2011年10月

2011年10月31日

名歌鑑賞・1642

雨露に 打たるればこそ 紅葉葉の 錦を飾る
秋はありけれ
            沢庵和尚(たくあんおしょう)
            (出典不明)
(あまつゆに うたるればこそ もみじばの にしきを
 かざる あきはありけれ)

意味・・冷たい雨や露に打たれたからこそ、秋には楓(かえで)の
    葉が美しい紅葉となる。
 
    逆境を経てこそ、人も人生の豊かさを手中にすることが
    出来る。

作者・・沢庵和尚=1573~1645。江戸時代の臨済宗の僧。書画や
     詩文、茶の湯に通じる。





sakuramitih31 at 00:10|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月30日

名歌鑑賞・1641

刈れる田に おふるひつちの 穂にいでぬ 世をいまさらに 
あきはてぬとか                  
               読人知らず
               (古今和歌集・308)
(かれるたに おうるひつちの ほにいでぬ よをいまさらに
 あきはてぬとか)

意味・・稲刈りをした後の田で、その刈り株から生えた新芽が
    いっこうに穂を出さないのは、この世を今さらに飽き
    はて、そして秋も果ててしまったからなのだろうか。

    農民の生活を反映した歌で、生活の苦しみに飽きた・
    すっかりいやになったという気持を詠んでいます。

    当時の農民の生活は、
    朝早く山に入って薪を取り、そして売りに行く。
    昼は田を耕したり、稲の根元の草取り。
    夜は草鞋を作ったり、米を搗(つ)いたり、砧(きぬた)で
    布を叩いて柔らかくする夜なべ。
    合間には炊事や洗濯に子育てもせねばなりません。
    水不足や冷害、水害などの自然災害が発生すると生活は
    困窮します。

 注・・刈れる田=稲を刈り終えた田。
    おふる=生ふる、はえる。
    ひつち=刈った後の稲株にまた生えて来る稲。
    あき=「秋」と「飽き(いやになる)」を掛ける。




sakuramitih31 at 00:57|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月29日

名歌鑑賞・1640

古の しづのおだまき 繰りかへし 昔を今に 
なすよしもがな
              読み人しらず
              (伊勢物語・32段)
(いにしえの しずのおだまき くりかえし むかしを
 いまに なすよしもがな)

意味・・昔の倭文織(しずおり)の糸を巻くおだまきを
    繰(く)るように、再び繰り返して、昔の二人の
    仲を今に繰り返す方法はないものかなあ。
    
 注・・しづ=倭文。古代の織物の一種。
    おだまき=苧環。しづを織る糸を中空にして丸く
      巻いた機物。
    よし=方法、手段。


sakuramitih31 at 00:10|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月28日

名歌鑑賞・1639

心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる
白菊の花
              凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
              (古今集・277、百人一首・29)
(こころあてに おらばやおらん はつしもの おき
 まどわせる しらぎくのはな)

意味・・もし折るのなら、当て推量で折ることにしょう。初霜が
    置いて、その白さのために区別もつかず、紛らわしくし
    ている白菊の花を。
 
    実景の上の面白さではなく、冬の訪れを告げ、身を引き
    締めるようにさせる初霜の厳しさと、白菊の花の清々し
    さを詠んでいます。

 注・・心あてに=当て推量で。
    折らばや折らむ=もし折るならば折ろうか。

作者・・凡河内躬恒=生没年未詳。894年頃活躍した人。「古今集」
     の撰者の一人。三十六歌仙の一人。




sakuramitih31 at 00:06|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月27日

名歌観賞・1638

人住まぬ 不破の関屋の 板廂 荒れにし後は
ただ秋の風
             藤原良経(ふじわらのよしつね)
             (新古今和歌集・1601)
(ひとすまぬ ふわのせきやの いたびさし あれにし
 のちは ただあきのかぜ)

意味・・もう関守が住まなくなった不破の関の番小屋の板廂。
    荒れ果ててしまったあとは秋風が吹き抜けるばかりだ。

    かっては威勢がよかったが、荒廃してしまった不破の
    関のありさまに、人の世の無常と歴史の変転をみつめ
    ている。
    
 注・・不破の関屋=岐阜県関ヶ原にあった。675年に開設、
      789年に廃止された。「関屋」は関の番小屋。

作者・・藤原良経=1206年没、38歳。従一位摂政太政大臣。
     「新古今集仮名序」を執筆。



sakuramitih31 at 00:16|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月26日

名歌鑑賞・1637

唐衣 着つつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 
旅をしぞ思ふ              
            在原業平(ありひらのなりひら)
            (古今集・410、伊勢物語・9段)

(からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる
 たびをしぞおもう)
(か・・・・ き・・・・・・ つ・・・・  は・・・・・・   た・・・・・)

意味・・くたくたになるほど何度も着て、身体になじんだ衣服
    のように、慣れ親しんだ妻を都において来たので、都を
    遠く離れてやって来たこの旅路のわびしさがしみじみと
    感じられることだ。

    三河の国八橋でかきつばたの花を見て、旅情を詠んだ
    ものです。各句の頭に「かきつばた」の五文字を置い
    た折句です。この歌は「伊勢物語」に出ています。

 注・・唐衣=美しい立派な着物。
    なれ=「着慣れる」と「慣れ親しむ」の掛詞。
    しぞ思う=しみじみと寂しく思う。「し」は強調の意
     の助詞。
    三河の国=愛知県。

作者・・在原業平=825~880。従四位上・美濃権守。行平は
     異母兄。「伊勢物語」。




sakuramitih31 at 00:22|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月25日

名歌鑑賞・1636

いつとても 身の憂き事は 変わらねど むかしは老いを
嘆きやはせし
             道因法師(どういんほうし)
             (千載和歌集・1080)
(いつとても みのうきことは かわらねど むかしは
 おいを なげきやはせし)

意味・・若い頃からずっと、いつであっても身の憂さの
    嘆きは変りはしないが、それでも昔は老いの嘆き
    をしたことがあったであろうか。

 注・・憂き=つらさ、不満。
    やは=反語の意味を表す。・・だろうか、いや・・
     ではない。

作者・・道因法師=1090~1179頃。従五位左馬助。1172年
     出家。





sakuramitih31 at 00:17|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月24日

名歌鑑賞・1635

何処にか われは宿らむ 高島の 勝野の原に 
この日暮なば
           高市黒人(たけちのくろひと)
           (万葉私有・275)
(いずくにか われはやどらん たかしまの かちのの
はらに このひくれなば)

意味・・いったいどこに私は宿ろうか。高島の勝野の原で
    今日のこの日が暮れてしまったならば・・。

    1300年前の万葉集の旅の歌です。
    作者の途方にくれた嘆きを詠んでいます。

    今風に言えば、予約していた飛行機に間に合わ
    なかったとか、最終のバスや電車に間に合わ
    なかった時の途方に暮れた心境に似ています。

 注・・高島の勝野=琵琶湖西岸の地。滋賀県高島郡勝野。

作者・・高市黒人=伝不明。700年頃の下級官人で万葉歌人。




sakuramitih31 at 00:58|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月23日

名歌鑑賞・1634

露と落ち 露と消えにし わが身かな なにはのことも
夢のまた夢                
            豊臣秀吉(とよとみひでよし)
            (詠草)
(つゆとおち つゆときえにし わがみかな なにわの
 ことも ゆめのまたゆめ)

意味・・露のようにこの世に身を置き、露のように
    この世から消えてしまうわが身である。
    何事も、あの難波のことも、すべて夢の中
    の夢である。

    死の近いのを感じた折に詠んだもので結果的
    には辞世の歌となっています。    

 注・・なにはのこと=難波における秀吉の事業、また
    その栄華の意と「何は(さまざま)のこと」を
    掛けています。

作者・・豊臣秀吉=1536~1598。木下藤吉朗と称し織田
     信長に仕える。信長の死後明智光秀を討ち天下
     を統一する。難波に大阪城を築く。





sakuramitih31 at 02:07|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月22日

名歌鑑賞・1633

形見とて 何残すらむ 春は花 夏ほとどぎす
秋は紅葉ば
               良寛(りょうかん)
               (良寛歌集・1159)
(かたみとて なにのこすらん はるははな なつ
 ほととぎす あきはもみじば)

意味・・私の亡くなった後の思い出の品として、何を残
    したらよいであろう。春は花、夏はほとどぎす
    秋は紅葉の葉でありたい。

    自分は形見に残す物は何も持たない、何も残せ
    るとも思わないが、自分の死後も自然は美しい。
    これが自分のこの世に残す形見になってほしい、
    という良寛の辞世の歌です。

    この歌の本歌は、道元の次の歌です。

   「春は花 夏ほとどぎす 秋は月 冬雪さえて
    すずしかりけり」

作者・・良寛=1758~1831。



sakuramitih31 at 00:22|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月21日

名歌鑑賞・1632

めせやめせ ゆふげの妻木 はやくめせ 帰るさ遠し 
大原の里
             香川景樹(かがわかげき)
             (桂園一枝) 
(めせやめせ ゆうげのつまぎ はやくめせ かえるさ
 とおし おおはらのさと)

意味・・さあ、お買い下さい、お買い下さい。夕飯を炊く
    薪をはやくお買い下さい。私の帰って行く所は
    道遠い大原の里です。

    洛北(京都の北)から妻木を売りに来る大原女
    は古くから有名です。

 注・・妻木=つまき、薪のこと。

作者・・香川影樹=1768~1843。小沢蘆庵と親しく、又
     賀茂真淵と歌論で対立。「桂園一枝」。







sakuramitih31 at 00:40|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月20日

名歌鑑賞・1631

馬来田の 嶺ろの笹葉の 露霜の 濡れて我来なば
汝は恋ふばぞも
              上総の防人歌
              (万葉集・3382)
(うまぐたの ねろのささばの つゆしもの ぬれてわきなば
なはこうばぞも)

意味・・馬来田の嶺の笹葉に置く冷たい露に、濡れそぼちながら
    私がとぼとぼと行ってしまったなら、お前は一人せつな
    く恋焦がれることだろうな。

    防人として遠く旅立とうとする男の心の歌。

 注・・上総=千葉県の南部。
    防人(さきもり)=上代、東の国々から送られて九州の
     要地を守った兵士。
    馬来田(うまぐた)=千葉県木更津市馬来田(まくた)。






sakuramitih31 at 00:26|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月19日

名歌鑑賞・1630

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて
なほ聞こえけれ    
           藤原公任(ふじわらのきんとう)
          (千載和歌集・1035・百人一首・55)
(たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそ
 ながれて なおきこえけれ)    

意味・・滝の水の音は聞こえなくなってから長い年月
    がたってしまったけれども、素晴らしい滝で
    あったという名声だけは流れ伝わって、今で
    もやはり聞こえてくることだ。

    詞書によれば京都嵯峨に大勢の人と遊覧した折、
    大覚寺で古い滝を見て詠んだ歌です。

    後世この滝を「名古曾(なこそ)の滝」と
    呼ぶようになった。

 注・・名こそ流れて=「名」は名声、評判のこと。
       「こそ」は強調する言葉。
       名声は今日まで流れ伝わって、の意。
       
作者・・藤原公任=966~1041。権大納言・正二位。漢詩、
     和歌、管弦の才を兼ねる。和漢朗詠集の編者。

       




sakuramitih31 at 00:56|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月18日

名歌鑑賞・1629

わくらばに とふ人あらば 須磨の浦に 藻塩たれつつ
わぶと答へよ
             在原行平(ありはらのゆきひら)
             (古今和歌集・962)
(わくらばに とうひとあらば すまのうらに もしお
 たれつつ わぶとこたえよ)

意味・・ひよっとして、私の事を聞いてくれる人がいたら、
    片田舎の須磨の浦で、藻塩を垂れながら、侘(わび)
    しく暮らしていると答えて下さい。

    文徳天皇のある事件に係わったため、須磨に配流
    された身の悲しさを詠んでいます。

 注・・わくらばに=たまさかに、まれに。
    須磨=今の神戸市。
    藻塩たれつつ=海藻に海水を注ぎかけ、干したあと
     海藻を焼いて塩を作る。
    わぶ=侘しい。

作者・・在原行平=818~893。在原業平は異母弟。須磨に
     配流される。
   
    


sakuramitih31 at 00:16|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月17日

名歌鑑賞・1628

ながむらん 浅茅が原の 虫の音を 物思ふ人の 
心とを知れ
            散逸物語(さんいつものがたり)
            (風葉和歌集・295)
(ながむらん あさじがはらの むしのねを ものおもう
 ひとの こころとをしれ)

意味・・あなたが眺めているであろう浅茅が原で鳴く虫の音を
    物思いに沈んでいる私の心と御承知下さい。

 注・・散逸物語=散逸して現在は無くなってしまった物語。
    風葉物語=1271年に撰集された物語歌撰集。源氏物語、
     狭衣物語等、当時存在していた物語から撰ばれる。



sakuramitih31 at 00:07|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月16日

名歌鑑賞・1627

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 
海人の釣舟
             小野篁(おののたかむら)
             (古今和歌集・407、百人一首・11)
(わたのはら やそじまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ
 あまのつりぶね)

 意味・・たくさんの島々を目当てとして、私は大海原に漕ぎ
    出していったと、家人にきっと伝えてくれ。
    その辺の舟で釣り糸をたれている漁師たちよ。

    島根の隠岐(おき)島に流罪になり、舟に乗って出発
    する時に都に残された人々に贈った歌です。
    「海人の釣舟」にしかすがりつくものがない、孤独
    と絶望が表現されています。

 注・・わたの原=広い海のこと。
    八十島=「八十(やそ)」は数の多いことを表わす。
     摂津の国の難波(大阪市)から瀬戸内海の船旅になり
     島々を通り抜けるので、八十島といっている。
    海人(あま)=漁業に従事する人。漁夫。

作者・・小野篁=802~852。当時の第一級の学者で漢詩文に
     優れる。嵯峨上皇に遣唐使を命じられ、断った為
     隠岐の島に流された。




sakuramitih31 at 00:31|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月15日

名歌鑑賞・1626

寂しさに 秋成が書 読みさして 庭に出でたり
白菊の花      
          北原白秋(きたはらはくしゅ)

(さびしさに しゅうせいがふみ よみさして にわに
 いでたり しらぎくのはな)

意味・・雨月物語を読んでいて、あまりに心悲しく
    なったので、途中で置いて庭に出た。そこ
    にはその悲しさを誘った純愛の心をそのまま
    あらわしたような白い菊が咲いていた。

    雨月物語の「菊花の契」は丈部左門という
    武士が、道中病気で困っていた赤穴宗右衛門
    を助け、それより兄弟の契を結んだ。宗右衛門
    が去るにあたって、菊花かおる重陽の日(9月
    9日)には必ず訪ねてくると再会を約束して去っ
    たがまもなく捕らわれの身となる。逃れられ
    ないので自殺して亡霊となり、約束の日の夜更
    けようやく左門の所へ訪ねて来たという話です。

    「寂しさ」は人情のあわれさへの感動です。    

 注・・秋成=上田秋成(1734~1809)。雨月物語等。
    秋成が書=雨月物語。

作者・・北原白秋=1885~1942。城ヶ島の雨、ペチカ、
     からたちの花、等を書いた詩人。




sakuramitih31 at 00:24|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月14日

名歌鑑賞・1625

明けばまた 越ゆべき山の 峰なれや 空ゆく月の
末の白雲
          藤原家隆(ふじわらのいえたか)
          (新古今和歌集・939)
(あけばまた こゆべきやまの みねなれや そらゆく
 つきの すえのしらくも) 

意味・・夜が明けたら、また越えていかなければいけない
    山の峰であろうか。空を渡る月が傾いていくあの
    白雲がたなびいているあたりは。

    明日の行程として山のことを思う旅人の心境です。
    よしやっ、明日は頑張るぞ!

 注・・末=月の光の及ぶ末の意。

作者・・藤原家隆=1158~1237。非参議従二位。新古今の
     撰者の一人。


sakuramitih31 at 00:45|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月13日

名歌鑑賞・1624

月花や 四十九年の むだ歩き     一茶(いっさ)

(つきはなや しじゅうくねんの むだあるき)

意味・・月だ花だのと、何の足しにもならない俳諧などを
    弄(もてあそ)んで、四十九年の人生をうかうか
    と過ごしてしまった。

    俳諧を否定するのはなく、惰性で作る俳句から
    納得のゆく俳句をめざそうとしたものです。
 
    納得とは「人の顔色を見る弱さ」を捨て「自分
    しか出来ない」ものをめざし「人の良さも見出
    して」行くというのも、その一つです。

 注・・月花=月は秋、花は春の季節のものであるが、
       ここでは風雅を代表する語。
    四十九年=五十歳は論語に「五十にして天命を
       知る」年であるから四十九は過去を精算
       すべき転機の年。

作者・・小林一茶=1763~1827。信濃(長野県)の農民の子。
     3歳で生母と死別。継母と不和のため江戸に出て
     奉公生活。亡父の遺産をめぐって義弟と長く抗争。
     51歳で故郷に帰住、結婚。作句数は2万句。





sakuramitih31 at 00:26|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月12日

名歌鑑賞・1623

月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの
秋にはあらねど      大江千里
             (おおえのちさと)
             (古今和歌集・193、百人一首・23)
(つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみひとつの
 あきにはあらねど)

 
意味・・月を見ると、私の想いは、あれこれと限りなく物悲
    しくなる。私一人だけの秋ではないのだけれど。
    
    秋の月を見て悲しく感じるのは、誰でも同じであろ
    うけれども、自分だけがその悲しみを味わっている
    ように思われる。

意味・・秋の月を見ると、悲しいことが種々想起される。
    秋という季節は決して自分ひとりにめぐり来るので
    なく、世の中の人の全てが迎えている。だから楽し
    いことも嬉しいこともあるはずなのに・・。

 注・・ちぢに=千々に、さまざまに、際限なくの意。
    もの=自分を取りまいているさまざまな物事。

作者・・大江千里=生没年未詳。在原業平の甥。文章博士
     (もんじょうはかせ)で漢詩人。




sakuramitih31 at 00:09|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月11日

名歌鑑賞・1622

寂しさは その色としも なかりけり 槙立つ山の
秋の夕暮れ     
            寂連法師(じゃくれんほうし)
            (古今和歌集・361)
(さびしさは そのいろとしも なかりけり まきたつ
 やまの あきのゆうぐれ)

意味・・この寂しさはとりたてて特にどの色からという
    事ではないのだが、山全体から寂しさが漂うよ。
    杉や檜の茂る秋の夕暮れは。

    一見、秋らしくない常緑樹の山のいい難い寂し
    さを巧みに詠んだ歌です。

    三夕(さんせき)の歌の一つです。

 注・・しも=上接する語を強調する。よりによって。
   槙(まき)=杉や檜など常緑樹の総称。

作者・・寂連法師=1202没。60余歳。新古今集の撰者
     の一人。



sakuramitih31 at 00:20|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月10日

名歌鑑賞・1621

心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の
秋の夕暮れ           
            西行(さいぎょう)
            (新古今和歌集・362)
(こころなき みにもあわれは しられけり しぎたつ
 さわの あきのゆうぐれ)

意味・・ものの情趣を解さない私のような者にも、
    この情景の趣き深さがしみじみと知られ
    ることだ。鴫の飛び立って行く秋の沢の
    夕暮れよ。

    下の句の絵画的美しさに感動して詠んだ
    歌です。三夕の歌のひとつ。

注・・心なき=情趣を解さない、教養がない。
   あはれ=しみじみとした趣。深い感慨。
   鴫(しぎ)=シギ科の鳥。長いくちばし・
    足を持ち飛ぶ力が強い。水辺に住み
    小魚を食べる。

作者・・西行=1118~1190。




sakuramitih31 at 00:12|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月09日

名歌鑑賞・1620

見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の
秋の夕暮れ
           藤原定家(ふじわらのさだいえ)
           (新古今和歌集・363)
(みわたせば はなももみじも なかりけり うらの
 とまやの あきのゆうぐれ)

 
意味・・見渡すと、色美しい春の花や秋の紅葉もない
    ことだなあ。この海辺の苫葺き小屋のあたり
    の秋の夕暮れは。

    春秋の花や紅葉の華やかさも素晴らしいが、
    寂しさを感じさせるこの景色もまた良いもの
    だ。

    この歌は、後に「さび」「わび」と結びついて
    賞賛されています。三夕(さんせき)の一つです。

 注・・浦=海辺の入江。
    苫屋(とまや)=菅(すげ)や茅(かや)で編んだ
    むしろで葺(ふ)いた小屋。漁師の仮小屋。

作者・・藤原定家=1162~1241。新古今集の撰者。




sakuramitih31 at 00:09|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

名歌鑑賞・1619

(10月8日)

都には まだ青葉にて 見しかども 紅葉散り敷く
白河の関
          源頼政(みなもとのよりまさ)
          (千載和歌集・365)
(みやこには まだあおばにて みしかども もみじ
 ちりしく しらかわのせき)

 
意味・・都を出る時には、まだ青葉である木々を見た
    のであるが、はるばる旅をして来て見ると、
    ここ白河の関には紅葉が一面に散り敷いて
    いることだ。

    陸奥の国白河の関への長い旅の感慨を季節の
    推移によって示している。

   能因法師も同じような歌を詠んでいます。

   「都おば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白河の関」
    
    (都を春霞が立つころに旅立ったが、もう秋風が
     吹いている。この白河の関では。)

    「月日に関守なし」というが、時のたつのは
    早いものです。

 注・・白河の関=福島県白河市にあった。

作者・・源頼政=1104~1180。非参議従三位。平家
     討伐の軍を起し敗戦し自害。

    


sakuramitih31 at 00:05|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月07日

名歌鑑賞・1618

菊の香やならには古き仏達   芭蕉(ばしょう)

(きくのかや ならにはふるき ほとけたち)

意味・・昨日から古都奈良に来て、古い仏像を拝んで
    まわった。おりしも今日は重陽(ちょうよう)
    で、菊の節句日である。家々には菊が飾られ
    町は菊の香りに満ちている。奥床しい古都の
    奈良よ。慕(した)わしい古い仏達よ。

    重陽の日(菊の節句・陰暦9月9日)に奈良で詠
    んだ句です。菊の香と奈良の古仏の優雅さと
    上品さを詠んでいます。

作者・・松尾芭蕉=1644~1694。「奥の細道」、「笈
      (おい)の小文」など。



sakuramitih31 at 00:20|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月06日

名歌鑑賞・1617

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも
なしと思へば
            藤原道長(ふじわらのみちなが)
            (小右記・しょうゆうき)

(このよをば わがよとぞおもふ もちづきの かけたる
 ことも なしとおもへば)

意味・・この世の中は自分のためにあると思う。  
    今宵の満月が欠けているところが無いように、
    自分も不満が全く無いことを思うと。

    栄華を極めたわが思いを満月にたとえて率直に
    詠んでいる。

 注・・望月=満月。

作者・・藤原道長=966~1027。摂政太政大臣。藤原氏の
     最盛期を築く。



sakuramitih31 at 00:31|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月05日

名歌鑑賞・1616

嬉しさや 大豆小豆の 庭の秋 
  
              村上鬼城(むらかみきじよう)
              (村上鬼城句集)

(うれしさや だいずあずきの にわのあき)

意味・・嬉しいことだなあ、秋の収穫である大豆や
    小豆が庭一面に干し並べられているのを
    見ると。

    収穫までの行程は、種まきから草取り、施肥、
    土寄せなどと苦労をします。また、日照りなど
    の自然災害も乗り越えねばなりません。こうした
    苦労の結果の収穫の喜びを詠んでいます。
    
作者・・村上鬼城=1865~1938。耳疾に悩む。正岡子規
     門下。「村上鬼城全集」。



sakuramitih31 at 00:39|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月04日

名歌鑑賞・1615

天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に
出でし月かも 
          安部仲麻呂(あべのなかまろ)
          (古今和歌集・406、百人一首・7)
(あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさの
 やまに いでしつきかも)

意味・・大空を遠く見晴らすと、あれは故国の春日にある
    三笠の山に上った月と同じ月なのだなぁ。

    遣唐使として派遣され仲麻呂が、帰国する時に
    月を見て詠んだ歌です。
    月を見やる視線は、奈良の都で過ごした過去への
    視線です。  

 注・・春日=現在の奈良公園から春日神社のあたり。
    三笠の山=春日神社の後方にある山。

作者・・安倍仲麻呂=698~770。遣唐使として渡唐。
     帰国出来ないまま唐土で没。
   


sakuramitih31 at 00:36|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月03日

名歌鑑賞・1614

我が妻も 絵に描き取らむ 暇もが 旅行く我は
見つつ偲ばむ
          防人・物部古麻呂(もののべのふるまろ)
          (万葉集・4327)
(わがつまも えにかきとらん いつまもが たびゆく
 あれは みつつしのばん)

意味・・我が妻をせめて絵に描きうつす暇があったらなあ。
    はるばると辺土の防備にゆく自分は、その似顔絵
    を見ながら思い出したいのだ。

    天平勝宝(755年頃)の時に坂東諸国(関東地方)から
    筑紫(九州福岡)に行く防人の歌で、妻を残して慌
    (あわただ)しく旅立たねばならぬ嘆きです。

 注・・暇(いつま)=暇(いとま)の訛り。

作者・・物部古麻呂=生没年未詳。


sakuramitih31 at 00:34|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月02日

名歌鑑賞・1613

おをによし 奈良の都に たなびける 天の白雲
見れど飽かぬかも
               読人知らず
               (万葉集・3602)
(あおによし ならのみやこに たなびける あまの
 しらくも みれどあかぬかも)

意味・・美しい奈良の都の大空に棚引く白雲、あの白雲
    はいくら見ても見飽きることがない。

    奈良の雲を詠んだ歌・参考です。

   「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲」
      (意味は下記参照)

 注・・あをによし=奈良の枕詞。


参考歌です。

ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる
一ひらの雲
           佐々木信綱(ささきのぶつな)
             (新月)
(ゆくあきの やまとのくにの やくしじの とうの
 うえなる ひとひらのくも)

意味・・秋がもう終わりをつげようとしている頃、
    大和の国の古い御寺、薬師寺を訪ねて来て
    みると、美しい形相を誇って高くそびえる
    宝塔の上には、一ひらの雲が静かに浮かん
    でいて、その幽寂な感じをいっそう強くし
    ている。ああその白い雲よ。

    うるわしい大和(奈良)のゆく秋を惜しむ気
    持と、1300年の歴史を刻んだ古典的な味わ
    いのする高塔と、その上にある一片の雲を
    通して感触する旅愁を詠んでいます。    

 注・・ゆく秋=晩秋。秋の暮れ行くのを惜しむ心
     がこもっている。四季の中で春と秋とは
     過ぎ去るのが惜しい季節なので「行く春」
     「ゆく秋」と詠まれる。
    大和=日本国、ここでは奈良県。
    薬師寺=奈良市西の京にある古寺。730
     年に建造。塔は高さ38m。各階に裳階(も
     こし)があるので六重塔に見えるが三重塔。
     塔の上には相輪が立ち、さらにその上部
     に水煙の飾りがある。

作者・・佐々木信綱=1872~1963。国文学者。歌集
     に「思草」「新月」の他「校本万葉集」。





sakuramitih31 at 00:31|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句 

2011年10月01日

名歌鑑賞・1612

なけやなけ よもぎが杣の きりぎりす すぎゆく秋は
げにぞ悲しき
             曾禰好忠(そねのよしただ)
             (後拾遺和歌集・273)
(なけやなけ よもぎがそまの きりぎりす すぎゆく
 あきは げにぞかなしき)

意味・・さあ、思う存分に鳴けよ。蓬が杣のきりぎりすよ。
    過ぎ去ってゆく秋というものは、しんそこ悲しい
    のだから、私も泣くからお前も鳴けよ。

 注・・よもぎが杣=蓬が杣。蓬が生い茂って杣山のように
     なっている所。「杣」は「杣山」のことで、植林
     した木を切り出す山の意。小さいきりぎりすから
     見て蓬を杣山に見立てたもの。
    きりぎりす=今のコオロギのこと。

作者・・曾禰好忠=生没年未詳。985年頃の人。





sakuramitih31 at 00:30|PermalinkComments(0)和歌・短歌・俳句