2012年11月

2012年11月30日

名歌鑑賞・2038

見てあれば 一葉先ず落ち また落ちぬ 何思ふとや
夕日の大樹
                若山牧水 (別離)

(みてあれば ひとはまずおち またおちぬ なにおもう
 とや ゆうひのおおき)

意味・・見ていると一つの葉が落ち、続いてまた一葉
    落ちた。こうして樹は次々とその葉を落とし
    てゆく。夕日を浴びて立っているこの大樹は
    何を思ってこうして葉を落とし続けるのだろ
    う。

    木枯らしのように、外の力で葉が落とされる
    のではなく、自らの意思によって葉を振るっ
    ている。そこに牧水は大樹の知恵を見、自然
    のたくましさを感じています。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。
     早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。



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2012年11月29日

名歌鑑賞・2037

おもひきや 山田の案山子 竹の弓 なすこともなく
朽ち果てんとは
                 中山忠光

(おもいきや やまだのかかし たけのゆみ なすことも
 なく くちはてんとは)

意味・・山田の案山子が持つ竹の弓のように、矢を放つ
    事もなく死んでゆこうとは思わなかった。

    まだやりたい事があるというのに、実をあげる
    ことなく死んでしまうとは・・無念だ。

    辞世の歌です。
  
作者・・中山忠光=なかやまただみつ。1845~1864。19歳。
     倒幕のため天誅組に入るが幕府に鎮圧される。

出典・・菊池明「幕末百人一首」。

    


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2012年11月28日

名歌鑑賞・2036

この世界の いづくを行かば 逢ふことか ただひとりなる
人を見んとす
              神尾光子 (新万葉集・巻二)

(このせかいの いずくをゆかば あうことか ただひとり
 なる ひとをみんとす)

意味・・この世界のどこへ行ったら逢えるのであろうか・・。
    私にとってただ一人なる人を見んとして、今日も私の
    心はあてどもなくさまよい歩いている・・。

    いつかは結婚をするのではあるが、その相手はどこに
    いるのだろうか、早く逢いたいものだ。

    恋に憧れる清純な乙女心と、不安と焦燥とをこの歌に
    感じられます。

作者・・神尾光子=詳細未詳。




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2012年11月27日

名歌鑑賞・2035

津の国の こやとも人を いふべきに ひまこそなかれ
葦の八重葺き
           和泉式部 (後拾遺和歌集・691)

(つのくにの こやともひとを いうべきに ひまこそ
 なけれ あしのやえぶき)

詞書・・邪険にされたとして、逆恨みする男に送った歌。

意味・・津の国の昆陽(こや)ではありませんが、「来や」
    (来てほしい)とあなたに言うべきでしようが、
    葦の八重葺きの屋根の目が詰まっているように、
    世間の目がいっぱいで、そんな事がいえないの
    です。

    摂津の国の昆陽の遊女がするように、おいでな
    さい(来や)、とあなたを手招きしたい所ですが、
    宮仕えが忙しくてその暇がありません。私の住
    居はそのうえ、昆陽の遊女のように葦の茂みに
    隠れていないので目につきやすく、噂の種から
    逃れる隙もないのです。というわけで、お付き
    合いはご遠慮します。

    昆陽は葦の湿原が広がり、葦の茂みに隠れた
    小屋で遊女が春をひさぐのが有名であった。

 注・・津の国=摂津国。今の大阪府と兵庫県の一部。
    こや=昆陽。地名で兵庫県伊丹市・尼崎市にか
     けての一帯。摂津国の歌枕。「来や・小屋・
     此や」を掛ける。「来や」は来なさいの意。
    ひま=「暇」と「隙(すきま)」を掛ける。
    葦=イネ科の多年草。水辺に生える。高さは
     3メートルにも及ぶ。薄に似ている。茎は簾
     などの材料。
    八重葺き=屋根を幾重にも厚く、隙間のない
     ように葺くこと。また、その屋根。

作者・・和泉式部=いずみしきぶ。生没年未詳。980年
     頃の生まれ。「和泉式部日記」。




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2012年11月26日

名歌鑑賞・2034

旅人よゆくて野ざらし知るやいさ
                 太宰治

(たびびとよ ゆくてのざらし しるやいさ)

意味・・旅をしょうとする人よ。荒野を旅する
    には、野ざらしになる事も覚悟が出来
    ているのだろなあ。旅とはそれほども
    厳しいものだぞ。

    「野ざらし」とは野山で行き倒れとなり
    風雨にさらされた白骨のこと。
    作者も、行く先不明な荒野を旅する文学
    者として、死の覚悟をもって取り組む事
    を誓った句です。
 
    参考です。
    芭蕉が旅をする時の心構えの句です。

    野ざらしを心に風のしむ身かな
      (意味は下記参照)
          
注・・いさ=さあ知っているか、と語意を強め
     て問いかけた言葉。  

作者・・太宰治=だざいおさむ。1909~1948。
     東大文学部退学。小説家。玉川上水
     で自殺。「斜陽」「人間失格」。  

出典・・村上護「今朝の一句」。

参考句です。

野ざらしを心に風のしむ身かな
                 芭蕉
               (のざらし紀行)

(のざらしを こころにかぜの しむみかな)

意味・・旅の途中で野たれ死にして野ざらしの白骨
    になることも覚悟して、いざ旅立とうとす
    ると、折からの秋風が冷たく心の中に深く
    しみ込み、何とも心細い我が身であること
    だ。  

    遠い旅立ちにあたっての心構えを詠んでい
    ます。

 注・・野ざらし=されこうべ、野にさらされたもの。

作者・・芭蕉=1644~1694。「野ざらし紀行」「奥の細道」。




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2012年11月25日

名歌鑑賞・2033

頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず

             石川啄木 (一握の砂)

(ほにつたう なみだのごわず いちあくの すなを
 しめしし ひとをわすれず)

意味・・頬を伝わる涙をぬぐいもしないで、一握りの
    砂を黙って示した、なつかしいあの人の事を
    今も忘れられずにいる。

    親の反対などのために、結婚を諦めた彼女は
    涙を流しながら一握りの砂を握って示した。
    その砂は自分に意思が無いように指の間から
    落ちている。
    そのようにして別れた、あの人の事が今も忘
    れられない。

    参考です。(石川啄木・一握の砂)

    いのちなき 砂のかなしさよ
    さらさらと
    握れば指の あひだより落つ

   (しっかりと掴(つか)まえていないと砂は
    指の間からさらさらと落ちる。悲しい事
    に、それが命のない砂というものだ。

    主体性のない砂のように、社会の流れに
    押し流されるこの自分の悲しさよ。
    掴まえた幸福も、気を緩めると砂と同じ
    ように逃げていく)


 注・・のごはず=ぬぐわず。
    一握の砂=一握りの砂。握ればさらさらと指
     の間から落ちる。
    人=ここでは若い女性、恋人。

作者・・石川啄木=1886~1912。26歳。盛岡尋常
      中学校を中退後上京。「一握の砂」
      「悲しき玩具」などの歌集を刊行。




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2012年11月24日

名歌鑑賞・2032

駒なめて 打出での浜を 見わたせば 朝日にさわぐ
志賀の浦なみ
                  後鳥羽院

(こまなめて うちいでのはまを みわたせば あさひに
 さわぐ しがのうらなみ)

意味・・志賀の山越えをして駒を連ね、打出の浜のあた
    りを高みから見晴らすと、志賀の浦波は朝日に
    きらめき、浜に打ち寄せる波頭が幾条にも見え
    て来る。
    この姿は、木曽義仲が連戦連勝して朝日将軍と
    呼ばれた勢いを思い起こされる。でも波が消え
    るようにその義仲もこの打出の浜で命を落とし
    たのだ。

 注・・なめて=並めて。並べて、連ねて。
    打出の浜=滋賀県大津市、琵琶湖の南端の浜。
     木曽義仲が源義経に敗れた粟津の松原の近辺。
    志賀の浦=滋賀県大津市、琵琶湖の西南岸一体。
    朝日にさわぐ=「朝日将軍がさわぐ」を暗示。
    木曽義仲=1154~1184。連戦連勝するので朝日
     将軍と呼ばれた。1183年の倶利伽羅の戦いで
     平家の大軍を破る。1184年粟津の戦いで惨死。

作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1180~1239。1221年倒
     幕の企てが失敗して隠岐に流される。「新古
     今和歌集」の撰集を下命。

出典・・松本章男「歌帝 後鳥羽院」。
    



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2012年11月23日

名歌鑑賞・2031

長けれど何の糸瓜とさがりけり                 
                夏目漱石
 
(ながけれど なんのへちまと さがりけり)

意味・・一人前になったけれど、ぶらぶらしている。
    「この役立たず目が」と思われても、何の
    糸瓜と気にもかけず、相も変わらずにぶら
    ぶらしている。

    馬鹿にされても堂々としている糸瓜は偉い
    なあ。こんな神経の図太さが少しでもあれば
    もっと幸福な一生だったかも知れないのに。

 注・・何の糸瓜=何とも思わない、全然気に掛け
     ない。

作者・・夏目漱石=なつめそうせき。1897~1916。
     東大英文科卒。小説家。「我輩は猫であ
     る」「ぼっちゃん」「三四郎」。

出典・・大高翔「漱石さんの俳句」。


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2012年11月22日

名歌鑑賞・2030

月をなほ 身のうきことの 慰めと 見し夜の秋も
昔なりけり
         藤原為顕 (玉葉和歌集・2004)

(つきをなお みのうきことの なぐさめと みしよの
 あきも むかしなりけり)

意味・・若い頃は不満であっても、月を我が身のつらさ
    の慰めとして見て来たが、その秋も今では昔の
    事になってしまったものだ。

    月を見ては自分を慰めていたのだが、今は月を
    見て昔のその事を思い出すだけだ。
    生涯不遇であった身の老後の述懐。

 注・・月をなほ=月をそれでも。月を見て、不満であ
     ってもなお、と補う。

作者・・藤原為顕=ふじわらのためあき。生没年未詳。
     鎌倉期の歌人。為家の子。1260年頃活躍した
     人。



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2012年11月21日

名歌鑑賞・2029

身をつめば 哀れとぞ思ふ 初雪の ふりぬることを
誰に言はまし
             右近 (後撰和歌集・1068)

(みをつめば あわれとぞおもう はつゆきの ふりぬる
 ことを たれにいわまし)

意味・・我が身を抓(つね)って、しみじみと年を重ねた
    事を悲しく思う。初雪が降りましたよ、来てご
    らんになりませんか、と誘いたいものの、古く
    なって容色も衰えた私などを、もはや誰も見向
    いてくれそうもない。

 注・・つめば=つねると。
    ふり=「古り」と「降り」を掛ける。

作者・・右近=うこん。生没年未詳。940年頃活躍した
     女官。



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2012年11月20日

名歌鑑賞・2028

おほけなく 憂き世の民に おほふかな わが立つ杣に
墨染めの袖
             大僧正慈円
         (千載和歌集・1137、百人一首・95)

(おおけなく うきよのたみに おおうかな わがたつ
 そまに すみぞめのそで)

意味・・私が言うのもおこがましいが、昔、伝教大師が
    開いたこの比叡山に立つからには、つらいこの
    世に住んでいる人々の心をやわらげるためにも、
    この黒染めの袖で世の中を覆いつくすような気
    持ちでなければいけないのだ。

 注・・おほけなく=見分不相応だ、恐れ多い。
    憂き世の民=辛い事の多いこの世の人々。悪疫
     の流行、飢饉、戦乱といった過酷な現実に生
     き抜いている人々。
    杣=植林した材木を切り出す山。ここでは延暦
     寺のある比叡山のこと。伝教大師最澄が建立。
    墨染の袖=黒い僧衣。「住み初め」を掛ける。

作者・・大僧正慈円=だいそうじょうじえん。1155~
     1225。関白藤原忠通の子。14歳で出家。天台
     座主、大僧正。歴史書「愚管抄」。




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2012年11月19日

名歌鑑賞・2027

大井川 もみぢになるる 筏士も なほこの暮れは
すぎぞわづらふ
                藤原定家

(おおいがわ もみじになるる いかだしも なお
 このくれは すぎぞわずらう)

意味・・紅葉を見慣れている筏士さえも、秋が尽き
    ようとするこの大井川の夕暮れは、さすが
    に通り過ぎるのが惜しく、筏を流しかねて
    いる。
 
    紅葉の美しさを詠んでいます。

 注・・大井川=京都嵯峨の渡月橋あたりの桂川を
     和歌では大井川という。紅葉の名所。
    すぎぞ=「すぎ」は「秋が過ぎ」と「通過
     する」の意を掛ける。「ぞ」は強調を表
     す。
    わづらふ=あれこれと思い悩む。・・しか
     ねる。

作者・・藤原定家=ふじわらのさだいえ。1162~1241。
     藤原俊成の子。正二位中納言。「新古今和
     歌集」の撰者。日記「名月記」。

出典・・松本章男「歌帝 後鳥羽院」。

 


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2012年11月18日

名歌鑑賞・2026

事切れし 子にし哭きつる その手して 賜びたる銭を
ふところにしぬ
                 宇都野研 (木群)

(ことぎれし こにしなきつる そのてして たびたる
 ぜにを ふところにしぬ)

意味・・息を引き取る子の枕辺で、声を挙げて哭いた親
    の手から、診療代の金銭を受けて、医師である
    自分は懐の中に収めた。

    小児科専門医として、折々に遭遇した事を詠ん
    でいます。
    全力を尽くして治療にあたたっが、子供の病気
    を治してやる事が出来なかった。母親は悲しみ
    泣きくずしている。その母親からお金をもらう
    この情けなさよ・・。

    病院の窓口を通して診療代を貰うのであるが、
    あたかも直接に受け取った気持ちで詠んだ一首
    で、治せなかった医者のくやしさ、辛さを詠ん
    でいます。

    徳田秋声は作者を「われわれ子を持つ本郷の住
    人たちは、神のように頼りにしている」と評価
    しています。

作者・・宇都野研=うつのけん。1877~1938。東大医学
     部卒。東京本郷に小児科病院を開設。佐々木
     信綱に師事、その後窪田空穂に師事。
    



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2012年11月17日

名歌鑑賞・2025

山ふかみ 落ちてつもれる もみじ葉の かはけるうへに
時雨ふるなり
             大江嘉言 (詞花和歌集・144)

(やまふかみ おちてつもれる もみじばの かわける
 うえに しぐれふるなり)

意味・・山が深いので、散り落ちて積み重なっている紅葉
    の、その乾いた葉の上にどうやら時雨が降ってい
    るようだ。

    奥山の庵に居て雨音を聴いている趣を詠んでいま
    す。  

 注・・ふかみ=「み」は原因・理由を表す。・・なので。
    ふるなり=落葉をうつ音により時雨が降っていると
    推定した。

作者・・大江嘉言=おおえのよしこと。~1010年没。対馬守。




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2012年11月16日

名歌鑑賞・2024

秋山を 越えつるけふの しるしには 紅葉のにしき
着てやかへらむ
                河内 (堀河百首)

(あきやまを こえつるきょうの しるしには もみじの
 にしき きてやかえらん)

意味・・秋が山を越えてしまった証拠、また、その山を
    歩いた証拠として、もみじ葉を錦のように衣服
    につけて帰ることにしょう。

    旧暦の九月尽に詠まれた歌にすれば、秋の果て
    の感慨と紅葉の情趣が深まって来る。

 注・・秋山を越えつる=「作者が秋の山を越えた」事と
     「秋が山を越え去った」事を掛ける。
    旧暦九月尽=旧暦の9月30日、現在の11月10日頃。
     旧暦では7月8月9月が秋。

作者・・河内=かわち。生没年未詳。後三条天皇の皇女・
     俊子内親王に仕えた女房(女官のこと)。



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2012年11月15日

名歌鑑賞・2023

青くとも 有るべきものを 唐辛子   発句・芭蕉
提げておもたき 秋の新ら鍬      脇 ・洒堂

(あおくとも あるべきものを とうがらし 
 さげておもたき あきのあらくわ)

意味・・発句。
    唐辛子は辛ければ青いままでよいものを、時が
    来ればやはり真っ赤に色づかないでおれないら
    しい。
    (唐辛子は青くても辛いがまだ未完成品、赤くな
    ってこそ完成品である)
    脇。
    秋に新調したばかりの鍬は、手にさげて持てば
    重たく感じられる。
    (心機一転で鍬を新調しました、この鍬が重たい
    ように、これからたどる道も責任重たく受け止
    めています)

    深川の芭蕉庵に洒堂が訪れ滞在した時に歌仙を
    開いた時の、発句と脇の句です。

    芭蕉の発句は、徘諧師として世に立つ決意を持
    って訪れた洒堂を励ました句となっています。
    洒堂の脇の句は、新しい仕事への決意を言い込
    めて、芭蕉への挨拶となっています。

 注・・新ら鍬(あらくわ)=新調の鍬。

作者・・芭蕉=1644~1694。
    洒堂=しゃどう。1668頃~1737。姓は浜田。
     近江の医者。芭蕉に入門。

出典・・洒堂著「俳諧 深川」。



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2012年11月14日

名歌鑑賞・2022

おりたちて 今朝の寒さを 驚きぬ 露しとしとと
柿の落葉深く
           伊藤左千夫 (ほろびの光)

(おりたちて けさのさむさを おどろきぬ つゆ
 しとしとと かきのおちばふかく)

意味・・朝、庭に降りみて、思いがけない寒さに驚い
    た。いつのまにか晩秋、初冬の姿に一変した
    庭には柿の落葉が深く散りしき、冷え冷えと
    した朝露にしっとりと濡れている。

    きびしい初冬の自然の姿、万物凋落の姿の寂
    寥(せきりょう)感を詠んでいます。

    これからいっそう厳しい冬が来て草木を枯れ
    つくす。寒さがこたえるようになった自分の
    身体にも、枯葉と同じように衰えを意識させ
    られ、寂しさが湧いて来る・・。
    これからやって来る寒さに耐えなくては・・。

    大正元年、亡くなる前年に詠んだ歌です。

 注・・寒さを=「寒さに」と違って、より主情的に
     意外な寒さと捉えている。
    露しとしとと=朝露にしっとりと濡れて。「
     濡れて」を補う。
    柿の落葉深く=柿の落ち葉が重なって散り敷
     いているさま。「深し」とせず「深く」に
     して余韻を持たせ、秋から冬にかけての自
     然の凋落の寂しさを暗示している。

作者・・伊藤左千夫=いとうさちお。1864~1913(大正
     2年)。牛乳搾取業。正岡子規に入門。小説
     「野菊の墓」が有名。



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2012年11月13日

名歌鑑賞・2021

年老いて やうやく遠き 道のすえ いまだ半ばと
わが彳つしばし
         中西悟堂 (昭和万葉集・第六巻)

(としおいて ようやくとおき みちのすえ いまだ
 なかばと わがたつしばし)

意味・・介護されて生きるような年取った老人と
    なってしまったが、かえりみると、成し
    遂げたい事は一通りやり遂げたのである
    が、まだまだ満足出来る姿ではない。
    やり残した事が沢山ある。まだ、遠い道
    のりの、いまだ半ばにいるのである。

    89歳の晩年に詠んだ歌です。

 注・・彳(た)つ=たたずむ。ゆっくり歩く。

作者・・中西悟堂=なかにしごどう。1895~1984。
     歌人、詩人、野鳥研究家。天台宗の僧。
     日本野鳥の会を設立して野鳥の保護に
     尽力する。



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2012年11月12日

名歌鑑賞・2020

里の名も 我が身一つの 秋風を 愁へかねたる
月の色かな
             よその思ひの中宮
             (風葉和歌集・327)

(さとのなも わがみひとつの あきかぜを うれえ
 かねたる つきのいろかな)

詞書・・宇治におはしましける頃、月を御覧じて詠
    ませ給ひける。

意味・・里の名も「憂し」を掛ける宇治で、秋風は
    我が身だけを吹くように感ぜられ、寂しい
    月の光にいよいよ愁えに耐えかねる事です。

    参考歌です。
   「月見れば千々に物こそ悲しけれ 我が身
    一つの秋にはあらねど」(意味は下記参照)

 注・・愁へ=心配、悲しみ、嘆き。
    かね=兼ね。兼ねる、合わせ持つ。

作者・・よその思いの中宮=昔の物語に出て来る、
     登場人物。中宮は皇后と同じ。

参考歌です。

月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身一つの
秋にはあらねど      
             大江千里
         (古今和歌集・193、百人一首・23)

(つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみ
 ひとつの あきにはあらねど)

 
意味・・月を見ると、私の想いは、あれこれと限りなく
    物悲しくなる。私一人だけの秋ではないのだけ
    れど。
    
    秋の月を見て悲しく感じるのは、誰でも同じで
    あろうけれども、自分だけがその悲しみを味わ
    っているように思われる。

    秋の月を見ると、悲しいことが種々想われる。
    秋という季節は決して自分ひとりにめぐり来る
    のではなく、世の中の人の全てが迎えている。
    だから楽しいことも嬉しいこともあるはずなの
    に・・。

 注・・千々に=さまざまに、際限なくの意。
    もの=自分を取りまいているさまざまな物事。

作者・・大江千里=生没年未詳。在原業平の甥。文章
     博士(もんじょうはかせ)で漢詩人。





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2012年11月11日

名歌鑑賞・2019

山にては あけびや白く 熟れつらむ 野には野菊の
花も咲くらむ
                  野上照代

(やまにては あけびやしろく うれつらん のには
 のぎくの はなもさくらん)

意味・・今頃は、山では木にからまったアケビが熟れて
    白い実を垂れ下げている事だろうなあ。野には
    野菊が咲いて美しく彩っている事だろうなあ。
    もう一度、このような野山を歩く事が出来たら
    なあ。

作者・・野上照代=のがみてるよ。1927~ 。黒澤明監
     督の右腕として活躍。著書「蜥蜴のしっぽ」。

出典・・野上照代「母べえ」。



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2012年11月10日

名歌鑑賞・2018

音のした戸に人もなし夕時雨

            有井諸九 (諸九尼句集)

(おとのした とにひともなし ゆうしぐれ)

意味・・時雨の降る静かな夕暮れ、戸口の方で何か
    物音がしたので振り向いてみたが、誰も人
    はいず、夕時雨の物寂しさがいっそう深ま
    るように感じられる。

    時雨模様の夕暮れ時、何か人恋しく、ちょ
    とした物音にも誰か訪ねて来たのではない
    かと期待し、それが外れた物寂しさを詠ん
    でいます。

    額田王の歌、参考です。

   「君待つと我が恋ひ居れば 我が屋戸の簾
    動かし秋の風吹く」 (意味は下記参照)

 注・・時雨=初冬の頃、急にぱらぱら降って、し
     ばらくして止む小雨。
    
作者・・有井諸九=あらいしょきゅう。1714~1781。
    旅を好んで諸国の俳人と交流する。句集
    「諸九尼句集」。

参考歌です。

君待つと 我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし
秋の風吹く
           額田王(ぬかたのおおきみ)
             (万葉集・488)

(きみまつと わがこいおれば わがやどの すだれ
 うごかし あきのかぜふく)


意味・・あなたのおいでを待って恋しく思っていると、
    家の戸口の簾をさやさやと動かして秋の風が
    吹いている。

    夫の来訪を今か今かと待ちわびる身は、かす
    かな簾の音にも心をときめかす。秋の夜長、
    待つ夫は来ず、簾の音は空しい秋風の気配を
    伝えるのみで、期待から失望に思いは沈んで
    行く。

 注・・屋戸=家、家の戸口。

作者・・額田王=生没年未詳。万葉の代表的歌人。




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2012年11月09日

名歌鑑賞・2017

夜もすがら 竹の嵐に ふかれつつ 朝咲きたもつ
には桜ばな
                 尾上柴舟

(よもすがら たけのあらしに ふかれつつ あささき
 たもつ にわさくらばな)

意味・・夜通し風が吹いて竹林の激しい音が聞こえて
    いたが、朝、庭の桜の花を見たら、散らずに
    残っていた。何事も無かったように美しい花
    を咲かせている。

    おだやかな面影の人も、内心はいろいろ苦労
    をしているのだろうな。

参考句です。
    
    梅寂し人を笑はせをるときも   横山白虹

    横山白虹はいつもにこにことしていて、軽口
    で、人を笑わせる側に立つ洒脱な紳士であっ
    た。だが、傍目にはそう見えても、けっして
    本心はにこにこしているだけではないのだぞ、
    といっいるような句です。 

 注・・竹の嵐=竹の林に風が吹きつけ、竹がうなっ
     ているさま。
    横山白虹=よこやまはっこう。1899~1983。
     九大医学部卒。「横山白虹全句集」。

作者・・尾上柴舟=おのえさいしゅう。1876~1957。
     東京大学国文科卒。歌集「銀鈴」「静夜」。

出典・・インターネットにて。


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2012年11月08日

名歌鑑賞・2016

神無月 降りみ降らずみ 定めなき 時雨ぞ冬の
始めなりける
       よみ人知らず (後撰和歌集・445)

(かみなづき ふりみふらずみ さだめなき しぐれぞ
 ふゆの はじめなりける)

意味・・十月になって降ったり降らなかったり定めの
    ない、そのような時雨こそが実は冬の始まり
    なのである。

    時雨が少しでも降ることによって冬の始めを
    知らせるものだ。

 注・・神無月=陰暦の十月。
    降りみ降らずみ=降ったり降らなかったり。
    時雨=秋から冬にかけて、降ったりやんだり
     する小雨。
    


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2012年11月07日

名歌鑑賞・2015

目を閉じて聞き定めけり露の音

                三遊亭円朝

(めをとじて ききさだめけり つゆのおと)

意味・・目を閉じて静かにしていると、庭の草木
    が思い浮かばれてくる。その草木には露
    が宿っていることだろう。耳を澄まし、
    心を露に集中していると、草木の葉から
    露がこぼれ落ちる音が聞こえてくるよう
    だ。こういう心境になれることはいいも
    のだ。

    円朝の辞世の句です。東京の谷中にある
    墓碑には「目を閉じて」が「耳しひて」と
    改作されています。

作者・・三遊亭円朝=さんゆうていえんちょう。
     1839~1900。二代目三遊亭円朝に入門。
     三遊派の再興を期し噺の創作活動をし
     て新風を起こす。「円朝全集・全13巻」。

出典・・村上護「今朝の一句」。


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2012年11月06日

名歌鑑賞・2014

白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ
玉ぞ散りける
           文屋朝康 
         (後撰和歌集・308、百人一首・37)

(しらつゆに かぜのふきしく あきののは つらぬき
 とめぬ たまぞちりける)

意味・・白露にしきりに風が吹いている秋の野は、ひも
    で貫き留めていない玉が散り乱れているようだ。

    薄の葉や萩の枝などに露をいっぱい集めた木
    草が秋風に揺さぶられ、露がその度ごとに白
    く輝きながら散っている情景です。

 注・・白露=草葉の上で露が白く光るのを強調した
     表現。
    吹きしく=「しく」は「頻く」で、しきりに
     ・・するの意。

作者・・文屋朝康=ぶんやのあさやす。生没年未詳。
     九世紀後半の人。



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2012年11月05日

名歌鑑賞・2013

秋風の いたりいたらぬ 袖はあらじ ただわれからの
露の夕暮
            鴨長明 (新古今和歌集・366)

(あきかぜの いたりいたらぬ そではあらじ ただ
 われからの つゆのゆうぐれ)

意味・・秋風の吹き及ぶ袖、吹き及ばない袖の区別は
    ないであろう。それなのに、私の悲しみの心
    から、私の袖は涙の露となって濡れる寂しい
    秋の夕暮れである。

    秋風は誰の袖にも吹くのに、夕暮れに露が置
    くように、自分の袖だけが哀感の涙で濡れて
    くる。

    本歌は古今集の次の歌です。

   「春の色のいたりいたらぬ里はあらじ 咲ける
    咲かざる花の見ゆらん」 (よみ人知らず)

   (春はどこでも同じように来るもので、春の及
    ぶ里、及ばない里の区別はないであろう。そ
    れなのにどうして、里によって、咲いている
    花、咲いていない花の区別が見えるのであろ
    うか。)

 注・・われから=我から。自分ゆえ、自分が原因で。

作者・・鴨長明=かものちょうめい。1155~1216。
     「方丈記」。



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2012年11月04日

名歌鑑賞・2012

月影の 至らぬ里は なけれども 眺むる人の
心にぞ住む
         法然上人 (続千載和歌集)

(つきかげの いたらぬさとは なけれども ながむる
 ひとの こころにぞすむ)

意味・・月の光が届かない里はないけれど、それを眺め
    る人の心があってこそ、その美しさを感じる事
    が出来るのである。
    
    闇夜を照らす月の光には差別は一切なく、あら
    ゆる場所を平等に分け隔てなく照らす。しかし
    どんなに月の光が照らしていても、月を眺めよ
    うとしない人に、月の素晴らしさは決して分ら
    ない。
    面白い本は手の届く所にいくらあつても、手に
    取って読まなければ面白さは分らない。

 注・・眺むる=じっと見つめて物思いにふける事。
    心にぞ住む=眺める人の心に澄みわたる。同じ
     月でも見る心が無ければ美しさは分らない。

作者・・法然上人=ほうねんしょうにん。1133~1212。
     浄土宗の開祖。門下に親鸞など名僧を輩出。

    


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2012年11月03日

名歌鑑賞・2011

天ざかる 鄙にも月は 照れれども 妹ぞ遠くは
別れ来にける
         遣新羅使 (万葉集・3698)

(あまざかる ひなにもつきは てれれども いもぞ
 とおくは わかれきにける)

意味・・遠く雲を隔てた異郷の地、ここにも我が家を
    照らす月が照っているが、思えば懐かしい妻
    とは遥か遠くに別れて来てしまったこことだ。
    
    遣新羅として新羅に行く途中で、順風が吹
    かないので、対馬の港で待機している時に
    詠んだ歌です。

 注・・天ざかる=鄙の枕詞。
    鄙(ひな)=田舎、遠く離れた地。 
    新羅(しらき)=昔、朝鮮半島の南部にあった
     国。

作者・・遣新羅使=736年新羅に遣わた使者。行程は
     予定より大幅に遅れた。



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2012年11月02日

名歌鑑賞・2010

みづあさぎ さやかに朝の 海晴れて こころあかるし
君来る日は
            西村酔香 (新万葉集・巻六)

(みずあさぎ さやかにあさの うみはれて こころ
 あかるし きみきたるひは)

意味・・一夜明けると、昨夜とうって変わって晴天。
    今朝の空は、もや一つなく、うす青色にすっ
    きり晴れ渡り、海は朝日にきらきらと輝きな
    がら、どこまでも広がっている。そのさわや
    かな自然のごとく、我が心も明るくはずんで
    いる。恋しいあなたが逢いにやって来てくれ
    る今日という日は・・・。

    恋人に逢える喜びを詠んだ歌です。

 注・・みづあさぎ=水浅黄。薄黄味かかった水色。

作者・・西村酔香=詳細未詳。




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2012年11月01日

名歌鑑賞・2009

嘆きつつ 独り寝る夜の あくる間は いかに久しき
ものとかは知る
            道綱母
    (拾遺和歌集・912、百人一首・53、蜻蛉日記)

(なげきつつ ひとりねるよの あくるまは いかに
 ひさしき ものとかわしる)

詞書・・藤原兼家がやって来た時に、門を遅く開けた所、
    「立ち疲れた」と外から内に言葉を掛けて寄越
    したので詠んだ歌。

意味・・あなたのお出でもなく、嘆きながら独り寝をす
    る夜の明けるまでが、どんなに長くつらいもの
    であるか、お分かり下さるだろうか。門の戸を
    遅く開けただけで、不満を言われるあなたでは、
    私の思いを察する事は出来ないでしょう。

    夜明け前に夫の兼家がやって来た時に詠んだ歌
    で、独り寝の寂しさを歌っています。
    当時の貴族社会は一夫多妻制であったので、夫
    は妻の家に通っていた。  
    
 注・・独り寝る夜=夫の来訪がなく、一人で寝る夜。
    あくる間=夜が「明くる」に、戸を「開くる」を
     掛ける。
    かは=反語を表す。

    藤原兼家=ふじわらのかねいえ。929~990。
     道長の父。従一位・摂政関白太政大臣。

作者・・道綱母=936頃~955。藤原兼家(道長の父)の妻。
     「蜻蛉日記」。




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