2012年09月

2012年09月30日

秋近う 野はなりにけり 白露の 置ける草葉も 色変わりゆく

秋近う 野はなりにけり 白露の 置ける草葉も
色変わりゆく
                紀友則 

(あきちこう のはなりにけり しらつゆの おける
 くさばも いろかわりゆく)

詞書・・きちかうの花(桔梗の花)。

意味・・野原はすでに秋が近づいて来た。白露が置か
    れた草葉もだんだん枯れて色づく頃である。

    秋近うは「あきちかう」で「きちかう・桔梗」
    を詠んだ物名入りの歌です。
    桔梗は秋の七草であり、野原には桔梗の花も
    咲いていたと思われます。

 注・・きちかう=「ききやう」と同じ。桔梗。秋の
     七草の一つ。

作者・・紀友則=きのとものり。生没年未詳。紀貫之
     の従兄。古今和歌集の撰者。

出典・・古今和歌集・440。




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2012年09月29日

名歌鑑賞・1976

萩の露 玉にぬかむと とれば消ぬ よし見む人は
枝ながら見よ
        よみ人しらず (古今和歌集・222)

(はぎのつゆ たまにぬかんと とればけぬ よし
 みんひとは えだながらみよ)

意味・・萩の葉の露を玉のように糸に貫こうとして、
    枝を手に取れば露はたちどころに消えてし
    まう。仕方が無い、観賞したい人は枝にそ
    の露をつけたまま見ることだ。

    萩の露があまりにもきれいなので、露の玉
    に糸を通そうと、指でつまむと消えてなく
    なってしまった。
    美は微妙なこわれやすい緊張の状態にあり、
    美にはそうしたこわれやすさ、はかなさが
    あると言っています。

    参考句です。

   「愚を以って身の芯となす玉の露」
       (意味は下記参照)      

注・・ 玉にぬかむと=露の玉に糸を通そうと。
    よし=縦し。しかたがない、ままよ。
   
作者・・よみ人しらず=作者は平城天皇とか大伴
     家持などの異説があります。

参考句です。

愚を以て身の芯となす玉の露
 
                村上護

(ぐをもって みのしんとなす たまのつゆ)

意味・・草花につけた露は滑り落ちて、はかない命で
    ある。不安定な所に身を置く露の私は愚かに
    見えるであろう。がしかし、愚かであっても
    これが私の信念なのです。草花に身を置くか
    らこそ玉の露として美しいのです。

    露ははかない事、消えやすい事に譬えられ、
    また、珠や玉として美しいものに譬えられる。
    愚は愚かな事、くだらない事の意だが、謙遜
    して言う場合もある。「荘子」の言葉に「愚
    かなるが故に道なり」と持ち上げている。
    愚には人間の賢(さか)しらな知識や損得勘定
    が働いていない。それで本当の道に合すると
    いうものです。露も愚であるからこそ美しい
    と、作者は言っています。    

作者・・村上護=むらかみまもる。1941~。愛媛大学
    卒。文芸評論家、俳人。


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2012年09月28日

誰見ても 親はらからの ここちすれ 地震をさまりて 朝に至れば

誰見ても 親はらからの ここちすれ 地震をさまりて
朝に至れば
                  与謝野晶子 

(だれみても おやはらからの ここちすれ ない
 おさまりて あさにいたれば)

意味・・余震に怯えながら、何とも言えない心細さで
    次の朝を迎えると、今まで他人同士であった
    人達が親兄弟のように思えて来る。

    共通の恐怖心の結びつきが親子のような連帯
    意識になっている事を詠んでいます。

 注・・地震(ない)=大正12年9月1日の関東大地震。
     震災で火災が発生して44万戸が消失、10万
     人が亡くなった。

作者・・与謝野晶子=よさのあきこ。1878~1942。
     堺女学校卒。与謝野鉄幹と結婚。「明星」
     の花形となる。

出典・・歌集「瑠璃光」。



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2012年09月27日

名歌鑑賞・1974

むばたまの わが黒髪は 白川の みつはくむまで
なりにけるかな
          檜垣の嫗 (後撰和歌集・1219)

(むばたまの わがくろかみは しらかわの みつは
 くむまで なりにけるかな)

意味・・私の黒髪も白くなり、歯もぬけた老人になっ
    てしまいました。使用人もいなくなり白川で
    自ら水を汲むような落ちぶれた身分になった
    ものです。
    女性がこんな老いた姿では、昔の私を(間接
    にも)知る人には会いたくないのです。

    昔の檜垣御前の名声に好奇心をもった小野好
    古(よしふる)が大宰府にやって来た時、消息
    を訪ねていたのに応えて詠んだ歌です。

    「大和物語」に檜垣御前の話がのっています。
    華やかな過去を有する女性が、年老いて後の
    自分の落ちぶれた姿を人目にさらすのを恥じ
    貴人の招きに応じなかったという逸話です。
    (あらすじは下記参照)      
       
 注・・むばたまの=ぬばたまの、と同じ。黒・髪な
     どにかかる枕詞。
    白川=熊本県の有明海に注ぐ川。「髪が白い」
     を掛ける。
    みつはくむ=三つ歯組む。歯が多く欠落した
     老人の顔相。「水は汲む」を掛ける。    

作者・・檜垣の嫗=ひがきのおうな。生没年未詳。筑紫
     (福岡県・九州の総称)に住んでいながら色好
     みの美人として都の人にも知られていた女性。

大和物語・126段のあらすじです。

    純友(すみとも)の乱の時、伊予で朝廷に反乱
    を起し、また博多を襲った藤原純友の一党を
    征伐をする為に小野好古が追捕使として筑紫
    に赴きます。
    一方、檜垣御前は純友の博多襲撃の余波を受
    けて家を焼かれ、家財道具も失い、零落した
    姿であばら家に住んでいます。
    才気に富んだ風流な遊君であったとの檜垣御
    前の名声に好奇心を動かしていた小野好古が
    大宰府の巷間を探し求めたが消息が知れない。
    ある時、白川の畔(ほとり)で水を汲んでいる
    老女を、土地の人からあれが檜垣御前だと教
    えられ、好古の館へ招いてみたのだが、女は
    自分の老残の姿を恥じて参上せず。ただ、歌
    を詠んで届けてよこした。

    「むばたまのわが黒髪は白川のみつはくむまで
    なりにけるかな」

 注・・純友の乱=藤原純友は、西国で海賊討伐を命ぜ
     られていたが、936(承平6)年、自ら海賊を率
     いて朝廷に反抗、瀬戸内海横行の海賊の棟梁
     となり略奪・放火を行い、淡路・讃岐の国府、
     大宰府を襲う。941(天慶4)年 小野好古らに
     よって反乱は鎮圧され、純友は敗死した。
    



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2012年09月26日

かにかくに 物は思はじ 朝露の 我が身一つは 君がまにまに

かにかくに 物は思はじ 朝露の 我が身一つは
君がまにまに            
                よみ人しらず

(かにかくに ものはおもわじ あさつゆの わがみ
 ひとつは きみがまにまに)

意味・・ああだこうだと、もう物思いはしますまい。
    朝露のように、はかない私の命は、あなた
    まかせでございます。

    あれやこれやと思い悩む事を止めて、結論を
    あなたにまかせる。朝露のようにはかない命
    になるかどうかはあなた次第です。

 注・・かにかくに=あれこれと、いろいろ。
    朝露の我が身一つ=朝露のようにはかない
     私の命。消え入りそうな私の身。元気が
     なく気が滅入りそうな私。ふさぎ込む身。

出典・・万葉集・2691。



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2012年09月25日

名歌鑑賞・1972

完きは 一つとてなき 阿羅漢の わらわらと起ち
あがる 夜無きや
             大西民子 (不文の掟)

(まったきは ひとつとてなき あらかんの わらわらと
 たちあがる よるなきや)

意味・・完全な姿を保つ阿羅漢像は一つもない。全て
    どこか欠けたり傷んだりしている。その傷み
    に耐えかねて、わらわらと起ちあがる夜はな
    いか。

    阿羅漢像は、永い歳月の中で、ある者は手が
    欠け、足が損なわれ、首のない者、耳の削(
    そ)げている者など、完全な形を保つ物は一つ
    としてない。こうした傷ましい阿羅漢たちが
    その傷みに耐えかねて、いっせいに起ちあが
    るような夜はないか。

    阿羅漢像のように、傷ついている作者自身の
    心を重ねあわせて詠んでいます。作者の人に
    言うに言われない苦渋を、誰かに知ってもら
    いたい気持ちを歌っています。

 注・・阿羅漢=仏教の修行者で悟りを完全に開いた
     者に与えられる称号。
    わらわら=ばらばらに。うわっと。

作者・・大西民子=おおにしたみこ。1924~1994。
     奈良女子高等師範学校卒。木俣修に師事。
     「無数の耳」「不文の掟(おきて)」。
     



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2012年09月24日

あだし野の 心も知らぬ 秋風に あはれかたよる 女郎花かな

あだし野の 心も知らぬ 秋風に あはれかたよる
女郎花かな
                藤原基俊

(あだしのの こころもしらぬ あきかぜに あわれ
 かたよる おみなえしかな)

意味・・あだし野に咲く女郎花よ、吹きつのる秋風に
    傾くお前の様子は、男の心にはすでに飽き風
    が吹いているのだが、そうとも知らず、男の
    徒(あだ)情けにほだされてゆく女の姿のよう
    に哀れではないか。

 注・・あだし野=京都市右京区嵯峨、愛宕山の麓に
     あった墓地をいう。「あだし」はあてにな
     らないという意を掛ける。
    秋風=「飽き風」を掛ける。
    女郎花=女性を連想させやすいので、女性を
     この花にたとえる。

作者・・藤原基俊=ふじわらのもととし。1060~1142。
     藤原道長の曾孫。従五位上左衛門佐(さえも
     んのすけ)。藤原俊成の師。

出典・・松本章男「京都百人一首」。
 



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2012年09月23日

名歌鑑賞・1970

また見むと 思ひし時の 秋だにも 今宵の月に
ねられやはする
           道元 (建撕記・けんぜいき)

(またみんと おもいしときの あきだにも こよい
 のつきに ねられやはする)

詞書・・建長五年中秋。

意味・・中秋の夜は、生憎の天候で月を見る事が出来
    なかった年でさえ、月を思って眠られなかっ
    たものである。まして八月十五夜の今夜、その
    満月を見る事が出来るので、今宵は月を眺め
    明かしたいと思う。月と心を合わせる事なく
    眠りにつく事が出来るであろうか、眠れるは
    ずがない。

    道元が亡くなる二週間前の八月十五夜の京都
    の草庵で詠んだ辞世の歌です。

    「寝なくとも今宵の月を眺め明かしたい」と
    言う気持ちは何か。

    今夜の月の光明はなんと清涼でよく世間の闇
    を照らしていることだ。
    病気や失業、借金で苦しみ、仕事の問題、家
    庭の問題、いじめなどで思い悩み苦しんでい
    る人達。相談相手もいなく、希望を無くし、
    今にも自殺をしたいと思っている人々。
    この真っ暗闇で悩んで生きている人々に希望
    の光として、今宵の月は照らしている。
    なんと素晴らしい月夜ではないか。今宵は月
    を眺め明かしたい。

    希望の光として照らされても、病気が治る事も
    無いし、借金が減ったりする事も無い。子供の
    非行問題が解決される訳でも無い。
    でも、誰かと相談する勇気を与える事は出来る。
    思い悩む心を変えさせて気を楽にさせる事は出
    来る。こういう手助けなら出来ない事はない。

    先ず暗闇を見つけ、そして照らす事だ。
    今宵の月は暗闇を無くそうとして照っている。
    寝ずして月夜を明かそう。

 注・・建長5年中秋=1253年8月15日(陰暦)。道元
     は建長5年8月28日(陰暦)に死去している。
    やは=反語の意を表す。・・だろうか、いや
     ・・ではない。

作者・・道元=どうげん。1200~1253。曹洞宗の開祖。




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2012年09月22日

いざ歌へ 我立ち舞はむ ひさかたの 今宵の月に 寝ねらるべしや

いざ歌へ 我立ち舞はむ ひさかたの 今宵の月に
寝ねらるべしや
                  良寛 

(いざうたえ われたちまわん ひさかたの こよいの
 つきに いねらるべしや)

意味・・さあ、あなたは歌いなさい。私は立って舞おう。
    今夜の美しい月を見て、寝る事が出来ようか、
    いや出来はしない。

    「証城寺の狸囃子」が思い浮かびます。
                詩・・野口雨情
                曲・・中山晋平
     証 証 証城寺      
     証城寺の庭は
     つ つ 月夜だ
     みんな出て 来い来い来い
     おいらの友だちゃ
     ぽんぽんこぽんのぽん
     負けるな 負けるな
     和尚さんに 負けるな
     来い 来い 来い
     来い 来い 来い
     みんな出て 来い来い来い

 注・・ひさかたの=月・空・光などにかかる枕詞。
    べし=可能または推量する意を表す。・・できる。
     ・・できるはずだ。
    や=反語の意を表す。・・だろうか、いや・・
     ではない。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。18歳で曹洞宗 
     光照寺に入山、22歳で園通寺の国仙和尚に師
     事。

出典・・ 良寛全歌集・1212。    




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2012年09月21日

名歌鑑賞・1968

ゆく雲に 雲の声なし ゆく水に 水のこえなし
秋きたるらし
            田波御白 (御白遺稿)

(ゆくくもに くものこえなし ゆくみずに みずの
 こえなし あききたるらし)

意味・・澄んだ空を行くひそかな雲と、音もなく流れ
    る水に、秋の気配が感じられる。

    入道雲のような躍動感のある夏雲に対して、
    薄っすらとした静かな雲。水やせした川音の
    乏しさ。これらは自然の力が弱まってゆく物
    の姿であり、その姿に寂しい秋、哀愁を感じ
    る秋と詠んでいます。、
    
作者・・田波御白=たなみみしろ。1885~1913。東大
     英文科で学ぶ。肺結核を患い28歳で死去。




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2012年09月20日

極意とて 別にきわむる こともなし 絶えぬ心の たしなみをいう

極意とて 別にきわむる こともなし 絶えぬ心の
たしなみをいう
            
(ごくいとて べつにきわむる こともなし たえぬ
 こころの たしなみをいう)

意味・・極意というと、何か特別のやり方があるように
    思えるが、別に際立って特別な事をやる訳では
    ない。絶えず継続していく日々の心がけの事だ。

    絶えず努力を重ねれば極意まで到達するという
    事を言っています。
    「好きこそ物の上手なれ」と言われる様に、好
    きになる事と努力が成功への近道。

    プロ野球の松井秀喜選手は「努力できる事が才
    能である」を座右の銘にしています。

 注・・極意=奥義、道を究める、魔法のような秘策。
    きわむる=極むる。深くさぐって本質をつかむ。
    たしなみ=心がけ、稽古して身につける。

出典・・剣道・天道流薙刀術道歌。




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2012年09月19日

名歌鑑賞・1966

大比叡の 峰に夕いる 白雲の さびしき秋に
なりにけるかな
           八田知紀 (しのぶぐさ)

(おおひえの みねにゆういる しらくもの さびしき
 あきに なりにけるかな)

意味・・比叡の峰に夕暮れ時にかかっている白雲が寂
    しく感じられる秋に、もうなったものだなあ。

    夏雲が秋雲と変わった様子を見て、秋のおと
    ずれを感じ、また、冬が近づく事を寂しく思
    って詠んでいます。

 注・・大比叡=比叡山。滋賀県大津市と京都市にま
     たがる848mの山。延暦寺の根本中堂が有名。

作者・・八田知紀=はったとものり。1799~1873。
     香川景樹に師事。

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2012年09月18日

消えわびぬ うつろふ人の 秋の色に 身をこがらしの 杜の白露

消えわびぬ うつろふ人の 秋の色に 身をこがらしの
杜の白露
                  藤原定家 

(きえわびぬ うつろうひとの あきのいろに みを
 こがらしの もりのしらつゆ)

意味・・死ぬほどに思い悩んだことです。心変わりした
    あの人の、秋に色変わりした木の葉のような、
    私に飽きた様子に身を焦がして、こがらしの森
    の白露のように涙をこぼしながら・・・。

 注・・消えわびぬ=命が消え入るほど心細く思う。
    秋の色=「飽きの色」を掛ける。
    こがらしの杜=駿河国の枕詞。静岡市葵区羽鳥
     の八幡神社の森。「焦がらし(心を苦しめる
     の意)」を掛ける。

作者・・藤原定家=ふじわらのさだいえ。1161~1241。
     正二位権中納言。「新古今集」の撰者の一人。

出典・・新古今集・1320。

    


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2012年09月17日

名歌鑑賞・1964

一筋に 君を思ふと 告げにこし 風ならなくに
身に沁む夕べ
          桑野信子 (新万葉集・巻3)

(ひとすじに きみをおもうと つげにこし かぜ
 ならなくに みにしむゆうべ)

意味・・「一筋にあなたを思っております」と私に
    告げに来てくれた秋風ではないので、私に
    はその風が、寂しく身に沁み入る夕べです。

    愛を告げに来てくれる秋風であって欲しい
    という気持ちです。

 注・・ならなくに=・・でないのだから。

作者・・桑野信子=伝未詳。


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2012年09月16日

帰り来て 見むと思ひし 我がやどの 秋萩すすき 散りにけむかも

帰り来て 見むと思ひし 我がやどの 秋萩すすき
散りにけむかも
                  秦田麻呂 

(かえりきて みんとおもいし わがやどの あきはぎ
 すすき ちりにけんかも)

詞書・・遣新羅使人(けんしらぎしじん)が佐賀県の唐津
    市から壱岐の島に向かう時、玄海の荒海を見て
    詠んだ歌。

意味・・都に帰りついて見る事が出来るだろうと思って
    いた、我が家の秋萩やすすき、あの花々はもう
    散ってしまっただろうか。

    順調に旅が進んでいたら、今は都に帰りついて
    見る事が出来たはずなの秋萩やすすき。だが、
    対馬で病気が蔓延し遣新羅使の中にも病気にか
    かる人が出て旅が遅れていた。その不安を詠ん
    だものです。

 注・・新羅(しらぎ)=韓国東南部にあった国。736年
     6月に遣新羅使が出発。
    帰り来て=帰京した立場に身を置いての言い方。
    散りにけむかも=秋も半ばを過ぎた事を嘆く言
     葉。「に」は完了の助動詞。

作者・・秦田麻呂=はだのたまろ。生没年未詳。736年
     遣新羅使となる。

出典・・万葉集・3681。




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2012年09月15日

名歌鑑賞・1962

わがやどの 庭の秋萩 散りぬめり 後見む人や
くやしと思はむ
               源宗于 
             (後撰和歌集・299)
(わがやどの にわのあきはぎ ちりぬめり あと
 みんひとや くやしとおもわん)

意味・・我が家の庭の秋萩は散ってしまいそうに
    見える。後からやって来て見る人は残念
    に思うことだろう。

   「後見む人」が早く来て欲しいという気持
    ちを詠んでいます。

 注・・めり=・・のように見える。

作者・・源宗于=みなもとのむねゆき。~939没。
     正四位右京太夫。三十六歌仙の一人。




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2012年09月14日

おぼつかな 都に住まぬ 都鳥 言問ふ人に いかが答へし

おぼつかな 都に住まぬ 都鳥 言問ふ人に
いかが答へし
            宜秋門院丹後 

(おぼつかな みやこにすまぬ みやこどり こととう
 ひとに いかがこたえし)

意味・・気にかかることだ。都に住んでいない都鳥よ。
    都の人の安否を尋ねた男にどのように答えた
    のか。都の事情に疎いはずなのに。

   「名にしおはばいざ言問はん都鳥わが思ふ人は
    ありやなしや」の歌を踏まえた作です。
     (意味は下記参照)

 注・・おぼつかな=心もとない、気に掛かる。
    都鳥=水鳥のかもめの一種。身体が白色、口
     ばしと足が赤い。
    言問ふ人=都にいる人を尋ねる人。

作者・・宜秋門院丹後=ぎしゅうもんいんのたんご。
     生没年未詳。1180年頃の人。後鳥羽帝の中
     宮・宜秋門院の女房(女官)。

出典・・新古今和歌集・977。


参考歌です。

名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は 
ありやなしやと
               在原業平
             (古今集412、伊勢物語・9)

(なにしおわば いざこととはむ みやこどり わがおもふ
 ひとは ありやなしやと)

意味・・都という名を持っているのならば、さあ尋ねよう、
    都鳥よ。私の思い慕っている人は元気でいるのか、
    いないのかと。

    流浪の旅をする業平らが隅田川に着いて、舟の
    渡し守から見知らぬ鳥の名を聞いて詠んだ歌です。
    都鳥という名に触発され、都にいる妻への思いが
    急激に高まったものです。

 注・・あり=生きている、健在である。

作者・・在原業平=ありひらのなりひら。~825。六歌仙の
     一人。伊勢物語の主人公。




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2012年09月13日

名歌鑑賞・1960

底ひなき 渕やは騒ぐ 山川の 浅き瀬にこそ
あだ波はたて
        素性法師 (古今和歌集・722)

(そこいなき ふちやはさわぐ やまかわの あさき
 せにこそ あだなみはたて)

意味・・底知れず深く湛(たた)えた水は音を立てます
    か。山あいの浅瀬にこそ、いたずらに騒がし
    い波が立つのです。

    浅はかな心の持ち主は多言であるのに対し、
    深く思いを潜(ひそ)めた者は安易に口は出
    さないという事。

    恋人から冷淡さをなじられたのに対して、返
    答として詠んだ歌です。    

 注・・底ひ=深い底。
    やは=反語の意を表す。・・・であろうか、
     いや・・・ではない。
    山川=山中を流れる川。
    あだ波=徒波。むやみに立ち騒ぐ波。変わり
     易い人の心や色恋のうわさにたとえる。

作者・・素性法師=そせいほうし。生没年未詳。遍照
     の子。896年権律師になる。




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2012年09月12日

思ひかね そなたの空を ながむれば ただ山の端に かかる白雲

思ひかね そなたの空を ながむれば ただ山の端に
かかる白雲
                  藤原忠通 

(おもいかね そなたのそらを ながむれば ただやまの
 はに かかるしらくも)

詞書・・近江守であった藤原顕輔(あきすけ)が遠い郡へ
    出かけた時に送った歌。

意味・・恋しい思いに堪えかねて、あなたのいる方角の
    空を眺めると、ただ山の稜線に白雲がかかって
    いるのが見えるだけです。

 注・・藤原顕輔=ふじわらのあきすけ。1090~1155。
     左京大夫・正三位。詞花和歌集の撰者。

作者・・藤原忠通=ふじわらのただみち。1097~1164。
     太政大臣・従一位。

出典・・詞花和歌集・381。




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2012年09月11日

名歌鑑賞・1958

妹が背に ねぶる童の うつつなき 手にさへめぐる
風車かな
               大隈言道 (草径集)

(いもがせに ねぶるわらわの うつつなき てにさえ
 めぐる かざぐるまかな)

意味・・妻の背中で幼子が無心にすやすやと眠っている
    が、眠ったまま手放さない風車が風につれて回
    っている。

    子供のあどけない寝顔と、それでもしっかり握
    りしめた指と、時々クルクルッと回る風車。そ
    れに妻の幸せそうな様子を作者は父親として目
    を細めて見ています。

 注・・妹=男性から女性を親しんでいう語。妻、恋人。
    うつつなき=夢心地に。

作者・・大隈言道=おおくまことみち。1798~1868。
     福岡の商家に生まれる。39歳で歌に専念。
     野村望東尼の師。


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2012年09月10日

月夜には 門に出で立ち 夕占問ひ 足占をぞせし 行かまくを欲り

月夜には 門に出で立ち 夕占問ひ 足占をぞせし
行かまくを欲り
                 大伴家持 

(つくよには かどにいでたち ゆうけとい あうら
 をぞせし いかまくをほり)

意味・・月夜になると門の外に立ち出でて、夕方の辻
    占いをしたり、足占いをしたりしたのですよ。
    あなたの所に行きたいと思って。

    この歌は家持が坂上大嬢(さかのうえのおおい
    らつめ)に占いの結果、凶と出たので行けなか
    ったと弁じた歌です。

    花占い・・マーガレットの花びらを一枚一枚
    ちぎっては「愛している」「愛していない」
    と口ずさんで、最後に残った花びらの時、口
    ずさだ言葉で占いをする。
    夕占いは辻に立って、通る人の状態を見て占
    い、足占いは花占いと同様に一歩一歩、歩く
    度に「今日はあの人に逢える」「逢えない」
    と唱えて目標の地点に着いた時の言葉で吉凶
    を占う。    

 注・・夕占(ゆうけ)=夕方辻に立って往来の人の話
     を聞き、それによって吉凶・禍福を占う。
    足占(あうら)=足(あし)占い。歩きながら、
     一歩一歩に吉凶の言葉を唱え、目標の地点
     に達した時の言葉で吉凶を占う。

作者・・大伴家持=おおとものやかもち。718~785。
     大伴旅人の長男。越中守。万葉集の編纂を
     行う。

出典・・万葉集・736。




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2012年09月09日

名歌鑑賞・1956

あかあかと日は難面もあきの風
                 
            芭蕉 (奥の細道)

(あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ)

意味・・赤々と照りつける残暑の日はまだ暑く、
    どこが秋かという調子だが、さすがに
    もう秋だけに、風は秋らしい爽(さわ)
    やかさである。

 注・・難面も=無常にも、冷淡にも。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1695。「奥の細
     道」。



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2012年09月08日

あはれてふ 事になぐさむ 世の中を などか昔と 言ひて過ぐらん

あはれてふ 事になぐさむ 世の中を などか昔と
言ひて過ぐらん
                  詠み人しらず

(あわれちょう ことになぐさむ よのなかを などか
 むかしと いいてすぐらん)

意味・・「あわれ」という言葉を吐く事によって慰め
    られるこの人生を、どうして「昔は・・だった
    のに」などと言って涙を流しつつ過ごして
    いるのだろうか、この私は。

    「情けないなあ」とため息をつく事で気が休
    まるものを、どうして「昔は、昔は・・・」と言っ
    て過去にとらわれ、嘆き過ごすのだろうか。    

 注・・てふ(ちょう)=という。
    あはれ=ふびんだ、悲しい、みじめだ。

出典・・後撰和歌集・1192。




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2012年09月07日

名歌鑑賞・1954

秋をあさみ 色なき草に おきそへて おのれ時しる
庭の白露
                 定為 (嘉元百首)

(あきをあさみ いろなきくさに おきそえて おのれ
 ときしる にわのしらつゆ)

意味・・秋が浅いので、草葉はまだ秋の色に染まってい
    ない。その草葉の朝露の湿りに置き変わって、
    自ずから時季をわきまえているのか、庭の玉の
    露が白く光っている。秋の気色が深まって来た
    のが感じられる。    

 注・・秋をあさみ=秋を浅み。「を」は「み」が付い
     て原因や理由を表す。・・が・・なので。秋
     が浅いので。「秋の気色を朝見ると」の意を
     掛ける。
    色なき草=草葉が紅葉していない。
    おきそへて=すでに置いている上に新たに置き
     加わって。草葉の朝湿りや朝濡れはすでに見
     られるのだか、そういう朝を何日か経て、露
     の玉が白く輝くようになること。
    白露=白い玉のような露。二十四節気の一つで
     草木の露が秋の到来を感じさせる9月7日頃。

作者・・定為=じょうい。生没年未詳。1327頃没。二条
     派の歌僧。




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2012年09月06日

大空の 塵とはいかが 思ふべき 熱き涙の ながるるものを

大空の 塵とはいかが 思ふべき 熱き涙の
ながるるものを
            与謝野寛 ()

(おおぞらの ちりとはいかが おもうべき あつき
 なみだの ながるるものを)

意味・・大空に浮かぶかすかな塵のような自分だと、
    どうして思う事が出来ようか。熱い涙の流れ
    る我が身であるのに。

    広大な天地、悠久な時間からすれば、人間の
    存在は塵のようなものだ。しかし自分はそう
    はさせたくない。楽しい事も苦しい事も時が
    経てば消え失せるものなので、名が残る事を
    成し遂げたい。命を燃やし尽くして生きて行
    きたい。自分にはその情熱があるのだ。

    参考です。

    「楽も苦も 時過ぎぬれば 跡もなし 世に残る
    名を ただおもふべし」  (島津家の家訓)

作者・・与謝野寛=よさのひろし。1873~1935。号
     は鉄幹。明星を創刊して浪漫主義文学の
     運動の中心になる。慶大教授。「東西南
     北」「相聞」。

出典・・歌集「相聞」。



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2012年09月05日

名歌鑑賞・1952

沈黙の われに見よとぞ 百房の 黒き葡萄に
雨ふりそそぐ
                斉藤茂吉 (小園)

(ちんもくの われにみよとぞ ももふさの くろき
 ぶどうに あめふりそそぐ)

意味・・悔しくても一言も発する事が出来ない状態で
    いる自分に向かって、「見よ」といわんばか
    りに、ぶどうの房が沢山ぶどう棚に垂れ下が
    っている。そのぶどうには、秋の雨がもの寂
    しく降りそそいでいる。
    
    沈黙せねばならぬ状態とは、例えば、
    仕事の不満や上司への愚痴を口に出したいが
    我慢をして口に出さない。
    また、仕事に失敗した時に言い訳をしない。

    この様に沈黙する時には言いたい事や叫びた
    い事が一杯あるのに、じっと我慢していなけ
    ればいけない。ぶどうを見るがいい、彼らも
    実にどっしりと垂れ下がって、雨に耐えて「
    沈黙」しているではないか。
    
 注・・沈黙=言いたい事があっても黙っている、言
     い訳をしない。悔しくとも沈黙する心情。
    黒き葡萄=黒く色づいたぶどう。一首全体に
     流れる重苦しい心情を表す。

作者・・斉藤茂吉=さいとうもきち。1882~1953。東
     京大学医科卒。伊藤左千夫に師事。文化勲
     章を受ける。「小園」。
    

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2012年09月04日

しらじらと 硝子戸とほる 光あり 夜をとほし座り いる妻がみゆ

しらじらと 硝子戸とほる 光あり 夜をとほし座り
いる妻がみゆ
                 五味保義 

(しらじらと がらすどとおる ひかりあり よをとおし
 すわりいる つまがみゆ)

意味・・白々と硝子戸を通して光がある。もう夜が明け
    ようとしている。一夜眠らずにじっと座ってい
    る妻が見える。

    何か異常な事のあった緊迫感を詠んでいます。
    思いつめている妻と、作者も夜を徹っしている
    出来事。例えば、非行しかけている息子・娘が
    日頃夜遊びをして遅く帰る、遅くなっても帰っ
    て来ていたが今日はとうとう帰って来ない。
    息子・娘の身が心配で寝られずに夜を明かした。

作者・・五味保義=ごみやすよし。1901~1982。京大国
    文科卒。大学講師。土屋文明に師事。「此岸集」。

出典・・歌集「此岸集」。




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2012年09月03日

名歌鑑賞・1950





わがせこが 解き洗ひ衣も 縫はなくに 荻の葉そよぎ
秋風の吹く
              土岐筑波子 (筑波子歌集)

(わがせこが ときあらいごろもも ぬわなくに おぎのは
 そよぎ あきかぜのふく)

意味・・夫の、解いて洗い直しをした袷(あわせ)の着物も
    まだ縫ってないのに、もう荻の葉がそよいで秋風
    が吹いている。

    夏は暑いので単衣(ひとえごろも)だから、春に着
    た袷は夏になると一度解いて洗い張りをし、縫い
    直して、また着ていた。夏の間に縫い直しをして
    おこうと思っていたが、もう荻の葉がそよぐ秋が
    やってきた。

    江戸時代の生活の一端をうかがい知る事が出来ま
    す。

 注・・袷(あわせ)=裏のついている着物。

作者・・土岐筑波子=ときつくばこ。生没年未詳、江戸中期
     の人。賀茂真渕に師事。




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2012年09月02日

夕まぐれ 荻ふく風の 身にしめば 秋きにけりと おどろかれぬる

夕まぐれ 荻ふく風の 身にしめば 秋きにけりと
おどろかれぬる
                 斎院中務 

(ゆうまぐれ おぎふくかぜの みにしめば あききに
 けりと おどろかれぬる)

意味・・薄暗い夕方、荻の葉がさやさやと音をたてている。
    荻に吹く風を我が身に感じた時、もう秋が来たの
    だなあと驚くことだ。

    朝夕に冷んやりした風を感じて、もう秋の季節が
    来たのだと驚きを詠んでいます。

    参考です。(陶淵明の詩の一部分)

    盛年 重ねては来たらず
    一日 再びは晨(あした)なり難し
    時に及んで まさに勉励すべし
    歳月 人を待たず

    若い時は二度と来ない
    一日に朝の二度来ることはあり得ない
    だから、その時その時に、心ゆくまで
    その楽しみに励むのがよい
    月日の流れは人を待たないのだから

 注・・荻=薄(ススキ)とよく似ている、荻は茎と葉が薄
     より心持ち太い。
    勉励=ここでは、充実した生活を送ること。

作者・・斎院中務=さいいんのなかつかさ。生没年未詳。1050
     年頃の人。賀茂斎院選子内親王に仕えた女官。

出典・・六条斎院歌合。

                       

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2012年09月01日

名歌鑑賞・1948

われの眼の つひに見るなき 世はありて 昼のもなかを
白萩の散る
               明石海人 (白描)

(われのめの ついにみるなき よはありて ひるの
 もなかを しろはぎのちる)

意味・・私の眼にはもはや見ることも出来ない世界が
    周囲に広がっている。私のたたずむ秋の真昼
    もそうだ。しかしそんなこととは関わりなく、
    私の眼の中では白萩が散っていることだ。

    作者は27歳でハンセン病となり、35歳頃から
    視力が不自由になる。ほとんど視力を失った
    頃に詠んだ歌です。
    健やかだった頃の眼に刻み込まれた白萩の美
    しい幻想が、作者の脳裏に今鮮やかによみが
    がえってくる。それが失明によって世界と隔
    離されてしまった悲しみを詠んでだ歌です。

 注・・白萩=豆科の植物。萩は豆のような赤紫色の
     蝶形花であるが、白萩は白色の花を咲かす。
     秋の七草のひとつ。    

作者・・明石海人=あかしかいじん。1901~1939。ハン
     セン病のため瀬戸内海の長島愛生園で一生を
     過ごす。歌集「白描」。




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