2012年03月
2012年03月31日
2012年03月30日
2012年03月29日
2012年03月28日
2012年03月27日
2012年03月26日
石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも
石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に
なりにけるかも
志貴皇子
(いわばしる たるみのうえの さわらびの もえいずる
はるに なりけるかも)
意味・・水が激しく岩にぶつかり落ちる滝のほとりの蕨が
今こそ芽吹く春になったことだなあ。
雪どけのために水かさが増した滝のほとりに、芽吹
いたワラビを見つけたことを、長い間待ち焦がれた
春の訪れとして受け取り、率直な喜びを歌っています。
詞書では「歓びの歌一首」とあり、これは何かの喜び
を抽象的に歌ったものです。
大きな仕事を成し遂げた時の晴れ晴れとした気持を
感じさせられます。
注・・垂水の上=滝のほとり、垂水はたれ落ちる水のこと。
作者・・志尊皇子=しきのみこ。~715。天智天皇の子。
出典・・万葉集・1418。
2012年03月25日
名歌鑑賞・1788
心だに 誠の道に かないなば 守らぬとても
此方はかまわぬ
一休宗純(いっきゅうそうじゅん)
(出典未詳)
(こころだに まことのみちに かないなば まもらぬ
とても こちはかまわぬ)
意味・・真心を以って生活をしていくので、神様は私を
守ってくれなくても結構だ。神様に頼るより自
分の誠に頼りたい。
一休は本歌をうまく茶化して詠んでいます。
本歌は菅原道真の次の歌です。
「心だに 誠の道に かないなば 祈らずとても
神や守らん」(出展・鸚鵡問答)
(心さえ誠の道にかなうものであれば、しいて
祈らなくても神は守ってくださるだろう)
注・・誠=誠意、真心、いつわらない心。
作者・・一休宗純=1394~1481。頓知でお馴染みの一休
さんです。
2012年03月24日
2012年03月23日
2012年03月22日
2012年03月21日
2012年03月20日
北へ行く 雁ぞ鳴くなる つれてこし 数はたらでぞ 帰るべらなる
北へ行く 雁ぞ鳴くなる つれてこし 数はたらでぞ
帰るべらなる
詠み人しらず
(きたへゆく かりぞなくなる つれてこし かずは
たらでぞ かえるべらなる)
意味・・春が来て北国に飛び帰る雁の鳴き声が聞こえてくる。
あのかなしそうな鳴き声は、日本に来る時には一緒に
来たものが、数が足りなくなって帰るからなのだろうか。
この歌の左注に、「この歌の由来は、ある人が夫婦とも
どもよその土地に行った時、男のほうが到着してすぐに
死んでしまったので、女の人が一人で帰ることになり、
その帰路で雁の鳴き声を聞いて詠んだものだ」と書かれて
います。
注・・べらなり=・・のようである。
出典・・古今和歌集・412。
2012年03月17日
名歌鑑賞・1780
いざ子ども 香椎の潟に 白妙の 袖さへ濡れて
朝菜摘みてむ
大伴旅人(おおとものたびと)
(万葉集・957)
(いざこども かしいのかたに しろたえの そでさえ
ぬれて あさなつみてん)
意味・・さあみんな、この香椎の潟で、袖の濡れるのを
かまわずに、楽しく朝餉の海藻を摘もう。
大宰帥(だざいのそち)大伴旅人が、香椎の宮を
参拝し終えて、開放感をこめて部下を誘った歌
です。
注・・いざ子ども=「いざ」は誘う意味。「子ども」は
目下の者ども。
香椎の潟=博多湾の東岸、名勝地。
白妙=「袖」の枕詞。
袖さえ濡れて=開放感を表している句。
朝菜=朝食の海藻。香椎の宮には朝食前に参拝。
作者・・大伴旅人=665~731。大宰帥、大納言・従二位。
朝菜摘みてむ
大伴旅人(おおとものたびと)
(万葉集・957)
(いざこども かしいのかたに しろたえの そでさえ
ぬれて あさなつみてん)
意味・・さあみんな、この香椎の潟で、袖の濡れるのを
かまわずに、楽しく朝餉の海藻を摘もう。
大宰帥(だざいのそち)大伴旅人が、香椎の宮を
参拝し終えて、開放感をこめて部下を誘った歌
です。
注・・いざ子ども=「いざ」は誘う意味。「子ども」は
目下の者ども。
香椎の潟=博多湾の東岸、名勝地。
白妙=「袖」の枕詞。
袖さえ濡れて=開放感を表している句。
朝菜=朝食の海藻。香椎の宮には朝食前に参拝。
作者・・大伴旅人=665~731。大宰帥、大納言・従二位。
2012年03月16日
2012年03月15日
名歌鑑賞・1778
八雲たつ 出雲の国の 手間の山 なにのてまなく
立つ霞かな
橘曙覧(たちばなあけみ)
(春明草)
(やくもたつ いずものくにの てまのやま なんの
てまなく たつかすみかな)
意味・・雲が盛んに立ち上る出雲の国で、幾重にも
わき立つ雲が出る手間山では、何の手数も
かけずに霞が立っている。
参考歌です。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣
作る その八重垣を」(意味は下記参照)
注・・八雲たつ=出雲の枕詞。
手間の山=島根県にある山。
作者・・橘曙覧=1812~1868。福井市の紙商の家業を
弟に譲り隠棲。福井の藩主と交流。
参考歌です。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る
その八重垣を
須佐之男命(すさのおのみこと)
(古事記)
(やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがき
つくる そのやえがきを)
意味・・すばらしい雲が盛んに出て、立ちのぼっている。
その立ち出ずる雲の作る、幾重もの垣・・それは
まさに「出雲八重垣」だ。妻を籠(こも)らせる為
に八重垣を作っている。なんとその垣の見事さよ。
宮殿を造る地を探している時に詠んだ歌です。
注・・八雲立つ=出雲の枕詞。
籠(ご)み=籠(こも)る、中に入れる。
作者・・須佐之男命=古代伝承の神。
立つ霞かな
橘曙覧(たちばなあけみ)
(春明草)
(やくもたつ いずものくにの てまのやま なんの
てまなく たつかすみかな)
意味・・雲が盛んに立ち上る出雲の国で、幾重にも
わき立つ雲が出る手間山では、何の手数も
かけずに霞が立っている。
参考歌です。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣
作る その八重垣を」(意味は下記参照)
注・・八雲たつ=出雲の枕詞。
手間の山=島根県にある山。
作者・・橘曙覧=1812~1868。福井市の紙商の家業を
弟に譲り隠棲。福井の藩主と交流。
参考歌です。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る
その八重垣を
須佐之男命(すさのおのみこと)
(古事記)
(やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがき
つくる そのやえがきを)
意味・・すばらしい雲が盛んに出て、立ちのぼっている。
その立ち出ずる雲の作る、幾重もの垣・・それは
まさに「出雲八重垣」だ。妻を籠(こも)らせる為
に八重垣を作っている。なんとその垣の見事さよ。
宮殿を造る地を探している時に詠んだ歌です。
注・・八雲立つ=出雲の枕詞。
籠(ご)み=籠(こも)る、中に入れる。
作者・・須佐之男命=古代伝承の神。
2012年03月14日
わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやに照りこそ
わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜
さやに照りこそ
天智天皇
(わたつみの とよはたくもに いりひさし こよいの
つくよ さやにてりこそ)
意味・・眼前には大海原が広がっている。旗雲には赤い
夕日がさして茜色(あかねいろ)に輝いている。
今夜の月はさぞ清く明るくなることだろう。
是非そうあってほしい。
月が清く明るく輝いて欲しいのと同時に、国の
明るく輝かしい未来の祈りもこめられています。
注・・わたつみ=海、大海。
豊旗雲=古代の旗である幟(のぼり)がなびく
ように、空を横断している雲。
入日=夕日。
こそ=願望を表す助詞。・・してほしい。
作者・・天智天皇=てんじてんのう。~671。蘇我氏を
滅ぼし大化の改新を行った。
出典・・万葉集・15。
さやに照りこそ
天智天皇
(わたつみの とよはたくもに いりひさし こよいの
つくよ さやにてりこそ)
意味・・眼前には大海原が広がっている。旗雲には赤い
夕日がさして茜色(あかねいろ)に輝いている。
今夜の月はさぞ清く明るくなることだろう。
是非そうあってほしい。
月が清く明るく輝いて欲しいのと同時に、国の
明るく輝かしい未来の祈りもこめられています。
注・・わたつみ=海、大海。
豊旗雲=古代の旗である幟(のぼり)がなびく
ように、空を横断している雲。
入日=夕日。
こそ=願望を表す助詞。・・してほしい。
作者・・天智天皇=てんじてんのう。~671。蘇我氏を
滅ぼし大化の改新を行った。
出典・・万葉集・15。
2012年03月13日
2012年03月12日
2012年03月11日
名歌鑑賞・1774
うぐいすの やどはととへば 降る雪に こたへぬ風も
にほふ梅が香
内山淳時(うちやまあつとき)
(遺珠集)
(うぐいすの やどはととえば ふるゆきに こたえぬ
かぜも におううめがか)
意味・・鶯が「鶯宿梅」の故事よろしく自分の宿としていた
梅はどうなったと問うと、降る雪にたいしては何の
反応も示さなかった風も、鶯の問いに答えるように
梅の香を匂わせて宿のありかを知らせる。
雪に梅が埋もれて宿りが見えなくなった、という設
定で詠んでいます。
「鶯宿梅」の故事は下記参照。
作者・・内山淳時=1723~1788。江戸の狂歌師、四方赤良・朱楽
菅江(あけらかんこう)の師として知られる。
参考です。
鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事、「大鏡」
の昔話です。
時は天暦、村上天皇の御代のことでございます。
どうしたことでありましょうか、清涼殿の御前に
ありました梅の木が枯れてしまったのでございます。
長年愛でられていました梅を失われた帝はたいそう
お嘆きになりました。
色のなくなった庭は、そこだけぽっかりと穴が空い
たようで、どうにも寂し気で物足りなく思われます。
そこで帝は新たな梅を探すことを命じられたので
ございます。
受けた者は帝の御命令を受け、京中を探しました。
あちらの梅、こちらの梅と、巷で評判になっており
ます梅、それこそ何百という梅の木を見たのでござ
います。けれども、帝の御前に出せるべくほどの
梅の木、というと中々見つけることが出来ません。
探し疲れ、見つけ倦ねていた時、家臣が西の方に
ある家に、色濃く咲いている梅があるらしいとの
噂を聞き付けて参りました。早速行ってみると、
どうでしょう、枯れてしまった梅に勝るとも劣ら
ぬ 見事な梅があったのでございます。
色は艶々しく、花の付き方は品よく、その芳香は
四方に漂い、皆天上もかくやという心持ちになった
のでございます。これならきっと帝のお気に召す
だろうと思い、早速掘り取らせることにしました。
一刻も早く帝の御前にと急く心を抑えていました
ところ、その家の者が「お願いがございます」
と進み出て参りました。
何事かと思って聞くと「畏れ多くも帝の御前に上
がる梅ですが、その枝にこれを結びつけることを
お許し下さいませんでしょうか」と折り畳んで結
ぶばかりになっている文を差し出します。不思議
にも思いましたが、綺麗な薄様に書かれたそれは
別 段怪し気なところもなく、また「これほどの梅
の木を持つ家の主のこと、何かわけがあるのだろう」
と思いまして、枝にそれを結び付けさせて梅の木を
持ち帰ったのでございます。
美々しい梅の木を御覧になった帝はたいそうお喜
びになりました。周りの者がお止めする間もなく、
思わず庭に下りられたほどでございます。満足げ
に目を細め、眺めておいででございましたが、
ふと、枝先に結び付けられた文に気付かれたので
ございます。
「何か」と仰られ御覧になると、女性の筆跡でこう
書いてございました。
「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はば
いかが答へむ」
『帝の御命令でございますこと、畏れ多く謹んで
贈呈致します。しかしながら、毎年この庭に来て
この梅の枝に宿る鴬が、我が宿は如何したかと尋
ねられたならば、さてどう答えたらよいのでござ
いましょう』
紙の匂いも艶な感じのするもので、筆跡も黒々と
美しく、これは並々ならぬ 人の手によるもので
あろうと思われます。文といい、立派な梅の木と
いい、どうにも不思議にお思いになられた帝は
「どういう者の家か」とお尋ねになられたので
ございます。
慌ててその家の素性を質したところ判りました
ことは、梅の木のありました館は、かの紀貫之
さんの御息女が住んでいる処であったということ
でございます。そして、その梅の木は父である
貫之が非常に愛した木であり、御息女はそれを
父とも形見とも思い、慈しんでおいでの梅で
ございました。
それを帝に申し上げたところ「さても残念な
ことであることよ」と思し召されたということ
でございます。
『大鏡』によると梅の木は清涼殿に移植されて
終わっていますが、この後に再び元の邸に戻され
たとの話も伝わっています。
にほふ梅が香
内山淳時(うちやまあつとき)
(遺珠集)
(うぐいすの やどはととえば ふるゆきに こたえぬ
かぜも におううめがか)
意味・・鶯が「鶯宿梅」の故事よろしく自分の宿としていた
梅はどうなったと問うと、降る雪にたいしては何の
反応も示さなかった風も、鶯の問いに答えるように
梅の香を匂わせて宿のありかを知らせる。
雪に梅が埋もれて宿りが見えなくなった、という設
定で詠んでいます。
「鶯宿梅」の故事は下記参照。
作者・・内山淳時=1723~1788。江戸の狂歌師、四方赤良・朱楽
菅江(あけらかんこう)の師として知られる。
参考です。
鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事、「大鏡」
の昔話です。
時は天暦、村上天皇の御代のことでございます。
どうしたことでありましょうか、清涼殿の御前に
ありました梅の木が枯れてしまったのでございます。
長年愛でられていました梅を失われた帝はたいそう
お嘆きになりました。
色のなくなった庭は、そこだけぽっかりと穴が空い
たようで、どうにも寂し気で物足りなく思われます。
そこで帝は新たな梅を探すことを命じられたので
ございます。
受けた者は帝の御命令を受け、京中を探しました。
あちらの梅、こちらの梅と、巷で評判になっており
ます梅、それこそ何百という梅の木を見たのでござ
います。けれども、帝の御前に出せるべくほどの
梅の木、というと中々見つけることが出来ません。
探し疲れ、見つけ倦ねていた時、家臣が西の方に
ある家に、色濃く咲いている梅があるらしいとの
噂を聞き付けて参りました。早速行ってみると、
どうでしょう、枯れてしまった梅に勝るとも劣ら
ぬ 見事な梅があったのでございます。
色は艶々しく、花の付き方は品よく、その芳香は
四方に漂い、皆天上もかくやという心持ちになった
のでございます。これならきっと帝のお気に召す
だろうと思い、早速掘り取らせることにしました。
一刻も早く帝の御前にと急く心を抑えていました
ところ、その家の者が「お願いがございます」
と進み出て参りました。
何事かと思って聞くと「畏れ多くも帝の御前に上
がる梅ですが、その枝にこれを結びつけることを
お許し下さいませんでしょうか」と折り畳んで結
ぶばかりになっている文を差し出します。不思議
にも思いましたが、綺麗な薄様に書かれたそれは
別 段怪し気なところもなく、また「これほどの梅
の木を持つ家の主のこと、何かわけがあるのだろう」
と思いまして、枝にそれを結び付けさせて梅の木を
持ち帰ったのでございます。
美々しい梅の木を御覧になった帝はたいそうお喜
びになりました。周りの者がお止めする間もなく、
思わず庭に下りられたほどでございます。満足げ
に目を細め、眺めておいででございましたが、
ふと、枝先に結び付けられた文に気付かれたので
ございます。
「何か」と仰られ御覧になると、女性の筆跡でこう
書いてございました。
「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はば
いかが答へむ」
『帝の御命令でございますこと、畏れ多く謹んで
贈呈致します。しかしながら、毎年この庭に来て
この梅の枝に宿る鴬が、我が宿は如何したかと尋
ねられたならば、さてどう答えたらよいのでござ
いましょう』
紙の匂いも艶な感じのするもので、筆跡も黒々と
美しく、これは並々ならぬ 人の手によるもので
あろうと思われます。文といい、立派な梅の木と
いい、どうにも不思議にお思いになられた帝は
「どういう者の家か」とお尋ねになられたので
ございます。
慌ててその家の素性を質したところ判りました
ことは、梅の木のありました館は、かの紀貫之
さんの御息女が住んでいる処であったということ
でございます。そして、その梅の木は父である
貫之が非常に愛した木であり、御息女はそれを
父とも形見とも思い、慈しんでおいでの梅で
ございました。
それを帝に申し上げたところ「さても残念な
ことであることよ」と思し召されたということ
でございます。
『大鏡』によると梅の木は清涼殿に移植されて
終わっていますが、この後に再び元の邸に戻され
たとの話も伝わっています。
2012年03月10日
2012年03月09日
2012年03月08日
勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば いかが答えむ
勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば
いかが答えむ
紀内侍
(ちょくなれば いともかしこし うぐいすの やどはと
とわば いかがこたえん)
意味・・勅命だから、この紅梅を献上することを断るのは、
全く畏れ多いことだが、、もし鶯がやって来て、
いったい私の宿はどこに行ってしまったのだろう
か、と問うたならば、どのように答えようか。
後書・・かく奏(そう)せさせければ、掘らずなりにけり。
鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事の歌、「大鏡」
の昔話です。 (大鏡の昔話は下記参照)
作者・・紀内侍=きのないし。生没年未詳。紀貫之の娘。
出典・・拾遺和歌集・531。
参考です。
「大鏡」の昔話。
勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば
いかが答へむ
時は天暦、村上天皇の御代のことでございます。
どうしたことでありましょうか、清涼殿の御前に
ありました梅の木が枯れてしまったのでございます。
長年愛でられていました梅を失われた帝はたいそう
お嘆きになりました。
色のなくなった庭は、そこだけぽっかりと穴が空い
たようで、どうにも寂し気で物足りなく思われます。
そこで帝は新たな梅を探すことを命じられたので
ございます。
受けた者は帝の御命令を受け、京中を探しました。
あちらの梅、こちらの梅と、巷で評判になっており
ます梅、それこそ何百という梅の木を見たのでござ
います。けれども、帝の御前に出せるべくほどの
梅の木、というと中々見つけることが出来ません。
探し疲れ、見つけ倦ねていた時、家臣が西の方に
ある家に、色濃く咲いている梅があるらしいとの
噂を聞き付けて参りました。早速行ってみると、
どうでしょう、枯れてしまった梅に勝るとも劣ら
ぬ 見事な梅があったのでございます。
色は艶々しく、花の付き方は品よく、その芳香は
四方に漂い、皆天上もかくやという心持ちになった
のでございます。これならきっと帝のお気に召す
だろうと思い、早速掘り取らせることにしました。
一刻も早く帝の御前にと急く心を抑えていました
ところ、その家の者が「お願いがございます」
と進み出て参りました。
何事かと思って聞くと「畏れ多くも帝の御前に上
がる梅ですが、その枝にこれを結びつけることを
お許し下さいませんでしょうか」と折り畳んで結
ぶばかりになっている文を差し出します。不思議
にも思いましたが、綺麗な薄様に書かれたそれは
別 段怪し気なところもなく、また「これほどの梅
の木を持つ家の主のこと、何かわけがあるのだろう」
と思いまして、枝にそれを結び付けさせて梅の木を
持ち帰ったのでございます。
美々しい梅の木を御覧になった帝はたいそうお喜
びになりました。周りの者がお止めする間もなく、
思わず庭に下りられたほどでございます。満足げ
に目を細め、眺めておいででございましたが、
ふと、枝先に結び付けられた文に気付かれたので
ございます。
「何か」と仰られ御覧になると、女性の筆跡でこう
書いてございました。
「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はば
いかが答へむ」
『帝の御命令でございますこと、畏れ多く謹んで
贈呈致します。しかしながら、毎年この庭に来て
この梅の枝に宿る鴬が、我が宿は如何したかと尋
ねられたならば、さてどう答えたらよいのでござ
いましょう』
紙の匂いも艶な感じのするもので、筆跡も黒々と
美しく、これは並々ならぬ 人の手によるもので
あろうと思われます。文といい、立派な梅の木と
いい、どうにも不思議にお思いになられた帝は
「どういう者の家か」とお尋ねになられたので
ございます。
慌ててその家の素性を質したところ判りました
ことは、梅の木のありました館は、かの紀貫之
さんの御息女が住んでいる処であったということ
でございます。そして、その梅の木は父である
貫之が非常に愛した木であり、御息女はそれを
父とも形見とも思い、慈しんでおいでの梅で
ございました。
それを帝に申し上げたところ「さても残念な
ことであることよ」と思し召されたということ
でございます。
『大鏡』によると梅の木は清涼殿に移植されて
終わっていますが、この後に再び元の邸に戻され
たとの話も伝わっています。
2012年03月07日
2012年03月06日
2012年03月02日
世の中に 蒔かずに生えし ためしなし 蒔きてぞついに 運や開けん
世の中に 蒔かずに生えし ためしなし 蒔きてぞついに
運や開けん
(よのなかに まかずにはえし ためしなし まきてぞ
ついに うんやひらけん)
意味・・この世の中に、種を蒔かずに生えたものなどない。
種を蒔いておく・志して準備し努力するからこそ、
運も開けるのだ。
まず目標を持つ。それはどんな小さな事でも、一生
をかけるような大きな事でもいい。その目標に向か
って準備する。情報を集めつつ、日々勉強やトレー
ニングをする。周囲の人に教えを乞うたり協力をお
願いする。こうして着々と行動していけば、蒔いた
種はいつの日か花を咲かせ、実を結ぶ。先ずは動き
出して見なければ始まらない。蒔かぬ種は生えない
のだから。
名歌鑑賞・1766
(3月3日)
名歌鑑賞・1766
我が盛り またをちめやも ほとほとに 奈良の都を
見ずかなりなむ
大伴旅人(おおとものたびと)
(万葉集・331)
(わがさかり またおちめやも ほとほとに ならの
みやこを みずかなりなむ)
意味・・若い時代がまた返ってくるだろうか、いやそんな
事は考えられぬ。もしかしたら、奈良の都を見な
いままに終わってしまうのではなかろうか。
「あおによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく
今盛りなり」
(奈良の都は、咲いている花が色美しく映えるように、
今や真っ盛りである)
と歌われた奈良の都を、下向先の筑紫で懐かしんで
詠んだ歌です。
注・・をちめ=復ちめ、元に戻る、若返る。
ほとほとに=ほとんど、おおかた。
作者・・大伴旅人=665~731。太宰師(だざいのそち)として
九州に下向、後に大納言・従二位。
名歌鑑賞・1766
我が盛り またをちめやも ほとほとに 奈良の都を
見ずかなりなむ
大伴旅人(おおとものたびと)
(万葉集・331)
(わがさかり またおちめやも ほとほとに ならの
みやこを みずかなりなむ)
意味・・若い時代がまた返ってくるだろうか、いやそんな
事は考えられぬ。もしかしたら、奈良の都を見な
いままに終わってしまうのではなかろうか。
「あおによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく
今盛りなり」
(奈良の都は、咲いている花が色美しく映えるように、
今や真っ盛りである)
と歌われた奈良の都を、下向先の筑紫で懐かしんで
詠んだ歌です。
注・・をちめ=復ちめ、元に戻る、若返る。
ほとほとに=ほとんど、おおかた。
作者・・大伴旅人=665~731。太宰師(だざいのそち)として
九州に下向、後に大納言・従二位。
年ごとに 来てはかせいで 帰れるは 越路にたんと かり金やある
年ごとに 来てはかせいで 帰れるは 越路にたんと
かり金やある
加保茶元成
(としごとに きてはかせいで かえれるは こしじに
たんと かりがねやある)
意味・・雁が毎年北の方から来ては、せっせと稼いで帰って
行くが、雁金というから、郷里の越路にたんと借金
でもあるのだろうか。
題は「帰雁(きがん)」。当時、雪国の越後や信州か
ら江戸へ、冬の期間出稼ぎに来ていた奉公人になぞ
らえ見立てた歌です。
注・・越路=北陸地方。
帰雁=春になって南から北へ帰る雁。
かり金=雁金。雁のこと、「借金」を掛ける。
作者・・加保茶元成=かぼちゃのもとなり。1754~1828。
本名村田市兵衛。新吉原
の妓楼の主人。
出典・・小学館「黄表紙・川柳・狂歌」。
2012年03月01日
よそにのみ あはれとぞ見し 梅の花 あかぬ色香は 折りてなりけり
よそにのみ あはれとぞ見し 梅の花 あかぬ色香は
折りてなりけり
素性法師
(よそにのみ あわれとぞみし うめのはな あかぬ
いろかは おりてなりけり)
意味・・今までは遠くの方からばかり眺めて、すばらしい
と思っていた梅の花。だが、いくら見ても見飽き
ないすぐれた色と香りは、折り取って身近に置い
た後に分かるものなのだ。
女性(ばかりではないが)を関係なく見ていたとき
よりも、親しい関係を結んで初めて、真価が分か
って来るという趣です。
注・・よそにのみ=他の場所にある時だけ。現在は梅の
花を手に取っているのだから、「よそ」とは花
が咲いていた樹上である。
あはれ=しみじみとした趣、ああいいなあと思う
こと。
作者・・素性法師=そせいほうし生没年未詳。僧正遍照の
子。860年頃左近将監(さこんのしょうげん)であっ
たが出家。
出典・・古今和歌集・37。
折りてなりけり
素性法師
(よそにのみ あわれとぞみし うめのはな あかぬ
いろかは おりてなりけり)
意味・・今までは遠くの方からばかり眺めて、すばらしい
と思っていた梅の花。だが、いくら見ても見飽き
ないすぐれた色と香りは、折り取って身近に置い
た後に分かるものなのだ。
女性(ばかりではないが)を関係なく見ていたとき
よりも、親しい関係を結んで初めて、真価が分か
って来るという趣です。
注・・よそにのみ=他の場所にある時だけ。現在は梅の
花を手に取っているのだから、「よそ」とは花
が咲いていた樹上である。
あはれ=しみじみとした趣、ああいいなあと思う
こと。
作者・・素性法師=そせいほうし生没年未詳。僧正遍照の
子。860年頃左近将監(さこんのしょうげん)であっ
たが出家。
出典・・古今和歌集・37。