2012年03月

2012年03月31日

名歌鑑賞・1794

我が宿の 花見がてらに 来る人は 散りなむ後ぞ
恋しかるべき
           凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
           (古今和歌集・67)
(わがやどの はなみがてらに くるひとは ちりなん
 のちぞ こいしかるべき)

意味・・我が家の庭の桜を花見がてらに訪れて来てくれた
    人は、花が散った後はもう来てはくれないだろう
    から、私はあなたを恋しく思うことでしょう。

    花見というきっかけで会うことが出来たのだが、
    次に会うべききっかけがない寂しさを詠んでいます。

作者・・凡河内躬恒=生没年未詳。921年淡路権掾(あわじ
     ごんのじよう)。古今和歌集の撰者。



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2012年03月30日

世の中を なに嘆かまし 山桜 花見るほどの  心なりせば


世の中を なに嘆かまし 山桜 花見るほどの 
心なりせば
               紫式部
            
(よのなかを なになげかまし やまざくら はなみる
 ほどの こころなりせば)

意味・・世の中を嘆いてどうするのだ。人の一生など、
    山桜の盛りほど短いものなのに。

    紫式部の辞世の歌で娘(藤原賢子・かたこ)に
    遺したものです。

 注・・世の中=身の有様、身の上。

作者・・紫式部=むらさきしきぶ。生没年未詳。1013年
    頃没。

出典・・後拾遺和歌集・104。




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2012年03月29日

名歌鑑賞・1792

春の色の 至り至らぬ 里はあらじ 咲ける咲かざる
花の見ゆらむ
             読人しらず
             (古今和歌集・93)
(はるのいろの いたりいたらぬ さとはあらじ さける
 さかざる はなのみゆらん)

意味・・春の気配の及んでいる里と、及んでいない里
    というような区別はあるまい。それなのにす
    でに咲いている花や、まだ咲かない花が見え
    るようであるが、どうしたことであろうか。

    春色到来し花の季節になり、まだ花の咲かな
    いのは、まだ春の来ない里があるのかといぶ
    かしむ気持ちを詠んでいます。


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2012年03月28日

百千鳥 さへづる春は 物ごとに あらたまれども 我ぞふりゆく


百千鳥 さへづる春は 物ごとに あらたまれども
我ぞふりゆく
                詠み人知らず
             
(ももちどり さえずるはるは ものごとに あらたまれども
 われぞふりゆく)

意味・・さまざまな鳥がさえずる春は、あらゆるものが
    新しくなってゆくけれども、私だけは年老いて
    ゆくことだ。

   春になり全ての物がよみがえる時に、一年ごとに
    年齢が加わるのが嘆かわしくなって来る、と老い
    を嘆く述壊の歌です。

出典・・古今和歌集・28。


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2012年03月27日

名歌鑑賞・1790

浅緑 野辺の霞は 包めども こぼれてにほふ 
花桜かな
              読人知らず       
              (拾遺和歌集・40)
(あさみどり のべのかすみは つつめども こぼれて
 におう はなざくらかな)

意味・・草が萌えて浅緑色になっている野原に霞が
    かかって、花を覆い隠そうとしているが、
    その霞の間からこぼれ出て、紅の色も美し
    く咲いている花桜であることだ。




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2012年03月26日

石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に  なりにけるかも


石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に 
なりにけるかも
               志貴皇子
             
(いわばしる たるみのうえの さわらびの もえいずる
 はるに なりけるかも)

意味・・水が激しく岩にぶつかり落ちる滝のほとりの蕨が
    今こそ芽吹く春になったことだなあ。

    雪どけのために水かさが増した滝のほとりに、芽吹
    いたワラビを見つけたことを、長い間待ち焦がれた
    春の訪れとして受け取り、率直な喜びを歌っています。

    詞書では「歓びの歌一首」とあり、これは何かの喜び
    を抽象的に歌ったものです。
    大きな仕事を成し遂げた時の晴れ晴れとした気持を
    感じさせられます。

 注・・垂水の上=滝のほとり、垂水はたれ落ちる水のこと。

作者・・志尊皇子=しきのみこ。~715。天智天皇の子。

出典・・万葉集・1418。




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2012年03月25日

名歌鑑賞・1788


心だに 誠の道に かないなば 守らぬとても
此方はかまわぬ
           一休宗純(いっきゅうそうじゅん)
           (出典未詳)
(こころだに まことのみちに かないなば まもらぬ
 とても こちはかまわぬ)

意味・・真心を以って生活をしていくので、神様は私を
    守ってくれなくても結構だ。神様に頼るより自
    分の誠に頼りたい。 

    一休は本歌をうまく茶化して詠んでいます。
    本歌は菅原道真の次の歌です。
   「心だに 誠の道に かないなば 祈らずとても
    神や守らん」(出展・鸚鵡問答)
   (心さえ誠の道にかなうものであれば、しいて
    祈らなくても神は守ってくださるだろう)    

 注・・誠=誠意、真心、いつわらない心。

作者・・一休宗純=1394~1481。頓知でお馴染みの一休
     さんです。    




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2012年03月24日

八重咲けど にほひは添はず 梅の花 紅深き  色ぞまされる

八重咲けど にほひは添はず 梅の花 紅深き 
色ぞまされる
              散逸物語
           
(やえさけど においはそわず うめのはな くれない
 ふかき いろぞまされる)

意味・・八重に咲いているが、匂いが加わっていない
    梅の花は、紅の深い色の方が優れています。

    紅梅と白梅の優劣を競って花を賞美する時に
    紅梅について詠んだ歌です。

 注・・散逸物語=さんいつものがたり散逸して現在
              は無くなっている物語。

出典・・風葉和歌集・37。



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2012年03月23日

名歌鑑賞・1786

浅緑 みだれてなびく 青柳の 色にぞ春の
風も見えける
           藤原元真(ふじわらのもとざね)
           (後拾遺和歌集・76)
(あさみどり みだれてなびく あおやぎの いろにぞ
 はるの かぜもみえける)

意味・・乱れてなびいている柳の葉のうす緑色によって、
    春風も目に見えるものだなあ。

    やっと春になった嬉しさを詠んでいます。

作者・・藤原元真=生没年未詳。丹波介(たんばのすけ)・
     従五位下。
   





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2012年03月22日

都へと 思ふにつけて かなしきは たれかはいまは 我を待つらん

都へと 思ふにつけて かなしきは たれかはいまは
我を待つらん
                 源実基
               
(みやこへと おもうにつけて かなしきは たれかわ
 いまは われをまつらん)

意味・・都に早く帰りつきたいと思うのだが、悲しいのは
    誰も今は私を待つ人がいないということだ。

    地方に赴任中、都に残した妻が無くなり、急いで
    帰る途中に詠んだ歌です。

 注・・たれかは=「かは」は反語の意を表す。・・だろうか
     いや・・ではない。

作者・・源実基=みなもとのさねもと。生没年未詳。美濃守、
    従四位下。

出典・・千載和歌集・568。





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2012年03月21日

名歌鑑賞・1784

玉の緒の 絶えてみじかき 命もて 年月ながき
恋もするかな
             紀貫之(きのつらゆき)
             (後撰和歌集・646)
(たまのおの たえてみじかき いのちもて としつき
 ながき こいもするかな)

意味・・すぐに絶えてしまうような短い命をもって、
    長い年月にわたる恋を、よくもまあ、して
    いることだ。

 注・・玉の緒=「絶え」の枕詞。

作者・・紀貫之=866~945。「古今集」の撰者。
     「土佐日記」。



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2012年03月20日

北へ行く 雁ぞ鳴くなる つれてこし 数はたらでぞ  帰るべらなる


北へ行く 雁ぞ鳴くなる つれてこし 数はたらでぞ 
帰るべらなる
                  詠み人しらず
                  
(きたへゆく かりぞなくなる つれてこし かずは
 たらでぞ かえるべらなる)

意味・・春が来て北国に飛び帰る雁の鳴き声が聞こえてくる。
    あのかなしそうな鳴き声は、日本に来る時には一緒に
    来たものが、数が足りなくなって帰るからなのだろうか。

    この歌の左注に、「この歌の由来は、ある人が夫婦とも
    どもよその土地に行った時、男のほうが到着してすぐに
    死んでしまったので、女の人が一人で帰ることになり、
    その帰路で雁の鳴き声を聞いて詠んだものだ」と書かれて
    います。

 注・・べらなり=・・のようである。

出典・・古今和歌集・412。

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2012年03月17日

名歌鑑賞・1782

(3月19日)

ふるさとの 花のにほひや まさるらん しづ心なく
帰る雁かな
             藤原長実母
             (ふじわらのながさねのはは)
             (詞花和歌集・33)
(ふるさとの はなのにおいや まさるらん しずこころ
 なく かえるかりかな)

意味・・故郷の花の美しさの方が、ここの花より勝って
    いるのだろうか。落ち着いた心もなく帰って行
    く雁だなあ。

    花の咲く春に雁が北に帰る、その理由を考えて
    詠んでいます。

 注・・しづ心=静心。静かな心、落ち着いた気持ち。

作者・・藤原長実母=生没年未詳。長実は権中納言で
     1133年没。


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ももぞのの桃の花こそ咲きにけれ



ももぞのの桃の花こそ咲きにけれ   頼慶法師
梅津のむめは散りやしぬらん      大江公資 
                  
(ももぞのの もものはなこそ さきにけれ 
うめつのうめは ちりやしぬらん)

意味・・桃園の桃の花が咲いた。梅津の里の梅はもう
    散ってしまっただろうか。

    連歌です。

   「桃園の桃」と「梅津の梅」の対比の面白さを
    詠んでいます。
    桃は梅の後に開花します。

 注・・桃園の桃=当時、世尊寺の桃が有名であった。
    梅津=京都市右京区。

作者・・頼慶法師=らいけいほうし。伝未詳。
    大江公資=おおえのきんより。~1040年没。
    遠江守・従四位下。

出典・・金葉和歌集・649。




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名歌鑑賞・1780

いざ子ども 香椎の潟に 白妙の 袖さへ濡れて
朝菜摘みてむ
            大伴旅人(おおとものたびと)
            (万葉集・957)
(いざこども かしいのかたに しろたえの そでさえ
 ぬれて あさなつみてん)

意味・・さあみんな、この香椎の潟で、袖の濡れるのを
    かまわずに、楽しく朝餉の海藻を摘もう。

    大宰帥(だざいのそち)大伴旅人が、香椎の宮を
    参拝し終えて、開放感をこめて部下を誘った歌
    です。

 注・・いざ子ども=「いざ」は誘う意味。「子ども」は
     目下の者ども。
    香椎の潟=博多湾の東岸、名勝地。
    白妙=「袖」の枕詞。
    袖さえ濡れて=開放感を表している句。
    朝菜=朝食の海藻。香椎の宮には朝食前に参拝。

作者・・大伴旅人=665~731。大宰帥、大納言・従二位。

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2012年03月16日

むかしより ものおもふ人や なからまし 心にかなふ なげきなりせば

むかしより ものおもふ人や なからまし 心にかなふ
なげきなりせば
                    西行
              
(むかしより ものおもうひとや なからまし こころに
 かなう なげきなりせば)

意味・・昔から物思いする人はいなかっただろうに。もし
    恋の嘆きがすべて心にかなうものだったなら・・。

    誰もが失恋して思い悩むものである。一度や二度
    恋に失敗しても気を持ちなしていこう。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。鳥羽院北面武士。
    23歳で出家。

出典・・山家心中集・90。    



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2012年03月15日

名歌鑑賞・1778

八雲たつ 出雲の国の 手間の山 なにのてまなく
立つ霞かな
            橘曙覧(たちばなあけみ)
            (春明草)
(やくもたつ いずものくにの てまのやま なんの
 てまなく たつかすみかな)

意味・・雲が盛んに立ち上る出雲の国で、幾重にも
    わき立つ雲が出る手間山では、何の手数も
    かけずに霞が立っている。

    参考歌です。
   「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣
    作る その八重垣を」(意味は下記参照)

 注・・八雲たつ=出雲の枕詞。
    手間の山=島根県にある山。

作者・・橘曙覧=1812~1868。福井市の紙商の家業を
     弟に譲り隠棲。福井の藩主と交流。

参考歌です。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る
その八重垣を
             須佐之男命(すさのおのみこと)
              (古事記)
(やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがき
 つくる そのやえがきを)

意味・・すばらしい雲が盛んに出て、立ちのぼっている。
    その立ち出ずる雲の作る、幾重もの垣・・それは
    まさに「出雲八重垣」だ。妻を籠(こも)らせる為 
    に八重垣を作っている。なんとその垣の見事さよ。

    宮殿を造る地を探している時に詠んだ歌です。

 注・・八雲立つ=出雲の枕詞。
    籠(ご)み=籠(こも)る、中に入れる。

作者・・須佐之男命=古代伝承の神。



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2012年03月14日

わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやに照りこそ

わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜
さやに照りこそ
                天智天皇
              
(わたつみの とよはたくもに いりひさし こよいの
 つくよ さやにてりこそ)

意味・・眼前には大海原が広がっている。旗雲には赤い
    夕日がさして茜色(あかねいろ)に輝いている。
    今夜の月はさぞ清く明るくなることだろう。
    是非そうあってほしい。

    月が清く明るく輝いて欲しいのと同時に、国の
    明るく輝かしい未来の祈りもこめられています。

 注・・わたつみ=海、大海。    
    豊旗雲=古代の旗である幟(のぼり)がなびく
     ように、空を横断している雲。    
    入日=夕日。
    こそ=願望を表す助詞。・・してほしい。

作者・・天智天皇=てんじてんのう。~671。蘇我氏を
    滅ぼし大化の改新を行った。

出典・・万葉集・15。


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2012年03月13日

名歌鑑賞・1776


白河の 流れ久しき 宿なれば 花の匂ひも
のどけかりけり
            源雅実(みなもとのまさざね)
            (金葉和歌集・31)
(しらかわの ながれひさしき やどなれば はなの
 においも のどけかりけり)

意味・・白河の流れのように久しく続くめでたい邸宅
    だから、花の美しさまでもゆったりしている
    ようだ。

    昔から将来へと久しく続く白河殿の花を詠む
    ことで祝意を述べています。
    
    余裕のある所には周辺も余裕が出来るもので
    ある。

 注・・宿=ここでは、藤原良房の邸宅・白河殿をさす。

作者・・源雅実=1059~1127。太政大臣・従一位。




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2012年03月12日

雪とちり 雲と乱れて よせきつつ いそもとよゆする 沖つ白波

雪とちり 雲と乱れて よせきつつ いそもとよゆする
沖つ白波
                 村田春海
              
(ゆきとちり くもとみだれて よせきつつ いそもと
 ゆする おきつしらなみ)

意味・・雪のように散り、雲のように乱れ飛んで何度も
    押し寄せつつ、磯の岩の根元を揺るがす沖の白
    波よ。

    千葉県銚子の外海の荒波に感動して詠んだいます。

作者・・村田春海=むらたはるみ。1746~1811。江戸の
    干鰯問屋。家業が没落して歌人・国学者として生
    活を送る。

出典・・百首和歌。




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2012年03月11日

名歌鑑賞・1774

うぐいすの やどはととへば 降る雪に こたへぬ風も
にほふ梅が香
              内山淳時(うちやまあつとき)
              (遺珠集)
(うぐいすの やどはととえば ふるゆきに こたえぬ
 かぜも におううめがか)

意味・・鶯が「鶯宿梅」の故事よろしく自分の宿としていた
    梅はどうなったと問うと、降る雪にたいしては何の
    反応も示さなかった風も、鶯の問いに答えるように
    梅の香を匂わせて宿のありかを知らせる。

    雪に梅が埋もれて宿りが見えなくなった、という設
    定で詠んでいます。

    「鶯宿梅」の故事は下記参照。
 
作者・・内山淳時=1723~1788。江戸の狂歌師、四方赤良・朱楽
     菅江(あけらかんこう)の師として知られる。

参考です。

    鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事、「大鏡」
    の昔話です。

    時は天暦、村上天皇の御代のことでございます。
    どうしたことでありましょうか、清涼殿の御前に
    ありました梅の木が枯れてしまったのでございます。
    長年愛でられていました梅を失われた帝はたいそう
    お嘆きになりました。

    色のなくなった庭は、そこだけぽっかりと穴が空い
    たようで、どうにも寂し気で物足りなく思われます。
    そこで帝は新たな梅を探すことを命じられたので
    ございます。

    受けた者は帝の御命令を受け、京中を探しました。
    あちらの梅、こちらの梅と、巷で評判になっており
    ます梅、それこそ何百という梅の木を見たのでござ
    います。けれども、帝の御前に出せるべくほどの
    梅の木、というと中々見つけることが出来ません。

    探し疲れ、見つけ倦ねていた時、家臣が西の方に
    ある家に、色濃く咲いている梅があるらしいとの
    噂を聞き付けて参りました。早速行ってみると、
    どうでしょう、枯れてしまった梅に勝るとも劣ら
    ぬ 見事な梅があったのでございます。

    色は艶々しく、花の付き方は品よく、その芳香は
    四方に漂い、皆天上もかくやという心持ちになった
    のでございます。これならきっと帝のお気に召す
    だろうと思い、早速掘り取らせることにしました。
    一刻も早く帝の御前にと急く心を抑えていました
    ところ、その家の者が「お願いがございます」
    と進み出て参りました。

    何事かと思って聞くと「畏れ多くも帝の御前に上
    がる梅ですが、その枝にこれを結びつけることを
    お許し下さいませんでしょうか」と折り畳んで結
    ぶばかりになっている文を差し出します。不思議
    にも思いましたが、綺麗な薄様に書かれたそれは
    別 段怪し気なところもなく、また「これほどの梅
    の木を持つ家の主のこと、何かわけがあるのだろう」
    と思いまして、枝にそれを結び付けさせて梅の木を
    持ち帰ったのでございます。

    美々しい梅の木を御覧になった帝はたいそうお喜
    びになりました。周りの者がお止めする間もなく、
    思わず庭に下りられたほどでございます。満足げ
    に目を細め、眺めておいででございましたが、
    ふと、枝先に結び付けられた文に気付かれたので
    ございます。
   「何か」と仰られ御覧になると、女性の筆跡でこう
    書いてございました。
  
   「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はば 
    いかが答へむ」

   『帝の御命令でございますこと、畏れ多く謹んで
   贈呈致します。しかしながら、毎年この庭に来て
   この梅の枝に宿る鴬が、我が宿は如何したかと尋
   ねられたならば、さてどう答えたらよいのでござ
   いましょう』

   紙の匂いも艶な感じのするもので、筆跡も黒々と
   美しく、これは並々ならぬ 人の手によるもので
   あろうと思われます。文といい、立派な梅の木と
   いい、どうにも不思議にお思いになられた帝は
  「どういう者の家か」とお尋ねになられたので
   ございます。

   慌ててその家の素性を質したところ判りました
   ことは、梅の木のありました館は、かの紀貫之
   さんの御息女が住んでいる処であったということ
   でございます。そして、その梅の木は父である
   貫之が非常に愛した木であり、御息女はそれを
   父とも形見とも思い、慈しんでおいでの梅で
   ございました。

   それを帝に申し上げたところ「さても残念な
   ことであることよ」と思し召されたということ
   でございます。

  『大鏡』によると梅の木は清涼殿に移植されて
   終わっていますが、この後に再び元の邸に戻され
   たとの話も伝わっています。
   

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2012年03月10日

世の中は いずれの道も しならいて 時の人数に なりぬるぞよし

世の中は いずれの道も しならいて 時の人数に
なりぬるぞよし
                  荒木田守武
             
(よのなかは いずれのみちも しならいて ときの
 ひとかずに なりぬるぞよし)

意味・・世の中、どの道を選んでもその職業に精通し
    熟練し、その道なら誰と、指折り数えられる
    ほどの者になる事だ。

 注・・しならいて=為習いて。し慣れて上手くなる。
    人数(ひとかず)=一人前の人間として認めら
     れる事。

作者・・荒木田守武=あらきだもりたけ。1473~1549。
    伊勢内宮の神官。室町時代の連歌師。

出典・・世中百首。




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2012年03月09日

名歌鑑賞・1772

裾に置て 心に遠き 火桶かな
                     蕪村(ぶそん)

(すそにおいて こころにとおき ひおけかな)

意味・・寒い外から帰ってきて、火桶を裾に置いて
    手をあぶっていても、心までは中々暖まら
    ない。

    嫌な事があり、外から帰ってきて火鉢に当
    たるのだが、むしゃくしゃした心は暖まらず、
    ほぐされない。

 注・・火桶=木をくぐり抜いて造った火鉢。

作者・・蕪村=与謝蕪村。1716~1783。南宗画家。

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2012年03月08日

勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば いかが答えむ


勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば
いかが答えむ
                紀内侍
            
(ちょくなれば いともかしこし うぐいすの やどはと
 とわば いかがこたえん)

意味・・勅命だから、この紅梅を献上することを断るのは、
    全く畏れ多いことだが、、もし鶯がやって来て、
    いったい私の宿はどこに行ってしまったのだろう
    か、と問うたならば、どのように答えようか。

後書・・かく奏(そう)せさせければ、掘らずなりにけり。

    鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事の歌、「大鏡」
    の昔話です。 (大鏡の昔話は下記参照)

作者・・紀内侍=きのないし。生没年未詳。紀貫之の娘。

出典・・拾遺和歌集・531。


参考です。
「大鏡」の昔話。

勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば 
いかが答へむ

時は天暦、村上天皇の御代のことでございます。

どうしたことでありましょうか、清涼殿の御前に
ありました梅の木が枯れてしまったのでございます。
長年愛でられていました梅を失われた帝はたいそう
お嘆きになりました。

色のなくなった庭は、そこだけぽっかりと穴が空い
たようで、どうにも寂し気で物足りなく思われます。
そこで帝は新たな梅を探すことを命じられたので
ございます。

受けた者は帝の御命令を受け、京中を探しました。
あちらの梅、こちらの梅と、巷で評判になっており
ます梅、それこそ何百という梅の木を見たのでござ
います。けれども、帝の御前に出せるべくほどの
梅の木、というと中々見つけることが出来ません。

探し疲れ、見つけ倦ねていた時、家臣が西の方に
ある家に、色濃く咲いている梅があるらしいとの
噂を聞き付けて参りました。早速行ってみると、
どうでしょう、枯れてしまった梅に勝るとも劣ら
ぬ 見事な梅があったのでございます。

色は艶々しく、花の付き方は品よく、その芳香は
四方に漂い、皆天上もかくやという心持ちになった
のでございます。これならきっと帝のお気に召す
だろうと思い、早速掘り取らせることにしました。
一刻も早く帝の御前にと急く心を抑えていました
ところ、その家の者が「お願いがございます」
と進み出て参りました。

何事かと思って聞くと「畏れ多くも帝の御前に上
がる梅ですが、その枝にこれを結びつけることを
お許し下さいませんでしょうか」と折り畳んで結
ぶばかりになっている文を差し出します。不思議
にも思いましたが、綺麗な薄様に書かれたそれは
別 段怪し気なところもなく、また「これほどの梅
の木を持つ家の主のこと、何かわけがあるのだろう」
と思いまして、枝にそれを結び付けさせて梅の木を
持ち帰ったのでございます。

美々しい梅の木を御覧になった帝はたいそうお喜
びになりました。周りの者がお止めする間もなく、
思わず庭に下りられたほどでございます。満足げ
に目を細め、眺めておいででございましたが、
ふと、枝先に結び付けられた文に気付かれたので
ございます。
「何か」と仰られ御覧になると、女性の筆跡でこう
書いてございました。
  
「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はば 
  いかが答へむ」

『帝の御命令でございますこと、畏れ多く謹んで
贈呈致します。しかしながら、毎年この庭に来て
この梅の枝に宿る鴬が、我が宿は如何したかと尋
ねられたならば、さてどう答えたらよいのでござ
いましょう』

紙の匂いも艶な感じのするもので、筆跡も黒々と
美しく、これは並々ならぬ 人の手によるもので
あろうと思われます。文といい、立派な梅の木と
いい、どうにも不思議にお思いになられた帝は
「どういう者の家か」とお尋ねになられたので
ございます。

慌ててその家の素性を質したところ判りました
ことは、梅の木のありました館は、かの紀貫之
さんの御息女が住んでいる処であったということ
でございます。そして、その梅の木は父である
貫之が非常に愛した木であり、御息女はそれを
父とも形見とも思い、慈しんでおいでの梅で
ございました。

それを帝に申し上げたところ「さても残念な
ことであることよ」と思し召されたということ
でございます。

『大鏡』によると梅の木は清涼殿に移植されて
終わっていますが、この後に再び元の邸に戻され
たとの話も伝わっています。





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2012年03月07日

名歌鑑賞・1770

折る人の つらさもいはじ 梅の花 咲かぬ宿には
さぞなゆかしき
             藤原為相(ふじわらのためすけ)
             (為相百首・8)
(おるひとの つらさもいわじ うめのはな さかぬ
 やどには さぞなゆかしき)

意味・・折る人の思いやりのなさはあえて言うまい。梅の
    花の咲かない宿の人にとっては、さぞ、その花が
    欲しいであろうから。

 注・・つらさ=辛さ。薄情、冷淡。
    な=自分の意思や希望を表す。・・したい。
    ゆかし=欲しい、興味がもたれる。

作者・・藤原為相=1263~1328。正二位中納言。


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2012年03月06日

冬の夜や 針うしなうて おそろしき

冬の夜や 針うしなうて おそろしき  
                  
                 梅室
            
(ふゆのよや はりうしのおて おそろしき)

意味・・身も心も凍る冬の夜の寒さの中、
    黙々と針仕事を続けてきて、ふと
    気づくと針が一本なくなっている。
    思わず、恐ろしさに身がふるえる。

    この頃の日常生活にひそむ恐怖感を
    巧に表現しています。

 注・・冬の夜=刻々と冷え込みが厳しくなる
     ひっそりした夜。

作者・・梅室=1769~1852。桜井梅室。家業の
     刀研師の職を36歳で弟に譲り、隠棲。

出典・・梅室家集。


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2012年03月02日

名歌鑑賞・1768

(3月5日)

名歌鑑賞・1768


しらぬひ 筑紫の綿は 身に着けて いまだは着ねど
暖けく見ゆ
             沙弥満誓(さみまんぜい)
             (万葉集・336)
(しらぬい つくしのわたは みにつけて いまだは
 きねど あたたけくみゆ)

意味・・筑紫産の真綿は、まだ肌身につけて着てみた
    ことはないが、いかにも暖かそうだ。

    筑紫特産の真綿を見たもの珍しさから詠んだ
    歌です。

 注・・しらぬひ=筑紫の枕詞。

作者・・沙弥満誓=生没年未詳。尾張守を経て出家。
     筑紫観音寺の別当(長官にあたる)。

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世の中に 蒔かずに生えし ためしなし 蒔きてぞついに 運や開けん


世の中に 蒔かずに生えし ためしなし 蒔きてぞついに
運や開けん
                   
(よのなかに まかずにはえし ためしなし まきてぞ
 ついに うんやひらけん)

意味・・この世の中に、種を蒔かずに生えたものなどない。
    種を蒔いておく・志して準備し努力するからこそ、
    運も開けるのだ。

    まず目標を持つ。それはどんな小さな事でも、一生
    をかけるような大きな事でもいい。その目標に向か
    って準備する。情報を集めつつ、日々勉強やトレー
    ニングをする。周囲の人に教えを乞うたり協力をお
    願いする。こうして着々と行動していけば、蒔いた
    種はいつの日か花を咲かせ、実を結ぶ。先ずは動き
    出して見なければ始まらない。蒔かぬ種は生えない
    のだから。



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名歌鑑賞・1766

(3月3日)

名歌鑑賞・1766


我が盛り またをちめやも ほとほとに 奈良の都を
見ずかなりなむ       
            大伴旅人(おおとものたびと)
              (万葉集・331)
(わがさかり またおちめやも ほとほとに ならの
 みやこを みずかなりなむ)

意味・・若い時代がまた返ってくるだろうか、いやそんな
    事は考えられぬ。もしかしたら、奈良の都を見な
    いままに終わってしまうのではなかろうか。

   「あおによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく
    今盛りなり」
   (奈良の都は、咲いている花が色美しく映えるように、
    今や真っ盛りである)

    と歌われた奈良の都を、下向先の筑紫で懐かしんで
    詠んだ歌です。

 注・・をちめ=復ちめ、元に戻る、若返る。
    ほとほとに=ほとんど、おおかた。

作者・・大伴旅人=665~731。太宰師(だざいのそち)として
     九州に下向、後に大納言・従二位。

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年ごとに 来てはかせいで 帰れるは 越路にたんと かり金やある


年ごとに 来てはかせいで 帰れるは 越路にたんと
かり金やある
                  加保茶元成
             
(としごとに きてはかせいで かえれるは こしじに
 たんと かりがねやある)

意味・・雁が毎年北の方から来ては、せっせと稼いで帰って
    行くが、雁金というから、郷里の越路にたんと借金
    でもあるのだろうか。

    題は「帰雁(きがん)」。当時、雪国の越後や信州か
    ら江戸へ、冬の期間出稼ぎに来ていた奉公人になぞ
    らえ見立てた歌です。

 注・・越路=北陸地方。
    帰雁=春になって南から北へ帰る雁。
    かり金=雁金。雁のこと、「借金」を掛ける。

作者・・加保茶元成=かぼちゃのもとなり。1754~1828。
    本名村田市兵衛。新吉原
     の妓楼の主人。

出典・・小学館「黄表紙・川柳・狂歌」。

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2012年03月01日

よそにのみ あはれとぞ見し 梅の花 あかぬ色香は 折りてなりけり

よそにのみ あはれとぞ見し 梅の花 あかぬ色香は
折りてなりけり
                  素性法師
              
(よそにのみ あわれとぞみし うめのはな あかぬ
 いろかは おりてなりけり)

意味・・今までは遠くの方からばかり眺めて、すばらしい
    と思っていた梅の花。だが、いくら見ても見飽き
    ないすぐれた色と香りは、折り取って身近に置い
    た後に分かるものなのだ。

    女性(ばかりではないが)を関係なく見ていたとき
    よりも、親しい関係を結んで初めて、真価が分か
    って来るという趣です。

 注・・よそにのみ=他の場所にある時だけ。現在は梅の
     花を手に取っているのだから、「よそ」とは花
     が咲いていた樹上である。
    あはれ=しみじみとした趣、ああいいなあと思う
     こと。

作者・・素性法師=そせいほうし生没年未詳。僧正遍照の
    子。860年頃左近将監(さこんのしょうげん)であっ
    たが出家。

出典・・古今和歌集・37。

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