2015年12月
2015年12月31日
・夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く
源経信
(ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしの
意味・・夕方になると、家の前の門田の稲の葉にそよそよと
音をさせて、芦ぶきの山荘に秋風が吹いて来る。
田園の秋の風景を詠んだものです。
まだ日中の暑さが残っている夕方、さわやかな風が
吹いて来る。その秋風は稲葉を波うたせて吹いてお
り、稲葉のそよぐ音が心地がよく、自分のいる山荘
にも涼しさを運んでくるということです。
注・・夕されば=夕方になると。
門田=家の前の田。
おとづれて=人を訪ねるの意であるが、本来は音を
たてるの意。
芦のまろや=芦で葺(ふ)いた粗末な仮小屋だが、ここ
では経信の山荘のこと。
作者・・ 源経信=みなもとつねのぶ。1016~1097。大納言。
2015年12月30日
・思わじと 思うも物を 思うなり 思わじとだに 思わじやきみ
思わじやきみ
(おもわじと おもうもものを おもうなり おもわじ
とだに おもわじやきみ)
意味・・思うまいと思い込むことも、そのことに
とらわれて思っているということなので
す。思うまいとさえ思わないことです。
「思」の語を重ねて詠んだ歌として、
「思ふまじ 思ふまじとは 思へども思
ひ出して袖しぼるなり」があります。
(意味は下記参照)
作者・・沢庵=たくあん。1573~1645。大徳寺
参考歌です。
思ふまじ 思ふまじとは 思へども 思ひ出だして
袖しぼるなり
(おもうまじ おもうまじとは おもえども おもい
いだして そでしぼるなり)
意味・・亡くなった子を思い出すまい、思い出すまい
とは思うけれども、思い出しては悲しみの涙
で濡れた着物の袖を、しぼるのである。
文政2年(1819年)に天然痘が流行して子供が
死亡した時の歌です。
2015年12月29日
・源氏をば 一人となりて 後に書く 紫女年若く われは然らず
われは然らず
与謝野晶子
(げんじをば ひとりとなりて あとにかく しじょ
としわかく われはしからず)
意味・・源氏物語を良人宣孝(のぶたか)を亡くして
独り身となってから書いた紫式部は、その
年はまだ若かったけれども、良人の寛(ひ
ろし)を失って寡婦となった私はそうではな
い。もう60歳近くになっていることだ。
夫を亡くした悲しみを、若くして夫を亡く
した紫式部を思いやることにより、忘れさ
せ気を取り直し自分を励ませた歌です。
注・・源氏=源氏物語。
紫女=紫式部。973年頃の生まれ。
年若く=20歳後半で夫の宣孝を亡くす。
宣孝=藤原宣孝。950~1001。
寛=与謝野鉄幹の本名。1873~1935。
作者・・与謝野晶子=よさのあきこ。1878~1942。
2015年12月28日
・泣く涙 雨と降らなむ 渡り川 水まさりなば 帰り来るがに
小野たかむら
(なくなみだ あめとふらなん わたりがわ みず
意味・・私が嘆き悲しんで泣く涙が、雨となって降って
ほしいものだ。そのために三途の川の水かさが
増したならば、あの人は渡ることが出来ないで
帰って来るだろうから。
妹が亡くなった時に詠んだ歌です。
注・・渡り川=冥途に行く道にある川、三途の川。
出典・・古今和歌集・829。
2015年12月27日
2015年12月26日
・みよしのの 山の白雪 踏み分けて 入りにし人の おとづれもせぬ
おとづれもせぬ
(みよしのの やまのしらゆき ふみわけて いりにし
ひとの おとづれもせぬ)
意味・・俗世を逃れてみ吉野の山の白雪を踏み分けて入っ
た人が、帰って来ないばかりでなく、便りもくれ
ないとは、いったいどうしたわけなのだろうか。
寒さの厳しい山で住む友を思いやる気持を詠んだ
歌です。
当時、次の歌のように、吉野山は、俗世を逃れ住
む別天地でもあった。
み吉野の 山のあなたに 宿もがな 世の憂き時の
かくれがにせむ (古今集・950 詠人知らず)
(山深い吉野山の、さらに向うに、宿でも欲しいもの
注・・みよしの=吉野は奈良県南部の地、「み」は美称。
ここでは、世を逃れる人の入る山。
入りにし人=山に入って、そのまま出家した人
2015年12月25日
・初瀬山 夕越え暮れて 宿問へば 三輪の檜原に 秋風ぞ吹く
禅性法師
(はつせやま ゆうごえくれて やどとえば みわの
意味・・初瀬山を夕方越えていくうちに日が暮れて、宿
を探していると、三輪の檜原に秋風が吹くこと
初瀬の長谷寺に参詣した道で詠んだ歌です。
「夕方」、「檜原」、「秋風」とでわびしさ、
注・・三輪=奈良県桜井市穴師のあたり。
檜原=檜(ひのき)の生えている原。
2015年12月24日
・楽しみは 書よみ倦める をりしもあれ 声知る人の 門たたく時
橘曙覧
(たのしみは しょよみうめる おりしもあれ こえ
意味・・私の楽しみは、読書にそろそろ飽きてきたちょうど
その時、声を聞いただけで、ああ、あの人だと分か
る知り合いが、我が家の戸をたたいて訪ねた時です。
似た心境として、
長く仕事を続けていると疲れてくる。ここで一息入
れたいところだ。でも、あともう少しあともう少し
この時コーヒータイムしませんかと誘われると踏ん切
りがつく。誘ったり誘われたり、こういう人間関係
注・・倦める=飽きる。
2015年12月23日
・御民我れ 生ける験あり 天地の 栄ゆる時に あへらく思へば
あへらく思へば
海犬養岡麻呂
(みたみわれ いけるしるしあり あめつちの さかゆる
ときに あえらくおもえば)
意味・・日本の国民である私は、ほんとうに生きがいが
あります。天地の栄える時世に生まれ遇わせた
ことを思いますと。
注・・験(しるし)=かいのあること。効果。
あへらく=会へらく。出会う、遭遇する。
作者・・海犬養岡麻呂=あまのいぬかいおかまろ。生没
出典・・万葉集・996。
2015年12月22日
・吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ
嵐といふらむ
(ふくからに あきのくさきの しおるれば むべやま
意味・・吹くとすぐに、秋の草も木もたわみ傷つくので、
なるほど、それで山から吹き降ろす風を「荒し」
と言い、「嵐」とかくのだろう。
実景としては、野山を吹きまくって草木を枯らし
つくす晩秋の風景を詠んだものです。
山と風の二字を合わせて「嵐」になるという文字
遊びにもなっています。
注・・しをるれば=しぼみ、たわみ傷つくので。
むべ=なるほど。
嵐=荒々しいの「荒し」を掛けている。
参考歌です。
雪降れば 木毎に花ぞ 咲きにける いづれを梅と
わきて折らまし
(ゆきふれば きごとにはなぞ さきにける いずれを
意味・・雪が降ったので、木毎(きごと)に花が真っ白に
2015年12月21日
・君まさで 煙絶えにし 塩竃の うらさびしくも 見えわたるかな
見えわたるかな
紀貫之
(きみまさで けむりたえにし しおがまの うらさび
意味・・ご主人が亡くなられてから、塩を焼く煙も消えて
実力者の源融(みなもととおる)左大臣が亡くなっ
注・・まさで=「ます」は「あり」「おり」の尊敬語。
煙絶え=塩焼く煙が絶え。当時は塩をとるために
塩竃=宮城県塩竃市。「煙の絶えた塩の釜」と地
うら=塩釜の「浦」と「うら悲しい」を掛ける。
作者・・紀貫之=きのつらゆき。866~945。「古今和歌集」の
2015年12月20日
・ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く
千鳥しば鳴く
(ぬばたまの よのふけゆけば ひさぎおうる きよき
意味・・夜がしだいに更けてゆくと、久木の生える清い
川原で千鳥がしきりに鳴いていることだ。
夜の静寂を逆に千鳥の声により表現しています。
注・・ぬばたま=夜の枕詞。
2015年12月19日
・里人の 裾野の雪を 踏分けて ただ我がためと 若菜つむらん
後鳥羽院
(さとびとの すそののゆきを ふみわけて ただわが
意味・・村里の人が山の裾野の雪を踏み分けて、若菜を摘んで
いるが、ただもう自分が生きてゆくためにと摘むので
あろうか。
「君がため春の野にいでて若菜つむ我が衣手に雪は
降りつつ」(意味は下記参照)を念頭に置きつつ、
そのように人のために摘む風流な若菜では無いと
詠んだ歌です。
注・・若菜=せりやなずななど、食用や薬用の草の総称。
2015年12月18日
・入日さす 麓の尾花 うちなびき たが秋風に 鶉鳴くらん
鶉鳴くらん
(いりひさす ふもとのおばな うちなびき たが
あきかぜに うずらなくらん)
意味・・夕日のさす麓の尾花がなびき、その中に
伏して、だれの飽き心のためにか、秋風
に辛(つら)くなって、鶉は鳴いているの
であろうか。
夕日のさす山麓の秋風になびく尾花の中
でわびしく鳴く鶉に、男の飽き心に泣き
わびている女性の面影を見ています。
注・・入日=夕日。
尾花=薄の穂。
なびき=横に倒れ伏す。尾花がなびく意
と鶉が伏すの意を掛ける。
秋風=「秋」に「飽き」を掛ける。
鶉=「鶉」の「う」に「憂し」を掛ける。
作者・・源通光=みなもとのみちてる。1248年没。
2015年12月17日
・落ちて行く 身と知りながら もみぢ葉の 人なつかしく こがれこそすれ
こがれこそすれ
皇女和宮
(おちてゆく みとしりながら もみじばの ひと
なつかしく こがれこそすれ)
意味・・燃えるような紅葉の彩りは、しかし、よく見ると
風に舞って落ちてゆく。その身の不運を知りなが
らも、その不運を嘆くだけでなく、その一葉一葉
にも生命があり、それを燃やし尽くしている。
私は、政略結婚でこれから嫁いで行くのだが、不運
を嘆くのでなく、相手の心に打ち解け、いちずに
恋慕い尽してゆかねばと思う。
徳川将軍家茂(いえもち)に16歳で嫁いで行く道中
で詠んだ歌です。
注・・なつかしく=心にひかれる。
こがれ=焦がれ。いちずに恋したう。思い焦がれ
る。
作者・・皇女和宮=こうじょかずのみや。1846~1877。
2015年12月16日
2015年12月15日
・朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれたる 瀬々の網代木
瀬々の網代木
藤原定頼
(あさぼらけ うじのかわぎり たえだえに あらわれたる
せぜのあじろぎ)
意味・・明け方、あたりがほのぼのと明るくなる頃、宇治川の
川面に立ち込めていた霧がとぎれとぎれになって、そ
の絶え間のあちらこちらから点々と現れてきた川瀬の
網代木よ。
冬の早朝、霧の美しい風景を詠んでいます。
注・・あさぼらけ=夜明け方、あたりがほのぼのと明るくなる頃。
瀬々 =「瀬」は川の浅い所。
網代木=「網代」は川に竹や木を組み立て網のかわりにし、
魚をとるしかけ。木はその杭。
作者・・藤原定頼=ふじわらさだより。995~1045。藤原公任(
2015年12月14日
・唐衣 着つつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
旅をしぞ思ふ
在原業平
(からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる
たびをしぞおもう)
(か・・・・ き・・・・・・ つ・・・・ は・・・・・・ た・・・・・)
意味・・くたくたになるほど何度も着て、身体になじんだ衣服
のように、慣れ親しんだ妻を都において来たので、都を
遠く離れてやって来たこの旅路のわびしさがしみじみと
感じられることだ。
三河の国八橋でかきつばたの花を見て、旅情を詠んだ
ものです。各句の頭に「かきつばた」の五文字を置い
た折句です。この歌は「伊勢物語」に出ています。
注・・唐衣=美しい立派な着物。
なれ=「着慣れる」と「慣れ親しむ」の掛詞。
しぞ思う=しみじみと寂しく思う。「し」は強調の意
の助詞。
三河の国=愛知県。
作者・・在原業平=ありわらのなりひら。825~880。従四位
出典・・古今集・410、伊勢物語・9段。
2015年12月13日
・東路の 道の冬草 茂りあひて 跡だに見えぬ 忘水かな
忘水かな
(あずまじの みちのふゆくさ しげりあい あとだに
みえぬ わすれみずかな)
意味・・ここ吾妻では、道のほとりの冬枯れた草
跡だに=人の足跡さえ。手紙も貰えない
ことを暗示している。
忘水=野中に隠れて人に知られない水。
ここでは都人に忘れられている自分
作者・・康資王母=やすすけおうのはは。生没年
2015年12月12日
・行く水は 堰けばとまるを 紅葉ばの 過ぎし月日の また返へるとは
また返へるとは
(ゆくみずは せけばとまるを もみじばの すぎし
つきひの またかえるとは)
意味・・流れる水は堰き止めれば止まるのに、過ぎて
しまった月日が再び戻ってくるとは聞いた事
がないなあ。
堰で秋を留めると詠んだ歌として、
「落ちつもる紅葉を見れば大井川いせきに秋
もとまるなりけり」があります。
注・・紅葉ばの=「過ぎ」の枕詞。
作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。
参考歌です。
落ちつもる 紅葉を見れば 大井川 ゐせきに秋も
とまるなりけり
意味・・大井川の堰(いせき)に散り落ちて積もっている
紅葉をみると、堰は水をせき止めるだけでなく
紅葉を止め、秋という季節もここに止めている
冬になったが、まだいせきに秋は残っている
という事を詠んでいます。
注・・ゐせき=堰。水をせき止める施設。
2015年12月11日
・世にふるもさらに宗祇のやどりかな
世にふるもさらに宗祇のやどりかな
芭蕉
(よにふるも さらにそうぎの やどりかな)
詞書・・手づから雨の侘笠(わびがさ)をはりて。
意味・・数日こうして渋笠を張りながら、旅の詩人宗祇を
思うのも、いささか古人にあやかるところあって
面白いが、しかしさらに考えてみれば、この人生
そのものが、「宗祇のやどり」に他ならないので
はなかろうか。
宗祇の句、
「世にふるも更に時雨のやどりかな」とさらに
二条院讃岐の歌、
「世に経るは苦しきものを槙の屋にやすくも過ぐる
初時雨かな」
を念頭に詠んだ句です。(意味は下記参照)
注・・手づから=自分の手で。
侘笠(わびがさ)=侘び人にふさわしい笠。
宗祇のやどり=時雨の晴れるのを待つ間の侘しい
宿りのこと。
作者・・芭蕉=1644~1694。松尾芭蕉。「野ざらし紀行」
「奥の細道」「笈の小文」。
世にふるも 更に時雨の やどりかな
宗祇
(よにふるも さらにしぐれの やどりかな)
意味・・時雨降る(信濃路で)一夜の雨宿りをするのは
侘しい限りであるが、更に言えばこの人生
そのものが時雨の過ぎるのを待つ雨宿りの
ようではないか。
冷たい雨が降ったり止んだりするように、
人生も良かったり悪かったりするという無
常観を詠んでいます。
注・・ふる=「降る」と「経る」を掛ける。
さらに=さらに言えば。
時雨=初冬のにわか雨。人生の無常や冬の
始まりの侘しさを感じさせる。
二条院讃岐歌です。
世に経るは 苦しきものを 槙の屋に やすくも過ぐる
初時雨かな
二条院讃岐
(よにふるは くるしきものを まきのやに やすくも
すぐる はつしぐれかな)
意味・・世を生きながらえていくことは辛く苦しいもの
なのに、槙の屋に降る初時雨はいとも軽々しく
降り過ぎていくことだ。
辛さや苦しみ、悲しみを十分味わったので、「
やすく過ぐる」ように、これからは容易に世を
過ごす事が出来たら良いのに、という気持を詠
んでいます。
なお、二条院は平家との戦いで父と子を亡くし
ています。
注・・世に経る=この世に生きながらえる。
槙の屋=槙の板で葺(ふ)いた家。
やすく過ぐる=なんの苦しみもなくさらさらと
降り過ぎる。
2015年12月10日
・名を聞けば 昔ながらの 山なれど しぐるる秋は 色まさりけり
色まさりけり
源順
(なをきけば むかしながらの やまなれど しぐるる
あきは いろまさりけり)
意味・・名を聞くと、昔ながら変ることのない、長等山
ではあるけれど、時雨が降る秋は、一段と色が
まさることだ。
不変の長等山が、美しく紅葉した景色を詠んで
います。
注・・ながら山=「長等山」と「昔ながら」を掛ける。
長等山は滋賀県大津市の三井寺の裏山。
しぐるる=時雨るる。秋から冬にかけて降った
り止んだりする雨、が降る。
作者・・源順=みなもとのしたがう。911~983。従五位
2015年12月09日
・照る月の 冷えさだかなる あかり戸に 眼は凝しつつ 盲ひてゆくなり
盲ひてゆくなり
北原白秋
こらしつつ しいてゆくなり)
意味・・ガラス戸に照っている月の光がいかにも冷え
冷えとした冷たい感じなのは、盲(めし)いて
眼底出血して入院している時に詠んだ歌です。
失明への恐れという事態になって自分の気持
を整理しています。
注・・さだかなる=はっきりしているの意。
あかり戸=明かりをとる戸の意でガラス戸。
凝(こら)しつつ=「凝す」はじっと見つめる。
盲(し)ひて=「しふ」(廃ふ)は器官の働きが
なくなる意。「盲」は「めしひて」と読む
べきだが、リズムの上で「め」をはぶいた
もの。
作者・・北原白秋=きたはらはくしゅう。1885~19
2015年12月08日
・百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり
昔なりけり
順徳院
(ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なお
あまりある むかしなりけり)
意味・・宮中の古びた軒端の忍ぶ草を見るにつけても、
偲んでも偲びつくせないほど慕(した)わしい
ものは、昔のよき御代なのである。
宮中の古い建物に生えている忍ぶ草によって
象徴されるのは、皇室の権威の衰えであり、
王朝の室町から武家の鎌倉への時代の変遷の
中、過去の時代の繁栄ぶりと現在の衰退ぶり
の嘆きを詠んでいます。
注・・百敷=「大宮」にかかる枕詞。ここでは宮中。
しのぶ=「偲ぶ」と「忍ぶ草」を掛ける。忍
ぶ草は羊歯類の一種、邸宅が荒廃している
さまを表現。
なほ=やはり。
あまりある=度を超している。ここでは、偲
んでも偲びきれないの意。
昔なりけり=皇室の栄えていた過去の時代。
作者・・順徳院=じゅんとくいん。1197~1242。
2015年12月07日
・皆人を 寝よとの鐘は 打つなれど 君をし思へば 寝ねかてぬかも
寝ねかてぬかも
(みなひとを ねよとのかねは うつなれど きみを
しおもえば いねかてぬかも)
意味・・皆の者寝よという時の鐘は鳴っているが、
あなたを思うと眠ろうにも眠れません。
悩みを持たない世の常の人と比べて、
ひとり、恋にもだえる気持ちを詠んだ
歌です。
その後、片思いだと観念して次の歌を
詠んでいます。
「相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後方に
額づくがごと」(意味は下記参照)
注・・鐘=時守が亥の刻(午後十時頃)、人の
寝静まるべきとされ時に打つ鐘。
かてぬ=・・できない。
作者・・笠女郎=かさのいらつめ。生没年未詳。
参考歌です。
相思はぬ 人を思ふは 大寺の 餓鬼の後方に
額づくがごと
(あいおもわぬ ひとをおもうは おおでらの がきの
しりえに ぬかずくがごと)
意味・・互いに思わない人を一方的に思うのは、大寺
の餓鬼を後方から額をこすりつけて拝んでい
片思いは仏ならぬ餓鬼に、しかも後方から拝
むように、何のかいもないことだと、我が恋
を自嘲するものです。
注・・相思はぬ=片思いのこと。
後方(しりえ)に=後から。
2015年12月06日
2015年12月05日
2015年12月04日
301 三日月の また有明に なりぬるや うきよにめぐる ためしなるらん
ためしなるらん
(みかづきの またありあけに なりぬるや うきよに
めぐる ためしなるらん)
意味・・三日月が再び有明月となったが、こうして
夜々に廻り廻る月が、人が憂き世に輪廻す
る証しなのだろうか。
人の世の栄落を月の満ち欠けに譬えている。
栄えるものだ、と詠んでいます。
注・・有明=夜明け近くまで出ている月。
うきよ=憂き世。つらい世の中。
めぐる=廻る。月が空を廻るの意と、人の
生き続ける意を掛ける。輪廻する。
ためし=試し。証拠、手本。
作者・・藤原教長=ふじわらののりなが。1109~ 。
2015年12月03日
300 うづくまる薬の下の寒さかな
内藤丈草
(うずくまる くすりのもとの さむさかな)
前書・・ばせを翁の病床に侍りて。
意味・・師芭蕉の病状は重い。師の病を案じながら
火鉢の薬釜のそばでうずくまっていると、
寒さがひしひし迫ってくる。また心配の為
心も寒い。
芭蕉臨終の数日前の吟です。
注・・うづくまる=しゃがんで丸くなること。
寒さ=冬の気温の寒さだけでなく、心理的
な寒さも含めている。心の寒さ。
作者・・内藤丈草=ないとうじょうそう。1662~1704。
2015年12月02日
301 今ぞ知る 二見の浦の 蛤を 貝合とて おほふなりけり
西行
(いまぞしる ふたみのうらの はまぐりを かいあわせ
意味・・今初めて分かったことだ。都では貝合わせと
いって、この二見の浦の蛤を合わせて遊んで
いるということが。
げそうに貝を拾っている。貧しい海の生活者
注・・二見の浦=三重県伊勢市の海岸。
貝合=蛤の貝殻に絵や歌を書き、カルタ取り
おほふ=覆う・被う、かぶせる。貝合わせを
すること。
2015年12月01日
300 ありしにも あらずなりゆく 世の中に かはらぬものは 秋の夜の月
秋の夜の月
(ありしにも あらずなりゆく よのなかに かわらぬ
意味・・昔のようでは無くなってゆくこの世の中で、
変わらないものは秋の夜の月だけだ。
自分の姿や世間の様子が昔と変わって行く
中で、月の美しさだけは昔と変わらない羨
ましさ、世の無常さを詠んでいます。
注・・ありし=以前の。昔の。
無常=全ての物が生滅変転して留まらない事。
作者・・明快=みょうかい。986~1070。 天台座主。