2017年04月
2017年04月30日
2017年04月29日
・道のべの 朽木の柳 春来れば あはれ昔と しのばれぞする
道のべの 朽木の柳 春来れば あはれ昔と しのばれぞする
菅原道真
(みちのべの くちきのやなぎ はるくれば あはれ
むかしと しのばれぞする)
意味・・道のほとりの朽ち木の柳は、春が来ると、
ああ、昔はさぞ美しく茂ったことであろう
と思われることだ。
作者自身の境遇を顧みて詠んでいます。
注・・朽木の柳=ほとんど枯れかかった柳の木。
(みちのべの くちきのやなぎ はるくれば あはれ
むかしと しのばれぞする)
意味・・道のほとりの朽ち木の柳は、春が来ると、
ああ、昔はさぞ美しく茂ったことであろう
と思われることだ。
作者自身の境遇を顧みて詠んでいます。
注・・朽木の柳=ほとんど枯れかかった柳の木。
左遷されて世に埋もれている自分の姿を
見ている。
あはれ昔としのばれぞする=ああ、昔はさ
ぞ美しく茂った事であろう。世に時めい
ていた頃の自分の追懐をこめている。
あはれ昔としのばれぞする=ああ、昔はさ
ぞ美しく茂った事であろう。世に時めい
ていた頃の自分の追懐をこめている。
作者・・菅原道真=すがわらのみちざね。845~903。
従二位右大臣。大宰権帥(そち)に左遷された。
出典・・新古今和歌集・1449。
2017年04月28日
・花ざかり 春のみ山の 明けぼのに おもひわするな 秋の夕暮
花ざかり 春のみ山の 明けぼのに おもひわするな
秋の夕暮
源為義
(はなざかり はるのみやまの あけぼのに おもいわするな
あきのゆうぐれ)
源為義
(はなざかり はるのみやまの あけぼのに おもいわするな
あきのゆうぐれ)
詞書・・東宮(皇太子)が一品宮(いっぽのみや・親王)や故
威子(こいし)中宮(皇后)の女房たちと花見をして
いる時に詠んだ歌。
意味・・花盛りの春のみ山の曙の頃にも、どうか秋の夕暮
意味・・花盛りの春のみ山の曙の頃にも、どうか秋の夕暮
れ時をお忘れなさいませんように。
東宮や一品宮さまのお栄えにつけても、故威子中
東宮や一品宮さまのお栄えにつけても、故威子中
宮さまの御ことをお忘れなさいませんように。
今の栄達も昔の人々の力添えがあったことを忘れ
ないでほしい、という気持を詠んでいます。
注・・東宮=皇太子。
一品宮(いっぽんのみや)=親王。
故威子中宮(こいしちゅうぐう)=故人となった威子
注・・東宮=皇太子。
一品宮(いっぽんのみや)=親王。
故威子中宮(こいしちゅうぐう)=故人となった威子
という名前の皇后。
女房=高位の女官。
明けぼの=曙。枕草子の「春は曙」をさす。春は夜明
け方が一番だ。だんだん白々と明けて峰近くの空
があかね色になるのが素晴しい。
秋の夕暮れ=秋は夕暮れが良い。はなやかな夕日、赤
く染めた山や空が素晴しい。
明けぼの=曙。枕草子の「春は曙」をさす。春は夜明
け方が一番だ。だんだん白々と明けて峰近くの空
があかね色になるのが素晴しい。
秋の夕暮れ=秋は夕暮れが良い。はなやかな夕日、赤
く染めた山や空が素晴しい。
作者・・源為義=みなもとのためよし。1042年没。従四位陸
奥守。
出典・・後拾遺和歌集・1103。
出典・・後拾遺和歌集・1103。
2017年04月26日
2017年04月25日
・家ろには 葦火焚けども 住み好けを 筑紫に到りて 恋しけ思はも
家ろには 葦火焚けども 住み好けを 筑紫に到りて
恋しけ思はも
物部真根
恋しけ思はも
物部真根
(いえろには あしびたけども すみよけを つくしに
いたりて こいしけおもはも)
意味・・家では、葦火を焚くと煙たく煤けて汚いがそれでも
住み良いものだ。遠く離れて筑紫に着いたら、こん
な家のことも恋しく思うことだろうな。
住み良いものだ。遠く離れて筑紫に着いたら、こん
な家のことも恋しく思うことだろうな。
上野国(こうずけこく)の防人(さきもり)の歌です。
今いる所が不憫に思っていたことだが、それに比べ
ここよりもっと環境の悪い所に行けば、ここは住み
良い所だと思うだろう、と詠んでいます。
注・・家ろ=「ろ」は親愛をこめた接尾語。
葦火=暖のため、家の中で葦を焚く事。煤けて汚い。
筑紫=福岡県の北部。
上野国=今の群馬県のあたり。
防人=上代、東国から送られて九州の要地を守った
兵士。
今いる所が不憫に思っていたことだが、それに比べ
ここよりもっと環境の悪い所に行けば、ここは住み
良い所だと思うだろう、と詠んでいます。
注・・家ろ=「ろ」は親愛をこめた接尾語。
葦火=暖のため、家の中で葦を焚く事。煤けて汚い。
筑紫=福岡県の北部。
上野国=今の群馬県のあたり。
防人=上代、東国から送られて九州の要地を守った
兵士。
作者・・物部真根=もののべのまね。生没年未詳。上野国の
防人。
出典・・万葉集・4419。
2017年04月24日
・水鳥を 水の上とや よそに見む 我もうきたる 世をすぐしつつ
水鳥を 水の上とや よそに見む 我もうきたる 世をすぐしつつ
紫式部
(みずとりを みずのうえとや よそにみん われも
(みずとりを みずのうえとや よそにみん われも
うきたる よをすぐしつつ)
意味・・水鳥は何の思い患うこともなく泳ぎ廻っている
意味・・水鳥は何の思い患うこともなく泳ぎ廻っている
のだと、よそごとのように見ていられるだろう
か。私だとて水に浮く鳥同様、華やかに浮いた
宮中の生活を営みながら、水面下の水鳥のあが
きのように憂き日々を送っている身なのです。
注・・よそ=余所、関係のないさま。
うき=憂き、つらいこと。まわりの状況が思う
にまかせず、気持がふさいでいやになるさま。
「浮き」を掛ける。
作者・・紫式部=970頃~ 1016頃。藤原道長の娘・中
宮彰子に仕えた。
出典・・千載和歌集・430。
2017年04月23日
2017年04月22日
2017年04月21日
・医師の眼の 穏しきを趁ふ 窓の空 消え光つつ 花の散り交ふ
医師の眼の 穏しきを趁ふ 窓の空 消え光つつ
花の散り交ふ
明石海人
(いしのめの おだしきをおう まどのそら きえ
ひかりつつ はなのちりかう)
詞書・・病名を癩と聞きつつ暫しは己が上とも覚えず。
意味・・診察した医師は「癩」と診断して、顔をそっ
と窓の空に向けている。そこには花びらが、
日に当たり、またかげりながら散っている。
昭和10年頃の当時は、癩病は不治の病であっ
た。その病名を聞かされてショックを受けた
状態を詠んでいます。
花の散り交ふ
明石海人
(いしのめの おだしきをおう まどのそら きえ
ひかりつつ はなのちりかう)
詞書・・病名を癩と聞きつつ暫しは己が上とも覚えず。
意味・・診察した医師は「癩」と診断して、顔をそっ
と窓の空に向けている。そこには花びらが、
日に当たり、またかげりながら散っている。
昭和10年頃の当時は、癩病は不治の病であっ
た。その病名を聞かされてショックを受けた
状態を詠んでいます。
咲き終えて落下する花びらのように、自分の
運命もこれまでかと落胆した歌です。
しかし、この後に気を取り戻します。父や母、
妻や幼子の事を思うと、必ず病気を治さねば
ならない、治したいと。
蕾が花と開いて、燃えて燃え尽きて落下する。
私も必ずこの病気に打ち勝って花を開かせて
燃え尽きて散りたいと。
注・・穏(おだ)しき=おだやか。
趁(お)ふ=追う、追いかける。
癩=ハンセン氏病。昭和24年頃から特効薬が
普及して完治するようになった。特効薬の
無い昔は、人々に忌み嫌われ差別され、又
療養所に隔離されて出所出来なかった。
作者・・明石海人=あかしかいじん。1901~1939。
沼津商業卒。会社勤め後、らい病を患い、長
島愛生園で生涯を過ごす。鼻が変形し失明す
る中で歌集「白描」を出版。
出典・・歌集「白描」、新万葉集。
2017年04月20日
・いそのかみ 古き都を 来て見れば 昔かざしし 花咲きにけり
いそのかみ 古き都を 来て見れば 昔かざしし
花咲きにけり
詠人知らず
(いそのかみ ふるきみやこを きてみれば むかし
かざしし はなさきにけり)
意味・・古い奈良の都の跡に来てみると、昔、その都
花咲きにけり
詠人知らず
(いそのかみ ふるきみやこを きてみれば むかし
かざしし はなさきにけり)
意味・・古い奈良の都の跡に来てみると、昔、その都
の大宮人達が、髪や冠に挿して飾った花が、
色も変らずに咲いていることだ。
漢詩、参考です。
緑草(りょくそう)は如今(いま)麋鹿(びろく)の
苑(その) 紅花(こうか)は定めて昔の管弦の家
(意味は下記参照)
注・・いそのかみ=石上。奈良県天理市布留町一帯の
地。「古き」の枕詞。
古き都=奈良の都。「布留」を掛ける。
地。「古き」の枕詞。
古き都=奈良の都。「布留」を掛ける。
昔かざしし=昔の人がかざし(飾りに花などを
髪や冠に挿すこと)とした。
出典・・新古今和歌集・88。
出典・・新古今和歌集・88。
漢詩、参考です。
「平城(なら)を過ぎる」
「平城(なら)を過ぎる」
菅三品(かんさんぽん・菅原道真の孫)
緑草(りょくそう)は如今(いま)麋鹿(びろく)の苑(その)
紅花(こうか)は定めて昔の管弦の家
意味・・新緑の青草の丘のほとり、今は鹿の遊ぶ苑と
なりはてているが、紅の花の咲くあたりは、
さだめし、あおによし奈良の都のありし日に、
管弦を奏した家の跡でもあったであろう。
注・・麋鹿(びろく)=大鹿と小鹿。
緑草(りょくそう)は如今(いま)麋鹿(びろく)の苑(その)
紅花(こうか)は定めて昔の管弦の家
意味・・新緑の青草の丘のほとり、今は鹿の遊ぶ苑と
なりはてているが、紅の花の咲くあたりは、
さだめし、あおによし奈良の都のありし日に、
管弦を奏した家の跡でもあったであろう。
注・・麋鹿(びろく)=大鹿と小鹿。
2017年04月19日
2017年04月18日
・ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ
ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ
紀友則
(ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しずこころ
なく はなのちるらん)
意味・・春の陽射しはのどかにゆきわたっているのに、
どうして桜の花はそわそわと散り急ぐのだろうか。
のどかな春、のどかに咲いた桜の花。いつまでも
このままであってほしい。
注・・ひさかたの=天・空・日・月などにかかる枕詞。
静心(しずこころ)=落ち着いた心。
作者・・紀友則=きのとものり。生没年未詳。貫之とは従兄
弟に当たる。古今集の撰者であったが完成前に没
した。
出典・古今和歌集・84、百人一首・33。
2017年04月17日
・曲水の水のみなかみや鴻の池
曲水の水のみなかみや鴻の池
西鶴
(きよくすいの みずのみなかみや こうのいけ)
意味・・毎年3月3日のめでたい行事である曲水の宴が
行われている。曲水の流れる水の源を尋ねて
行くと、なんと大きな白鳥が遊んでいる池で
はないか。いやいやそればかりじゃない、鴻
の池さんでお造りになる銘酒が曲水の流れの
源なのでした。
曲水の水の源は大きな白鳥が遊んでいる池で
あり、銘酒を造るための名水なので、曲水を
するのにふさわしいと詠んだもの。
注・・曲水=陰暦三月三日に宮中で行われた行事。
庭園の水の流れのほとりに座り、流される
盃が自分の前を通り過ぎる前に詩歌を吟じ、
盃の酒を飲み、また下流へ流すというもの。
現在は京都の城南宮や太宰府天満宮などで
行われている。
鴻の池=大白鳥の「鴻の鳥」と「酒造の鴻池
家」を掛けている。酒造には名水が欠かせ
ない。
鴻池家=江戸時代の大阪の豪商の家の名。摂
津鴻池村で酒造業を始めて大成功して豪商
となった。
作者・・井原西鶴=いはらさいかく。1642~1693。
西山宗因に師事。「好色一代男」などが有名。
2017年04月16日
・人問はば 見ずとやいはむ 玉津島 かすむ入江の 春のあけぼの
山口県北長門・青海島の日の出
人問はば 見ずとやいはむ 玉津島 かすむ入江の
春のあけぼの
藤原為氏
(ひととわば みずとやいわん たまつしま かすむ
いりえの はるのあけぼの)
意味・・人が尋ねたなら「見ませんでした」と言おうか。
この玉津島のある入江に霞のかかった春の曙の
景色を。言葉でとうていこの美しさを言い表す
ことは出来ないから。
この歌に逸話が残っています。
為氏は第二句を「見つといはん」(はい見ました
よ、と言おう)として作ったが、父の為家に見せ
ところ、「つ」の横に「す」と書いて返された
のでこう改めて歌の会に出すと、賞賛されたと
いう。
たった一字の違いで歌を大きく変えています。
注・・玉津島=紀伊の和歌の浦にあった小島。
あけぼの=曙。夜がほのぼのと明ける頃。
作者・・藤原為氏=ふじわらためうじ。1222~1286。
正二位権大納言。
出典・・続後撰和歌集(福武書店「名歌名句鑑賞辞典」)
春のあけぼの
藤原為氏
(ひととわば みずとやいわん たまつしま かすむ
いりえの はるのあけぼの)
意味・・人が尋ねたなら「見ませんでした」と言おうか。
この玉津島のある入江に霞のかかった春の曙の
景色を。言葉でとうていこの美しさを言い表す
ことは出来ないから。
この歌に逸話が残っています。
為氏は第二句を「見つといはん」(はい見ました
よ、と言おう)として作ったが、父の為家に見せ
ところ、「つ」の横に「す」と書いて返された
のでこう改めて歌の会に出すと、賞賛されたと
いう。
たった一字の違いで歌を大きく変えています。
注・・玉津島=紀伊の和歌の浦にあった小島。
あけぼの=曙。夜がほのぼのと明ける頃。
作者・・藤原為氏=ふじわらためうじ。1222~1286。
正二位権大納言。
出典・・続後撰和歌集(福武書店「名歌名句鑑賞辞典」)
2017年04月15日
・世の中を なに嘆かまし 山桜 花見るほどの 心なりせば
しだれ桜と妙義山
世の中を なに嘆かまし 山桜 花見るほどの 心なりせば
紫式部
(よのなかを なになげかまし やまざくら はなみる
ほどの こころなりせば)
意味・・世の中を嘆いてどうするのだ。人の一生など、
山桜の盛りほど短いものなのに。
紫式部の辞世の歌で娘(藤原賢子・かたこ)に
遺したものです。
別の解釈です。
意味・・山桜の花をこうしていつも余念なく、眺める
ばかりの安らかな心であったら、我が身の上
をどうして嘆きましょうか、嘆くこともあり
ますまいに。
注・・世の中=身の有様、身の上。
作者・・紫式部=むらさきしきぶ。生没年未詳。1013
年頃没。「源氏物語」「紫式部日記」の作者。
出典・・後拾遺和歌集・104。
2017年04月14日
・水の面に 綾織り乱る 春雨や 山の緑を なべて染むらん
南楽園・愛媛県津島町
水の面に 綾織り乱る 春雨や 山の緑を なべて染むらん
伊勢
(みずのおもに あやおりみだる はるさめや やまの
みどりを なべてそむらん)
意味・・池水の表面に美しい模様を織り散らす春雨が、
山のあの美しい緑をすべて染めだしているの
であろうか。
池水の波紋は織物、遠く山一面の緑は染物、
いずれも春雨の美しい工芸と見立てたもの。
注・・綾織り=美しい模様を織った織物。
なべて=一面に、おしなべて、すべて。
作者・・伊勢=いせ。生没未詳、940年ごろ生存。
(みずのおもに あやおりみだる はるさめや やまの
みどりを なべてそむらん)
意味・・池水の表面に美しい模様を織り散らす春雨が、
山のあの美しい緑をすべて染めだしているの
であろうか。
池水の波紋は織物、遠く山一面の緑は染物、
いずれも春雨の美しい工芸と見立てたもの。
注・・綾織り=美しい模様を織った織物。
なべて=一面に、おしなべて、すべて。
作者・・伊勢=いせ。生没未詳、940年ごろ生存。
大和守藤原継陰の娘。36歌仙の一人。
出典・・新古今和歌集・65。
2017年04月13日
・雪しろの かかる芝生の つくづくし
雪しろの かかる芝生の つくづくし
良寛
(ゆきしろの かかるしばうの つくづくし)
意味・・雪どけの水があふれて、荒地の草の間から
(ゆきしろの かかるしばうの つくづくし)
意味・・雪どけの水があふれて、荒地の草の間から
生えたつくしまで覆っているが、つくしは
水に負けず、力強く頭を持ち上げている。
良寛の住んでいた当時の越後は、水害の連
良寛の住んでいた当時の越後は、水害の連
続であった。雪融け、梅雨末期、秋の長雨
に農民は苦労していた。
小川や田からあふれた水は、道を覆い草を
覆ってしう。しかし、春の大地は力強い。
水の中からつくしが伸び蕗(ふき)のとうが
頭を持ち上げる。そうした生命力に良寛は
感嘆して詠んだ句です。そして、農民の努
力にも。
注・・雪しろ=雪どけの水。
芝生(しばう)=荒地や道の端に生えた雑草。
つくづくし=つくし。
注・・雪しろ=雪どけの水。
芝生(しばう)=荒地や道の端に生えた雑草。
つくづくし=つくし。
作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。
出典・・谷川敏郎著「良寛句全集」。
2017年04月12日
・思へただ 花の散りなん 木のもとに 何をかげにて わが身住みなん
北海道・松前城
思へただ 花の散りなん 木のもとに 何をかげにて
わが身住みなん
西行
(おもえただ はなのちりなん このもとに なにを
かげにて わがみすみなん)
意味・・桜の花よ、お前が散ってしまったら、その木の
下で今後何を頼りに自分は住もうか、もはや陰
とたのむべき何物もないことを思ってどうか散
らないで欲しい。
花が散ってしまった後では自分はどんな木陰に
住んでも心が休まることがない。すなわち時代
が変わってしまって、昔の美意識や価値観のま
ま取り残されてしまった、という自分の悲哀を
詠んでいます。
わが身住みなん
西行
(おもえただ はなのちりなん このもとに なにを
かげにて わがみすみなん)
意味・・桜の花よ、お前が散ってしまったら、その木の
下で今後何を頼りに自分は住もうか、もはや陰
とたのむべき何物もないことを思ってどうか散
らないで欲しい。
花が散ってしまった後では自分はどんな木陰に
住んでも心が休まることがない。すなわち時代
が変わってしまって、昔の美意識や価値観のま
ま取り残されてしまった、という自分の悲哀を
詠んでいます。
花の散る前の木陰は心地よい。その半面花が散
った後は寂しい。この「花」は恩恵という花で
す。年金、社会保障制度、親・家族の愛、文化、
人々とのつながり・・、という花です。
注・・花=「今まで被っている恩恵」を花にたとえて
います。
作者・・西行=さいぎょう。1118~ 1190。
出典・・山家集・119。
2017年04月11日
・むらさきも あけもみどりも うれしきは 春のはじめに きたるなりけり
むらさきも あけもみどりも うれしきは 春のはじめに
きたるなりけり
藤原輔尹
(むらさきも あけもみどりも うれしきは はるの
はじめに きたるなりけり)
詞書・・御堂殿の大餮(だいきょう)に招待されて詠む。
意味・・紫衣(しえ)の人も、朱衣(すえ)の人も、緑衣
(ろくえ)の人も、一様に心が浮き立つのは、
春の初めに着飾って御堂殿の大饗に招かれて
参上して来たことです。
地位が上がり、それをお祝いとして最高の権
威者より宴会に招待された。これほど嬉しい
ことはない。
注・・御堂殿(みどうどの)=藤原道長をさす。
大饗(だいきょう)=宮中で催される大宴会。
むらさきもあけもみどりも=公卿・殿上人の
袍(ほう・上着のこと)の色をいう。「紫」
は四位の参議以上、「朱」は五位、「緑」
は六位の蔵人の袍(ほう)の色。
きたる=「来たる」と「着たる」を掛ける。
作者・・藤原輔尹=ふじわらのすけただ。生没年未詳。
大和守・従四位。1000年頃活躍した人。
出典・・後拾遺和歌集・16。
きたるなりけり
藤原輔尹
(むらさきも あけもみどりも うれしきは はるの
はじめに きたるなりけり)
詞書・・御堂殿の大餮(だいきょう)に招待されて詠む。
意味・・紫衣(しえ)の人も、朱衣(すえ)の人も、緑衣
(ろくえ)の人も、一様に心が浮き立つのは、
春の初めに着飾って御堂殿の大饗に招かれて
参上して来たことです。
地位が上がり、それをお祝いとして最高の権
威者より宴会に招待された。これほど嬉しい
ことはない。
注・・御堂殿(みどうどの)=藤原道長をさす。
大饗(だいきょう)=宮中で催される大宴会。
むらさきもあけもみどりも=公卿・殿上人の
袍(ほう・上着のこと)の色をいう。「紫」
は四位の参議以上、「朱」は五位、「緑」
は六位の蔵人の袍(ほう)の色。
きたる=「来たる」と「着たる」を掛ける。
作者・・藤原輔尹=ふじわらのすけただ。生没年未詳。
大和守・従四位。1000年頃活躍した人。
出典・・後拾遺和歌集・16。
2017年04月10日
・花の色は 移りけりな いたづらに わが身世にふる ながめしまに
花の色は 移りけりな いたづらに わが身世にふる ながめしまに
小野小町
(はなのいろは うつりけりな いたづらに わがみよにふる
ながめせしまに)
意味・・花の色も私の美しさも、もはや色あせってしま
意味・・花の色も私の美しさも、もはや色あせってしま
ったのだ。思えば、むなしくも我が身はすっか
り老い衰えた。つまらない物思いにふけり眺め
ているうちに、花が春の長雨にうたれて散って
いくように。
崩れゆく美を適度の想像を交えて構成したもの
崩れゆく美を適度の想像を交えて構成したもの
で、余情も漂っています。
注・・花の色=表面は花であるが、裏面に作者の容色
をさす。
をさす。
移り=色あせること。
いたづら=むなしいさま、つまらないさま。
ふる=降ると経る、古る(年を取る)を掛ける。
ながめ=長雨と眺め(物思いにふける)を掛ける。
ふる=降ると経る、古る(年を取る)を掛ける。
ながめ=長雨と眺め(物思いにふける)を掛ける。
作者・・小野小町=おののこまち。生没年未詳。六歌仙
の一人。絶世の美人といわれ各地に小町伝説を
残す。
出典・・古今和歌集・113、百人一首・9。
2017年04月09日
2017年04月08日
2017年04月07日
2017年04月06日
・ほにいでし 秋と見しまに 小山田を また打ち返す 春もきにけり
ほにいでし 秋と見しまに 小山田を また打ち返す
春もきにけり
春もきにけり
小弁
(ほにいでし あきとみしまに おやまだを また
うちかえす はるもきにけり)
意味・・稲の穂が出て、秋になったと思っているうちに、
稲刈りも終わって秋が過ぎ、冬が過ぎまた山田
を打ち返して地ならしをする春がやって来たこ
だ。
稲穂が出て秋が来たと思っていたのに、はや春
耕の季節になったと、時の流れの早さに驚きを
詠んでいます。
注・・ほにいでて=穂となって出て。
小山田=「小」は語調を整える接頭語。山田。
作者・・小弁=こべん。生没年未詳。越前守藤原懐尹(か
(ほにいでし あきとみしまに おやまだを また
うちかえす はるもきにけり)
意味・・稲の穂が出て、秋になったと思っているうちに、
稲刈りも終わって秋が過ぎ、冬が過ぎまた山田
を打ち返して地ならしをする春がやって来たこ
だ。
稲穂が出て秋が来たと思っていたのに、はや春
耕の季節になったと、時の流れの早さに驚きを
詠んでいます。
注・・ほにいでて=穂となって出て。
小山田=「小」は語調を整える接頭語。山田。
作者・・小弁=こべん。生没年未詳。越前守藤原懐尹(か
ねまさ)の女(むすめ)。
出典・・後拾遺和歌集・67。
2017年04月05日
・石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも
千種の滝・兵庫県
石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも
志貴皇子
(いわばしる たるみのうえの さわらびの もえいずる
はるに なりけるかも)
意味・・水が激しく岩にぶつかり落ちる滝のほとりの蕨
が今こそ芽吹く春になったことだなあ。
雪どけのために水かさが増した滝のほとりに、
雪どけのために水かさが増した滝のほとりに、
芽吹いたワラビを見つけたことを、長い間待ち
焦がれた春の訪れとして受け取り、率直な喜び
を歌っています。
詞書では「歓びの歌一首」とあり、これは何か
詞書では「歓びの歌一首」とあり、これは何か
の喜びを抽象的に歌ったものです。
大きな仕事を成し遂げた時の晴れ晴れとした気
大きな仕事を成し遂げた時の晴れ晴れとした気
持が感じさせられます。
注・・垂水の上=滝のほとり、垂水はたれ落ちる水の
注・・垂水の上=滝のほとり、垂水はたれ落ちる水の
こと。
作者・・志貴皇子=しきのみこ。~715。天智天皇の子。
作者・・志貴皇子=しきのみこ。~715。天智天皇の子。
出典・・万葉集・1418。
2017年04月04日
2017年04月03日
・さざ浪や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな
さざ浪や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな
平忠度
(さざなみや しがのみやこは あれにしを むかし
ながらの やまざくらかな)
詞書・・旧都(廃都)に咲く花の心を詠む。
意味・・志賀の古い都はすっかり荒廃してしまったけれど、
昔のままに美しく咲き匂っている長等山の山桜よ。
古い都を壬申(じんしん)の乱で滅んだ大津京に設
定し、その背後にある長等山の桜を配して、人間
社会のはかなさと悠久(ゆうきゅう)な自然に対す
る感慨を華やかさと寂しさを込めて表現していま
す。
注・・さざ浪=志賀の枕詞。
ながら=接続詞「ながら」と「長等山」の掛詞。
注・・さざ浪=志賀の枕詞。
ながら=接続詞「ながら」と「長等山」の掛詞。
長等山=滋賀県大津市にある三井寺の背後にあ
る山。桜の名所。
壬申の乱=天智天皇の死後(672年)、皇位継承
壬申の乱=天智天皇の死後(672年)、皇位継承
を巡る天皇の実子の大友皇子と天皇の実弟大
海皇子の争いに端を発した古代最大の内乱。
作者・・平忠度=たいらのただのり。1144~1184。平
家全盛の時も傍流的な存在で正四位・薩摩守で
終わる。歌人として有名。
出典・・千載和歌集・66、平家物語。
2017年04月02日
・萌え出づる 木の芽を見ても 音をぞ泣く かれにし枝の 春を知らねば
四国・石鎚南壁
萌え出づる 木の芽を見ても 音をぞ泣く かれにし枝の
春を知らねば
兼覧王女
(もえいずる このめをみても ねをぞなく かれにし
えだの はるをしらねば)
意味・・春になって萌え出る木の芽を見ても、私は声を
春を知らねば
兼覧王女
(もえいずる このめをみても ねをぞなく かれにし
えだの はるをしらねば)
意味・・春になって萌え出る木の芽を見ても、私は声を
上げて泣いております。枯れた枝は春になって
も萌え出ることがないのと同様に、あなたに離
(か)れた私に春は関係ありませんので。
注・・かれにし=離れにし。「離れ」は身近なもの、
注・・かれにし=離れにし。「離れ」は身近なもの、
大切なものから離れ遠ざかる意。「枯れにし」
を掛ける。
作者・・兼覧王女=かねみのおおきみのむすめ。未詳。
作者・・兼覧王女=かねみのおおきみのむすめ。未詳。
出典・・後撰和歌集・14。
2017年04月01日
・年月を 心にかけし 吉野山 花の盛りを 今日見つるかな
吉野の歌合
年月を 心にかけし 吉野山 花の盛りを 今日見つるかな
豊臣秀吉
(としつきを こころにかけし よしのやま はなのさかりを
きょうみつるかな)
意味・・何百年と年月をかけて素晴らしい花を咲かしている
吉野山。今がその花の最盛期である。思う存分楽し
む事としょう。何百年もの長い年月の間、世の栄華
衰退を見つめている吉野山。その中でとりわけ、こ
の今がかってない繁栄の絶頂期である。この思いを
じっくり心から噛みしめる事にしょう。
秀吉が吉野山の蔵王堂(ざおうどう)の歌合で詠んだ
歌です。
作者・・豊臣秀吉=とよとみひでよし。1536~1598。