2012年10月

2012年10月31日

名歌鑑賞・2008

病むもよし病まば見るべし萩芒

                 吉川英治

(やむもよし やまばみるべし はぎすすき)

意味・・時には悩むことも仕方がない。しかし
    悩んだ時には萩や芒の柔軟な姿を見る
    ことだ。

    萩の枝は、箒にされるようにしなやか
    である。また芒は風に吹かれるままに
    靡(なび)く。このように萩や芒の姿の
    柔軟な様は尊いものである。
    悩んでいる時は一方的な考えになって
    いるので、萩や芒のように柔軟な考え
    になれれば悩みも軽減されると言って
    います。

 注・・病む=病気にかかる。悩む、心配する。
    萩=豆科の植物。花は豆のような蝶形の
     花。枝や葉は家畜の飼料や屋根ふき
     の材料にされ、葉を落とした枝は束
     ねて箒(ほうき)にされる。秋の七草。
    
作者・・吉川英治=よしかわえいじ。1892~1962。
     高等小学校中退。工員など転々と20
     余種も職を変える。その後懸賞小説
     に入選し、「鳴門秘帖」で作家の地
     位を確立する。    

出典・・村上護「今朝の一句」。




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2012年10月30日

名歌鑑賞・2007

入相は 檜原の奥に 響きそめて 霧にこもれる
山ぞ暮れゆく
         足利尊氏 (風雅和歌集・664)

(いりあいは ひばらのおくに ひびきそめて きりに
 こもれる やまぞくれゆく)

意味・・夕暮れを告げる鐘は檜原の奥で鳴り始め、
    霧に包まれている山はいま暮れてゆく。

    夕霧に包まれた針葉樹林の奥から聞こえ
    る鐘の音は、深い寂しさを伴って響いて
    来る。
   
 注・・入相=夕暮れ、夕暮れに鳴る鐘。
    檜原=檜の茂った山。深い寂しさの情景
     を伴っている。

作者・・足利尊氏=あしかがたかうじ。1305~1358。
     室町幕府初代将軍。後醍醐天皇と争い
     光明天皇を擁立して北朝を立てる。
    

    


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2012年10月29日

名歌鑑賞・2006

越えわびる 逢坂よりも 音に聞く 勿来をかたき
関と知らなむ
              道綱母 (蜻蛉日記)

(こえわびる おうさかよりも おとにきく なこそを
 かたき せきとしらなん)

意味・・あなたが越えにくいと嘆いている逢坂の関は、
    まだ名前だけでも逢うという言葉を持っていま
    すが、私の方は名前からして勿来といって来て
    くれるなというなかなか人を寄せ付けない、堅
    固な難関だと知ってください。

    藤原兼家(道長の父)の求婚歌の返歌です。結婚
    を断った歌になっているが、返歌を返す事は当
    時、結婚を承諾する事と同じであった。

    兼家の求婚歌です。
   「逢坂の関やなにより近けれど 越えわびぬれば
    嘆きてぞふる」 (意味は下記参照)

 注・・わびる=気落ちする、途方にくれる。・・しか
     ねる。
    逢坂=滋賀県大津市逢坂。昔ここに関があった。
     「逢う」を掛ける。
    音に聞く=うわさに聞く。「逢う」という事を
     聞いている。
    勿来の関=福島県勿来町にあった関。「な来そ
     」を掛ける。
    かたき=難き。「固き」を掛ける。
    
作者・・道綱母=みちつなのはは。936~995。藤原道長
     の父である兼家と結婚。「蜻蛉日記」の作者。

兼家の求婚歌です。

逢坂の 関やなにより 近けれど 越えわびぬれば
嘆きてぞふる
             藤原兼家 (蜻蛉日記)

意味・・人に逢うという名を持った逢坂の関は、一体
    何なのでしょう。すぐ目と鼻の近さにありな
    がら、まだ越え兼ねる、すなわちあなたに逢
    う事が出来ないので、嘆き暮らしています。

 注・・なにより=何より。どういうため。「より」
     は原因・理由を表す。・・のために。
    ふる=経る。月日がたつ。過ごす。

作者・・藤原兼家=ふじわらのかねいえ。929~990。
     従一位・摂政関白となり、子の道長、孫の
     頼通と続く藤原全盛時代を築く。




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2012年10月28日

名歌鑑賞・2005

過ぎ去れば 昨日の遠し 今日もまた 夢の話と
なりぬべきかな
           与謝野晶子 (心の遠景)

(すぎされば きのうのとおし きょうもまた ゆめの
 はなしと なりぬべきかな)

意味・・過ぎ去ってしまうと昨日も遠い事のようです。
    そのように今日という日もまた夢の話のよう
    に遠くなってしまうのでしょう。

    かく過ぎ去って、昭和は遠くなる。

    参考です。

    村田英雄の唄った「明治は遠くなりにけり」
    です。
               丘 灯到夫 作詞
               船村徹   作曲

    想い悲しく 東海の
    磯に涙の啄木や
    熱き血潮に 柔肌の
    歌人晶子 いまは亡く
    ああ明治は 遠くなりにけり

    汽笛一声 新橋の
    屋根におぼろの 七日月
    月の光は 変らねど
    人生あはれ五十年
    ああ明治は 遠くなりにけり

    水の流れと 人の身の
    行方定めぬ 世の姿
    晴れの維新の 大業も
    足音絶えて 幾星霜
    ああ明治は 遠くなりにけり   

啄木の東海の歌
   「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて
   蟹とたはむる」

晶子の柔肌の歌
   「やは肌のあつき血汐にふれも見で さびし
   からずや道をとく君」

人生あはれ五十年の歌
   「人間五十年下天の内を比ぶれば 夢幻の
   如くなり」    

作者・・与謝野晶子=よさのあきこ。1878~1942。
     堺女学校卒。与謝野鉄幹と結婚。歌集「
     みだれ髪」「舞姫」。



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2012年10月27日

名歌鑑賞・2004

人間五十年 下天の内を 比ぶれば 夢幻の
如くなり
          (織田信長) (幸若舞「敦盛」)

(にんげんごじゅうねん げてんのうちを くらぶれば
 ゆめまぼろしの ごとくなり)

意味・・人間の命はわずか五十年しかない。下天に
    比べれば、それは夢幻のように一瞬のはか
    ないものである。

    下天は人間世界の一つ上の天道で、一日が
    人間世界の80年とされる。

作者・・織田信長=おだのぶなが。1534~1582。
     本能寺で明智光秀に殺される。
     信長が好んで「敦盛」の言葉を口癖に
     していたので、信長と結びつけられて
     いる。




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2012年10月26日

名歌鑑賞・2003

住吉の 松の木間より 眺むれば 月落ちかかる
淡路島山
              源頼政 (頼政集)

(すみよしの まつのこまより ながむれば つきおち
 かかる あわじしまやま)

意味・・住吉の浜辺にいて、松の木の間を通して海
    を眺めると、月が淡路島の島影に落ちかか
    っている。
 
    静けさの中に打ち寄せる波の音。砕けて見
    える白い波。その住吉の浜辺に生い茂る松
    林の木の間から、遠く海を眺めると、淡路
    島を月が影絵のように映し出している。
    しんみりとした夜の風情が感じられる。

 注・・住吉の松=大阪住吉の浜辺の松。松の名所。
     住吉は摂津国の歌枕。

作者・・源頼政=みなもとのよりまさ。1104~1180。
     従三位蔵人。家集「頼政集」。   




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2012年10月25日

名歌鑑賞・2002

風のうへに ありかさだめぬ 塵の身は ゆくへも知らず
なりぬべらなり
          よみ人しらず (古今和歌集・989)

(かぜのうえに ありかさだめぬ ちりのみは ゆくえも
 しらず なりぬべらなり)

意味・・風に吹きあげられて、ありかも定まっていない
    塵のようなはかない私は、これから先どうなる
    か、行き着く所も分らぬものになってしまいそ
    うである。

    大学は出たけれど、定職についていないフリー
    ターの心もとない気持ち。また、上司にいじめ
    られて会社を辞めたいと悩んでいる人の気持ち。
    このような不安定な人の心を詠んでいます。

    裏返して見ると、たとえ過ちを犯していても、
    強(したた)かに生き抜く力が無くてはならない、
    と言っているみたい。     

 注・・風のうへにありかさだめぬ=風に吹き上げられて
     どこにどう落ちるか定まっていない。「ありか」
     は、いる所、住む所。
    塵の身=塵のようなはかない身。例えば、上司に
     いじめられて会社を辞める事を考えている身。




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2012年10月24日

名歌鑑賞・2001

生死に かかはりあらぬ ことながら この十日ほど
心にかかる
                片山広子 (翡翠)

(いきしにに かかわりあらぬ ことながら このとおか
 ほど こころにかかる)

意味・・生死にかかわるような重大な事柄でもないのに、
    この十日あまりの間は、心が何かに押さえられ
    ているようで、ふと気がつくと、その事に心が
    とらわれているのだ。

    家族の病気や人間関係のつまづき、仕事の停滞
    などなどで、人の一生は懸念の連続であると言
    ってよい。考えて見るとそれは生死にかかわる
    ような重大事ではないのだが、何か晴れやらぬ
    思い、心の重い日々を過ごしてしまう、と詠ん
    だ歌です。

作者・・片山広子=かたやまひろこ。1878~1957。東洋
     英和女学校卒。佐々木信綱に師事。アイルラ
     ンド文学の翻訳者。歌集「翡翠」。




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2012年10月23日

名歌鑑賞・2000

いつの世の ふもとの塵か 富士のねを 雪さへたかき
山となしけん
               阿仏尼 (十六夜日記)

(いつのよの ふもとのちりか ふじのねを ゆきさえ
 たかき やまとなしけん)

詞書・・富士の山を見て「古今集の序」の言葉を思い出
    されて。

意味・・いつの時代の麓の塵が積もり積もって、富士の
    山を雪まで頂く高山にしたのだろうか。

    古今和歌集の序の一節に、
    「遠い所も出発の第一歩より始まり、年月を経
    て到達し、高い山も麓のわずかな塵土が積もり
    重なって、ついに天雲がたなびくほど高く成長
    するように、歌もこのように発達を遂げたので
    ありましよう」とあります。

    白楽天の「千里も足下より始まり、高山も微塵
    より起こる」(何事も小さな積み重ねによって
    大きな成果が生まれる)を念頭にして詠んだ歌
    でもあります。

作者・・阿仏尼=あぶつに。1222頃~1283。夫は藤原
     為家(定家の子)。遺産相続争いで鎌倉幕府
     に訴訟のため、京から鎌倉の旅に出る。こ
     の紀行文が十六夜日記です。




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2012年10月22日

名歌鑑賞・1999

雨露に うたるればこそ 楓葉の 錦をかざる
秋はありけれ
                沢庵宗膨

(あめつゆに うたるればこそ かえでばの にしきを
 かざる あきはありけれ)

意味・・雨や露にうたれるからこそ、秋ともなると楓が
    紅葉し、錦を飾ることとなる。
    人もまた同じ、逆境を経てこそ人は大成するの
    である。

作者・・沢庵宗膨=たくあんそうほう。1573~1646。
     臨済宗の僧。

出典・・木村山治朗「道歌教訓和歌辞典」。
 



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2012年10月21日

名歌鑑賞・1998

見てあれば かごのこほろぎ みてあれば 杯の酒
やはり寂しき
              内藤しん策 (旅愁)

(みてあれば かごのこおろぎ みてあれば さかずきの
 さけ やはりさびしき)

意味・・眺めているかごのこおろぎも、杯に注いでいる
    酒も、気がふさぎ晴れ晴れしない心には慰めに
    はならない。

    一人酒を飲んで、心の鬱憤を晴らそうとするが
    気は晴れなく何をする気にもなれない。そのよ
    うな疲れた状態を詠んでいます。

    疲れた時、逆境に陥った時は、姜尚中の下記の
    言葉を参考にしてください。

作者・・内藤しん策=ないとうしんさく。1888~1957。
     若山牧水・前田夕暮らと交流。(「しん」は
     金偏に辰の字。)

参考です。

疲れた時、逆境に陥った時の参考の言葉です。

姜尚中(かんさんじゅん)の本「在日」の一節です。

「天の下のすべてのことには季節があり、すべての業に
 は時がある。生まるるに時があり、死ぬるに時があり、
 ・・・・泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時が
 あり、踊るに時があり・・・・」
「今の苦境がずっと未来永劫に続きそうな錯覚に陥って
 はだめだ、必ず時があるのだから、時が変わる準備を
 して心の平穏を取り戻すことだ」




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2012年10月20日

名歌鑑賞・1997

見渡せば 詠れば見れば 須磨の秋

                芭蕉 (芝肴)

(みわたせば ながむればみれば すまのあき)

意味・・見渡したり、詠(なが)めたり、見たり、
    見れば見るほど淋しさ、侘びしさの伴う
    須磨の秋である。

    藤原定家の次の歌を念頭に置いた句です。

    「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋
    (とまや)の秋の夕暮れ」(新古今・363)

    (見渡すと、美しい春の桜も、色とりどり
    の紅葉も、何もない。しかしそれ故に一層
    趣深い、海辺に苫屋だけが見えるこの秋の
    夕暮れよ)

    須磨の秋が、侘びしさや淋しさが伴うのは、
    源氏物語や次の行平の歌や源平の一の谷の
    戦いなどによります。

    「わくらばに問う人あらば須磨の浦に藻塩
    たれつわぶとこたへよ」
              在原行平(古今集962)
    (もしたまたま、私の事を尋ねてくれる人
    がいたらならば、須磨の浦で藻塩草に塩水
    をかけて、涙ながら嘆き暮らしていると答
    て下さい)

    須磨寺やふかぬ笛きく木下やみ
               芭蕉 (笈の小文)
    (この須磨寺の、青葉小高い木立の中にた
    たずむと、昔の事が偲ばれる。そしてあの
    敦盛が吹く青葉の笛がどこからか聞こえて
    来るように思える)
    
    青葉の笛(明治の唱歌)です。
               大和田建樹作詞
               田村虎蔵作曲
  
     一の谷の 戦破れ
     討たれし平家の 公達あわれ
     暁(あかつき)寒き 須磨の嵐に
     聞こえしはこれか 青葉の笛
   
    一の谷(須磨)で敦盛(あつもり)が討たれ時
    の歌です。    

 注・・詠(ながむ)れば=口ずさむ、詩歌を吟ずる。
    須磨の秋=和歌や俳句では、淋しく侘びし
     い須磨の名勝地として詠まれている。

作者・・芭蕉=1644~1694。

    


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2012年10月19日

名歌鑑賞・1996

うつしみは 影もちている 山がはの 渚の白き
石の一つに
          片山貞美 (つりかはの歌)

(うつしみは かげもちている やまがわの なぎさの
 しろき いしのひとつに)

意味・・清流の川辺に来て見ると、私の影は白い石に
    くっきりと映し出した。自分が生きていると
    いう存在を示すように。

    山歩きをしている途中で、清流の山川にた
    どり着いた時に詠んだ歌。
    明るく照っている川原の白い石に、自分の
    影が映っているのをふと見て、生きている
    自分の証しとしての影、自分の存在をはっ
    きり感じさせる影に、心地よく山歩きをし
    ている自分を見つめている。

 注・・うつしみ=現身。「うつせみ」と同じ。この
     世、現世。この世に生きている身体。
    うつしみは影もちている=自分という生きて
     いる存在が落としている影。そこにいる 
     自分の存在感をはっきり感じさせる影。
    渚=川や海の波うちぎわ。

作者・・片山貞美=かたやまていび。1922~2008。国
     学院大卒。歌集「つりかはの歌」。

 


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2012年10月18日

名歌鑑賞・1995

君をこそ 朝日と頼め ふる里に のこるなでしこ
霜に枯らすな
             阿仏尼 (十六夜日記)

(きみをこそ あさひとたのめ ふるさとに のこる
 なでしこ しもにからすな)

意味・・あなたをこそ朝日のように頼りにしています。
    どうか、家に残る子供たちが無事であるよう、
    お世話ください。

    遺産相続のトラブルで、鎌倉幕府に訴訟する
    ため、子供を残して、京都から鎌倉に旅立つ
    時に、信頼している近所の女性に、後を依頼
    した歌です。

 注・・朝日と頼む=なでしこが霜に枯れぬよう、そ
     の霜を溶かして下さいという意。
    なでしこ=「撫でしこ」という音から、愛児
     の意に用いられている。

作者・・阿仏尼=あぶつに。1222頃~1283頃。夫は藤
     原定家の子の藤原為家。先妻の長男・為氏
     と遺産相続で争う。「十六夜日記」。


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2012年10月17日

名歌鑑賞・1994

あしびきの 山行きしかば 山人の 我に得しめし
山づとぞこれ
          先太上天皇 (万葉集・4293)

(あしびきの やまゆきしかば やまびとの われに
 えしめし やまづとぞこれ)

詞書・・山村に幸行(いでま)す時の歌。

意味・・人里離れた山道を歩いていた所、その「山」
    という村に住んでいる山人が私のこの手に授
    けてくれた、素晴らしい「山村」の土産なの
    です。これが。

    「山づと」は山歩きを助ける山杖と思われる
    が、大和の国の統治者の詠んだ歌なので魔法
    の杖。作物の育成技術など。

 注・・山村=奈良市南郊の山麓にある山町。
    あしびきの=「山」の枕詞。
    山=詞書より地名の「山」。奈良市南郊山町。
    山人=山村の人。ここでは仙人の意をにおわ
     す。
    山づと=山の土産(みやげ)。山杖など。ここ
     では仙人から貰った魔法の杖・統治を司る
     知恵・作物の育成の技術など。

作者・・先太上天皇=さきのおおきすめらみこと。
     718年頃の第44代元正天皇。




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2012年10月16日

名歌鑑賞・1993

寺々の 女餓鬼申さく 大神の 男餓鬼賜りて
その子産まはむ
         池田真枚 (万葉集・3840)

(てらでらの めがきもおさく おおみわの おがき
 たばりて そのこうまわん)

詞書・・池田朝臣、大神朝臣奥守を笑ふ歌。

意味・・あちこちの寺にいる女餓鬼が言うことにや、
    大神さんは大変やせて男餓鬼そっくりで、
    さぞ私らと似合いの夫婦が出来るだろう。
    一緒になってその餓鬼を産もうとさ。

    同僚の大神(おおみわ)朝臣が骨と皮ばかり
    にやせた身体つきであるのを餓鬼に見立て
    た歌で、人が嫌がる餓鬼に持てると嘲笑っ
    ています。

    突飛な思いつき、奇想天外な着想で相手を
    皮肉った、嗤笑(わらい)歌です。

 注・・餓鬼=貪欲の戒めとして、あちこちの寺に
     置かれていた餓鬼の像。やせた餓鬼の像
     を女餓鬼に見立てたもの。
    賜(たば)りて=いただいて。ちょうだいし
     て。
    大神奥守=おおみわのおきもり。池田真枚
     と同時(764年)に従五位下になった人。

作者・・池田真枚=いけだまひら。生没年未詳。
     764年従五位下になる。
    


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2012年10月15日

名歌鑑賞・1992

秋風や藪も畠も不破の関

             芭蕉 (野ざらし紀行)

(あきかぜや やぶもはたけも ふわのせき)

詞書・・不破

意味・・来て見れば不破の里には寂しく秋風が吹き
    わたっている。往時を偲んで関跡に立てば、
    眼前の藪や畠に秋風が吹きさわぐばかり。
    伝え聞く不破の関屋はただ風の中に幻を残
    すのみであった。

    関跡の現況を「藪も畠も」と描きだして、
    黍離麦秀(しょりばくしゅう)(亡国の遺跡
    に黍(きび)や麦などの生い茂っているさま)
    の懐古の思いを詠んでいます。

    次の歌を踏まえた句です。
    「人住まぬ不破の関屋の板びさし荒れにし
    のちはただ秋の風」  (意味は下記参照)

 注・・秋風・・ここでは暮秋の秋風。草木を枯ら
     し、万物を凋落させる風を意味し、もの
     侘びしい秋風である。
    不破の関=岐阜県不破郡関が原にあった関。
     逢坂の関が設置されて廃止になり、その
     荒廃の哀歓を詠ずる歌枕となった。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1694。「野ざらし
     紀行」。
 
参考歌です。

人住まぬ 不破の関屋の 板廂 荒れにし後は
ただ秋の風
         藤原良経(ふじわらのよしつね)
           (新古今和歌集・1601)
(ひとすまぬ ふわのせきやの いたびさし あれにし
 のちは ただあきのかぜ)

意味・・もう関守が住まなくなった不破の関の番小屋の
    板廂。荒れ果ててしまったあとは秋風が吹き抜
    けるばかりだ。

    かっては威勢がよかったが、荒廃してしまった
    不破の関のありさまに、人の世の無常と歴史の
    変転をみつめている。
    
 注・・不破の関屋=岐阜県関ヶ原にあった。675年
     に開設、789年に廃止された。「関屋」は
     関の番小屋。

作者・・藤原良経=1206年没、38歳。従一位摂政太政大臣。
     「新古今集仮名序」を執筆。

 



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2012年10月14日

名歌鑑賞・1991

不義にして 富むニッポンの 俺である 阿阿志夜胡志夜
こは嘲笑ふぞ
               島田修三 (晴朗悲歌集)

(ふぎにして とむにっぽんの おれである ああしや
 こしや こわあざわらうぞ)

意味・・「寄らば大樹の陰」で豊かになった日本人の
    俺であるが、この姿を誰かが嘲笑っている。

    戦後60余年、日本は経済大国として繁栄を
    見せている。ここには、人が敷いた線路の上
    を歩いているように思える。時代の中にどっ
    ぷり漬かっている自分がいる。かって貧しか
    った時代、人々が持っていた高い志や徳義や
    人間の品性を、現代の日本人は失ってしまっ
    たのではないか、と嘲笑う声が聞こえる。

 注・・不義にして富む=人の道を外れた方法で得た
     富。
    阿阿志夜胡志夜(ああしやこしや)こは嘲笑ふぞ
    =久米歌の囃子言葉。「ええ、しやこしや こ
     はいのごふぞ ああ、しやこしや こは嘲笑
     ふぞ」(これは相手を攻める時の声ぞ、これは
     相手を嘲笑う時の声ぞ)。(下記参考)
いのごふ=攻撃的な姿勢を示す、威圧する。

作者・・島田修三=しまだしゅうぞう。1950~。早稲田
     大学大学院卒。愛知淑徳大学教授。万葉集の
     専門家。

参考です。

古事記歌謡の久米歌。

宇陀の高城に鴫罠(かもわな)張る
我が待つや鴫は障(さわ)らず いすくはし鯨障る
前妻が肴乞はさば たちそばの実の無けくをこきしひえね
後妻が肴乞はさば いちさかき実の多けくをこきだひえね
ええ しやこしや こはいのごふそ
ああ しやこしや こは嘲咲(あさわら)ふぞ

<現代語訳>
宇陀の高地の狩り場に鴫の罠を張る。
私が待っている鴫はかからず、思いもよらない鯨がかかった。
古妻がお菜を欲しがったら、肉の少ないところを剥ぎ取ってやるがよい。
新しい妻がお菜を欲しがったら、肉の多いところをたくさん剥ぎ取ってやるがよい。
エー、シヤコシヤ。これは相手に攻め近づく時の声ぞ。
アー、シヤコシヤ。これは、相手を嘲笑する時の声ぞ




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2012年10月13日

名歌鑑賞・1990

鏡山 いざ立ち寄りて 見てゆかん 年経ぬる身は
老いやしぬると
          大伴黒主 (古今和歌集・899)

(かがみやま いざたちよりて みてゆかん としへぬる
 みは おいやしぬると)

意味・・さあ鏡山に立ち寄って、その名の如く鏡に姿を映
    して行こう。年を重ねた我が身は老いたであろう
    かと。

    山道を歩く足取りが昔と違ってくると老いを意識
    しだす。その時の気持ちの歌です。
    鏡山はたんなる山名にすぎないが姿を映す鏡を連
    想させ、この歌が詠まれています。

 注・・鏡山=近江国の歌枕。滋賀県蒲生郡竜王町鏡。
     姿を映す鏡に取り成す。
    見てゆかん=自分の姿を映しに行こう。山を見る
     の意ではない。

作者・・大伴黒主=おおとものくろぬし。830年頃~
     920年頃。近江国滋賀に住んでいた豪族。




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2012年10月12日

名歌鑑賞・1989

秋の野に なまめき立てる 女郎花 あなかしがまし
花もひと時
          僧正遍照 (古今和歌集・1016)

(あきののに なまめきたてる おみなえし あな
 かしがまし はなもひととき)

意味・・秋の野原に、あでやかな姿を競っている女郎花
    は、まあなんとうるさいことであろうか。美し
    い花も、ほんの一時だけの事なのに。

    女郎花を女性にたとえた歌です。

 注・・なまめき立てる=あでやかな姿を競っている。
    女郎花=花の名前から若い女性をほのめかす。
    あなかしがまし=ああ、やかましい。

作者・・僧正遍照=そうじょうへんじょう。~890年没。
     元慶寺を創設して座主となった。


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2012年10月11日

名歌鑑賞・1988

草も木も 靡きし秋の 霜消えて 空しき苔を
払ふ山風
             鴨長明 (吾妻鏡)

(くさもきも なびきしあきの しもきえて むなしき
 こけを はらうやまかぜ)

意味・・草木も靡くほどの権勢を持っていた源頼朝も、
    秋の霜のように消えてしまい、今では墓の苔
    に、むなしく風が吹きぬけてゆく。

    鴨長明が法華堂に詣でた時に、源頼朝を偲ぶ
    一首を、堂の柱に書き記した歌です。

    源頼朝を悼(いた)むと同時に、人の世・人の
    命の無常感を込めた歌です。

 注・・草も木も靡く=「威風あたりを払う」の意。
    秋の霜=「秋霜烈日」をいい、権威の厳しさ
     おごそかさをいう。

作者・・鴨長明=かものちょうめい。1155-1216。
     「方丈記」。

参考です。(鴨長明の方丈記の一節)

    ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水
    にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消
    えかつ結びて、久しくとどまりたるためしな
    し。世の中にある人と栖(すみか)と、またか
    くのごとし。



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2012年10月10日

名歌鑑賞・1987

誰もみな 春は群れつつ 遊べども 心の花を
見る人ぞなき
            夢窓国師 (正覚国師和歌集)

(だれもみな はるはむれつつ あそべども こころの
 はなを みるひとぞなき)

意味・・春は、大勢の人達が花の下に集まって遊んで
    いるけれど、桜を見ても、人の心の中の美し
    さを見る人はいないものだ。

    嫌な人と思っていても、その人の心にも美し
    い花を咲かしているものだ。
    人の心に咲く花を見ようとしない、人の良い
    所をみようとしない。もし、その人の美しい
    花を見る事ができたなら、嫌な人も変わった
    存在になるだろう。

作者・・夢窓国師=むそうこくし。1275~1351。鎌倉
     時代から室町時代にかけての臨済宗の禅僧。



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2012年10月09日

名歌鑑賞・1986

きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき
ひとりかも寝む
             藤原良経 
          (新古今集・518、百人一首・91)

(きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころも
 かたしき ひとりかもねん)

意味・・こおろぎの鳴く霜の降りた寒い夜、むしろの
    上に自分の衣だけを敷いて、私は一人寂しく
    寝るのであろうか。

    この歌を詠む直前、妻に先立たれたという。

 注・・きりぎりす=現在のこおろぎ。
    さむしろ=「さ」は接頭語。「むしろ」は藁
     や菅などで編んだ粗末な敷物。
    衣かたしき=衣片敷。昔、共寝の場合は、互
     いの衣の袖を敷き交わして寝た。「衣かた
     しき」は自分の衣の片袖を下に敷くことで
     一人寝のこと。

作者・・藤原良経=ふじわらのよしつね。1169~1206。
     従一位摂政太政大臣。「新古今集仮名序」
     執筆。




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2012年10月08日

名歌鑑賞・1985

四十年 ともにすごしし ことごとも 夢みる如く
ここに終りぬ
            林圭子 (ひくきみどり)

(よんじゅうねん ともにすごしし ことごとも ゆめ
 みるごとく ここにおわりぬ)

詞書・・誕生日。

意味・・かえりみて四十年ともに生活した思い出は、
    夢を見るようにあっけなく過ぎ去って行く。
    彼の誕生日の今日、ともに過ごした事を思
    い出した寂しい日はここに終わった。

    夫が亡くなった翌年の彼の誕生日に、思い
    出を詠んだ歌です。

作者・・林圭子=はやしけいこ。1896~1989。窪田
     空穂の妻。跡見女学校卒。歌集「ひくき
     みどり」。


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2012年10月07日

名歌鑑賞・1984

世の中が 急に自分の まはりから 離れたやうに
思はれるとき
             西村陽吉 (晴れた日)

(よのなかが きゅうにじぶんの まわりから はなれた
 ように おもわれるとき)

意味・・自分の方から、世の中を逃避して来たわけでは
    ないのに、突然自分の周囲から、社会の方が遠
    ざかっていってしまったように思われる。この
    孤独な寂しさよ。

    谷村志穂「3センチメートルの靴」の一節を参考
    にして下さい。(下記参照)

作者・・西村陽吉=にしむらようきち。1892~1959。錦
     華小学校卒。東雲堂書店を経営。

参考です。

谷村 志穂 「3センチヒールの靴」の一節。

三十代になって気付いたのは、どんな喜びにも共有できる
相手がいないと寂しいということだった。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

成長するにしたがって、人はそれぞれの道を歩んでいくよう
になる。

進学にしろ、就職にしろ、結婚にしろ、自分の描いた未来図
へ向かって一歩一歩進んでいく。

それは、心理的にも行動的にも“みんなと一緒”とか、“群れ
ていればいい”という状況から抜け出して、それぞれに独立
していくということでもある。

そして、そうなればなるほど、自分の価値観や趣味を共有する
人を自分で見付けなくてはならなくなる。

それがうまくできないと、社会のなかで孤立したり、漠然と
した孤独感にさいなまれるようになったりする。

かつては、向こうから友達や“仲間”がやって来たのに、自立
すればするほど、こちらから行動を起こさないと“世界”を共有
できる相手がなかなか見つからない。

そうなると、心の中を隙間風が吹き抜けていったりもする。

そんな時自分を癒やしてくれるのは、寂しさであれ喜びであれ、
それを共有できる相手で、そういう相手がいれば、一人暮らしの
生活でも心をなごませられるのだ。


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2012年10月06日

名歌鑑賞・1983

遊びせむとや 生まれけむ 戯れせむとや 生まれけむ
遊ぶ子供の 声きけば  我が身さへこそ ゆるがるれ

             作者不詳 (梁塵秘抄・359)

(あそびせんとや うまれけん たわむれせんとや うまれけん
 あそぶこどもの こえきけば わがみさえこそ ゆるがるれ)

意味・・私は、遊びをしようとして生まれて来たのか。
    戯れをしょうとして生まれて来たのか。
    無心に遊ぶ子供の声を聞いていると、この汚れ
    きった身体でさえ揺さぶられてしまう。

    遊女が落ちぶれた身に後悔して謡った歌です。
    
    遊びとは音楽、戯れとは舞踏のこと。かって
    舞姫は芸を見せては身を売る遊女と同意義で
    あった。

    貧しい農民の子なのだろうか、身を売るしか
    生活のすべのない女が、流浪の果てに道端の
    石に腰を降ろして過去を振り返ります。
    私はこんな生活のために生まれて来たのか。
    遊び女、戯れ女とさげすまれ、もう心も身体
    もぼろぼろになってしまった。
    目の前では子供らが、なにも憂いのない溌剌
    とした声をあげて遊んでいる。
    私もこんな時があったのか、この汚れた身の
    底から激しく揺さぶられる。
    ああ、あの無邪気な子供の子を聞いていると
    悲痛な思いになってゆく。

 注・・梁塵秘抄=平安時代の末期に編まれた歌謡集。
     1180年頃、後白河法皇によって編まれる。 
    
    


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2012年10月05日

名歌鑑賞・1982

真帆ひきて よせ来る舟に 月照れり 楽しくぞあらむ
その舟人は
         田安宗武 (天降言・あまふりごと)

(まほひきて よせくるふねに つきてれり たのしく
 ぞあらん そのふなびとは)

意味・・帆をいっぱいに広げてこちらに近づいて来る
    舟に、月が美しく照っている。楽しいことで
    あろう。その舟に乗る人らは。

    広重の浮世絵のイメージです。

 注・・真帆=帆をいっぱいに広げること。

作者・・田安宗武=たやすむねたけ。1715~1771。
     徳川氏。別称は悠然院(ゆうぜんいん)。
     八代将軍吉宗の二男。松平定信の父。
     家集「天降言」。




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2012年10月04日

名歌鑑賞・1981

走り来る 若者たちの 荒き息 迫ればわれは
道あけて待つ
            松井如流 (覇王樹)

(はしりくる わかものたちの あらきいき せまれば
 われは みちあけてまつ)

意味・・早朝の散歩の折、マラソンの練習の青年達が
    一団となって走って来るのに出会う。彼らの
    激しい息づかいが迫るように近づいて来るの
    で、道端に身を寄せて、通りすぎるのを待っ
    ている。

    公園での朝の散歩を楽しんでいる作者とマラ
    ソンの練習に励んでいる若者達との出会いを
    詠んでいます。
    若者達の激しい息づかいに、力を出し切って
    練習する若者達の青春の姿を見て、羨やまし
    さを感じ、また賛美を送った歌です。

作者・・松井如流=まついじょりゅう。1900~1988。
     大東文化大教授。書道の大家。歌集「水」。




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2012年10月03日

名歌鑑賞・1980

あさみどり かひある春に あひぬれば 霞ならねど
立ちのぼりけり
            しろ女 (大和物語・146段)

(あさみどり かいあるはるに あいぬれば かすみ
 ならねど たちのぼりけり)

意味・・浅緑色に草木も萌える春。この生き甲斐のある
    春に折よくめぐり合いましたので、霞ではあり
    ませんがまるで心も空に立ちのぼるばかりです。

    地名の「鳥飼」を詠み込んだ歌です。地名を詠
    み込んだだけでなく、「生き甲斐のある」処遇
    に感謝の心を詠み込んでいます。
    
    「とりかひ」は「あさみどり かひある春に」
    に詠みこまれています。

    大和物語146段にある歌で、あらすじは下記参照。

 注・・鳥飼=大阪摂津市にある地名。

作者・・しろ女=しろめ。大和物語に出て来る遊女。
     従四位丹波守大江玉渕(たまぶち)の息女。

大和物語146段のあらすじです。

    「ある日、宇多院は出遊して鳥飼の離宮に赴き、
    ここに遊女を召して遊宴を張った。中でも声の
    よい歌い手であるしろ女は気品高い容貌をもっ
    た由緒ありげな遊女であった。目を留めて人に
    尋ねると、何とこれが従四位丹波守玉渕(たま
    ぶち)の息女のなれの果てである事が分った。
    大江玉渕といえば都でも名ある学問の家である。
    院はしろ女の転落にいたく同情しつつ、試みる
    ように、「とりかひ」の地名を詠みこんだ歌を
    求めてみた。
    上記の歌が、この時のしろ女の即詠の歌である。
    しろ女はこの一首を媒介として、宇多院の保護
    を受け、幸運な生活が出来る事になった。」




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2012年10月02日

名歌鑑賞・1979

壁に書き 襖に書きし 幼児の 汽車の落書き
せんすべのなき
           内田守人 (新万葉集・巻一)

(かべにかき ふすまにかきし おさなごの きしゃの
 らくがき せんすべのなき)

意味・・幼児が壁や襖に落書きを書いて無邪気に遊んで
    いる。その中に汽車の落書きもある。汽車に乗
    れる事に憧れているのだろうが、病気が治って
    この療養所から帰る事がもう出来ないのに。

    昭和10年頃に詠んだ歌です。当時はらい病は
    不治の病であり、長島愛生園でらい病の治療を
    していた医師が詠んだ歌です。

 注・・せんすべのなき=する方法がない。

作者・・内田守人=うちだもりと。1900~1982。長島愛
     生学園のらい病の医師。らい患者の明石海人
     を歌人に育てる。




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2012年10月01日

名歌鑑賞・1978

秋風に はつかりがねぞ 聞ゆなる 誰がたまづさを
かけて来つらむ
            紀友則 (古今和歌集・207)

(あきかぜに はつかりがねぞ きこゆなる たが
 たまづさを かけてきつらん)

意味・・秋風に乗って初雁の声が聞こえて来る。
    遠い北国から、いったい誰の消息を携え
    て来たのであろうか。

    前漢の将軍蘇武(そぶ)が囚われ、数年過
    ぎた後、南に渡る雁の足に手紙をつけて
    放した。それが皇帝の目にとまり、無事
    帰国する事が出来たという故事に基づい
    て詠まれた歌です。

    飛んでいる雁を見て、別れた人々の消息、
    転勤で別れた人や結婚して独立した子供、
    あの人達は今どうしているだろうかと思
    って詠まれています。

 注・・かりがね=雁が音。雁の鳴く声。雁の異
     名。
    たまづさ=手紙、消息、使い。
    かけて=掛けて。掛けて、取り付けて。

作者・・紀友則=きのとものり。907年頃没。
     「古今和歌集」の撰者の一人。




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