2011年07月
2011年07月31日
2011年07月30日
2011年07月29日
2011年07月28日
2011年07月27日
名歌鑑賞・1546
鏡山 ひかりは花の 見せければ ちりつみてこそ
さびしかりけれ
藤原親隆(ふじわらのちかたか)
(千載和歌集・105)
(かがみやま ひかりははなの みせければ ちり
つみてこそ さびしかりけれ)
意味・・鏡の山の光は満開の花を光輝いて見せたのだが、
その花が散り積もってしまってからは、光も曇
りさびしいことだ。
鏡山というその名にふさわしく、ひときわ照り
輝いていた山桜、今はその花も散り果てて光を
失ったようだ。
緑に装いを変えた鏡山に対する一抹の哀愁の思い。
注・・鏡山=滋賀県蒲生郡にある山。近江国の歌枕。
ここでは徳のある人の意も含む。
ちりつみて=散り積みて。散り積もって。
作者・・藤原親隆=1099~1165。正三位参議。
さびしかりけれ
藤原親隆(ふじわらのちかたか)
(千載和歌集・105)
(かがみやま ひかりははなの みせければ ちり
つみてこそ さびしかりけれ)
意味・・鏡の山の光は満開の花を光輝いて見せたのだが、
その花が散り積もってしまってからは、光も曇
りさびしいことだ。
鏡山というその名にふさわしく、ひときわ照り
輝いていた山桜、今はその花も散り果てて光を
失ったようだ。
緑に装いを変えた鏡山に対する一抹の哀愁の思い。
注・・鏡山=滋賀県蒲生郡にある山。近江国の歌枕。
ここでは徳のある人の意も含む。
ちりつみて=散り積みて。散り積もって。
作者・・藤原親隆=1099~1165。正三位参議。
2011年07月26日
2011年07月25日
2011年07月24日
2011年07月23日
2011年07月22日
2011年07月21日
名歌鑑賞・1540
世の中に かしこきことも はかなきも 思ひしとけば
夢にぞありける
源実朝(みなもとのさねとも)
(金槐和歌集・715)
(よのなかに かしこきことも はかなきも おもいし
とけば ゆめにぞありける)
意味・・世の中にあるすぐれたことも、とるに足らぬこと
も、悟ってしまえば夢のようにはかないものだ。
世の中には、価値のあるもの、確実なものがあり、
一方、無価値な、不確かなものもあるが、これは
相対的なものであり、執着するに足りないという
事をいっている。
注・・かしこき=すばらしい、りっぱだ。
はかなき=たいしたこともない、愚かだ。
思ひしとけ=思ひし解けば。考えて理解する。
悟る。「し」は上接する語を強調する語。
作者・・源実朝=1192~1219。28歳。12歳で征夷大将軍に
なる。鶴岡八幡宮で暗殺される。
夢にぞありける
源実朝(みなもとのさねとも)
(金槐和歌集・715)
(よのなかに かしこきことも はかなきも おもいし
とけば ゆめにぞありける)
意味・・世の中にあるすぐれたことも、とるに足らぬこと
も、悟ってしまえば夢のようにはかないものだ。
世の中には、価値のあるもの、確実なものがあり、
一方、無価値な、不確かなものもあるが、これは
相対的なものであり、執着するに足りないという
事をいっている。
注・・かしこき=すばらしい、りっぱだ。
はかなき=たいしたこともない、愚かだ。
思ひしとけ=思ひし解けば。考えて理解する。
悟る。「し」は上接する語を強調する語。
作者・・源実朝=1192~1219。28歳。12歳で征夷大将軍に
なる。鶴岡八幡宮で暗殺される。
2011年07月20日
名歌鑑賞・1539
手に結ぶ 水に宿れる 月影の あるかなきかの
世にこそありけれ
紀貫之(きのつらゆき)
(拾遺和歌集・1322)
(てにむすぶ みずにやどれる つきかげの あるか
なきかの よにこそありけれ)
意味・・手に掬(すく)った水に映っている月の影のように、
この世は、あるかなきかといった、ほんとうには
かない世の中であった。
病が重くなり、親友の源公忠に贈った歌です。
また、はかない人生を悲しむ辞世の歌です。
注・・手に結ぶ水=手のひらを合せて水を掬うこと。
宿ける月影=水に映った月の姿。
源公忠(きんただ)=889~948。宮廷歌人。
作者・・紀貫之=872~945。土佐守・従五位上。「古今
和歌集」の選者で仮名序を執筆。「土佐日記」。
世にこそありけれ
紀貫之(きのつらゆき)
(拾遺和歌集・1322)
(てにむすぶ みずにやどれる つきかげの あるか
なきかの よにこそありけれ)
意味・・手に掬(すく)った水に映っている月の影のように、
この世は、あるかなきかといった、ほんとうには
かない世の中であった。
病が重くなり、親友の源公忠に贈った歌です。
また、はかない人生を悲しむ辞世の歌です。
注・・手に結ぶ水=手のひらを合せて水を掬うこと。
宿ける月影=水に映った月の姿。
源公忠(きんただ)=889~948。宮廷歌人。
作者・・紀貫之=872~945。土佐守・従五位上。「古今
和歌集」の選者で仮名序を執筆。「土佐日記」。
2011年07月19日
名歌鑑賞・1538
貧しさに 堪ふべき吾は もだしつつ 蝌蚪ある水の
ほとりを歩む
佐藤佐太郎(さとうさたろう)
(帰潮)
(まずしさに たうべきわれは もだしつつ かとある
みずの ほとりをあゆむ)
意味・・「堪えるべき」貧しさはどうしょうもないので
ある。沈黙して堪える他ない自分がいる。早春
の池の岸に、オタマジャクシが元気に集まって
泳いでいる。そこには確かな「生」がある。
「貧しさ」も「堪えるべき」憂いもない。浅い
池の底に、春の光が揺れる。それを眼にとめな
がら、黙って歩いている。
日本が敗戦後、最も苦しみながら再起を図って
いた昭和24年の作です。
当時は日本全体が貧しく、また貧しい生活の中
にも何ものにも毒されない純粋な心が存在する
時代でもあった。
注・・もだしつつ=黙しつつ。だまってものをいわな
いでいる。
蝌蚪(かと)=お玉杓子。
作者・・佐藤佐太郎=1909~1987。岩波書店に勤める。
斉藤茂吉に師事。「歩道」「帰潮」。
ほとりを歩む
佐藤佐太郎(さとうさたろう)
(帰潮)
(まずしさに たうべきわれは もだしつつ かとある
みずの ほとりをあゆむ)
意味・・「堪えるべき」貧しさはどうしょうもないので
ある。沈黙して堪える他ない自分がいる。早春
の池の岸に、オタマジャクシが元気に集まって
泳いでいる。そこには確かな「生」がある。
「貧しさ」も「堪えるべき」憂いもない。浅い
池の底に、春の光が揺れる。それを眼にとめな
がら、黙って歩いている。
日本が敗戦後、最も苦しみながら再起を図って
いた昭和24年の作です。
当時は日本全体が貧しく、また貧しい生活の中
にも何ものにも毒されない純粋な心が存在する
時代でもあった。
注・・もだしつつ=黙しつつ。だまってものをいわな
いでいる。
蝌蚪(かと)=お玉杓子。
作者・・佐藤佐太郎=1909~1987。岩波書店に勤める。
斉藤茂吉に師事。「歩道」「帰潮」。
2011年07月18日
2011年07月17日
名歌鑑賞・1536
山の端に 思ひも入らじ 世の中は とてもかくても
ありあけの月
藤原盛方(ふじわらのもりかた)
(新古今和歌集・1506)
(やまのはに おもいもいらじ よのなかは とても
かくても ありあけのつき)
意味・・有明の月が山の端に入らないでいるが、私も
いちずに思い込み出家して山に入る事もしな
いでいよう。世の中はどうあっても生きてい
られるのだから。
本歌は、
世の中はとてもかくても同じこと 宮も藁屋も
果てしなければ (意味は下記参照)
注・・思ひも入らじ=深く思い込まないで。出家し
ないで。
とてもかくても=どちらにせよ、いずれにし
ても。
ありあけの月=有明の月の「あり」と「生き
ている」意の「あり」を掛ける。
作者・・藤原盛方=1137~1178。従四位下・出羽守。
本歌です。
世の中は とてもかくても 同じこと 宮も藁屋も
果てしなければ
蝉丸(せみまる)
(新古今和歌集・1851)
(よのなかは とてもかくても おなじこと みやも
わらやも はてしなければ)
意味・・この世の中ではどういう生活をしていても、
結局は同じことだ。宮殿に住んでも藁屋に
住んでも、人の欲望には際限がないのだから。
蝉丸が粗末な藁屋に住んでいたのを嘲笑(ち
ようしょう)されて詠んだ歌です。
貴賎の差別感はむなしいものだと見て感慨
を詠む。
注・・とてもかくても=とありてもかくありても。
結局どのように暮らしても。
果てしなければ=限りがない。人間の欲望
には際限がないから。
ありあけの月
藤原盛方(ふじわらのもりかた)
(新古今和歌集・1506)
(やまのはに おもいもいらじ よのなかは とても
かくても ありあけのつき)
意味・・有明の月が山の端に入らないでいるが、私も
いちずに思い込み出家して山に入る事もしな
いでいよう。世の中はどうあっても生きてい
られるのだから。
本歌は、
世の中はとてもかくても同じこと 宮も藁屋も
果てしなければ (意味は下記参照)
注・・思ひも入らじ=深く思い込まないで。出家し
ないで。
とてもかくても=どちらにせよ、いずれにし
ても。
ありあけの月=有明の月の「あり」と「生き
ている」意の「あり」を掛ける。
作者・・藤原盛方=1137~1178。従四位下・出羽守。
本歌です。
世の中は とてもかくても 同じこと 宮も藁屋も
果てしなければ
蝉丸(せみまる)
(新古今和歌集・1851)
(よのなかは とてもかくても おなじこと みやも
わらやも はてしなければ)
意味・・この世の中ではどういう生活をしていても、
結局は同じことだ。宮殿に住んでも藁屋に
住んでも、人の欲望には際限がないのだから。
蝉丸が粗末な藁屋に住んでいたのを嘲笑(ち
ようしょう)されて詠んだ歌です。
貴賎の差別感はむなしいものだと見て感慨
を詠む。
注・・とてもかくても=とありてもかくありても。
結局どのように暮らしても。
果てしなければ=限りがない。人間の欲望
には際限がないから。
2011年07月16日
2011年07月15日
2011年07月14日
2011年07月13日
名歌鑑賞・1532
相生の かげの朽木と おくれゐて 十とせ余りは
何残るらん
飛鳥井雅縁(あすかいのまさより)
(新続古今和歌集・1601)
(あいおいの かげのくちきと おくれいて とおとせ
あまりは なにのこるらん)
詞書・・足利義満の十三回忌に墓参した時、同じ年齢で
長年なじみ親しんでいた事が思い出されて詠ん
だ歌。
意味・・一緒に成長したが、その一方で陰にいた朽木と
して生き長らえて十三年、どうしてこの世に残
っているのだろう。
注・・相生=一緒に成長すること、同じ年齢である事。
おくれ=生き残る、先立たれる。
何(なに)=なぜ、どうして・・か。
足利義満=1358~1408。
作者・・飛鳥井雅縁=1358~1428。従二位権中納言。
何残るらん
飛鳥井雅縁(あすかいのまさより)
(新続古今和歌集・1601)
(あいおいの かげのくちきと おくれいて とおとせ
あまりは なにのこるらん)
詞書・・足利義満の十三回忌に墓参した時、同じ年齢で
長年なじみ親しんでいた事が思い出されて詠ん
だ歌。
意味・・一緒に成長したが、その一方で陰にいた朽木と
して生き長らえて十三年、どうしてこの世に残
っているのだろう。
注・・相生=一緒に成長すること、同じ年齢である事。
おくれ=生き残る、先立たれる。
何(なに)=なぜ、どうして・・か。
足利義満=1358~1408。
作者・・飛鳥井雅縁=1358~1428。従二位権中納言。
2011年07月12日
2011年07月11日
名歌鑑賞・1530
草づたふ 朝の蛍よ みじかかる われのいのちを
死なしむなゆめ
斉藤茂吉(さいとうもきち)
(あらたま)
(くさづたう あさのほたるよ みじかかる われの
いのちを しなしむなゆめ)
意味・・朝の草の上を心細げにはっている蛍よ。お前は
束の間の命しかもたないはかない存在だが、そ
れは私とても同じことだ。そう思えば今お前を
眺めているこの私の命をなんとしても死なせて
はならない。必ず活かしてほしいと祈るような
気持になることだ。
注・・草づたふ=草の上をつたっている。
朝の蛍よ=朝の明るさで光を失っている蛍よ。
死なしむなゆめ=ゆめ死なしむなの意、決して
死なせてくれるな。「ゆめ」は下に打消しの
語を伴う副詞。
作者・・斉藤茂吉=1882~1953。東京大学医科卒。精神
病医。伊藤左千夫門下に入り「アララギ」を
創刊。「斉藤茂吉全集」56巻がある。
死なしむなゆめ
斉藤茂吉(さいとうもきち)
(あらたま)
(くさづたう あさのほたるよ みじかかる われの
いのちを しなしむなゆめ)
意味・・朝の草の上を心細げにはっている蛍よ。お前は
束の間の命しかもたないはかない存在だが、そ
れは私とても同じことだ。そう思えば今お前を
眺めているこの私の命をなんとしても死なせて
はならない。必ず活かしてほしいと祈るような
気持になることだ。
注・・草づたふ=草の上をつたっている。
朝の蛍よ=朝の明るさで光を失っている蛍よ。
死なしむなゆめ=ゆめ死なしむなの意、決して
死なせてくれるな。「ゆめ」は下に打消しの
語を伴う副詞。
作者・・斉藤茂吉=1882~1953。東京大学医科卒。精神
病医。伊藤左千夫門下に入り「アララギ」を
創刊。「斉藤茂吉全集」56巻がある。
2011年07月10日
2011年07月09日
2011年07月08日
2011年07月07日
2011年07月06日
2011年07月05日
2011年07月04日
名歌鑑賞・1523
鹿をさして 馬といふ人 ありければ かもをもをしと
思ふなるべし
藤原仲文(ふじわらのなかぶみ)
(拾遺和歌集・535)
(かをさして うまというひと ありければ かもをも
をしと おもうなるべし)
詞書・・能宣(よしのぶ)に車に敷く毛織の敷物(氈・おし)を
貸して欲しいと頼んだら断られたので贈った歌。
意味・・昔、鹿を指して馬といった人があったから、あなた
も鴨のことを鴛鴦(おし)と思って、私に氈(おし)
を貸すのを惜しいと思われたのでしょう。
注・・をし=鴛鴦(おし)、氈(おし)、惜しを掛ける。
氈=毛織の敷物。
能宣=921~991。大中臣能宣(おおなかとみのよし
のぶ)
作者・・藤原仲文=923~992。加賀守、正五位下。
思ふなるべし
藤原仲文(ふじわらのなかぶみ)
(拾遺和歌集・535)
(かをさして うまというひと ありければ かもをも
をしと おもうなるべし)
詞書・・能宣(よしのぶ)に車に敷く毛織の敷物(氈・おし)を
貸して欲しいと頼んだら断られたので贈った歌。
意味・・昔、鹿を指して馬といった人があったから、あなた
も鴨のことを鴛鴦(おし)と思って、私に氈(おし)
を貸すのを惜しいと思われたのでしょう。
注・・をし=鴛鴦(おし)、氈(おし)、惜しを掛ける。
氈=毛織の敷物。
能宣=921~991。大中臣能宣(おおなかとみのよし
のぶ)
作者・・藤原仲文=923~992。加賀守、正五位下。
2011年07月03日
2011年07月02日
名歌鑑賞・1521
我が盲ふる 安けきごとし うすうすに 百日紅の
咲くを待ちつつ
北原白秋(きたはらはくしゅう)
(牡丹の木)
(わがしうる やすけきごとし うすうすに ひゅくじつこうの
さくをまちつつ)
意味・・作者は目がかすんでしまったあきらめの安らかさの
中にいる。いや、しいて安らかさにあるかのように
振舞っている。そしてわずかに、毎夏咲き誇った庭
の百日紅が咲いて、うっすらとでも目にうつる日を、
心待ちにしているのである。ささやかな病者の心頼
みである。
注・・百日紅=さるすべり。紅色の細かい花は花期が長い
為、百日紅と書く。幹がつるつるで猿も滑って登
れないということから名がついた。
作者・・北原白秋=1885~1942。詩集「邪宗門」歌集「桐
の花」「牡丹の木」。
咲くを待ちつつ
北原白秋(きたはらはくしゅう)
(牡丹の木)
(わがしうる やすけきごとし うすうすに ひゅくじつこうの
さくをまちつつ)
意味・・作者は目がかすんでしまったあきらめの安らかさの
中にいる。いや、しいて安らかさにあるかのように
振舞っている。そしてわずかに、毎夏咲き誇った庭
の百日紅が咲いて、うっすらとでも目にうつる日を、
心待ちにしているのである。ささやかな病者の心頼
みである。
注・・百日紅=さるすべり。紅色の細かい花は花期が長い
為、百日紅と書く。幹がつるつるで猿も滑って登
れないということから名がついた。
作者・・北原白秋=1885~1942。詩集「邪宗門」歌集「桐
の花」「牡丹の木」。
2011年07月01日
名歌鑑賞・1520
一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 音の清きは
年深みかも
市原王(いちはらのおおきみ)
(万葉集・1042)
(ひとつまつ いくよかへぬる ふくかぜの おとの
きよきは としふかみかも)
意味・・この岡の一本松は一体どのくらい年代がたって
いるのだろうか。この松を訪れて吹く風の音が、
こんなに澄み切って聞えるのは、この木がさだ
めし年久しく経っているからであろう。じつに
よい音だ。
枝の太い老松は細い若松と違って、風に対する
抵抗が強いので、その響きが著しく冴えて聞え
る。「年深みかも」と詠嘆して樹齢数百年の老
松であることを示している。
作者・・市原王=志貴皇子の孫。743年従五位下。備中守。
年深みかも
市原王(いちはらのおおきみ)
(万葉集・1042)
(ひとつまつ いくよかへぬる ふくかぜの おとの
きよきは としふかみかも)
意味・・この岡の一本松は一体どのくらい年代がたって
いるのだろうか。この松を訪れて吹く風の音が、
こんなに澄み切って聞えるのは、この木がさだ
めし年久しく経っているからであろう。じつに
よい音だ。
枝の太い老松は細い若松と違って、風に対する
抵抗が強いので、その響きが著しく冴えて聞え
る。「年深みかも」と詠嘆して樹齢数百年の老
松であることを示している。
作者・・市原王=志貴皇子の孫。743年従五位下。備中守。