2017年06月

2017年06月30日

・象潟や雨に西施がねぶの花

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                       蕗谷虹児 画

象潟や雨に西施がねぶの花
                   芭蕉 

(きさがたや あめにせいしが ねむのはな)

意味・・象潟の雨に煙る風景の中に合歓(ねむ)の花が
    咲いているが、その姿は、あの美人西施が憂
    いに沈んで半ば目をつむっているような趣が
    ある。

    芭蕉が奥の細道の旅で象潟の地に来て詠んだ
    歌です。
    象潟は小島が多く松島と似ているようで違っ
    た所もある。喩えて言えば、松島は美人が笑
    っていて明るいが、象潟は何か暗く沈んだ所
    がある。寂しい感じの上に悲しさが加わって、
    この土地の様子は美人が心を悩ましている趣
    である、と奥の細道で書いています。

 注・・象潟=秋田県由利郡象潟町。日本海の海を入
     れた潟湖で、多くの小島があり、景勝地。
    西施=中国周代の越の国の美女。
    ねぶ(ねむ)の花=合歓の花。豆科の高木、
     羽状の葉が夕暮れや雨の時には閉じて、ち
     ようど眠ったかっこうになる。6,7月頃に
     薄桃色の花が咲く。ねぶに「眠る」の意を
     掛ける。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1695。

出典・・奥の細道。



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2017年06月29日

・我が命も 常にあらぬか 昔見し 象の小川を  行きて見むため

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我が命も 常にあらぬか 昔見し 象の小川を 
行きて見むため     
                大伴旅人

(わがいのちも つねにあらぬか むかしみし きさの
 おがわを ゆきてみんため)

意味・・私の命はいつまでもあってくれないかなあ。
    昔見たあの吉野の象(きさ)の小川に、もう一度
    行って見たいと思うので。
    
    長生き出来るのなら、心に残っている名所や
    故郷にもう一度行って見たいという気持を詠ん
    でいます。ここでは吉野の宮滝の離宮にもう一
    度行きたいということです。

 注・・象(きさ)の小川=喜佐谷を流れて宮滝で吉野川
     に注ぐ川。当時、宮滝には離宮があった。

作者・・大伴旅人=おおとものたびと。665~731。従
    二位大納言。

出典・・万葉集・332。



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2017年06月28日

・門前に 市も立花の 盛かな

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門前に 市も立花の 盛かな
                松永貞徳

(もんぜんに いちもたちばなの さかりかな)

意味・・橘の花のさかりに、花をめでる人々が集まって
    くるので、門前に市が立つほどである。

    橘の花の盛りを詠むのに「門前市をなす」の諺
    を用い、おおらかなおかしさを出しています。

 注・・門前に市=「門前に市をなす」は、出入りする
     者が多くその家が栄えることをいう。
    立花=「市が立つ」と「花橘」を掛ける。橘は
     芳香が強く夏の到来を知らせる。

作者・・松永貞徳=まつながていとく。1571~1653。
    和歌・連歌・狂歌・俳句などに活躍し多くの門
    弟を擁した。

出典・・犬子(えのこ)集(小学館「近世俳句俳文集」)



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2017年06月27日

・誰見よと 花咲けるらむ 白雲の たつ野とはやく  なりにしものを

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誰見よと 花咲けるらむ 白雲の たつ野とはやく 
なりにしものを             
                詠人知らず

(たれみよと はなさけるらむ しらくもの たつの
 とはやく なりにしものを)

意味・・誰が眺めようというわけでこの花は咲いて
    いるのだろうか。主人はすでに他界して、
    庭は白雲が空に浮かび、人一人いない野辺
    同然になってしまったのに。
    
    故人の遺族が荒れ野になってしまった庭を
    見て昔を偲んで詠んだ歌です。

    現在も空き家が多く見られます。

 注・・はやく=早くも、もう、すでに。
    白雲のたつ野=白雲が湧き立つ野原。
    なりにしものを=主語は庭と解釈。

出典・・古今和歌集・856。


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2017年06月26日

・わがやどの 梢の夏に なるときは 生駒の山ぞ みえずなりぬる

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わがやどの 梢の夏に なるときは 生駒の山ぞ 
みえずなりぬる
                 能因法師

(わがやどの こずえのなつに なるときは いこまの
 やまぞ みえずなりぬる)

意味・・私の家の庭の木の梢が夏を迎えた時は、その茂った
    葉にさえぎられて、生駒山は見えなくなっこてしまう
    ものだ。

    若葉の茂るさわやかな夏です。

出典・・後拾遺和歌集・167。


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2017年06月25日

・花の木に あらざれめど 咲にけり ふりにし木の実  なる時もがな

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花の木に あらざれめど 咲にけり ふりにし木の実 
なる時もがな              
                 文屋康秀

(はなのきに あらざれめど さきにけり ふりにしこのみ
 なるときもがな)

意味・・花咲く木でもなさそうなのに、これは見事に咲いて
    います。それなら、ついでに古ぼけた木にも果実が
    実る時もほしいものです。

    花の咲くはずがない木に花が咲きました。それならば
    古くなったこの身にも花を咲かせて出世させてほしい
    ものです。

    宮中の渡り廊下に、木で作った造花を飾っているのを
    見て詠んだ歌です。わが身の不遇を訴えています。

 注・・花の木にあらざる=削り花、木を削って作った花のこと。
    めど=「けれども」と「馬道(めどう・めど)」を掛ける。
     馬道は建物と建物の間に厚板で囲った廊下。
    木の実=「この身」を掛ける。
    ふりにし=古にし。年を経るを掛ける。

作者・・
文屋康秀=ぶんやのやすひで。885年没。平安時代前期の
    宮人、歌人。

出典・・古今和歌集・445。



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2017年06月24日

・のきしたに たちたる くさの たかだかと はなさき いでぬ ひとり すめれば

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のきしたに たちたる くさの たかだかと はなさき
いでぬ ひとり すめれば  
                     会津八一

(軒下に 立ちたる 草の 高々と 花咲きいでぬ
 一人住めば)

意味・・軒下に生え立った雑草が、いつしか高々と伸びて
    花を咲かせていた。独りひっそり住んでいるうち
    に。

    昭和20年、戦禍を逃れ新潟県西条町に住んでいる
    時、養女を亡くして孤独になった時の心情を詠ん
    だ歌です。
    自ずから生え伸び立って、時いたれば花をつける
    雑草。生あるゆえの存在を無心に、というよりは
    養女が花を咲かしてくれなかった虚脱感の中に見
    ている作者です。

作者・・会津八一=あいづやいち。1881~1956。文学博
    士・美術史研究家。

出典・・吉野秀雄著「鹿鳴集歌解」。



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2017年06月23日

・さしのぼる 朝日に君を 思ひいでん かたぶく月に 我を忘るな

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さしのぼる 朝日に君を 思ひいでん かたぶく月に
我を忘るな       
                  藤原通俊

(さしのぼる あさひにきみを おもいいでん かたぶく
 つきに われをわするな)

詞書・・通俊が筑紫(福岡県)に赴任する時に藤原公
    実(きんざね)に詠んで贈った歌。

意味・・東にのぼる朝日を見てはあなたを思い出し
    ましょう。あなたも西に沈む月を見て私を
    忘れないで下さい。

    遠くに転勤するような時、親しい友達の想
    いの気持ち詠んでいます。    

 注・・のぼる朝日=東方を示し、京を指す。
    かたぶく月=西方を示し、筑紫を指す。

作者・・藤原通俊=ふじわらのみちとし。1047~
    1099。権中納言、従二位。後拾遺集」の
    撰者。
 
出典・・金葉和歌集・348。



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2017年06月22日

・あらたふと 青葉若葉の 日の光

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                                日光東照宮

あらたふと 青葉若葉の 日の光
                    芭蕉

(あらとうと あおばわかばの ひのひかり)

意味・・ああ、尊いことだ。日光の御山は日の光が
    さんさんと青葉若葉に降り注いで光輝いて
    いる。
    東照宮の御威光もまた、そのように天下に
    行き渡っていることだ。

 注・・あらたふと=あら(ああ)+たふと(尊い)。
    日の光=日光の地名を掛けている。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1694。

出典・・奥の細道。



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2017年06月21日

・梅雨ぐもり ふかく続けり 山かひに  昨日も今日も ひとつ河音

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梅雨ぐもり ふかく続けり 山かひに  昨日も今日も
ひとつ河音
                   中村憲吉

(つゆぐもり ふかくつづけり やまかいに きのうも
 きょうも ひとつかわおと)

意味・・深い梅雨ぐもりの日が続いている。もう幾日と
    なくぐるりの山も見えない。ただでさえ退屈で
    やりきれないのに、変りなく毎日同じ河音がす
    るばかりだ。

 注・・山かひ=山峡。山と山の間。

作者・・中村憲吉=なかむらけんきち。1889~1934。
    東大経済学部卒。斉藤茂吉らと親交を結ぶ。

出典・・歌集「しがらみ」



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2017年06月20日

・ふもとには あらぬ浮き木も ながるめり 亀のお山の 五月雨のころ

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ふもとには あらぬ浮き木も ながるめり 亀のお山の
五月雨のころ
                    飛鳥井雅康 

(ふもとには あらぬうきぎも ながるめり かめの
 おやまの さみだれのころ)

意味・・ふもとの大井川には、あるはずがない浮き木が
    流れついているのであろう。亀山を眺めている
    とそう思える。長雨が降りつづく梅雨時の今は。

    梅雨時に、遠くから亀山を眺めると、あたかも
    亀が流木にまたがっているように見え、えがた
    い機会に恵まれるという譬え、「浮き木に会う
    亀」を想いながら詠んだ歌です。

    浮き木に会う亀とは、
           目の見えなくなった老海亀が百年に一度浮き上が
           ってきた時に、偶然穴の空いた浮き木の穴に首を
           突っ込むという寓話で、めったにない幸運にめぐ
     り会うことをいいます。

 注・・ふもとには=亀山の麓を流れる大井川。
    あらぬ=存在するはずがない。
    浮き木=流木。「えがたい機会に恵まれる」事
    を譬えた「浮き木に会う亀」の意。
    めり=主観的な推定。
    亀のお山=亀山のこと。京都市右京区嵯峨。大
     井川を隔てて嵐山と対峙する。亀の甲羅のよ
     うな伏椀型の山。

作者・・飛鳥井雅康=あすかいのまさやす。1436~1509。
     正三位権中納言。

出典・・家集「雅康集」。



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2017年06月19日

・わが宿の 軒の菖蒲を 八重葺かば 浮世のさがを   けだしよきむかも

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(1)わが宿の 軒の菖蒲を 八重葺かば 浮世のさがを  
  けだしよきむかも       
                   由之
  
(わがやどの のきのしょうぶを やえふかば うきよのさがを
 けだしよきんかも)

(2)八重葺かば またも閑をや 求めもせむ 御濯川へ    
    持ちて捨てませ        
                                                            良寛

(やえふかば またもひまをや とめもせん みすすぎがわへ
 もちてすてませ) 

意味(1)・・私の家の軒に魔よけの菖蒲をさしているが、これを
      幾重にもさしたなら、この世の邪気を、もしかした
                  ら払いのける事が出来るだろうか。

意味(2)・・あなたの軒の菖蒲を幾重にもさして悪い者を払った
                  らまた楽しみを求めようとするだろう。邪気を払う
                  菖蒲がかえってあなたのためにならないから、神を
     拝むために身を清める川へ持って行ってお捨てなさ
                  い。

     「暇ほど毒はない」という事をいっています。

 注(1)・・さが =悪いもの、邪気。
      けだし=もしかしたら。
      よきむ=避ける。
 注(2)・・閑(ひま)=暇つぶし、道楽。
      求(と)め=求める。
      御濯(みすすぎ)川=御手洗(みたらし)川、身を清め
                   る川

作者(1)・・由之=よしゆき。良寛の弟。

作者(2)・・良寛=りょうかん。1758~1831。越後出雲崎に
      神官の子として生まれる。18歳で曹洞宗光照寺に
      入山。

出典・・谷川俊朗著「良寛全歌集」。  



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2017年06月18日

・一畔は しばし鳴きやむ 蛙かな

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一畔は しばし鳴きやむ 蛙かな
                  去来

(ひとあぜは しばしなきやむ かわずかな)

意味・・田で一斉に鳴いていた蛙が、人の足音がした
    ので一畔だけがピタリと鳴き止んだ。

    一斉に鳴いていた蛙の群れが一畔だけぴたり
    と鳴き止むという光景が目に浮かんで来ます。
    次の田んぽへさしかかると、またその田んぼ
    がぴたり、し~んとします。過ぎて来た前の
    田んぼからは、また鳴き初めています。

作者・・去来=きよらい。向井去来。1651~1704。
    芭蕉の門下。



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2017年06月16日

まがねふく 吉備の中山 帯にせる 細谷川の  音のさやけさ

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まがねふく 吉備の中山 帯にせる 細谷川の 
音のさやけさ                
                 詠み人知らず
            
(まがねふく きびのなかやま おびにせる ほそ
 たにがわの おとのさやかさ)

意味・・吉備の中山の麓を帯のように流れている細い
    谷川の音のなんと清々しいことだろう。

 注・・まがねふく=鉄を溶かして分けること。吉備国は
      鉄を産したので、ここでは吉備の枕詞。
    吉備=備前、備中、備後、美作の四国。岡山県と
      広島県の一部。
    中山=備前と備中の境の山。

出典・・古今和歌集・1082。




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2017年06月15日

・山高み 白木綿花に 落ちたぎつ 滝の河内は 見れど飽かぬかも

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山高み 白木綿花に 落ちたぎつ 滝の河内は 見れど飽かぬかも 
   
                      笠金村

(やまたかみ しらゆうばなに おちたぎつ たきの
 こうちは みれどあかぬかも)

意味・・山が高いので、白い木綿(ゆう)で作った花
    のように、激した水がドーッと落ちている
    この滝の河内の絶景は見ても見ても見飽き
    る事がない。
    なんとまあ美しいことだろう。

    養老七年(723)に吉野離宮で詠んだ歌です。
    白波を白木綿(しらゆう)に見立てて離宮の
    滝を讃(たた)えています。

 注・・白木綿(しらゆう)=斎串(いくし)としての
     榊(さかき)の枝などにつけた白い木綿。
     木綿は楮(こうぞ)の皮で作った。
    たぎつ=激つ。水が激しく流れる。
    河内=川を中心とした小生活圏。
    離宮=奈良県吉野の宮滝付近にあった離宮。

作者・・笠金村=かさのかなむら。生没年未詳。宮
    廷歌人。
 
出典・・万葉集・909。



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2017年06月13日

・暮れてゆく 春のみなとは 知らねども 霞に落つる 宇治の柴舟

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暮れてゆく 春のみなとは 知らねども 霞に落つる
宇治の柴舟       
                   寂連法師

(くれてゆく はるのみなとは しらねども かすみに
 おつる うじのしばふね)

意味・・終わりになって去っていく春の行き着く所は
    知らないが、今、霞の中に落ちるように下っ
    ていく宇治川の柴舟とともに、春が去って行
    く感じがする。

    霞がかかり長閑な宇治川の柴舟に、去り行く
    春の寂しさを詠んでいます。

 注・・暮れてゆく=春がだんだん終わりに近づいて
     いく。
    春のみなと=春の行き着く所。
    宇治の柴舟=宇治川を下る、柴を積んだ舟。    

作者・・寂連法師=じゃくれんほうし。1139~1202。
    従五位上・中務小輔。33歳頃に出家する。
   「新古今集」の撰者。

出典・・新古今和歌集・169。



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2017年06月12日

・枯れはつる 藤の末葉の かなしきは ただ春の日を たのむばかりぞ

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                             京都御所 藤壺

枯れはつる 藤の末葉の かなしきは ただ春の日を
たのむばかりぞ           

                  藤原顕輔

(かれはつる ふじのすえばの かなしきは ただ
 はるのひを たのむばかりぞ)

意味・・すっかり落ちぶれた、この藤原氏の末流の
    悲しいことには、ひたすら春日の神を頼る
    ことだけなのです。

    藤の若芽が春の陽で芽ぶくように、春日の
    氏神様の御威光で、藤原の私にも目が出ま
    ますようにとの願いです。    

 注・・春の日=春の陽光に春日明神を掛ける。
    藤の末葉=「藤原氏の末裔」を掛ける。
     
作者・・藤原顕輔=ふじわらのあきすけ。1090~
    1155。左京大夫・従三位。「詞花和歌集」
    の撰者。

出典・・詞花和歌集・339。



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2017年06月11日

・過ぐる春 しほのみつより 舟出して 波の花をや 先に立つらん

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              牡蠣筏への出漁・岡山県片山湾

過ぐる春 しほのみつより 舟出して 波の花をや
先に立つらん
                  西行

(すぐるはる しおのみつより ふなでして なみの
 はなおや さきにたつらん)

意味・・過ぎて行く春は、潮の満ちる三津の浜から、
    波の花ともいうべき白波を舳先に立てて舟
    出して行くようなものである。

    春は目に見えるように早く過ぎ去って行く。

 注・・みつ=「満つ」と「三津」の掛詞。三津は
     三重県度会(わたらい)郡二見村。

作者・・西行=さいぎょう。11181190。俗名
    佐藤義清。下北面の武士として鳥羽院
    に仕える。114023歳で財力がありな
    がら出家。出家後京の東山・嵯峨のあ
    たりを転々とする。陸奥の旅行も行い
    30歳頃高野山に庵を結び 仏者として修
    行する。

出典・・山家集。



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2017年06月10日

・大井川 月と花との おぼろ夜に ひとり霞まぬ 波の音かな

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大井川 月と花との おぼろ夜に ひとり霞まぬ
波の音かな        
                小沢藘庵

(おおいがわ つきとはなとの おぼろよに ひとり
 かすまぬ なみのおとかな)

意味・・月と花とが霞むこの朧夜の大堰川、川の波の
    それひとつだけが、霞まない音が聞える。

    月は霞みの中に浮かび、四辺を春の夕暮れに
    包まれた大堰川、視界は一面ぼんやりと霞ん
    で、静寂を破る川水の澄んだ音色だけが聞え
    る情景です。

 注・・大井川=京都市右京区嵯峨嵐山の麓を流れる
     川。現在は大堰川と書く。

作者・・小沢藘庵=おざわろあん。1723~1801。
    京都留守居役。菅茶山(かんちゃざん)、や頼
    山陽らと親交。



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2017年06月09日

・声たえず さへづれ野辺の 百千鳥 のこりすくなき 春にやはあらぬ 

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声たえず さへづれ野辺の 百千鳥 のこりすくなき
春にやはあらぬ     
                 藤原長能

(こえたえず さえずれのべの ももちどり のこり
 すくなき はるにやわあらぬ)

意味・・声が絶えないように囀(さえずり)り続けてくれ
    よ、野辺の百千鳥よ。もう後いくらもない春な
    のだから。

 注・・声たえず=声が絶えないで。
    百千鳥=いろいろな鳥。
    春にやはあらぬ=「やは」は反語。春ではなか
     ろうか、いや春なのだ。

作者・・藤原長能=ふじわらのながとう。生没年未詳。
    伊賀守。能因法師は弟子。

出典・・後拾遺和歌集・160。
     


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2017年06月08日

・春をだに 知らで過ぎぬる 我が宿に 匂ひまされる 花を見るかな

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春をだに 知らで過ぎぬる 我が宿に 匂ひまされる
花を見るかな            
                  風葉和歌集

(はるをだに しらですぎぬる わがやどに におい
 まされる はなをみるかな)

意味・・春の訪れさえ知らないで過ぎて来た私の家に
    まことに美しく咲く花を見ることです。

    息子が有名大学に合格した時の嬉しさのよう
    な気持ちを詠んでいます。

 注・・風葉和歌集・・1271年に、源氏物語・うつほ
     物語・狭衣物語・・など200余りの物語に出
     てくる和歌を集めた歌集。

出典・・風葉和歌集。 



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2017年06月07日

・年ごとに せくとはすれど 大井川 むかしの名こそ なほながれけれ

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                           夜明けダム・大分県日田市

年ごとに せくとはすれど 大井川 むかしの名こそ
なほながれけれ      
                 源道済

(としごとに せくとはすれど おおいがわ むかしのなこそ
 なおながれけれ)

意味・・大井川は(田の用水として)毎年水を堰止めてい
    るけれども、昔の名高い評判だけは、せき止め
    られることもなく、今でもやはり流れ伝わって
    いることだ。

    川を堰止めるので大堰川(おおいがわ)とも呼ば
    れ、紅葉の葉がおびただしく流れるので有名。
             また川下りの遊覧も名所であった。

    藤原資宗(すけむね)は大井川で遊んだ折り「紅
    葉水に浮かぶ」の題で次の歌を詠んでいます。

    筏士よ 待て言問はむ 水上は いかばかり吹
    く 山の嵐ぞ     (意味は下記参照)  
    
 注・・せくとはすれど=(大井川は田の用水として井
     堰をつくって)堰き止めているけれど。
    大井川=大堰川とも言う、京都嵐山の近くを流
     れる川。上流を保津川、下流を桂川と呼ばれ
     る。

作者・・源道済=みなもとみちなり。~1019。筑前守。
    中古三十六歌仙の一人。

出典・・後拾遺和歌集・1060。

参考歌です。

士よ 待て言問はむ 水上は いかばかり吹く
山の嵐ぞ
               藤原資宗

(いかだしよ まてこととわん みなかみは いかばかり
 ふく やまのあらしぞ)


意味・・筏で川を下っている人よ、ものを尋ねたい。
    この川の上流ではいったいどのくらい激しく
    山の嵐が吹いているのかを。

    殿上人(てんじょうびと)たちとともに、
    大堰川(おおいがわ)に遊んだ折、「紅葉
    水に浮かぶ」の題で詠んだ歌です。
    この歌の面白さの一つは、「紅葉」の語を
    使わずに筏師に紅葉を散らす山の嵐の状態
    を問うことで、川に浮かぶ紅葉の情景を
    喚起する点にあります。

 注・・筏士=筏をあやつることを職業としている人。
       筏は木や竹を並べつないで、流れに
       浮かべるもの。

作者・・藤原資宗=ふじわらのすけむね。生没年未詳。
     正四位下・右馬頭となったが1087年出家。  

出典・・新古今和歌集・554。


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2017年06月06日

・おもふどち 春の山べに うちむれて そこともいはぬ  旅寝してしが

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おもふどち 春の山べに うちむれて そこともいはぬ 
旅寝してしが        
                  素性法師
 
(おもうどち はるのやまべに うちむれて そこともいわぬ
 たびねしてしが)

意味・・親しい仲間同士で、春の山辺に連れ立って遊びに
    行き、どこというあても定めないで気の向くまま
    の旅寝をしたいものだなあ。

 注・・おもふどち=親しい仲間同士。
    そことも=どことも決めないで。
    しが=実現できないがもし可能なら・・したい。

作者・・素性法師=そせいほうし。909年頃没。遍照の子。

出典・・古今和歌集・126。



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2017年06月05日

・佐保神の 別れかなしも 来ん春に ふたたび逢はん われならなくに

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佐保神の 別れかなしも 来ん春に ふたたび逢はん
われならなくに
                 正岡子規 

(さほがみの わかれかなしも こんはるに ふたたび
 あわん われならなくに)

意味・・今年の春との別れは悲しいことだ。また巡って
    くるであろう来年の春に、再び逢える身では無
    いものを。

    重い病で、自分の限られた生命を見つめて詠ん
    だ歌です。

 注・・佐保神=佐保姫とも言い春の女神。春との別れ
     を「佐保神の別れ」と言ったのは、ただ春と
     いうよりも、春らしいほのかな感じとともに
     優しい女神との別れの感を伴って、いっそう
     の悲しい思いに誘われる。
    ならなくに=・・・でないのだから。

作者・・正岡子規=まさおかしき。1867~1902。35歳。
    東大国文科中退。結核で喀血に苦しみ、脊髄
    カリエスの腰痛で歩行困難になり苦しみ、長年
    病床に臥す。

出典・・歌集「竹の里歌」。



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2017年06月04日

・いつしかと 日影もながし 山鳥の 尾ろのはつ尾の 初春のそら

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                 田村彩天画

いつしかと 日影もながし 山鳥の 尾ろのはつ尾の
初春のそら
                 藤原良基 
              
(いつしかと ひかげもながし やまどりの おろの
 はつおの はつはるのそら)

意味・・初春の空は山鳥の尾のはつ尾のように早くも
    日差しが長くなって来たものだ。

 注・・山鳥=キジ科の野鳥。尾は1mに及ぶ。
    尾ろ=「ろ」は接尾語。
    はつ尾=秀つ尾。最も長い尾。

作者・・藤原良基=ふじわらのよしもと。1320~13
    88。摂政太政大臣。

出典・・後普光園院殿御百首(岩波書店「中世和歌集・
    室町篇)



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2017年06月03日

・ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる

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ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の
月ぞ残れる
                   藤原実定

(ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただ
 ありあけの つきぞのこれる)

意味・・ほととぎすが鳴いた方を見ると、(繁栄した
    昔の都の姿はなく)ただ有明の月が残ってい
    るだけである。

 注・・有明の月=夜明けの空にまだ残っている月。

作者・・藤原実定=ふじわらのさねさだ。1139~11
    91。正二位左大臣。

出典・・千載和歌集・161、百人一首・81。


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2017年06月02日

・それも応是もおうなり老の春

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                   浄瑠璃寺・阿弥陀如来像


それも応是もおうなり老の春 
                  岩田涼菟

(それもおう これもおうなり おいのはる)

意味・・老いてくると、すっかり我執を払い捨てた
    身は、何事にもさからわず、それもよし、
    これもよしといって受け入れることだ。

    我執を捨て心の平安を願う一方、若年の血
    気はなく、我ながら角が取れてきたかなと
    苦笑する気持ちも詠んでいます。

 注・・応=「おうおう」と肯定し承知すること。
    老の春=老人が迎えた新春。

作者・・岩田涼菟=いわたりょうと。1659~1717。
    伊勢の神職。其角や支考等と交流。

出典・・句集「一幅半」(小学館「近世俳文・俳句集」)



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2017年06月01日

・この三朝 あさなあさなを よそほひし 睡蓮の花  今朝はひらかず

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この三朝 あさなあさなを よそほひし 睡蓮の花 今朝はひらかず
          
                        土屋文明

(このみあさ あさなあさなを よそおいし すいれん
 のはな けさはひらかず)

意味・・この三日ほどの朝ごとに、美しい花を装(よそ)う
    ように咲かせていた睡蓮が、今朝はもう開こうと
    しない。つかの間の花の命の短いことだ。
   
    下記の親鸞の歌と同じ思いです。

   「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬ
    ものかは」

    今日は美しく咲き誇っている桜だが、明日もまだ
    見られるだろうと思っていても、その夜のうちに
    強い風を受けて散ってしまうかもしれない、の意。

    未来の不確実さ、人生の無常を説いたものです。 

 注・・三朝=三日ほどの朝。
    あさなあさな=朝ごと、毎朝。
    よそほひ=飾り整える、化粧する。睡蓮の花を
       擬人化している。
    睡蓮=蓮の花に似ている。蓮は水面より上に花
     が咲くか、睡蓮は水面に花咲かす。また蓮の
     葉には丸く切り込みがないが、睡蓮は切り込
     がはいっている。ともに三日咲いて花は散る。
    無常=いつも変化している事。全ての物が生滅
       変転してとどまらない事。

作者・・ 土屋文明=つちやぶんめい。1890~1990。東
     大哲学科卒。明治大学教授。

出典・・笠間書院「和歌の解釈と鑑賞辞典」。



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