2011年09月
2011年09月30日
2011年09月29日
2011年09月28日
2011年09月27日
名歌鑑賞・1608
きりぎりす いたくななきそ 秋の夜の 長き思ひは
我ぞまされる
藤原忠房(ふじわらのただふさ)
(古今和歌集・196)
(きりぎりす いたくななきそ あきのよの ながき
おもいは われぞまされる)
詞書・・人のもとにまかれりける夜、きりぎりすのなき
けるをよめる。
意味・・こおろぎよ、そんなに悲しそうに鳴いてくれるな。
秋の夜は長いけれど、それと同じように長くつき
ない思いは、この私のほうがよほどまさっている
のであるから。
この家の主人の嘆き悲しむのを見て、私のほうが
もっとつらいのですと、我が心の寂しさを詠んだ
ものです。
注・・まかれりける=訪ねて行った。
きりぎりす=今のこおろぎ。
な・・そ=禁止の意味の助詞。
作者・・藤原忠房=889~928。遣唐使。山城守。正五位下。
我ぞまされる
藤原忠房(ふじわらのただふさ)
(古今和歌集・196)
(きりぎりす いたくななきそ あきのよの ながき
おもいは われぞまされる)
詞書・・人のもとにまかれりける夜、きりぎりすのなき
けるをよめる。
意味・・こおろぎよ、そんなに悲しそうに鳴いてくれるな。
秋の夜は長いけれど、それと同じように長くつき
ない思いは、この私のほうがよほどまさっている
のであるから。
この家の主人の嘆き悲しむのを見て、私のほうが
もっとつらいのですと、我が心の寂しさを詠んだ
ものです。
注・・まかれりける=訪ねて行った。
きりぎりす=今のこおろぎ。
な・・そ=禁止の意味の助詞。
作者・・藤原忠房=889~928。遣唐使。山城守。正五位下。
2011年09月26日
いにしへの 倭文の苧環 いやしきも よきもさかりは ありしものなり
いにしへの 倭文の苧環 いやしきも よきもさかりは
ありしものなり
詠み人知らず
(いにしえの しずのおだまき いやしきも よきも
さかりは ありしものなり)
意味・・しずの苧環(おだまき)という語があるが、賎(しず)の
男(いやしい者)にも、身分の高い人にも、それ相応に
男ざかりはありましたよ。
今でこそこんな坂道も息を切らせて登っているが、
昔は平気で登っていたものだ。賤しい人だけでなく
身分の高いひとも同じように年をとったもだ。
注・・倭文(しず)の苧環(おだまき)=「倭文」は模様のある
古代の織物の一種。「苧環」は「倭文」を織るため
の糸を球状に巻いたもの。「倭文」は「賎(しず)」
と同音であるので、「賎」と同義の「いやしき」に
かけた序詞。
いやしきも=賎しい者も。
よきも=身分の高い方も。
さかり=男ざかり、女ざかりの意。
出典・・古今和歌集・888。
ありしものなり
詠み人知らず
(いにしえの しずのおだまき いやしきも よきも
さかりは ありしものなり)
意味・・しずの苧環(おだまき)という語があるが、賎(しず)の
男(いやしい者)にも、身分の高い人にも、それ相応に
男ざかりはありましたよ。
今でこそこんな坂道も息を切らせて登っているが、
昔は平気で登っていたものだ。賤しい人だけでなく
身分の高いひとも同じように年をとったもだ。
注・・倭文(しず)の苧環(おだまき)=「倭文」は模様のある
古代の織物の一種。「苧環」は「倭文」を織るため
の糸を球状に巻いたもの。「倭文」は「賎(しず)」
と同音であるので、「賎」と同義の「いやしき」に
かけた序詞。
いやしきも=賎しい者も。
よきも=身分の高い方も。
さかり=男ざかり、女ざかりの意。
出典・・古今和歌集・888。
2011年09月25日
名歌鑑賞・1606
秋をへて 昔は遠き 大空に 我が身ひとつの
もとの月影
藤原定家(ふじわらのていか)
(定家卿百番自歌合・50)
(あきをへて むかしはとおき おおぞらに わがみ
ひとつの もとのつきかげ)
意味・・幾多の秋を経て、昔は遠い彼方にある。大空には
昔を思い出させる変わらぬ月の光、我が身ばかり
はもとのままである。
本歌は在原業平の次の歌です。
「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつは
もとの身にして」
作者・・藤原定家=1162~1241。平安末期から鎌倉初期を
生きた歌人。
本歌です。
月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは
もとの身にして
在原業平(ありはらなりひら)
(古今和歌集・747)
(つきやあらぬ はるやむかしの はるならぬ わがみ
ひとつは もとのみにして)
意味・・この月は以前と同じ月ではないのか。春は去年の春と
同じではないのか。私一人だけが昔のままであって、
月や春やすべてのことが以前と違うように感じられる
ことだ。
しばらく振りに恋人の家に行ってみたところ、すっかり
変わった周囲の光景(すでに結婚している様子)に接して
落胆して詠んだ歌です。
もとの月影
藤原定家(ふじわらのていか)
(定家卿百番自歌合・50)
(あきをへて むかしはとおき おおぞらに わがみ
ひとつの もとのつきかげ)
意味・・幾多の秋を経て、昔は遠い彼方にある。大空には
昔を思い出させる変わらぬ月の光、我が身ばかり
はもとのままである。
本歌は在原業平の次の歌です。
「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつは
もとの身にして」
作者・・藤原定家=1162~1241。平安末期から鎌倉初期を
生きた歌人。
本歌です。
月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは
もとの身にして
在原業平(ありはらなりひら)
(古今和歌集・747)
(つきやあらぬ はるやむかしの はるならぬ わがみ
ひとつは もとのみにして)
意味・・この月は以前と同じ月ではないのか。春は去年の春と
同じではないのか。私一人だけが昔のままであって、
月や春やすべてのことが以前と違うように感じられる
ことだ。
しばらく振りに恋人の家に行ってみたところ、すっかり
変わった周囲の光景(すでに結婚している様子)に接して
落胆して詠んだ歌です。
2011年09月24日
2011年09月23日
2011年09月22日
2011年09月21日
2011年09月20日
雲のうえ 春こそさらに 忘られね 花は数にも 思ひ出でじを
雲のうえ 春こそさらに 忘られね 花は数にも
思ひ出でじを
藤原俊成
(くものうえ はるこそさらに わすられね はなは
かずにも おもいいでじを)
詞書・・遁世ののち花の歌をよめる。
意味・・宮中での春を一向に忘れられないことだ。花の
方では私を物の数にも思い出さないだろうが。
華やいだ頃の昔の懐旧を詠んでいます。
注・・雲のうえの春=宮中の花の宴など。
さらに=否定語を伴って「決して」。
数=数えるのに価値のあるもの、ものの数。
作者・・藤原俊成=ふじわらのとしなり。1114~1204。
正三位非参議皇太后大夫。53歳で出家。「千載
和歌集」の撰者。
出典・・千載和歌集・1056。
思ひ出でじを
藤原俊成
(くものうえ はるこそさらに わすられね はなは
かずにも おもいいでじを)
詞書・・遁世ののち花の歌をよめる。
意味・・宮中での春を一向に忘れられないことだ。花の
方では私を物の数にも思い出さないだろうが。
華やいだ頃の昔の懐旧を詠んでいます。
注・・雲のうえの春=宮中の花の宴など。
さらに=否定語を伴って「決して」。
数=数えるのに価値のあるもの、ものの数。
作者・・藤原俊成=ふじわらのとしなり。1114~1204。
正三位非参議皇太后大夫。53歳で出家。「千載
和歌集」の撰者。
出典・・千載和歌集・1056。
2011年09月19日
名歌鑑賞・1600
うきながら 見し世は猶も 忍ばれて 聞けば恋しき
昔なりけり
藤原家隆(ふじわらのいえたか)
(家隆卿百番自歌合・192)
(うきながら みしよはなおも しのばれて きけば
こいしき むかしなりけり)
意味・・憂くつらいながらも以前見た世のことはやはり
懐かしく忍ばれて、聞くにつけ恋しい昔だなあ。
辛かった時を懐旧して、今の喜びをかみしめて
いる歌です。
参考歌です。
「ながらへばまたこの頃や偲ばれむ憂しと見し世ぞ
今は恋しき」
注・・うき=憂き。つらいこと。
猶(なほ)=やはり。
作者・・藤原家隆=1158~1237。新古今時代の中心的な歌人。
参考歌です。
ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しとみし世ぞ
今は恋しき
藤原清輔(ふじわらのきよすけ)
(新古今集・1843、百人一首・84)
(ながらえば またこのごろや しのばれん うしとみし
よぞ いまはこいしき)
意味・・この先、生きながらえるならば、つらいと感じている
この頃もまた、懐かしく思い出されることだろうか。
つらいと思って過ごした昔の日々も、今では恋しく
思われることだから。
今の苦悩をどうしたらよいものか・・
注・・憂し=つらい、憂鬱。
作者・・藤原清輔=1104~1177。当時の歌壇の第一人者。
昔なりけり
藤原家隆(ふじわらのいえたか)
(家隆卿百番自歌合・192)
(うきながら みしよはなおも しのばれて きけば
こいしき むかしなりけり)
意味・・憂くつらいながらも以前見た世のことはやはり
懐かしく忍ばれて、聞くにつけ恋しい昔だなあ。
辛かった時を懐旧して、今の喜びをかみしめて
いる歌です。
参考歌です。
「ながらへばまたこの頃や偲ばれむ憂しと見し世ぞ
今は恋しき」
注・・うき=憂き。つらいこと。
猶(なほ)=やはり。
作者・・藤原家隆=1158~1237。新古今時代の中心的な歌人。
参考歌です。
ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しとみし世ぞ
今は恋しき
藤原清輔(ふじわらのきよすけ)
(新古今集・1843、百人一首・84)
(ながらえば またこのごろや しのばれん うしとみし
よぞ いまはこいしき)
意味・・この先、生きながらえるならば、つらいと感じている
この頃もまた、懐かしく思い出されることだろうか。
つらいと思って過ごした昔の日々も、今では恋しく
思われることだから。
今の苦悩をどうしたらよいものか・・
注・・憂し=つらい、憂鬱。
作者・・藤原清輔=1104~1177。当時の歌壇の第一人者。
2011年09月18日
2011年09月17日
名歌鑑賞・1598
あまた年 もとの雫を なげききぬ 誰も葉末の
露の身にして
橘千蔭(たちばなのちかげ)
(うけらが花)
(あまたどし もとのしずくを なげききぬ たれも
はすえの つゆのみにして)
意味・・長年、草木の根元の雫のはかなさを人々は嘆いて
きた。誰もが葉の先の露のようにもっとはかなく
消えやすい身なのに。
知人の17回忌で詠んだ歌です。
参考歌です。
「末の露もとの雫や世の中の遅れ先立つためしなるらん」
作者・・橘千蔭=1735~1808。江戸町奉行与力。賀茂真淵門。
参考歌です。
末の露 本の雫や 世の中の 後れ先立つ
ためしなるらん
僧正遍照(そうじょうへんじょう)
(新古今和歌集・757)
(すえのつゆ もとのしずくや よのなかの おくれ
さきだつ ためしなるらん)
意味・・葉先から落ちる露、草木の根元からしたたる
滴(しずく)は、無常な世の中が、遅速の違い
があってもいつかはすべて亡びるというよい
実例であろうか。
無常の真理を自然を鏡として確かめた歌です。
注・・末の露本の雫=草木の先のほうの露と根元の
ほうの雫。
後れ先立つ=人が後れて死に、先立って死ぬ。
ためし=実例。
無常=全ての物が生滅変転してとどまらない
こと、人の死。
作者・・僧正遍照=890年没、75歳。僧正は僧の一番上
の位。素性法師の父。36歌仙の一人。
露の身にして
橘千蔭(たちばなのちかげ)
(うけらが花)
(あまたどし もとのしずくを なげききぬ たれも
はすえの つゆのみにして)
意味・・長年、草木の根元の雫のはかなさを人々は嘆いて
きた。誰もが葉の先の露のようにもっとはかなく
消えやすい身なのに。
知人の17回忌で詠んだ歌です。
参考歌です。
「末の露もとの雫や世の中の遅れ先立つためしなるらん」
作者・・橘千蔭=1735~1808。江戸町奉行与力。賀茂真淵門。
参考歌です。
末の露 本の雫や 世の中の 後れ先立つ
ためしなるらん
僧正遍照(そうじょうへんじょう)
(新古今和歌集・757)
(すえのつゆ もとのしずくや よのなかの おくれ
さきだつ ためしなるらん)
意味・・葉先から落ちる露、草木の根元からしたたる
滴(しずく)は、無常な世の中が、遅速の違い
があってもいつかはすべて亡びるというよい
実例であろうか。
無常の真理を自然を鏡として確かめた歌です。
注・・末の露本の雫=草木の先のほうの露と根元の
ほうの雫。
後れ先立つ=人が後れて死に、先立って死ぬ。
ためし=実例。
無常=全ての物が生滅変転してとどまらない
こと、人の死。
作者・・僧正遍照=890年没、75歳。僧正は僧の一番上
の位。素性法師の父。36歌仙の一人。
2011年09月16日
2011年09月15日
名歌鑑賞・1596
玉ぐしげ あけぬくれぬと いたづらに 二度もこぬ
世をすぐすかな
木下長嘯子(きのしたちょうしょうし)
(たまぐしげ あけぬくれぬと いたづらに ふたたびも
こぬ よをすぐすかな)
意味・・夜が明けた、日が暮れたといって、何をなすこともなく、
二度と来ないこの世を過ごすことだ。
何事も成し得ない無力な自分を嘆いた歌です。
注・・玉くしげ=「あけ」に掛かる枕詞。
あけぬくれぬ=夜が明けた、日が暮れたと言って年月を
過ごすこと。
作者・・木下長嘯子=1569~1649。秀吉の近臣として厚遇される。
若狭小浜の城主。関が原合戦の前に伏見城から逃げ出し
隠とん者となる。
出典・・歌集「林葉累塵集」(古典文学全集・中世和歌集)
世をすぐすかな
木下長嘯子(きのしたちょうしょうし)
(たまぐしげ あけぬくれぬと いたづらに ふたたびも
こぬ よをすぐすかな)
意味・・夜が明けた、日が暮れたといって、何をなすこともなく、
二度と来ないこの世を過ごすことだ。
何事も成し得ない無力な自分を嘆いた歌です。
注・・玉くしげ=「あけ」に掛かる枕詞。
あけぬくれぬ=夜が明けた、日が暮れたと言って年月を
過ごすこと。
作者・・木下長嘯子=1569~1649。秀吉の近臣として厚遇される。
若狭小浜の城主。関が原合戦の前に伏見城から逃げ出し
隠とん者となる。
出典・・歌集「林葉累塵集」(古典文学全集・中世和歌集)
2011年09月14日
2011年09月13日
2011年09月12日
行く水の 渕瀬ならねど あすか風 きのふにかはる 秋は来にけり
行く水の 渕瀬ならねど あすか風 きのふにかはる
秋は来にけり
頓阿法師
(ゆくみずの ふちせならねど あすかかぜ きのうに
かわる あきはきにけり)
意味・・流れ行く水の渕瀬ではないけれど、飛鳥の里に
吹く風は昨日に変り、今日秋が訪れたよ。
参考歌です。
「世の中はなにか常なる飛鳥川昨日の渕ぞ今日は
瀬になる」
注・・あすか=飛鳥の里。奈良朝以前に都が置かれた所。
参考歌です。
世の中は なにか常なる 飛鳥川 昨日の渕ぞ
今日は瀬になる
詠み人しらず
(よのなかは なにかつねなる あすかがわ きのう
のふちぞ けふはせになる)
意味・・この世の中は、いったい何が変わらないのか、
不変のものは何一つない。飛鳥川の流れも昨
日渕であった所が今日はもう浅瀬に変わって
いる。
世の中の移り変わりが速いことを詠んだもの
です。
注・・あすか川=奈良県飛鳥を流れる川。明日を掛
けている。
渕=川の深く淀んでいる所。
瀬=川の浅く流れの早い所。
出典・・古今和歌集・933。
秋は来にけり
頓阿法師
(ゆくみずの ふちせならねど あすかかぜ きのうに
かわる あきはきにけり)
意味・・流れ行く水の渕瀬ではないけれど、飛鳥の里に
吹く風は昨日に変り、今日秋が訪れたよ。
参考歌です。
「世の中はなにか常なる飛鳥川昨日の渕ぞ今日は
瀬になる」
注・・あすか=飛鳥の里。奈良朝以前に都が置かれた所。
参考歌です。
世の中は なにか常なる 飛鳥川 昨日の渕ぞ
今日は瀬になる
詠み人しらず
(よのなかは なにかつねなる あすかがわ きのう
のふちぞ けふはせになる)
意味・・この世の中は、いったい何が変わらないのか、
不変のものは何一つない。飛鳥川の流れも昨
日渕であった所が今日はもう浅瀬に変わって
いる。
世の中の移り変わりが速いことを詠んだもの
です。
注・・あすか川=奈良県飛鳥を流れる川。明日を掛
けている。
渕=川の深く淀んでいる所。
瀬=川の浅く流れの早い所。
出典・・古今和歌集・933。
2011年09月11日
2011年09月10日
2011年09月09日
名歌鑑賞・1590
秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば
七種の花 (その一)
山上憶良(やまのうえのおくら)
(万葉集・1537)
(あきののにさきたるはなを およびおり かき
かぞうれば ななくさのはな)
意味・・秋の野に咲いている花を、指折り数えて見ると、
七種の花がある。
萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし
また藤袴 朝顔の花 (その二)
山上憶良(やまのうえのおくら)
(万葉集・1538)
(はぎのはな おばなくずばな なでしこのはな おみなえし
またふじばかま あさがおのはな)
意味・・萩の花、尾花、葛の花、なでしこの花、おみなえし
それから藤袴、朝顔の花。
秋の七草は山上憶良が選定して今に至っている。
注・・朝顔=今の桔梗のこと。
作者・・山上憶良=660~733。遣唐使。筑前守。
七種の花 (その一)
山上憶良(やまのうえのおくら)
(万葉集・1537)
(あきののにさきたるはなを およびおり かき
かぞうれば ななくさのはな)
意味・・秋の野に咲いている花を、指折り数えて見ると、
七種の花がある。
萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし
また藤袴 朝顔の花 (その二)
山上憶良(やまのうえのおくら)
(万葉集・1538)
(はぎのはな おばなくずばな なでしこのはな おみなえし
またふじばかま あさがおのはな)
意味・・萩の花、尾花、葛の花、なでしこの花、おみなえし
それから藤袴、朝顔の花。
秋の七草は山上憶良が選定して今に至っている。
注・・朝顔=今の桔梗のこと。
作者・・山上憶良=660~733。遣唐使。筑前守。
2011年09月08日
梨棗 黍に粟つぎ 延ふ葛の 後も逢はむと 葵花咲く
梨棗 黍に粟つぎ 延ふ葛の 後も逢はむと
葵花咲く
詠み人知らず
(なしなつめ きみにあわつぎ はうくずの のちも
あわんと あおいはなさく)
意味・・梨・棗・黍(きび)・粟と次々に実のっても、私は
早々に離れた君と今は逢えないけれど、延び続け
る葛のように後には逢えようと、葵の花が咲いて
いる。
植物六種の取り合せと掛詞の面白さを詠む。
注・・梨棗=字音の等しい「離・早(りそう)」を掛ける。
黍(きみ)に粟つぎ=「君に逢わず」を掛ける。
延(は)ふ葛=「後は逢はむ」の枕詞。
葵(あふひ)=アオイ科の草。「逢う日」を掛ける。
出典・・万葉集・3834。
葵花咲く
詠み人知らず
(なしなつめ きみにあわつぎ はうくずの のちも
あわんと あおいはなさく)
意味・・梨・棗・黍(きび)・粟と次々に実のっても、私は
早々に離れた君と今は逢えないけれど、延び続け
る葛のように後には逢えようと、葵の花が咲いて
いる。
植物六種の取り合せと掛詞の面白さを詠む。
注・・梨棗=字音の等しい「離・早(りそう)」を掛ける。
黍(きみ)に粟つぎ=「君に逢わず」を掛ける。
延(は)ふ葛=「後は逢はむ」の枕詞。
葵(あふひ)=アオイ科の草。「逢う日」を掛ける。
出典・・万葉集・3834。
2011年09月07日
2011年09月06日
2011年09月05日
2011年09月04日
2011年09月03日
名歌鑑賞・1584
風をだに 恋ふるは羨し 風をだに 来むとし待たば
何か嘆かむ
鏡王女(かがみのおおきみ)
(万葉集・489)
(かぜをだに こうるはともし かぜをだに こんとし
またば なにかなげかん)
意味・・風の音さえ恋心がゆさぶられるとは羨ましい
ことです。風にさえ胸ときめかして、もしや
おいでかと待つというのなら、何を嘆く事が
ありましょう。
自分には訪れてくれる人のあてもない嘆きを
詠んでいます。
万葉集の488に額田王の次の歌が並べられてい
ます。
「君待つと 我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし
秋の風吹く」
作者・・鏡王女=生没年未詳。額田王の姉か。舒明天皇(640
年頃の人)の娘または孫。
参考歌です。
君待つと 我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし
秋の風吹く
額田王(ぬかたのおおきみ)
(万葉集・488)
(きみまつと わがこいおれば わがやどの すだれ
うごかし あきのかぜふく)
意味・・あの方のおいでを待って恋しく思っていると、
家の戸口の簾をさやさやと動かして秋の風が
吹いている。
夫の来訪を今か今かと待ちわびる身は、かす
かな簾の音にも心をときめかす。秋の夜長、
待つ夫は来ず、簾の音は空しい秋風の気配を
伝えるのみで、期待から失望に思いは沈んで
行く。
注・・屋戸=家、家の戸口。
作者・・額田王=生没年未詳。万葉の代表的歌人。
何か嘆かむ
鏡王女(かがみのおおきみ)
(万葉集・489)
(かぜをだに こうるはともし かぜをだに こんとし
またば なにかなげかん)
意味・・風の音さえ恋心がゆさぶられるとは羨ましい
ことです。風にさえ胸ときめかして、もしや
おいでかと待つというのなら、何を嘆く事が
ありましょう。
自分には訪れてくれる人のあてもない嘆きを
詠んでいます。
万葉集の488に額田王の次の歌が並べられてい
ます。
「君待つと 我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし
秋の風吹く」
作者・・鏡王女=生没年未詳。額田王の姉か。舒明天皇(640
年頃の人)の娘または孫。
参考歌です。
君待つと 我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし
秋の風吹く
額田王(ぬかたのおおきみ)
(万葉集・488)
(きみまつと わがこいおれば わがやどの すだれ
うごかし あきのかぜふく)
意味・・あの方のおいでを待って恋しく思っていると、
家の戸口の簾をさやさやと動かして秋の風が
吹いている。
夫の来訪を今か今かと待ちわびる身は、かす
かな簾の音にも心をときめかす。秋の夜長、
待つ夫は来ず、簾の音は空しい秋風の気配を
伝えるのみで、期待から失望に思いは沈んで
行く。
注・・屋戸=家、家の戸口。
作者・・額田王=生没年未詳。万葉の代表的歌人。
2011年09月02日
2011年09月01日
名歌鑑賞・1582
吹く風の 色こそ見えね 高砂の 尾の上の松に
秋は来にけり
藤原秀能(ふじわらひでよし)
(新古今和歌集・290)
(ふくかぜの いろこそみえね たかさごの おのえの
まつに あきはきにけり)
意味・・吹く風の色は秋とは見えないが、高砂の峰の松に、
秋は来たことだ。
本歌は、
「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ
おどろかれぬる」
注・・高砂=兵庫県加古川市尾上町。松の名所。
作者・・藤原秀能=1284~1240。正五位上・出羽守。
承久の乱に破れて出家。
本歌です。
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ
おどろかれぬる
藤原敏行(ふじわらのとしゆき)
(古今和歌集・169)
(あききぬと めにはさやかに みえねども かぜの
おとにぞ おどろかれぬる)
意味・・秋が来たと目にははっきり見えないけれど、
風の音にその訪れを気ずかされることだ。
見た目には夏と全く変化のない光景ながら、
確実に気配は秋になっていると鋭敏な感覚で
とらえている。とくに朝夕の風にそれがいち
早く感じられるが、歌の調べも、その秋風を
聞いているような感じです
秋は来にけり
藤原秀能(ふじわらひでよし)
(新古今和歌集・290)
(ふくかぜの いろこそみえね たかさごの おのえの
まつに あきはきにけり)
意味・・吹く風の色は秋とは見えないが、高砂の峰の松に、
秋は来たことだ。
本歌は、
「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ
おどろかれぬる」
注・・高砂=兵庫県加古川市尾上町。松の名所。
作者・・藤原秀能=1284~1240。正五位上・出羽守。
承久の乱に破れて出家。
本歌です。
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ
おどろかれぬる
藤原敏行(ふじわらのとしゆき)
(古今和歌集・169)
(あききぬと めにはさやかに みえねども かぜの
おとにぞ おどろかれぬる)
意味・・秋が来たと目にははっきり見えないけれど、
風の音にその訪れを気ずかされることだ。
見た目には夏と全く変化のない光景ながら、
確実に気配は秋になっていると鋭敏な感覚で
とらえている。とくに朝夕の風にそれがいち
早く感じられるが、歌の調べも、その秋風を
聞いているような感じです