2012年02月
2012年02月29日
名歌鑑賞・1763
岩代の 結べる松に ふる雪は 春もとけずや
あらんとすらむ
中納言女王(ちゅうなごんのにょうおう)
(金葉和歌集・286)
(いわしろの むすべるまつに ふるゆきは はるも
とけずや あらんとすらん)
意味・・岩代の結び松に降る雪は、その名の通り結ばれた
まま、春になっても解けないのだろうか。
注・・岩代=磐代。和歌山県日高郡南部町岩代。
結べる松=枝を引き結ばれた松。旅路の無事を願
うために行う。
作者・・中納言女王=源式部。生没年未詳。後三条院乳母。
参考歌です。
盤代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば
また還り見む
有間皇子(ありまのみこ)
(万葉集・141)
(いわしろの はままつがえを ひきむすび まさきく
あらば またかえりみむ)
意味・・盤代の浜松の枝を結んで「幸い」を祈って行く
が、もし無事であった時には、再び帰ってこれ
を見よう。
有間皇子は反逆の罪で捕えられ、紀伊の地に
連行され尋問のうえ処刑されたが、この道中で
詠んだ歌です。
松の枝を引き結ぶのは、旅路などの無事を祈る
まじないです。
注・・盤代=和歌山県日高郡岩代の海岸の地名。
真幸(まさき)く=無事で(命が)あったなら。
あらんとすらむ
中納言女王(ちゅうなごんのにょうおう)
(金葉和歌集・286)
(いわしろの むすべるまつに ふるゆきは はるも
とけずや あらんとすらん)
意味・・岩代の結び松に降る雪は、その名の通り結ばれた
まま、春になっても解けないのだろうか。
注・・岩代=磐代。和歌山県日高郡南部町岩代。
結べる松=枝を引き結ばれた松。旅路の無事を願
うために行う。
作者・・中納言女王=源式部。生没年未詳。後三条院乳母。
参考歌です。
盤代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば
また還り見む
有間皇子(ありまのみこ)
(万葉集・141)
(いわしろの はままつがえを ひきむすび まさきく
あらば またかえりみむ)
意味・・盤代の浜松の枝を結んで「幸い」を祈って行く
が、もし無事であった時には、再び帰ってこれ
を見よう。
有間皇子は反逆の罪で捕えられ、紀伊の地に
連行され尋問のうえ処刑されたが、この道中で
詠んだ歌です。
松の枝を引き結ぶのは、旅路などの無事を祈る
まじないです。
注・・盤代=和歌山県日高郡岩代の海岸の地名。
真幸(まさき)く=無事で(命が)あったなら。
2012年02月28日
2012年02月27日
名歌鑑賞・1761
世の中を 憂しと恥しと 思へども 飛び立ちかねつ
鳥にしあらねば
山上憶良(やまのうえのおくら)
(万葉集・893)
(よのなかを うしとやさしと おもえども とびたちかねつ
とりにしあらねば)
意味・・世の中をいやな所、身が細るように耐えがたいような
所と思っても、捨ててどこかに飛び去ることも出来ま
せん。私どもは所詮(しょせん)鳥ではないのだから。
現実社会の苦しみにあえぎながら、それから逃れよう
もなく、結局それに耐つつ生きざるを得ないことを悟
った時の窮極の心がとらえられています。
注・・憂し=つらい、憂鬱だ。
恥(やさ)し=身が細るように耐えがたい、肩身が狭い。
作者・・山上憶良=660~733。遣唐使として渡唐。筑前守。
鳥にしあらねば
山上憶良(やまのうえのおくら)
(万葉集・893)
(よのなかを うしとやさしと おもえども とびたちかねつ
とりにしあらねば)
意味・・世の中をいやな所、身が細るように耐えがたいような
所と思っても、捨ててどこかに飛び去ることも出来ま
せん。私どもは所詮(しょせん)鳥ではないのだから。
現実社会の苦しみにあえぎながら、それから逃れよう
もなく、結局それに耐つつ生きざるを得ないことを悟
った時の窮極の心がとらえられています。
注・・憂し=つらい、憂鬱だ。
恥(やさ)し=身が細るように耐えがたい、肩身が狭い。
作者・・山上憶良=660~733。遣唐使として渡唐。筑前守。
2012年02月26日
2012年02月25日
2012年02月24日
2012年02月23日
2012年02月22日
みづがきの ひさしき世より ゆふだすき かけし心は 神ぞ知るらん
みづがきの ひさしき世より ゆふだすき かけし心は
神ぞ知るらん
源実朝
(みずがきの ひさしきよより ゆうだすき かけし
こころは かみぞしるらん)
意味・・久しい昔から努力して来た私の心は、神様が
必ず御覧になっていることだろう。
注・・みづがきの=瑞垣の。「ひさ(久)しい」の枕詞。
「瑞垣(みづがき)」は神社の垣の美称。
ゆふだすき=木綿で作ったたすきのことだが、
それを掛けるところから、「かく」の枕詞。
作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~1219。28歳。
鶴岡八幡宮で甥の公卿に暗殺された。
出典・・金槐和歌集・649。
神ぞ知るらん
源実朝
(みずがきの ひさしきよより ゆうだすき かけし
こころは かみぞしるらん)
意味・・久しい昔から努力して来た私の心は、神様が
必ず御覧になっていることだろう。
注・・みづがきの=瑞垣の。「ひさ(久)しい」の枕詞。
「瑞垣(みづがき)」は神社の垣の美称。
ゆふだすき=木綿で作ったたすきのことだが、
それを掛けるところから、「かく」の枕詞。
作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~1219。28歳。
鶴岡八幡宮で甥の公卿に暗殺された。
出典・・金槐和歌集・649。
2012年02月21日
2012年02月20日
2012年02月19日
2012年02月18日
春霞 たてるやいづこ みよしのの 吉野の山に 雪はふりつつ
春霞 たてるやいづこ みよしのの 吉野の山に
雪はふりつつ
詠み人知らず
(はるがすみ たてるやいずこ みよしのの よしのの
やまに ゆきはふりつつ)
意味・・もう春にはなったが、いったい春霞が立ちこめて
いる所はどこにあるだろうか。この吉野の里の吉
野山にはまだ雪がちらちら降っていて、いっこう
に春めいても来ない。
立春とは名のみで、雪の消えない山里の人々が花
咲く春の到来を待ち望んだ気持ちを詠んでいます。
注・・たてるや=「や」は反語の副助詞。立ち込めている
のはどこであろうか、どこにもない。
みよしのの=吉野は奈良県の南部の山地。「み」は
接頭辞。
出典・・古今和歌集・3。
2012年02月17日
2012年02月16日
田子の浦ゆ うち出でて 見れば真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける
田子の浦ゆ うち出でて 見れば真白にぞ 富士の高嶺に
雪は降りける
山部赤人
(たごのうらゆ うちいでて みればましろにぞ ふじの
たかねに ゆきはふりける)
意味・・田子の浦を通って眺望のきく所へ出て見ると、
真っ白に富士の高い峰に雪が降り積っている
ことだ。
作者の位置を明らかにしつつ、富士の景観を
嘆美したものです。簡潔でよく形も整い、声調
も張り満ちた歌になっています。
「新古今集・675、百人一首・4」では、
「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の
高嶺に 雪は降りつつ」(山部赤人)
と収められています。
注・・田子の浦=駿河国(するが・静岡県)の海岸。
白妙(しろたえ)=こうぞの木の繊維で織った布
のように真っ白い状態をいう。富士の枕詞。
作者・・山部赤人=やまべのあかひと。生没年未詳。奈
良時代の初期から中期の宮廷歌人。
出典・・万葉集・318。
2012年02月15日
2012年02月14日
露と散り 雫と消える 世の中に 何と残れる 心なるらん
露と散り 雫と消える 世の中に 何と残れる
心なるらん
豊臣秀吉
(つゆとちり しずくときえる よのなかに なんと
のこれる こころなるらん)
意味・・人生は露のようにはかなく、また雫のようにあっけ
なく消えるものと知っているものの、やはり死が近
づくと後に残った幼い子のことが気掛かりになって
来る。死にたくない。
秀吉の子、秀頼はまだ5歳で跡継ぎになるまで10年は
かかるが、それまで政権の委譲が出来るように安定
していて欲しいものだ、という気持ちを詠んでいま
す。辞世の歌といわれています。
作者・・豊臣秀吉=とよとみひでよし。1536~1598。木下藤
吉郎と称して織田信長に仕え、その後天下を統一した。
心なるらん
豊臣秀吉
(つゆとちり しずくときえる よのなかに なんと
のこれる こころなるらん)
意味・・人生は露のようにはかなく、また雫のようにあっけ
なく消えるものと知っているものの、やはり死が近
づくと後に残った幼い子のことが気掛かりになって
来る。死にたくない。
秀吉の子、秀頼はまだ5歳で跡継ぎになるまで10年は
かかるが、それまで政権の委譲が出来るように安定
していて欲しいものだ、という気持ちを詠んでいま
す。辞世の歌といわれています。
作者・・豊臣秀吉=とよとみひでよし。1536~1598。木下藤
吉郎と称して織田信長に仕え、その後天下を統一した。
2012年02月13日
2012年02月12日
未来まで その香おくるや 墓の梅
未来まで その香おくるや 墓の梅
童門冬二
(みらいまで そのかおくるや はかのうめ)
意味・・墓参りに来たら、心地よい梅の香りがする。
この香りは、墓の中に眠る人の徳であろう。
しかもその徳は、未来にまで残したい家訓の
ような徳である。生前の意志を継いで、その
徳を守っていこう。
家訓のような徳、例えば徳川家康の家訓。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し
急ぐべからず、不自由を常と思えば不足なし」
(人間の一生は重い荷物を背負って遠い道を歩い
ているのと似ている。従って、人生は忍耐し努
力して一歩一歩着実に歩いていかなければなら
ない。・・・・)
作者・・童門冬二=どうもんふゆじ1927年生まれ、95歳。
小説家。
2012年02月11日
2012年02月10日
山里は 雪降り積りて 道もなし 今日来む人を あはれとは見む
山里は 雪降り積りて 道もなし 今日来む人を
あはれとは見む
平兼盛
(やまざとは ゆきふりつもりて みちもなし きょう
こんひとを あわれとはみん)
意味・・山里は雪が降り積もって道も絶えてしまった。
もし今日、私の所に訪ねてくれる人があったら、
その人の事をいとおしいと思うだろう。
雪が激しく降ったので道も全くない。こんな時
にでも、相談なりにやって来る人は我が心に通
う人だ、という気持です。
注・・あはれ=いとしいさま、愛着を感じるさま。
作者・・平兼盛=たいらのかねもり。生年未詳~990。
従五位下・駿河守。三十六歌仙の一人。
出典・・拾遺和歌集・251。
あはれとは見む
平兼盛
(やまざとは ゆきふりつもりて みちもなし きょう
こんひとを あわれとはみん)
意味・・山里は雪が降り積もって道も絶えてしまった。
もし今日、私の所に訪ねてくれる人があったら、
その人の事をいとおしいと思うだろう。
雪が激しく降ったので道も全くない。こんな時
にでも、相談なりにやって来る人は我が心に通
う人だ、という気持です。
注・・あはれ=いとしいさま、愛着を感じるさま。
作者・・平兼盛=たいらのかねもり。生年未詳~990。
従五位下・駿河守。三十六歌仙の一人。
出典・・拾遺和歌集・251。
2012年02月09日
2012年02月08日
2012年02月07日
名歌鑑賞・1741
こうすれば こうなるものと 知りながら やはりこうする
わが心かな
童門冬二(どうもんふゆじ)
(こうすれば こうなるものと しりながら やはり
こうする わがこころかな)
今日もまた 世間を狭めて 生きている 童門冬二
(きょうもまた せけんをせばめて いきている)
意味・・頭の中でこうしたらよいと分かっていても、いざ実行と
(歌) なればそれが出来ず、安易な方を選んでしまう。そして
その結果は「世間を狭めて生きている」のようになる。
意味・・自分の行動が、結果的に人に迷惑をかけてしまった。
(句) そして、人に顔を向けづらくなる。その繰り返しの毎日
のようだ。心して事に当たらねば。
作者・・童門冬二=1927年生まれ。84歳。小説家。「上杉鷹山」
「吉田松陰」ほか多数。
わが心かな
童門冬二(どうもんふゆじ)
(こうすれば こうなるものと しりながら やはり
こうする わがこころかな)
今日もまた 世間を狭めて 生きている 童門冬二
(きょうもまた せけんをせばめて いきている)
意味・・頭の中でこうしたらよいと分かっていても、いざ実行と
(歌) なればそれが出来ず、安易な方を選んでしまう。そして
その結果は「世間を狭めて生きている」のようになる。
意味・・自分の行動が、結果的に人に迷惑をかけてしまった。
(句) そして、人に顔を向けづらくなる。その繰り返しの毎日
のようだ。心して事に当たらねば。
作者・・童門冬二=1927年生まれ。84歳。小説家。「上杉鷹山」
「吉田松陰」ほか多数。
2012年02月06日
長き夜や 心の鬼が 身を責める
長き夜や 心の鬼が 身を責める
一茶
(ながきよや こころのおにが みをせめる)
意味・・いたらない自分の醜態(しゅうたい・恥ずべく事)が
自己嫌悪となって、一人になった夜、心の中から小
さな鬼が立ち上がって「お前バカだなあ、なぜあん
なアホウな事をするのだ」と攻め立てる。
一茶は「心ない自分の行いによって人が傷ついた」
と感じ、その傷ついた相手の身になって「なぜ傷を
つけたのだ」と加害者になった自分を責めて詠んだ
句です。
注・・心の鬼=良心。
作者・・小林一茶=1763~1827。三歳で生母と死別。継母と
不和のため、15歳で江戸に出て奉公生活に辛酸を
なめた。
出典・・七番日記。
2012年02月05日
名歌鑑賞・1739
更くる夜を をいとまたまはぬ 君わびず 隅にしのびて
鼓緒しめぬ
与謝野晶子(よさのあきこ)
(曙染)
(ふくるよを おいとまたまわぬ きみわびず すみに
しのびて つづみおしめぬ)
意味・・更けてゆく夜、お暇をいただけないあなた(舞妓)は
辛い様子も見せず、部屋の隅っこでこっそり鼓を打
つ準備をして鼓の緒をしめている。
夜更けになっても未だ開放されず、鼓をうたねばな
らない舞妓の境遇を歌っています。客の意に逆らえ
ない舞妓が不平も言わず、愚痴もこぼさない、その
けなげさを詠んでいます。
注・・君=結句から舞妓をさす。
わびず=辛くない。
鼓緒しめぬ=鼓を打つ準備をすること。
作者・・与謝野晶子=1878~1942。堺女学校卒。与謝野鉄幹
と結婚。「みだれ髪」「舞姫」。
鼓緒しめぬ
与謝野晶子(よさのあきこ)
(曙染)
(ふくるよを おいとまたまわぬ きみわびず すみに
しのびて つづみおしめぬ)
意味・・更けてゆく夜、お暇をいただけないあなた(舞妓)は
辛い様子も見せず、部屋の隅っこでこっそり鼓を打
つ準備をして鼓の緒をしめている。
夜更けになっても未だ開放されず、鼓をうたねばな
らない舞妓の境遇を歌っています。客の意に逆らえ
ない舞妓が不平も言わず、愚痴もこぼさない、その
けなげさを詠んでいます。
注・・君=結句から舞妓をさす。
わびず=辛くない。
鼓緒しめぬ=鼓を打つ準備をすること。
作者・・与謝野晶子=1878~1942。堺女学校卒。与謝野鉄幹
と結婚。「みだれ髪」「舞姫」。
2012年02月04日
2012年02月03日
名歌鑑賞・1737
是がまあ つひの栖か 雪五尺
一茶(いっさ)
(七番日記)
(これがまあ ついのすみかか ゆきごしゃく)
意味・・長い漂泊の果てに、ようやく帰り住むこととなった
故郷である。しかし、いま眼前に見る五尺の雪、こ
の雪の中で自分のこれからの余生を過ごすのかと思う
と、芯の底から深いため息がわいてくる。
文化9年(1812)、一茶50歳の冬、継母・義弟との遺産
相続問題の解決の為に帰郷した時の作。故郷柏村に
定住、放浪生活に終止符を打つことになった。
注・・是がまあ=嘆声を示す。
つひの栖=最後の落ち着き場所。死に場所。
作者・・一茶=1763~1827。長野県柏原の農民の子。亡父の
遺産を巡る継母・義弟との長い抗争の果てに、51
歳で故郷に帰住。
2012年02月02日
むつれつつ 菫のいひぬ 蝶のいひぬ 風はねがはじ 雨に幸あらむ
むつれつつ 菫のいひぬ 蝶のいひぬ 風はねがはじ
雨に幸あらむ
増田まさ子
(むつれつつ すみれのいいぬ ちょうのいいぬ かぜは
ねがわじ あめにさちあらん)
意味・・仲がよさそうに菫が言った。蝶が言った。風はいやだ。
雨は自分たちを幸せにしてくれるであろう。
春の楽しさを詠んでいます。
風は何故嫌なのかというと、風によって花は散るし、
「蝶」は花から引き離されるので困る。しかし「雨」
が降ると蝶は花に雨宿りし、ともに仲良くより添っ
ていられるので幸せというのです。
注・・むつれつつ=睦れつつ。睦まじく思ってたわむれる。
作者・・増田まさ子=ますだまさこ。1880~1946。共著「恋
衣」。
出典・・みおつくし。
2012年02月01日
名歌鑑賞・1735
このもだえ 行きて夕べの あら海の うしほに語り
やがて帰らじ
山川登美子(やまかわとみこ)
(恋衣)
(このもだえ ゆきてゆうべの あらうみの うしおに
かたり やがてかえらじ)
意味・・この悶えている気持ちを訴えるために夕方、海辺に
行き、荒れた海の潮に向かって語り、そのまま私は
この世に帰るまい。
悶え苦しんでいる今の私の気持ちを人に言うに言え
ない。そうは言ってもこのまま胸にしまっておけな
い程に苦しい。そこで荒れ狂った海に向かって、思
い切り辛い心の内を皆吐き出してしまったならいつ
死んでもよい。
注・・もだえ=悶え。思い悩み苦しむ。
作者・・山川登美子=1879~1909。29歳。与謝野鉄幹創刊の
「明星」の社友。共著「恋衣」。
やがて帰らじ
山川登美子(やまかわとみこ)
(恋衣)
(このもだえ ゆきてゆうべの あらうみの うしおに
かたり やがてかえらじ)
意味・・この悶えている気持ちを訴えるために夕方、海辺に
行き、荒れた海の潮に向かって語り、そのまま私は
この世に帰るまい。
悶え苦しんでいる今の私の気持ちを人に言うに言え
ない。そうは言ってもこのまま胸にしまっておけな
い程に苦しい。そこで荒れ狂った海に向かって、思
い切り辛い心の内を皆吐き出してしまったならいつ
死んでもよい。
注・・もだえ=悶え。思い悩み苦しむ。
作者・・山川登美子=1879~1909。29歳。与謝野鉄幹創刊の
「明星」の社友。共著「恋衣」。