2013年03月
2013年03月31日
2013年03月30日
2013年03月29日
2013年03月28日
2013年03月27日
2013年03月26日
2013年03月25日
2013年03月24日
名歌鑑賞・2152
老いらくの おやのみる世と 祈りこし 我があらましを
神やうくらん
藤原為家 (続後撰和歌集・573)
(おいらくの おやのみるよと いのりこし わがあらましを
かみやうくらん)
詞書・・大納言になりて悦(よろこ)び申しに日吉社(ひえのやし
ろ)にまいりて。
意味・・年老いた父が、(私の昇進を)生きているうちに見るよう
にと祈ってくださった、私へのかねてからの思いを神様
は受け入れて下さったのだ。
所願成就の喜びを込めた歌です。為家任官の半年後に父
定家は死去する。
注・・日吉社(ひえのやしろ)=近江国(大津市)の神社。
老いらくの=老年。父定家80歳。
みる世=現世、この世で見ること。
あらまし=予想、予期。前もって思いはかること。
作者・・藤原為家=ふじわらのためいえ。1198~1275。正二位大
納言。58歳で出家。「続後撰集」「続古今集」の撰集
に携わった。藤原定家は父。
神やうくらん
藤原為家 (続後撰和歌集・573)
(おいらくの おやのみるよと いのりこし わがあらましを
かみやうくらん)
詞書・・大納言になりて悦(よろこ)び申しに日吉社(ひえのやし
ろ)にまいりて。
意味・・年老いた父が、(私の昇進を)生きているうちに見るよう
にと祈ってくださった、私へのかねてからの思いを神様
は受け入れて下さったのだ。
所願成就の喜びを込めた歌です。為家任官の半年後に父
定家は死去する。
注・・日吉社(ひえのやしろ)=近江国(大津市)の神社。
老いらくの=老年。父定家80歳。
みる世=現世、この世で見ること。
あらまし=予想、予期。前もって思いはかること。
作者・・藤原為家=ふじわらのためいえ。1198~1275。正二位大
納言。58歳で出家。「続後撰集」「続古今集」の撰集
に携わった。藤原定家は父。
2013年03月23日
名歌鑑賞・2151
乙女子が かざしの桜 咲きにけり 袖ふる山に
かかる白雲
藤原為氏 (続後撰和歌集・70)
(おとめごが かざしのさくら さきにけり そでふる
やまに かかるしらくも)
意味・・美しい乙女子の頭に飾りとして挿す桜が咲いた
なあ。そして乙女が袖を振って舞うという袖ふ
る山にも白雲のように桜が咲いている。
注・・かざし=挿頭。頭髪や冠に花の枝を飾りとして
挿す。
袖ふる山=天理市にある布留山。大和国の歌枕。
乙女が袖を振るのは舞う姿や人を招く意を含
める。
白雲=山に咲いた桜を白雲と見立てたもの。
作者・・藤原為氏=ふじわらのためうじ。1222~1286。
正二位大納言。藤原定家は祖父。
かかる白雲
藤原為氏 (続後撰和歌集・70)
(おとめごが かざしのさくら さきにけり そでふる
やまに かかるしらくも)
意味・・美しい乙女子の頭に飾りとして挿す桜が咲いた
なあ。そして乙女が袖を振って舞うという袖ふ
る山にも白雲のように桜が咲いている。
注・・かざし=挿頭。頭髪や冠に花の枝を飾りとして
挿す。
袖ふる山=天理市にある布留山。大和国の歌枕。
乙女が袖を振るのは舞う姿や人を招く意を含
める。
白雲=山に咲いた桜を白雲と見立てたもの。
作者・・藤原為氏=ふじわらのためうじ。1222~1286。
正二位大納言。藤原定家は祖父。
2013年03月22日
2013年03月21日
2013年03月20日
2013年03月19日
名歌鑑賞・2147
はたなかの かれたるしばに たつひとの うごくともなし
ものもふらしも
会津八一 (南京新唱)
(畑なかの 枯れたる芝に 立つ人の 動くともなし
もの思ふらしも)
詞書・・平城宮址の大極芝にて。
意味・・畑の中の枯れた大極殿址の芝に立つ人は
動こうともせずじっと佇んでいるが、け
だし物思いに耽っているのであろう。
奈良時代の大極殿の址が、今見ると「畑
なかの枯れた草」であることに、感慨を
催して詠んだ歌です。
注・・平城宮・大極殿=今の奈良県生駒郡に710
年頃造営され、784年長岡京に遷都され
るまで70年間、奈良の都として繁栄した。
大極殿芝=大極殿址の土壇に生えている草。
作者・・会津八一=あいづやいち。1881~1956。早
大文科卒。文学博士。美術史研究家。歌
集「鹿鳴集」「南京新唱」。
ものもふらしも
会津八一 (南京新唱)
(畑なかの 枯れたる芝に 立つ人の 動くともなし
もの思ふらしも)
詞書・・平城宮址の大極芝にて。
意味・・畑の中の枯れた大極殿址の芝に立つ人は
動こうともせずじっと佇んでいるが、け
だし物思いに耽っているのであろう。
奈良時代の大極殿の址が、今見ると「畑
なかの枯れた草」であることに、感慨を
催して詠んだ歌です。
注・・平城宮・大極殿=今の奈良県生駒郡に710
年頃造営され、784年長岡京に遷都され
るまで70年間、奈良の都として繁栄した。
大極殿芝=大極殿址の土壇に生えている草。
作者・・会津八一=あいづやいち。1881~1956。早
大文科卒。文学博士。美術史研究家。歌
集「鹿鳴集」「南京新唱」。
2013年03月18日
2013年03月16日
名歌鑑賞・2145
来ん世には 心の中に あらはさん あかでやみぬる
月の光を
西行 (千載和歌集・1023)
(こんよには こころのうちに あらわさん あかでや
みぬる つきのひかりを)
意味・・来世には心の中に現そう。この世ではいくら
見ても見飽きることのなかった月の光を。
月輪観(がちりんかん)を詠んでいます。「求
道者が、己の心は円満な月の如く、円満清浄
であって、その光明があまねく世界を照らす
と観ずる法をいう。密教では誰もが本来仏性
を具有すると説く。その仏性は様々なものに
邪魔されて普段は隠れているけれども、努力
して障害を取り除けば本有の仏性が現れて、
誰でも覚者になり得ると教える。この本有の
仏性を心月輪(しんがちりん)ともいう」、すな
わち「行者が自己の内奥に満月の如く輝く仏
性が存在することを自覚するための観法」。
注・・心の中にあらはさん=心中に月を現ずる。心
月輪(しんがちりん)。心が月のごとく円満
清浄に輝いていると自覚すること。月輪観
による表現。
あかでやみぬる=この世で最後まで見飽きず
に終わったの意。
作者・・西行=さいぎょう。1118~1191。俗名佐藤義
清。下北面の武士として鳥羽院に仕える。
1140年23歳で財力がありながら出家。出家
後京の東山・嵯峨のあたりを転々とする。
陸奥の旅行も行い30歳頃高野山に庵を結び
仏者として修行する。家集「山家集」。
月の光を
西行 (千載和歌集・1023)
(こんよには こころのうちに あらわさん あかでや
みぬる つきのひかりを)
意味・・来世には心の中に現そう。この世ではいくら
見ても見飽きることのなかった月の光を。
月輪観(がちりんかん)を詠んでいます。「求
道者が、己の心は円満な月の如く、円満清浄
であって、その光明があまねく世界を照らす
と観ずる法をいう。密教では誰もが本来仏性
を具有すると説く。その仏性は様々なものに
邪魔されて普段は隠れているけれども、努力
して障害を取り除けば本有の仏性が現れて、
誰でも覚者になり得ると教える。この本有の
仏性を心月輪(しんがちりん)ともいう」、すな
わち「行者が自己の内奥に満月の如く輝く仏
性が存在することを自覚するための観法」。
注・・心の中にあらはさん=心中に月を現ずる。心
月輪(しんがちりん)。心が月のごとく円満
清浄に輝いていると自覚すること。月輪観
による表現。
あかでやみぬる=この世で最後まで見飽きず
に終わったの意。
作者・・西行=さいぎょう。1118~1191。俗名佐藤義
清。下北面の武士として鳥羽院に仕える。
1140年23歳で財力がありながら出家。出家
後京の東山・嵯峨のあたりを転々とする。
陸奥の旅行も行い30歳頃高野山に庵を結び
仏者として修行する。家集「山家集」。
2013年03月15日
名歌鑑賞・2143
隅々に残る寒さやうめの花
与謝蕪村 (蕪村全句集・126)
(すみずみに のこるさむさや うめのはな)
詞書・・すりこ木で重箱を洗ふごとくせよとは、政
(まつりごと)の厳刻なるをいましめ給ふ。
賢き御代の春にあふて。
意味・・春になって、梅が開花したとはいえ、冬の
寒さが世間のあちらこちらに残っている。
世間隈なく春なれかしと仁政を期する寓意
句。
注・・すりこ木で重箱を洗ふ= 大井利勝による
戒めの言葉「丸き木にて角なる器の中をか
きまわす如くにあれば事よき事なり。丸き
器の内をまはす如く隅々まで探せば事の害
出来候ぞ」による。
賢き御代=新しい帝の治政。
作者・・与謝蕪村=よさぶそん。1716~1783。南宗
画の大家。
与謝蕪村 (蕪村全句集・126)
(すみずみに のこるさむさや うめのはな)
詞書・・すりこ木で重箱を洗ふごとくせよとは、政
(まつりごと)の厳刻なるをいましめ給ふ。
賢き御代の春にあふて。
意味・・春になって、梅が開花したとはいえ、冬の
寒さが世間のあちらこちらに残っている。
世間隈なく春なれかしと仁政を期する寓意
句。
注・・すりこ木で重箱を洗ふ= 大井利勝による
戒めの言葉「丸き木にて角なる器の中をか
きまわす如くにあれば事よき事なり。丸き
器の内をまはす如く隅々まで探せば事の害
出来候ぞ」による。
賢き御代=新しい帝の治政。
作者・・与謝蕪村=よさぶそん。1716~1783。南宗
画の大家。
2013年03月14日
2013年03月13日
2013年03月12日
名歌鑑賞・2140
頼もしき 誓ひは春に あらねども 枯れにし枝も
花ぞ咲きける
平時忠 (千載和歌集・1238)
(たのもしき ちかいははるに あらねども かれにし
えだも はなぞさきける)
詞書・・観音の誓いを思ひて侍(はべり)ける。
意味・・頼もしい観音への祈願は、春ではなくとも枯枝
にも花を咲かせるものだ。
観音に祈願するとどんな病気でも治るものだ。
どんな病気でも必ず治る、必ず治して見せると
いう気の持ち方が、自己治癒力を高めるという。
注・・観音の誓い=仏や菩薩が人の病気を治し救おう
とする願い。
枯れにし枝・・=どんなに病んでいてもきっと
治るの意。
作者・・平時忠=たいらのときただ。1130~1189。正二
位・大納言。平氏滅亡後能登に流される。
花ぞ咲きける
平時忠 (千載和歌集・1238)
(たのもしき ちかいははるに あらねども かれにし
えだも はなぞさきける)
詞書・・観音の誓いを思ひて侍(はべり)ける。
意味・・頼もしい観音への祈願は、春ではなくとも枯枝
にも花を咲かせるものだ。
観音に祈願するとどんな病気でも治るものだ。
どんな病気でも必ず治る、必ず治して見せると
いう気の持ち方が、自己治癒力を高めるという。
注・・観音の誓い=仏や菩薩が人の病気を治し救おう
とする願い。
枯れにし枝・・=どんなに病んでいてもきっと
治るの意。
作者・・平時忠=たいらのときただ。1130~1189。正二
位・大納言。平氏滅亡後能登に流される。
2013年03月11日
2013年03月10日
2013年03月09日
2013年03月08日
2013年03月07日
2013年03月06日
2013年03月05日
名歌鑑賞・2133
春なれば 花の馬酔木も 咲きにけり 母とはなりし
そのかみの子よ
濱田盛秀 (新万葉集・巻六)
(はるなれば はなのあしびも さきにけり ははとは
なりし そのかみのこよ)
意味・・今は春なので、馬酔木の木も、枝々に壺状の白
い花をいっぱい咲かせている。嫁いで行っても
う幸せな母になっている、あの頃の娘(こ)よ。
嫁いで行き人妻となり、子供を生み、今は幸せ
な母となっている昔の恋人のことを、長い冬籠
りを過ぎて春を告げる、真っ白な馬酔木の花の
盛りを見るにつけて、その幸せを心中深く祈り
つつ、淋しくもなつかしく連想した歌です。
注・・馬酔木(あしび)=つつじ科の常緑低木。早春に
白色でつぼ状の小さな花が咲く。葉は有毒。
そのかみの子=あの頃の娘。昔の恋人あるいは
自分の方で恋しく思っていた人。
作者・・濱田盛秀=はまだもりひで。詳細未詳。
そのかみの子よ
濱田盛秀 (新万葉集・巻六)
(はるなれば はなのあしびも さきにけり ははとは
なりし そのかみのこよ)
意味・・今は春なので、馬酔木の木も、枝々に壺状の白
い花をいっぱい咲かせている。嫁いで行っても
う幸せな母になっている、あの頃の娘(こ)よ。
嫁いで行き人妻となり、子供を生み、今は幸せ
な母となっている昔の恋人のことを、長い冬籠
りを過ぎて春を告げる、真っ白な馬酔木の花の
盛りを見るにつけて、その幸せを心中深く祈り
つつ、淋しくもなつかしく連想した歌です。
注・・馬酔木(あしび)=つつじ科の常緑低木。早春に
白色でつぼ状の小さな花が咲く。葉は有毒。
そのかみの子=あの頃の娘。昔の恋人あるいは
自分の方で恋しく思っていた人。
作者・・濱田盛秀=はまだもりひで。詳細未詳。
2013年03月04日
2013年03月03日
2013年03月01日
名歌鑑賞・2129
ちかづきて あふぎみれども みほとけの みそなはすとも
あらぬさびしさ
会津八一 (鹿鳴集)
(近づきて 仰うぎ見れども み仏の みそなはすとも
あらぬ寂しさ)
詞書・・香薬師を拝して。
意味・・近寄って仰ぎ観ても、み仏が自分を認めてご覧
下さることもないこの寂しさよ。
古仏像の眼は焦点が合わない感じがするもので、
香薬師の像も切れ長の瞳もやはりそうである。
み仏が自分を見つめてくれない寂しさを詠む。
「お偉いさん」に相談事をしたいと思っも、知
らぬ顔して、うてあってくれない寂しさと同じ
感じです。
注・・香薬師=奈良の新薬師寺堂内に安置する高さ
70センチ程の金銅製の立像。ふくよかな
顔つきに腫れぼったく細められた目つきを
している。目は焦点が合わない感じがする。
みそなはす=ご覧になる。
作者・・会津八一=あいづやいち。1881~1956。早大文科
卒。文学士。美術史研究家。「会津八一歌集」。
あらぬさびしさ
会津八一 (鹿鳴集)
(近づきて 仰うぎ見れども み仏の みそなはすとも
あらぬ寂しさ)
詞書・・香薬師を拝して。
意味・・近寄って仰ぎ観ても、み仏が自分を認めてご覧
下さることもないこの寂しさよ。
古仏像の眼は焦点が合わない感じがするもので、
香薬師の像も切れ長の瞳もやはりそうである。
み仏が自分を見つめてくれない寂しさを詠む。
「お偉いさん」に相談事をしたいと思っも、知
らぬ顔して、うてあってくれない寂しさと同じ
感じです。
注・・香薬師=奈良の新薬師寺堂内に安置する高さ
70センチ程の金銅製の立像。ふくよかな
顔つきに腫れぼったく細められた目つきを
している。目は焦点が合わない感じがする。
みそなはす=ご覧になる。
作者・・会津八一=あいづやいち。1881~1956。早大文科
卒。文学士。美術史研究家。「会津八一歌集」。