2011年10月
2011年10月31日
2011年10月30日
名歌鑑賞・1641
刈れる田に おふるひつちの 穂にいでぬ 世をいまさらに
あきはてぬとか
読人知らず
(古今和歌集・308)
(かれるたに おうるひつちの ほにいでぬ よをいまさらに
あきはてぬとか)
意味・・稲刈りをした後の田で、その刈り株から生えた新芽が
いっこうに穂を出さないのは、この世を今さらに飽き
はて、そして秋も果ててしまったからなのだろうか。
農民の生活を反映した歌で、生活の苦しみに飽きた・
すっかりいやになったという気持を詠んでいます。
当時の農民の生活は、
朝早く山に入って薪を取り、そして売りに行く。
昼は田を耕したり、稲の根元の草取り。
夜は草鞋を作ったり、米を搗(つ)いたり、砧(きぬた)で
布を叩いて柔らかくする夜なべ。
合間には炊事や洗濯に子育てもせねばなりません。
水不足や冷害、水害などの自然災害が発生すると生活は
困窮します。
注・・刈れる田=稲を刈り終えた田。
おふる=生ふる、はえる。
ひつち=刈った後の稲株にまた生えて来る稲。
あき=「秋」と「飽き(いやになる)」を掛ける。
あきはてぬとか
読人知らず
(古今和歌集・308)
(かれるたに おうるひつちの ほにいでぬ よをいまさらに
あきはてぬとか)
意味・・稲刈りをした後の田で、その刈り株から生えた新芽が
いっこうに穂を出さないのは、この世を今さらに飽き
はて、そして秋も果ててしまったからなのだろうか。
農民の生活を反映した歌で、生活の苦しみに飽きた・
すっかりいやになったという気持を詠んでいます。
当時の農民の生活は、
朝早く山に入って薪を取り、そして売りに行く。
昼は田を耕したり、稲の根元の草取り。
夜は草鞋を作ったり、米を搗(つ)いたり、砧(きぬた)で
布を叩いて柔らかくする夜なべ。
合間には炊事や洗濯に子育てもせねばなりません。
水不足や冷害、水害などの自然災害が発生すると生活は
困窮します。
注・・刈れる田=稲を刈り終えた田。
おふる=生ふる、はえる。
ひつち=刈った後の稲株にまた生えて来る稲。
あき=「秋」と「飽き(いやになる)」を掛ける。
2011年10月29日
2011年10月28日
名歌鑑賞・1639
心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる
白菊の花
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
(古今集・277、百人一首・29)
(こころあてに おらばやおらん はつしもの おき
まどわせる しらぎくのはな)
意味・・もし折るのなら、当て推量で折ることにしょう。初霜が
置いて、その白さのために区別もつかず、紛らわしくし
ている白菊の花を。
実景の上の面白さではなく、冬の訪れを告げ、身を引き
締めるようにさせる初霜の厳しさと、白菊の花の清々し
さを詠んでいます。
注・・心あてに=当て推量で。
折らばや折らむ=もし折るならば折ろうか。
作者・・凡河内躬恒=生没年未詳。894年頃活躍した人。「古今集」
の撰者の一人。三十六歌仙の一人。
白菊の花
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
(古今集・277、百人一首・29)
(こころあてに おらばやおらん はつしもの おき
まどわせる しらぎくのはな)
意味・・もし折るのなら、当て推量で折ることにしょう。初霜が
置いて、その白さのために区別もつかず、紛らわしくし
ている白菊の花を。
実景の上の面白さではなく、冬の訪れを告げ、身を引き
締めるようにさせる初霜の厳しさと、白菊の花の清々し
さを詠んでいます。
注・・心あてに=当て推量で。
折らばや折らむ=もし折るならば折ろうか。
作者・・凡河内躬恒=生没年未詳。894年頃活躍した人。「古今集」
の撰者の一人。三十六歌仙の一人。
2011年10月27日
名歌観賞・1638
人住まぬ 不破の関屋の 板廂 荒れにし後は
ただ秋の風
藤原良経(ふじわらのよしつね)
(新古今和歌集・1601)
(ひとすまぬ ふわのせきやの いたびさし あれにし
のちは ただあきのかぜ)
意味・・もう関守が住まなくなった不破の関の番小屋の板廂。
荒れ果ててしまったあとは秋風が吹き抜けるばかりだ。
かっては威勢がよかったが、荒廃してしまった不破の
関のありさまに、人の世の無常と歴史の変転をみつめ
ている。
注・・不破の関屋=岐阜県関ヶ原にあった。675年に開設、
789年に廃止された。「関屋」は関の番小屋。
作者・・藤原良経=1206年没、38歳。従一位摂政太政大臣。
「新古今集仮名序」を執筆。
ただ秋の風
藤原良経(ふじわらのよしつね)
(新古今和歌集・1601)
(ひとすまぬ ふわのせきやの いたびさし あれにし
のちは ただあきのかぜ)
意味・・もう関守が住まなくなった不破の関の番小屋の板廂。
荒れ果ててしまったあとは秋風が吹き抜けるばかりだ。
かっては威勢がよかったが、荒廃してしまった不破の
関のありさまに、人の世の無常と歴史の変転をみつめ
ている。
注・・不破の関屋=岐阜県関ヶ原にあった。675年に開設、
789年に廃止された。「関屋」は関の番小屋。
作者・・藤原良経=1206年没、38歳。従一位摂政太政大臣。
「新古今集仮名序」を執筆。
2011年10月26日
名歌鑑賞・1637
唐衣 着つつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる
旅をしぞ思ふ
在原業平(ありひらのなりひら)
(古今集・410、伊勢物語・9段)
(からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる
たびをしぞおもう)
(か・・・・ き・・・・・・ つ・・・・ は・・・・・・ た・・・・・)
意味・・くたくたになるほど何度も着て、身体になじんだ衣服
のように、慣れ親しんだ妻を都において来たので、都を
遠く離れてやって来たこの旅路のわびしさがしみじみと
感じられることだ。
三河の国八橋でかきつばたの花を見て、旅情を詠んだ
ものです。各句の頭に「かきつばた」の五文字を置い
た折句です。この歌は「伊勢物語」に出ています。
注・・唐衣=美しい立派な着物。
なれ=「着慣れる」と「慣れ親しむ」の掛詞。
しぞ思う=しみじみと寂しく思う。「し」は強調の意
の助詞。
三河の国=愛知県。
作者・・在原業平=825~880。従四位上・美濃権守。行平は
異母兄。「伊勢物語」。
旅をしぞ思ふ
在原業平(ありひらのなりひら)
(古今集・410、伊勢物語・9段)
(からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる
たびをしぞおもう)
(か・・・・ き・・・・・・ つ・・・・ は・・・・・・ た・・・・・)
意味・・くたくたになるほど何度も着て、身体になじんだ衣服
のように、慣れ親しんだ妻を都において来たので、都を
遠く離れてやって来たこの旅路のわびしさがしみじみと
感じられることだ。
三河の国八橋でかきつばたの花を見て、旅情を詠んだ
ものです。各句の頭に「かきつばた」の五文字を置い
た折句です。この歌は「伊勢物語」に出ています。
注・・唐衣=美しい立派な着物。
なれ=「着慣れる」と「慣れ親しむ」の掛詞。
しぞ思う=しみじみと寂しく思う。「し」は強調の意
の助詞。
三河の国=愛知県。
作者・・在原業平=825~880。従四位上・美濃権守。行平は
異母兄。「伊勢物語」。
2011年10月25日
2011年10月24日
名歌鑑賞・1635
何処にか われは宿らむ 高島の 勝野の原に
この日暮なば
高市黒人(たけちのくろひと)
(万葉私有・275)
(いずくにか われはやどらん たかしまの かちのの
はらに このひくれなば)
意味・・いったいどこに私は宿ろうか。高島の勝野の原で
今日のこの日が暮れてしまったならば・・。
1300年前の万葉集の旅の歌です。
作者の途方にくれた嘆きを詠んでいます。
今風に言えば、予約していた飛行機に間に合わ
なかったとか、最終のバスや電車に間に合わ
なかった時の途方に暮れた心境に似ています。
注・・高島の勝野=琵琶湖西岸の地。滋賀県高島郡勝野。
作者・・高市黒人=伝不明。700年頃の下級官人で万葉歌人。
この日暮なば
高市黒人(たけちのくろひと)
(万葉私有・275)
(いずくにか われはやどらん たかしまの かちのの
はらに このひくれなば)
意味・・いったいどこに私は宿ろうか。高島の勝野の原で
今日のこの日が暮れてしまったならば・・。
1300年前の万葉集の旅の歌です。
作者の途方にくれた嘆きを詠んでいます。
今風に言えば、予約していた飛行機に間に合わ
なかったとか、最終のバスや電車に間に合わ
なかった時の途方に暮れた心境に似ています。
注・・高島の勝野=琵琶湖西岸の地。滋賀県高島郡勝野。
作者・・高市黒人=伝不明。700年頃の下級官人で万葉歌人。
2011年10月23日
名歌鑑賞・1634
露と落ち 露と消えにし わが身かな なにはのことも
夢のまた夢
豊臣秀吉(とよとみひでよし)
(詠草)
(つゆとおち つゆときえにし わがみかな なにわの
ことも ゆめのまたゆめ)
意味・・露のようにこの世に身を置き、露のように
この世から消えてしまうわが身である。
何事も、あの難波のことも、すべて夢の中
の夢である。
死の近いのを感じた折に詠んだもので結果的
には辞世の歌となっています。
注・・なにはのこと=難波における秀吉の事業、また
その栄華の意と「何は(さまざま)のこと」を
掛けています。
作者・・豊臣秀吉=1536~1598。木下藤吉朗と称し織田
信長に仕える。信長の死後明智光秀を討ち天下
を統一する。難波に大阪城を築く。
夢のまた夢
豊臣秀吉(とよとみひでよし)
(詠草)
(つゆとおち つゆときえにし わがみかな なにわの
ことも ゆめのまたゆめ)
意味・・露のようにこの世に身を置き、露のように
この世から消えてしまうわが身である。
何事も、あの難波のことも、すべて夢の中
の夢である。
死の近いのを感じた折に詠んだもので結果的
には辞世の歌となっています。
注・・なにはのこと=難波における秀吉の事業、また
その栄華の意と「何は(さまざま)のこと」を
掛けています。
作者・・豊臣秀吉=1536~1598。木下藤吉朗と称し織田
信長に仕える。信長の死後明智光秀を討ち天下
を統一する。難波に大阪城を築く。
2011年10月22日
名歌鑑賞・1633
形見とて 何残すらむ 春は花 夏ほとどぎす
秋は紅葉ば
良寛(りょうかん)
(良寛歌集・1159)
(かたみとて なにのこすらん はるははな なつ
ほととぎす あきはもみじば)
意味・・私の亡くなった後の思い出の品として、何を残
したらよいであろう。春は花、夏はほとどぎす
秋は紅葉の葉でありたい。
自分は形見に残す物は何も持たない、何も残せ
るとも思わないが、自分の死後も自然は美しい。
これが自分のこの世に残す形見になってほしい、
という良寛の辞世の歌です。
この歌の本歌は、道元の次の歌です。
「春は花 夏ほとどぎす 秋は月 冬雪さえて
すずしかりけり」
作者・・良寛=1758~1831。
秋は紅葉ば
良寛(りょうかん)
(良寛歌集・1159)
(かたみとて なにのこすらん はるははな なつ
ほととぎす あきはもみじば)
意味・・私の亡くなった後の思い出の品として、何を残
したらよいであろう。春は花、夏はほとどぎす
秋は紅葉の葉でありたい。
自分は形見に残す物は何も持たない、何も残せ
るとも思わないが、自分の死後も自然は美しい。
これが自分のこの世に残す形見になってほしい、
という良寛の辞世の歌です。
この歌の本歌は、道元の次の歌です。
「春は花 夏ほとどぎす 秋は月 冬雪さえて
すずしかりけり」
作者・・良寛=1758~1831。
2011年10月21日
2011年10月20日
2011年10月19日
名歌鑑賞・1630
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて
なほ聞こえけれ
藤原公任(ふじわらのきんとう)
(千載和歌集・1035・百人一首・55)
(たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそ
ながれて なおきこえけれ)
意味・・滝の水の音は聞こえなくなってから長い年月
がたってしまったけれども、素晴らしい滝で
あったという名声だけは流れ伝わって、今で
もやはり聞こえてくることだ。
詞書によれば京都嵯峨に大勢の人と遊覧した折、
大覚寺で古い滝を見て詠んだ歌です。
後世この滝を「名古曾(なこそ)の滝」と
呼ぶようになった。
注・・名こそ流れて=「名」は名声、評判のこと。
「こそ」は強調する言葉。
名声は今日まで流れ伝わって、の意。
作者・・藤原公任=966~1041。権大納言・正二位。漢詩、
和歌、管弦の才を兼ねる。和漢朗詠集の編者。
なほ聞こえけれ
藤原公任(ふじわらのきんとう)
(千載和歌集・1035・百人一首・55)
(たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそ
ながれて なおきこえけれ)
意味・・滝の水の音は聞こえなくなってから長い年月
がたってしまったけれども、素晴らしい滝で
あったという名声だけは流れ伝わって、今で
もやはり聞こえてくることだ。
詞書によれば京都嵯峨に大勢の人と遊覧した折、
大覚寺で古い滝を見て詠んだ歌です。
後世この滝を「名古曾(なこそ)の滝」と
呼ぶようになった。
注・・名こそ流れて=「名」は名声、評判のこと。
「こそ」は強調する言葉。
名声は今日まで流れ伝わって、の意。
作者・・藤原公任=966~1041。権大納言・正二位。漢詩、
和歌、管弦の才を兼ねる。和漢朗詠集の編者。
2011年10月18日
名歌鑑賞・1629
わくらばに とふ人あらば 須磨の浦に 藻塩たれつつ
わぶと答へよ
在原行平(ありはらのゆきひら)
(古今和歌集・962)
(わくらばに とうひとあらば すまのうらに もしお
たれつつ わぶとこたえよ)
意味・・ひよっとして、私の事を聞いてくれる人がいたら、
片田舎の須磨の浦で、藻塩を垂れながら、侘(わび)
しく暮らしていると答えて下さい。
文徳天皇のある事件に係わったため、須磨に配流
された身の悲しさを詠んでいます。
注・・わくらばに=たまさかに、まれに。
須磨=今の神戸市。
藻塩たれつつ=海藻に海水を注ぎかけ、干したあと
海藻を焼いて塩を作る。
わぶ=侘しい。
作者・・在原行平=818~893。在原業平は異母弟。須磨に
配流される。
わぶと答へよ
在原行平(ありはらのゆきひら)
(古今和歌集・962)
(わくらばに とうひとあらば すまのうらに もしお
たれつつ わぶとこたえよ)
意味・・ひよっとして、私の事を聞いてくれる人がいたら、
片田舎の須磨の浦で、藻塩を垂れながら、侘(わび)
しく暮らしていると答えて下さい。
文徳天皇のある事件に係わったため、須磨に配流
された身の悲しさを詠んでいます。
注・・わくらばに=たまさかに、まれに。
須磨=今の神戸市。
藻塩たれつつ=海藻に海水を注ぎかけ、干したあと
海藻を焼いて塩を作る。
わぶ=侘しい。
作者・・在原行平=818~893。在原業平は異母弟。須磨に
配流される。
2011年10月17日
2011年10月16日
名歌鑑賞・1627
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ
海人の釣舟
小野篁(おののたかむら)
(古今和歌集・407、百人一首・11)
(わたのはら やそじまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ
あまのつりぶね)
意味・・たくさんの島々を目当てとして、私は大海原に漕ぎ
出していったと、家人にきっと伝えてくれ。
その辺の舟で釣り糸をたれている漁師たちよ。
島根の隠岐(おき)島に流罪になり、舟に乗って出発
する時に都に残された人々に贈った歌です。
「海人の釣舟」にしかすがりつくものがない、孤独
と絶望が表現されています。
注・・わたの原=広い海のこと。
八十島=「八十(やそ)」は数の多いことを表わす。
摂津の国の難波(大阪市)から瀬戸内海の船旅になり
島々を通り抜けるので、八十島といっている。
海人(あま)=漁業に従事する人。漁夫。
作者・・小野篁=802~852。当時の第一級の学者で漢詩文に
優れる。嵯峨上皇に遣唐使を命じられ、断った為
隠岐の島に流された。
海人の釣舟
小野篁(おののたかむら)
(古今和歌集・407、百人一首・11)
(わたのはら やそじまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ
あまのつりぶね)
意味・・たくさんの島々を目当てとして、私は大海原に漕ぎ
出していったと、家人にきっと伝えてくれ。
その辺の舟で釣り糸をたれている漁師たちよ。
島根の隠岐(おき)島に流罪になり、舟に乗って出発
する時に都に残された人々に贈った歌です。
「海人の釣舟」にしかすがりつくものがない、孤独
と絶望が表現されています。
注・・わたの原=広い海のこと。
八十島=「八十(やそ)」は数の多いことを表わす。
摂津の国の難波(大阪市)から瀬戸内海の船旅になり
島々を通り抜けるので、八十島といっている。
海人(あま)=漁業に従事する人。漁夫。
作者・・小野篁=802~852。当時の第一級の学者で漢詩文に
優れる。嵯峨上皇に遣唐使を命じられ、断った為
隠岐の島に流された。
2011年10月15日
名歌鑑賞・1626
寂しさに 秋成が書 読みさして 庭に出でたり
白菊の花
北原白秋(きたはらはくしゅ)
(さびしさに しゅうせいがふみ よみさして にわに
いでたり しらぎくのはな)
意味・・雨月物語を読んでいて、あまりに心悲しく
なったので、途中で置いて庭に出た。そこ
にはその悲しさを誘った純愛の心をそのまま
あらわしたような白い菊が咲いていた。
雨月物語の「菊花の契」は丈部左門という
武士が、道中病気で困っていた赤穴宗右衛門
を助け、それより兄弟の契を結んだ。宗右衛門
が去るにあたって、菊花かおる重陽の日(9月
9日)には必ず訪ねてくると再会を約束して去っ
たがまもなく捕らわれの身となる。逃れられ
ないので自殺して亡霊となり、約束の日の夜更
けようやく左門の所へ訪ねて来たという話です。
「寂しさ」は人情のあわれさへの感動です。
注・・秋成=上田秋成(1734~1809)。雨月物語等。
秋成が書=雨月物語。
作者・・北原白秋=1885~1942。城ヶ島の雨、ペチカ、
からたちの花、等を書いた詩人。
白菊の花
北原白秋(きたはらはくしゅ)
(さびしさに しゅうせいがふみ よみさして にわに
いでたり しらぎくのはな)
意味・・雨月物語を読んでいて、あまりに心悲しく
なったので、途中で置いて庭に出た。そこ
にはその悲しさを誘った純愛の心をそのまま
あらわしたような白い菊が咲いていた。
雨月物語の「菊花の契」は丈部左門という
武士が、道中病気で困っていた赤穴宗右衛門
を助け、それより兄弟の契を結んだ。宗右衛門
が去るにあたって、菊花かおる重陽の日(9月
9日)には必ず訪ねてくると再会を約束して去っ
たがまもなく捕らわれの身となる。逃れられ
ないので自殺して亡霊となり、約束の日の夜更
けようやく左門の所へ訪ねて来たという話です。
「寂しさ」は人情のあわれさへの感動です。
注・・秋成=上田秋成(1734~1809)。雨月物語等。
秋成が書=雨月物語。
作者・・北原白秋=1885~1942。城ヶ島の雨、ペチカ、
からたちの花、等を書いた詩人。
2011年10月14日
2011年10月13日
名歌鑑賞・1624
月花や 四十九年の むだ歩き 一茶(いっさ)
(つきはなや しじゅうくねんの むだあるき)
意味・・月だ花だのと、何の足しにもならない俳諧などを
弄(もてあそ)んで、四十九年の人生をうかうか
と過ごしてしまった。
俳諧を否定するのはなく、惰性で作る俳句から
納得のゆく俳句をめざそうとしたものです。
納得とは「人の顔色を見る弱さ」を捨て「自分
しか出来ない」ものをめざし「人の良さも見出
して」行くというのも、その一つです。
注・・月花=月は秋、花は春の季節のものであるが、
ここでは風雅を代表する語。
四十九年=五十歳は論語に「五十にして天命を
知る」年であるから四十九は過去を精算
すべき転機の年。
作者・・小林一茶=1763~1827。信濃(長野県)の農民の子。
3歳で生母と死別。継母と不和のため江戸に出て
奉公生活。亡父の遺産をめぐって義弟と長く抗争。
51歳で故郷に帰住、結婚。作句数は2万句。
(つきはなや しじゅうくねんの むだあるき)
意味・・月だ花だのと、何の足しにもならない俳諧などを
弄(もてあそ)んで、四十九年の人生をうかうか
と過ごしてしまった。
俳諧を否定するのはなく、惰性で作る俳句から
納得のゆく俳句をめざそうとしたものです。
納得とは「人の顔色を見る弱さ」を捨て「自分
しか出来ない」ものをめざし「人の良さも見出
して」行くというのも、その一つです。
注・・月花=月は秋、花は春の季節のものであるが、
ここでは風雅を代表する語。
四十九年=五十歳は論語に「五十にして天命を
知る」年であるから四十九は過去を精算
すべき転機の年。
作者・・小林一茶=1763~1827。信濃(長野県)の農民の子。
3歳で生母と死別。継母と不和のため江戸に出て
奉公生活。亡父の遺産をめぐって義弟と長く抗争。
51歳で故郷に帰住、結婚。作句数は2万句。
2011年10月12日
名歌鑑賞・1623
月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの
秋にはあらねど 大江千里
(おおえのちさと)
(古今和歌集・193、百人一首・23)
(つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみひとつの
あきにはあらねど)
意味・・月を見ると、私の想いは、あれこれと限りなく物悲
しくなる。私一人だけの秋ではないのだけれど。
秋の月を見て悲しく感じるのは、誰でも同じであろ
うけれども、自分だけがその悲しみを味わっている
ように思われる。
意味・・秋の月を見ると、悲しいことが種々想起される。
秋という季節は決して自分ひとりにめぐり来るので
なく、世の中の人の全てが迎えている。だから楽し
いことも嬉しいこともあるはずなのに・・。
注・・ちぢに=千々に、さまざまに、際限なくの意。
もの=自分を取りまいているさまざまな物事。
作者・・大江千里=生没年未詳。在原業平の甥。文章博士
(もんじょうはかせ)で漢詩人。
秋にはあらねど 大江千里
(おおえのちさと)
(古今和歌集・193、百人一首・23)
(つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみひとつの
あきにはあらねど)
意味・・月を見ると、私の想いは、あれこれと限りなく物悲
しくなる。私一人だけの秋ではないのだけれど。
秋の月を見て悲しく感じるのは、誰でも同じであろ
うけれども、自分だけがその悲しみを味わっている
ように思われる。
意味・・秋の月を見ると、悲しいことが種々想起される。
秋という季節は決して自分ひとりにめぐり来るので
なく、世の中の人の全てが迎えている。だから楽し
いことも嬉しいこともあるはずなのに・・。
注・・ちぢに=千々に、さまざまに、際限なくの意。
もの=自分を取りまいているさまざまな物事。
作者・・大江千里=生没年未詳。在原業平の甥。文章博士
(もんじょうはかせ)で漢詩人。
2011年10月11日
2011年10月10日
名歌鑑賞・1621
心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の
秋の夕暮れ
西行(さいぎょう)
(新古今和歌集・362)
(こころなき みにもあわれは しられけり しぎたつ
さわの あきのゆうぐれ)
意味・・ものの情趣を解さない私のような者にも、
この情景の趣き深さがしみじみと知られ
ることだ。鴫の飛び立って行く秋の沢の
夕暮れよ。
下の句の絵画的美しさに感動して詠んだ
歌です。三夕の歌のひとつ。
注・・心なき=情趣を解さない、教養がない。
あはれ=しみじみとした趣。深い感慨。
鴫(しぎ)=シギ科の鳥。長いくちばし・
足を持ち飛ぶ力が強い。水辺に住み
小魚を食べる。
作者・・西行=1118~1190。
秋の夕暮れ
西行(さいぎょう)
(新古今和歌集・362)
(こころなき みにもあわれは しられけり しぎたつ
さわの あきのゆうぐれ)
意味・・ものの情趣を解さない私のような者にも、
この情景の趣き深さがしみじみと知られ
ることだ。鴫の飛び立って行く秋の沢の
夕暮れよ。
下の句の絵画的美しさに感動して詠んだ
歌です。三夕の歌のひとつ。
注・・心なき=情趣を解さない、教養がない。
あはれ=しみじみとした趣。深い感慨。
鴫(しぎ)=シギ科の鳥。長いくちばし・
足を持ち飛ぶ力が強い。水辺に住み
小魚を食べる。
作者・・西行=1118~1190。
2011年10月09日
名歌鑑賞・1620
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の
秋の夕暮れ
藤原定家(ふじわらのさだいえ)
(新古今和歌集・363)
(みわたせば はなももみじも なかりけり うらの
とまやの あきのゆうぐれ)
意味・・見渡すと、色美しい春の花や秋の紅葉もない
ことだなあ。この海辺の苫葺き小屋のあたり
の秋の夕暮れは。
春秋の花や紅葉の華やかさも素晴らしいが、
寂しさを感じさせるこの景色もまた良いもの
だ。
この歌は、後に「さび」「わび」と結びついて
賞賛されています。三夕(さんせき)の一つです。
注・・浦=海辺の入江。
苫屋(とまや)=菅(すげ)や茅(かや)で編んだ
むしろで葺(ふ)いた小屋。漁師の仮小屋。
作者・・藤原定家=1162~1241。新古今集の撰者。
秋の夕暮れ
藤原定家(ふじわらのさだいえ)
(新古今和歌集・363)
(みわたせば はなももみじも なかりけり うらの
とまやの あきのゆうぐれ)
意味・・見渡すと、色美しい春の花や秋の紅葉もない
ことだなあ。この海辺の苫葺き小屋のあたり
の秋の夕暮れは。
春秋の花や紅葉の華やかさも素晴らしいが、
寂しさを感じさせるこの景色もまた良いもの
だ。
この歌は、後に「さび」「わび」と結びついて
賞賛されています。三夕(さんせき)の一つです。
注・・浦=海辺の入江。
苫屋(とまや)=菅(すげ)や茅(かや)で編んだ
むしろで葺(ふ)いた小屋。漁師の仮小屋。
作者・・藤原定家=1162~1241。新古今集の撰者。
名歌鑑賞・1619
(10月8日)
都には まだ青葉にて 見しかども 紅葉散り敷く
白河の関
源頼政(みなもとのよりまさ)
(千載和歌集・365)
(みやこには まだあおばにて みしかども もみじ
ちりしく しらかわのせき)
意味・・都を出る時には、まだ青葉である木々を見た
のであるが、はるばる旅をして来て見ると、
ここ白河の関には紅葉が一面に散り敷いて
いることだ。
陸奥の国白河の関への長い旅の感慨を季節の
推移によって示している。
能因法師も同じような歌を詠んでいます。
「都おば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白河の関」
(都を春霞が立つころに旅立ったが、もう秋風が
吹いている。この白河の関では。)
「月日に関守なし」というが、時のたつのは
早いものです。
注・・白河の関=福島県白河市にあった。
作者・・源頼政=1104~1180。非参議従三位。平家
討伐の軍を起し敗戦し自害。
都には まだ青葉にて 見しかども 紅葉散り敷く
白河の関
源頼政(みなもとのよりまさ)
(千載和歌集・365)
(みやこには まだあおばにて みしかども もみじ
ちりしく しらかわのせき)
意味・・都を出る時には、まだ青葉である木々を見た
のであるが、はるばる旅をして来て見ると、
ここ白河の関には紅葉が一面に散り敷いて
いることだ。
陸奥の国白河の関への長い旅の感慨を季節の
推移によって示している。
能因法師も同じような歌を詠んでいます。
「都おば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白河の関」
(都を春霞が立つころに旅立ったが、もう秋風が
吹いている。この白河の関では。)
「月日に関守なし」というが、時のたつのは
早いものです。
注・・白河の関=福島県白河市にあった。
作者・・源頼政=1104~1180。非参議従三位。平家
討伐の軍を起し敗戦し自害。
2011年10月07日
2011年10月06日
2011年10月05日
2011年10月04日
名歌鑑賞・1615
天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に
出でし月かも
安部仲麻呂(あべのなかまろ)
(古今和歌集・406、百人一首・7)
(あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさの
やまに いでしつきかも)
意味・・大空を遠く見晴らすと、あれは故国の春日にある
三笠の山に上った月と同じ月なのだなぁ。
遣唐使として派遣され仲麻呂が、帰国する時に
月を見て詠んだ歌です。
月を見やる視線は、奈良の都で過ごした過去への
視線です。
注・・春日=現在の奈良公園から春日神社のあたり。
三笠の山=春日神社の後方にある山。
作者・・安倍仲麻呂=698~770。遣唐使として渡唐。
帰国出来ないまま唐土で没。
出でし月かも
安部仲麻呂(あべのなかまろ)
(古今和歌集・406、百人一首・7)
(あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさの
やまに いでしつきかも)
意味・・大空を遠く見晴らすと、あれは故国の春日にある
三笠の山に上った月と同じ月なのだなぁ。
遣唐使として派遣され仲麻呂が、帰国する時に
月を見て詠んだ歌です。
月を見やる視線は、奈良の都で過ごした過去への
視線です。
注・・春日=現在の奈良公園から春日神社のあたり。
三笠の山=春日神社の後方にある山。
作者・・安倍仲麻呂=698~770。遣唐使として渡唐。
帰国出来ないまま唐土で没。
2011年10月03日
2011年10月02日
名歌鑑賞・1613
おをによし 奈良の都に たなびける 天の白雲
見れど飽かぬかも
読人知らず
(万葉集・3602)
(あおによし ならのみやこに たなびける あまの
しらくも みれどあかぬかも)
意味・・美しい奈良の都の大空に棚引く白雲、あの白雲
はいくら見ても見飽きることがない。
奈良の雲を詠んだ歌・参考です。
「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲」
(意味は下記参照)
注・・あをによし=奈良の枕詞。
参考歌です。
ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる
一ひらの雲
佐々木信綱(ささきのぶつな)
(新月)
(ゆくあきの やまとのくにの やくしじの とうの
うえなる ひとひらのくも)
意味・・秋がもう終わりをつげようとしている頃、
大和の国の古い御寺、薬師寺を訪ねて来て
みると、美しい形相を誇って高くそびえる
宝塔の上には、一ひらの雲が静かに浮かん
でいて、その幽寂な感じをいっそう強くし
ている。ああその白い雲よ。
うるわしい大和(奈良)のゆく秋を惜しむ気
持と、1300年の歴史を刻んだ古典的な味わ
いのする高塔と、その上にある一片の雲を
通して感触する旅愁を詠んでいます。
注・・ゆく秋=晩秋。秋の暮れ行くのを惜しむ心
がこもっている。四季の中で春と秋とは
過ぎ去るのが惜しい季節なので「行く春」
「ゆく秋」と詠まれる。
大和=日本国、ここでは奈良県。
薬師寺=奈良市西の京にある古寺。730
年に建造。塔は高さ38m。各階に裳階(も
こし)があるので六重塔に見えるが三重塔。
塔の上には相輪が立ち、さらにその上部
に水煙の飾りがある。
作者・・佐々木信綱=1872~1963。国文学者。歌集
に「思草」「新月」の他「校本万葉集」。
見れど飽かぬかも
読人知らず
(万葉集・3602)
(あおによし ならのみやこに たなびける あまの
しらくも みれどあかぬかも)
意味・・美しい奈良の都の大空に棚引く白雲、あの白雲
はいくら見ても見飽きることがない。
奈良の雲を詠んだ歌・参考です。
「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲」
(意味は下記参照)
注・・あをによし=奈良の枕詞。
参考歌です。
ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる
一ひらの雲
佐々木信綱(ささきのぶつな)
(新月)
(ゆくあきの やまとのくにの やくしじの とうの
うえなる ひとひらのくも)
意味・・秋がもう終わりをつげようとしている頃、
大和の国の古い御寺、薬師寺を訪ねて来て
みると、美しい形相を誇って高くそびえる
宝塔の上には、一ひらの雲が静かに浮かん
でいて、その幽寂な感じをいっそう強くし
ている。ああその白い雲よ。
うるわしい大和(奈良)のゆく秋を惜しむ気
持と、1300年の歴史を刻んだ古典的な味わ
いのする高塔と、その上にある一片の雲を
通して感触する旅愁を詠んでいます。
注・・ゆく秋=晩秋。秋の暮れ行くのを惜しむ心
がこもっている。四季の中で春と秋とは
過ぎ去るのが惜しい季節なので「行く春」
「ゆく秋」と詠まれる。
大和=日本国、ここでは奈良県。
薬師寺=奈良市西の京にある古寺。730
年に建造。塔は高さ38m。各階に裳階(も
こし)があるので六重塔に見えるが三重塔。
塔の上には相輪が立ち、さらにその上部
に水煙の飾りがある。
作者・・佐々木信綱=1872~1963。国文学者。歌集
に「思草」「新月」の他「校本万葉集」。
2011年10月01日
名歌鑑賞・1612
なけやなけ よもぎが杣の きりぎりす すぎゆく秋は
げにぞ悲しき
曾禰好忠(そねのよしただ)
(後拾遺和歌集・273)
(なけやなけ よもぎがそまの きりぎりす すぎゆく
あきは げにぞかなしき)
意味・・さあ、思う存分に鳴けよ。蓬が杣のきりぎりすよ。
過ぎ去ってゆく秋というものは、しんそこ悲しい
のだから、私も泣くからお前も鳴けよ。
注・・よもぎが杣=蓬が杣。蓬が生い茂って杣山のように
なっている所。「杣」は「杣山」のことで、植林
した木を切り出す山の意。小さいきりぎりすから
見て蓬を杣山に見立てたもの。
きりぎりす=今のコオロギのこと。
作者・・曾禰好忠=生没年未詳。985年頃の人。
げにぞ悲しき
曾禰好忠(そねのよしただ)
(後拾遺和歌集・273)
(なけやなけ よもぎがそまの きりぎりす すぎゆく
あきは げにぞかなしき)
意味・・さあ、思う存分に鳴けよ。蓬が杣のきりぎりすよ。
過ぎ去ってゆく秋というものは、しんそこ悲しい
のだから、私も泣くからお前も鳴けよ。
注・・よもぎが杣=蓬が杣。蓬が生い茂って杣山のように
なっている所。「杣」は「杣山」のことで、植林
した木を切り出す山の意。小さいきりぎりすから
見て蓬を杣山に見立てたもの。
きりぎりす=今のコオロギのこと。
作者・・曾禰好忠=生没年未詳。985年頃の人。