
            (万葉集・798)

(いもがみし おうちのはなは ちりぬべし わが
 なくなみだ いまだひなくに)

意味・・妻が好んで見ていた楝(おうち)の花は、いくら
    奈良でももう散ってしまったに違いない。妻を悲
    しんで泣く私の涙はまだ乾きもしないのに。

    咲くのも散るのも奈良より早い筑紫の楝を眺めつ
    つ、妻にちなむ物がここもかしこも消えてしまう
    のを嘆いた歌です。

 注・・楝(おうち)=現在は栴檀と呼ばれている。高木
     落葉樹。6月に紫色の花が咲く。

作者・・山上憶良=660~733。筑前守。遣唐使として三年
     唐に滞在。




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2011年06月17日

名歌鑑賞・1506

逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものも 
思はざりけり
          藤原敦忠(ふじわらのあつただ)
          (拾遺和歌集・710、百人一首・43)

(あいみての のちのこころに くらぶれば むかしは
 ものも おもわざりけり)

意味・・逢ってみてから後のこの私のせつない恋心に
    比べると、逢う前の恋しさなどはないも同然
    であった。

 注・・逢ひ見ての・・=相手と関係を結んだ後の自
     分の切ない恋心。

作者・・藤原敦忠=906~943。従三位中納言。





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2011年06月16日

名歌鑑賞・1505

来めやとは 思ふものから 蜩の 鳴く夕暮れは
立ちまたれつつ
             読人知らず
             (古今和歌集・772)

(こめやとは おもうものから ひぐらしの なく
 ゆうぐれは たちまたれつつ)

意味・・来てくださるだろうか、いや期待はしないほうが
    いい。そう思いながらも、蜩の鳴き出す夕暮れに
    なると、じっと座っていられなくなる、私は。

    和泉式部の参考歌です。

   「なぐさむる 君もありとは 思へども なほ夕暮れは
    ものぞかなしき」

    私には、あなたという誇らしい恋人があります。
    この世に、あなたのやさしさを超えるなぐさめが
    あろうとは思いません。それなのに、夕暮れとも
    なると、どうにもならない悲しみにうつむいてし
    しまうのです。いったいどこから湧いてくる悲し
    みなのでしょうか。

    当時は通い婚であったので、夫は妻の家に行って
    いた。

 注・・来めや=来るだろうか。「めや」は反語。





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2011年06月15日

名歌鑑賞・1504

ときは今 あめがしたしる 五月かな 水上まさる 
庭の松山
             明智光秀(あけちみつひで)

(ときはいま あめがしたしる さつきかな みなかみ
 まさる にわのまつやま)

意味・・五月(太陽暦六月末)の梅雨の季節に、強い雨足で
    降り、庭に流れ込む水も溢れんばかりになっている。

    歌の上句は「土岐は今天が下知る五月かな」を意味
    し、光秀の決意が秘められているといわれています。

    土岐氏の流れをくむ明智光秀は、信長に替わって天
    下に号令する統治者たらんと宣言しょう。この事は
    朝廷も待ち望んでいることだ。

 注・・したしる=滴しる。水が垂れ落ちる。
    まさる=増さる。増える、多くなる。
    下知る=指図をする、命令する、号令する。
    庭=ここでは朝廷を意味する。
    松山=ここでは待望しているの意。

作者・・明智光秀=1528~1582。土岐氏一族の出身。従五位
     日向守。本能寺の変・・1582年秀吉の毛利征伐の
     支援に出陣の時、「敵は本能寺にあり」と言って
     本能寺にいる主君織田信長を討った。その後すぐ
     豊臣秀吉に討たれた。




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2011年06月14日

名歌鑑賞・1503

いたづらに 過ぐす月日は 多かれど 花見て暮らす
春ぞすくなき
             藤原興風(ふじわらのおきかぜ)
             (和漢朗詠集・49、古今集・351)

(いたずらに すぐすつきひは おおかれど はなみて
 くらす はるぞすくなき)

意味・・何もしないで過ぎていく一日一日は多いけれども、
    いざ春となって花を見るとなると、楽しい春の日
    というものは本当に短いものだ。
 
    参考です。

    人無更少時須惜  年不常春酒莫空   小野篁
 
    人更ねて少きことなし 時すべからく惜しむべし
  (ひとかさねてわかきことなし ときすべからくおしむべし) 
   
    年常に春ならず酒を空しくすることなかれ  小野篁
  (としつねにはるならずさけをむなしくすることなかれ や)

意味・・少年時代は二度と来ないから寸陰を惜しんで学ばな
    ければいけない。
    年に春は二度と巡って来ないから、暮春を惜しんで
    酒の楽しみを尽くせよ。

作者・・藤原興風=生没年未詳。890年頃活躍した六歌仙の
     一人。




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2011年06月13日

名歌鑑賞・1502

年月の くれぬと何か をしみけむ 春にしなれば
春ぞたのしき
            賀茂真淵(かものまぶち)
            (賀茂翁家集)

(としつきの くれぬとなにか おしみけん はるにし
 なれば はるぞたのしき)

意味・・年が暮れたと思って、何故にそれを惜しんだ
    のだろうか。春となれば、春がいつにもまし
    て楽しい。

 注・・年月=ここでは年の意。
    春にし=「し」は上接する語を強調する副詞。

作者・・賀茂真淵=1697~1769。本居宣長(もとおりの
     りなが)ら門人を多数育成。「賀茂翁家集」。



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2011年06月12日

名歌鑑賞・1501

年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 
佐夜の中山
             西行法師(さいぎょうほうし)
             (新古今和歌集・987)

(としたけて またこゆべしと おもいきや いのちなりけり
 さやのなかやま)

意味・・年老いて再び越える事が出来ると思っただろうか、
    思いはしなかった。命があったからなのだ。佐夜
    の中山よ。

    老いて再び懐かしい佐夜の中山を越えた感動と、
    ああ、よくぞ生きて来たという感慨を詠んでいます。

 注・・年たけて=年老いて。
    思ひきや=思ったか、思いはしない。
    命なりけり=命があったからなのだ。
    佐夜の中山=静岡県掛川市佐夜。「さやかにも」
     の意を含ます。



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2011年06月11日

名歌鑑賞・1500

おもふこと かくてや終に やまがらす 我がかしらのみ
しろくなれれば
             小沢蘆庵(おざわろあん)
               (六帖詠藻)

(おもうこと かくてやついに やまがらす わがかしら
 のみ しろくなれれば)

意味・・思うことも実現しないまま、こうして終わって
    しまうのか。山烏よ、お前の頭は白くならない
    で、私の頭ばかりが白くなっていく。

 注・・やまがらす=「終にやまむ」を「やまがらす」に
     掛ける。

作者・・小沢蘆庵=1723~1801。和歌の指導のみで生活を
     送ったので貧しかった。「六帖詠藻」。




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2011年06月10日

名歌鑑賞・1499

とはれぬは たがためかうき 蓬生の 花よ人めを
待ちつけてみよ
              小沢蘆庵(おざわろあん)
              (六帖詠草)

(とわれぬは たがためかうき よもぎうの はなよ
 ひとめを まちつけてみよ)

意味・・誰にも訪問されないのは一体だれにとってつらい
    ことなのか。ほかならぬ自分がつらいのだ。荒廃
    した我が家に咲く花よ、人の訪れを待ち迎えたら
    どうだ。

    こちらの気持など知りもしないですまして咲いて
    いる花に、自分のようなつらい思いをしてみたら
    どうだと嘆いています。

 注・・たがためかうき=一体誰にとってつらいことなの
     か、ほかならぬ自分がつらいのだ、の意。 
    蓬生(よもぎう)=「蓬生の宿」に同じ。荒廃した
     我が家。
作者・・小沢蘆庵=1723~1801。和歌指導のみを生業とし
     たため生活は貧しく京を転々とした。



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2011年06月09日

名歌鑑賞・1498

光なき 谷には春も よそなれば 咲きてとく散る
物思ひもなし
          清原深養父(きよはらのふかやぶ)
          (古今和歌集・967)

(ひかりなき たににははるも よそなれば さきて
 とくちる ものおもいもなし)

詞書・・にわかに権勢を失って嘆いている人を見て、時勢
    の恩恵に浴した晴れがましさの覚えもないかわり、
    急に時を得なくなった為のなげきをも知らないで
    いる自分を詠んだ歌。

意味・・日の光が届かない谷間には春も無縁のものだから、
    咲いた花がすぐに散りはしないかという心配さえ
    もないのだ。

    「光なき谷」を不本意な居場所と解釈すると、
    もともと、陽当りのいい場所など望みようもない
    我が身であるから、この人のように一喜一憂とは
    無関係に生きていられる。

    「光なき谷」をあえて求めた居場所と解釈すると、
    自ら選んだ居場所なのだ、時勢に媚(こ)びる必要
    もなければ、時勢に見放される不安もない心安さだ。 

 注・・光=時勢の恩恵のたとえ。
    春もよそなれば=春も無関係であるから。
    とく=疾く。早速、急いで。
    物思ひ=心配ごと。

作者・・清原深養父=930年頃活躍した人。清少納言の曾祖父。



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2011年06月08日

名歌鑑賞・1497

新池や蛙とびこむ音もなし
                  良寛(りょうかん)
                  (良寛全句集・8)

(あらいけや かわずとびこむ おともなし)

意味・・芭蕉翁は、「古池や蛙とびこむ水の音」の句を
    詠まれたが、この新しい池には蛙一匹飛び込む
    音もしない。そのように今の世において、芭蕉
    翁に続く人物はいないことだ。

作者・・良寛=1758~1831。



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2011年06月07日

名歌鑑賞・1496

わかれても 心へだつな 旅衣 いくへかさなる 
山路なりとも
            藤原定家(ふじわらのさだいえ)
            (千載和歌集・497)

(わかれても こころへだつな たびごろも いくえ
 かさなる やまじなりとも)

意味・・いま別れても心は隔てないで下さい。旅衣を着て、
    幾重かさなる山路を旅して遠く隔たったとしも。

    重なる山を越えて行く人との別れ、名残を惜しむ
    強い気持を表出しています。

作者・・藤原定家=1162~1241。新古今和歌集の選者。



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2011年06月06日

名歌鑑賞・1495

白雲の たえずたなびく 峰にだに 住めば住みぬる
世にこそありけれ
             惟喬親王(これたかのみこ)
             (古今和歌集・945)

(しらくもの たえずたなびく みねにだに すめば
 すみぬる よにこそありけれ)

意味・・何も大袈裟に騒ぐほどのこともない。白雲が
    たえず棚引いているこんな峰にさえ、住もう
    と思えば住める。世の中とはそんなものだ。

    第一皇子でありながら、皇太子にも皇位継承
    者にもなれなかった惟喬親王が出家して詠ん
    だ歌です。
    権勢、地位にあくせくして俗世にしがみつい
    ていることはない、といっても天皇の第一皇
    子。敗者の無念さが感じられます。

作者・・惟喬皇王=844~897。文徳天皇の第一皇子。
     872年に出家。




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2011年06月05日

名歌鑑賞・1494

天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 
漕ぎ隠る見ゆ
           柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)
           (万葉集・1068)

(あめのうみに くものなみたち つきのふね ほしの
 はやしに こぎかくるみゆ)

意味・・大空の海に雲の波が立って、月の舟が、きらめく
    星の林の中に漕ぎ隠れて行くのが見える。

    天を海、雲を波、星を林、そして夜空を渡る月を
    舟に見立てています。

    月の舟を漕ぐのは月の男、牽牛と言われ、織女に
    逢瀬の旅とも言われています。

作者・・柿本人麻呂=八世紀にかけて活躍した万葉歌人。



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2011年06月04日

名歌鑑賞・1493

いつの日か昔語りに五月闇
                 恵好灯

(いつのひか むかしかたりに さつきやみ)

意味・・梅雨時の闇のように、つらい日々を送っていたと
    しても、いつかは必ず、昔話になって語り合う事
    が出来ます。生き続けましょう。

    参考歌です。
   「ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと
    見し世ぞ 今は恋しき」(新古今)
    (意味は下記参照)

 注・・五月闇=五月雨(梅雨)の頃、どんよりと暗い昼や
     月の出ない闇夜。

参考歌です。

ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しとみし世ぞ
今は恋しき                  
          藤原清輔(ふじわらのきよすけ)
          (新古今和歌集・1843)

(ながらえば またこのごろや しのばれん うしとみし
 よぞ いまはこいしき)

意味・・この先、生きながらえるならば、つらいと感じている
    この頃もまた、懐かしく思い出されることだろうか。
    つらいと思って過ごした昔の日々も、今では恋しく
    思われることだから。

    今の苦悩をどうしたらよいものか・・

 注・・憂し=つらい、憂鬱。






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2011年06月03日

名歌鑑賞・1492

今ははや 恋ひ死なましを あひ見むと 頼めしことぞ
命なりける
            清原深養父(きよはらのふかやぶ)
            (古今和歌集・613)

(いまははや こいしなましを あいみんと たのめし
 ことぞ いのちなりける)

意味・・今頃はもうとっくに、ほんとうなら、恋焦がれて
    死んでいたであろうに。「そのうちに逢いましょ
    う」と、私を頼みに思わせた言葉が、今まで私を
    生き長らえさせてくれたのだ。

 注・・今ははや=今は直ちに。
    恋ひ死なましを=恋こがれて死んでいたであろう
     に。
    あひ見む=逢いましょう、相手の言った頼め言。
    頼めし=期待させる。

作者・・清原深養父=930年頃活躍した人。清少納言の曾
     祖父。




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2011年06月02日

名歌鑑賞・1491

春さらば かざしにせむと 我が思ひし 桜の花は 
散りゆけるかも
                (万葉集・3786)

(はるさらば かざしにせんと わがおもいし さくらの
 はなは ちりゆけるかも)

意味・・春がめぐってきたら、その時こそ挿頭(かざし)
    として身につけようと私が心に決めていた桜の
    花、その桜はもう散り失せてしまったのだ、ああ。

    桜が散るのを惜しむ形で。娘子(おとめ)の死を
    惜しむ比喩歌です。

 注・・かざしにせむと=妻として身近に置くことの譬え。



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2011年06月01日

名歌鑑賞・1490

学徒みな 兵となりたり 歩み入る 広き校舎に
立つ音あらず
            窪田空穂(くぼたうつぼ)
            (冬木原)

(がくとみな へいとなりたり あゆみいる ひろき
こうしゃに たつ音あらず)

意味・・学生はみな兵士となった。歩み入った広々とした
    校舎には、物音を立てる者もなく、ひっそりして
    いる。

    昭和18年、各大学、高等専門学校の学生達は「学
    徒出陣」といって陸海軍部隊に入隊した。残った
    学生もいたが殆どの大学の校舎は閑散としていた。
    この歌には、出陣した学生達が無事で早く帰って
    来て欲しいという作者の気持も感じられます。

作者・・窪田空穂=1877~1967。早大文学部教授。


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