2018年02月
2018年02月28日
2018年02月27日
・あめつちに われひとりゐて たつごとき このさびしさを きみはほほゑむ
中宮寺半跏思惟像
あめつちに われひとりゐて たつごとき このさびしさを
きみはほほゑむ
会津八一
(天地に われ一人いて立つごとき この寂しさを
君はほほゑむ)
立つような孤独感、寂しさを抱(かか)える思いの
中、今私の前に立ち現われた、あなた救世観音像
の慈悲に溢(あふ)れたその永遠の微笑みと、そ
の慈眼が、私をじっと見守り包んでくれているこ
とだ。
法隆寺夢殿の救世観音像を詠んだ歌です。
法隆寺夢殿の救世観音像を詠んだ歌です。
注・・慈眼(じげん)=慈悲に満ちた目。
作者・・会津八一=あいづやいち。1881~1956。早大卒。
早大教授。古代美術研究家
出典・・吉野秀雄著「鹿鳴集歌解」。
2018年02月26日
・ながれての 末をも何か 頼むべき 飛鳥の川の あすしらぬよに
勇払原野・苫小牧市
ながれての 末をも何か 頼むべき 飛鳥の川の
あすしらぬよに
永福門院
(ながれての すえをもなにか たのむべき あすかの
かわの あすしらぬよに)
意味・・生きていく先のことなど、どうしてあてに
できようか。渕瀬の変りやすい飛鳥川のよ
うに、明日のことさえもわからない世の中
なのに。
明日の事は明日案じよ、明日は明日の風が
吹くということです。
参考歌です。
「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の渕ぞ今日
は瀬になる」 (意味は下記参照)
注・・ながれての=時がたってゆく、月日が流れて。
頼む=あてにする、期待する。
作者・・永福門院=えいふくもんいん。1271~1342。
藤原実兼(さねかね・太政大臣)の娘。伏見天
皇の中宮。
出典・・永福門院百番歌合(岩波書店「中世和歌・鎌倉
編」)
参考歌です。
世の中は なにか常なる 飛鳥川 昨日の渕ぞ
今日は瀬になる
詠み人しらず
(よのなかは なにかつねなる あすかがわ きのう
のふちぞ けふはせになる)
意味・・この世の中は、いったい何が変わらないのか、
不変のものは何一つない。飛鳥川の流れも昨
日渕であった所が今日はもう浅瀬に変わって
いる。
出典・・古今和歌集・933。
あすしらぬよに
永福門院
(ながれての すえをもなにか たのむべき あすかの
かわの あすしらぬよに)
意味・・生きていく先のことなど、どうしてあてに
できようか。渕瀬の変りやすい飛鳥川のよ
うに、明日のことさえもわからない世の中
なのに。
明日の事は明日案じよ、明日は明日の風が
吹くということです。
参考歌です。
「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の渕ぞ今日
は瀬になる」 (意味は下記参照)
注・・ながれての=時がたってゆく、月日が流れて。
頼む=あてにする、期待する。
作者・・永福門院=えいふくもんいん。1271~1342。
藤原実兼(さねかね・太政大臣)の娘。伏見天
皇の中宮。
出典・・永福門院百番歌合(岩波書店「中世和歌・鎌倉
編」)
参考歌です。
世の中は なにか常なる 飛鳥川 昨日の渕ぞ
今日は瀬になる
詠み人しらず
(よのなかは なにかつねなる あすかがわ きのう
のふちぞ けふはせになる)
意味・・この世の中は、いったい何が変わらないのか、
不変のものは何一つない。飛鳥川の流れも昨
日渕であった所が今日はもう浅瀬に変わって
いる。
出典・・古今和歌集・933。
2018年02月25日
・たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に 我とひとしき 人をみし時
たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に 我とひとしき
人をみし時
橘曙覧
(たのしみは そぞろよみゆく ふみのなかに われと
ひとしき ひとをみしとき)
意味・・私の楽しみは、何気なく読んでゆく本の中に、
図らずとも自分と同じ志を持つ人を見つけた
時だ。名利富貴を求めない人がいることは、
やはり心強くも嬉しい。
「我とひとしき」は、どんな苦しい環境の中
にあっても、喜びや楽しみを見い出そうとい
う事なんでしょうか。
作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。
早く父母に死に分かれ、家業を異母弟に譲り
隠棲。福井藩の重臣と親交。
出典・・橘曙覧「独楽吟」。
2018年02月24日
2018年02月23日
・塩之入の 坂は名のみに なりにけり 行く人しぬべ よろづ世までに
会津吾妻スカイライン
塩之入の 坂は名のみに なりにけり 行く人しぬべ
よろづ世までに
良寛
(しおのりの さかはなのみに なりにけり ゆくひと
しぬべ よろづよまで)
意味・・塩之入峠が険しいというのは、うわさだけに
なったものだ。その坂道を行く人は、通りや
すいように作り直してくれた方のことを、い
つまでも有難く思い顧みなさい。
塩乃入の坂は、まことに恐ろしい坂で、上を
見ると目もとどかず、下を見ると肝が縮こま
るような坂なので、千里を行く馬も進みかね
たという坂道。このような危しい道を歩きや
すい道に作り変えた先任者に感謝の気持ちを
詠んでいます。
注・・塩之入(しおのり)の坂=新潟県与板町と和島
村の境にある峠。「親知らず子知らず」の
絶壁を思わせる険しい坂道であった。
しぬべ=偲べ。「しのべ」と同じ。思いした
よろづ世までに
良寛
(しおのりの さかはなのみに なりにけり ゆくひと
しぬべ よろづよまで)
意味・・塩之入峠が険しいというのは、うわさだけに
なったものだ。その坂道を行く人は、通りや
すいように作り直してくれた方のことを、い
つまでも有難く思い顧みなさい。
塩乃入の坂は、まことに恐ろしい坂で、上を
見ると目もとどかず、下を見ると肝が縮こま
るような坂なので、千里を行く馬も進みかね
たという坂道。このような危しい道を歩きや
すい道に作り変えた先任者に感謝の気持ちを
詠んでいます。
注・・塩之入(しおのり)の坂=新潟県与板町と和島
村の境にある峠。「親知らず子知らず」の
絶壁を思わせる険しい坂道であった。
しぬべ=偲べ。「しのべ」と同じ。思いした
う。
作者・・良寛=1758~1831。
出典・・谷川敏郎著「良寛全歌集・1066」。
作者・・良寛=1758~1831。
出典・・谷川敏郎著「良寛全歌集・1066」。
2018年02月22日
・足なへの 病いゆてふ 伊予の湯に 飛びても行かな 鷺にあらませば
道後温泉・愛媛県
足なへの 病いゆてふ 伊予の湯に 飛びても行かな
鷺にあらませば
鷺にあらませば
正岡子規
(あしなえの やまいいゆちょう いよのゆに とびても
ゆかな さぎにあらませば)
意味・・足が萎(な)えて歩けない病気が治る、と昔か
らいい伝えられている故郷の道後温泉に飛ん
で行きたいものだなあ、もしも自分が鷺だっ
たなら。
注・・足なへ=足萎へ。足が萎えて歩行が自由にな
らない事。
いゆてふ=癒ゆてふ。「癒ゆ」は治ること。
「てふ」は「といふ」のつまった形。
伊予の湯=愛媛県松山市の道後温泉。
鷺にあらませば=鷺であったならば。太古、
足にけがをしている鷺が、湧き出している
湯に足をひたして傷を治したのが道後温泉
の起源という伝説がある。
作者・・正岡子規=まさおかしき。1867~1902。35
(あしなえの やまいいゆちょう いよのゆに とびても
ゆかな さぎにあらませば)
意味・・足が萎(な)えて歩けない病気が治る、と昔か
らいい伝えられている故郷の道後温泉に飛ん
で行きたいものだなあ、もしも自分が鷺だっ
たなら。
注・・足なへ=足萎へ。足が萎えて歩行が自由にな
らない事。
いゆてふ=癒ゆてふ。「癒ゆ」は治ること。
「てふ」は「といふ」のつまった形。
伊予の湯=愛媛県松山市の道後温泉。
鷺にあらませば=鷺であったならば。太古、
足にけがをしている鷺が、湧き出している
湯に足をひたして傷を治したのが道後温泉
の起源という伝説がある。
作者・・正岡子規=まさおかしき。1867~1902。35
歳。明治22年肺を病み喀血してから子規の
雅号を用いる。明治22年に全く歩けなくなる。
出典・・歌集「竹の里歌」。
2018年02月21日
2018年02月20日
・吾妻やまに 雪かがやけば みちのくの 我が母の国に 汽車入りにけり
吾妻やまに 雪かがやけば みちのくの 我が母の国に
汽車入りにけり
斎藤茂吉
(あづまやまに ゆきかがやけば みちのくの わが
ははのくにに きしゃいりにけり)
意味・・国境の吾妻山に残雪が白々と輝き、わが汽車は
いよいよ母の病むふるさとに入ったことだ。
「死にたまふ母」の題で詠まれた歌です。
残雪を輝やかしながらまともに迫る山膚(はだ)、
ああ、汽車はもうふるさとの土の上を走ってい
るのだ。こう思った時の引き締まるような緊張
感が一首を貫いています。特に「我が母の国に
入りにけり」という厳しい調べは、いよいよ重
態の母にま向かわねばならないという思いを伝
えています。
注・・吾妻やま=吾妻山。福島・山県の県境にある山
で2024m。
雪かがやけば=残雪が輝き。
我が母の国=母が病んでいるふるさと。
作者・・斎藤茂吉=さいとうもきち。1882~1953。東大
医科卒。精神病医。伊藤佐千夫に師事。
出典・・歌集「赤光」(学灯社「現代短歌評釈」)
2018年02月19日
・みつからない 僕の長所は 何だろう 君の長所は すぐ言えるのに
絵が描けるのも長所
みつからない 僕の長所は 何だろう 君の長所は
すぐ言えるのに
伊藤隆太
(みつからない ぼくのちょうしょは なんだろう きみの
ちょうしょは すぐいえるのに)
意味・・君の長所は何ですかと聞かれると、僕の長所はこれ
ですと言えるものが見つからない。友達の長所はい
くつも挙げられるのに。
友達が僕に「君のよい所はもっとあるだろう」と僕
の長所を言ってくれた。僕はその事がとても嬉しく、
また、自分の気づかない長所を発見し、自信が持て
るようになった、と作者は言っています。
作者・・伊藤隆太=いとうりゅうた。生没年未詳。静岡県・
気賀高校二年生・2012年当時。
出典・・同志社女子大学編「31音青春のこころ・2012」。
すぐ言えるのに
伊藤隆太
(みつからない ぼくのちょうしょは なんだろう きみの
ちょうしょは すぐいえるのに)
意味・・君の長所は何ですかと聞かれると、僕の長所はこれ
ですと言えるものが見つからない。友達の長所はい
くつも挙げられるのに。
友達が僕に「君のよい所はもっとあるだろう」と僕
の長所を言ってくれた。僕はその事がとても嬉しく、
また、自分の気づかない長所を発見し、自信が持て
るようになった、と作者は言っています。
作者・・伊藤隆太=いとうりゅうた。生没年未詳。静岡県・
気賀高校二年生・2012年当時。
出典・・同志社女子大学編「31音青春のこころ・2012」。
2018年02月18日
・むかし見し 主顔にて 梅が枝の 花だにわれに 物語せよ
むかし見し 主顔にて 梅が枝の 花だにわれに
物語せよ
藤原基俊
(むかしみし あるじがおにて うめがえの はなだに
われに ものがたりせよ)
詞書・・公実卿(きんざねきょう)かくれ侍りて後、かの家
にまかりけるに、梅の花盛りに咲けるを見て枝に
結び侍りける。
意味・・昔見たこの家の主のような態度で、梅の枝の花よ、
せめて私に話しかけてくれ。
実際は梅の花ではなく遺族に語りかけています。
注・・主顔=主は公実卿。
公実卿=藤原公実(1053~1107)・権大納言。
かくれ侍りて=お亡くなりになって。
作者・・藤原基俊=ふじわらのもととし。1060~1142。
物語せよ
藤原基俊
(むかしみし あるじがおにて うめがえの はなだに
われに ものがたりせよ)
詞書・・公実卿(きんざねきょう)かくれ侍りて後、かの家
にまかりけるに、梅の花盛りに咲けるを見て枝に
結び侍りける。
意味・・昔見たこの家の主のような態度で、梅の枝の花よ、
せめて私に話しかけてくれ。
実際は梅の花ではなく遺族に語りかけています。
注・・主顔=主は公実卿。
公実卿=藤原公実(1053~1107)・権大納言。
かくれ侍りて=お亡くなりになって。
作者・・藤原基俊=ふじわらのもととし。1060~1142。
従五位上・左衛門佐。
出典・・金葉和歌集・604。
2018年02月17日
・鉄橋へ かかる車室の とどろきに 憚らず叫ぶ 妻子がその名は
鉄橋へ かかる車室の とどろきに 憚らず叫ぶ
妻子がその名は
明石海人
(てっきょうへ かかるしゃしつの とどろきに はばからず
さけぶ さいしがそのなは)
意味・・列車が鉄橋に差し掛かると、車室にゴトゴトと轟く音
がしだした。そのはずみに、思わず妻子の名前を叫ん
だ、その妻子の名は。
ある日突然、「癩」と診断を受け、仲睦まじく暮らして
いた家族と別れ、治療のために療養所に向かう汽車の
旅の出来事です。
この歌が詠まれた昭和10年頃は癩病の特効薬・プロミ
ングがまだ発見されてなかったので、不治の病であり、
療養所に入ると、治って出て来る事が出来なかった。
作者・・明石海人=あかしかいと。1901~1939。沼津商業卒。
会社勤めの後、癩病を患い、生涯を療養所で過ごす。
指先が欠損し盲目になり、喉に吸気管を付ける状態で
妻子がその名は
明石海人
(てっきょうへ かかるしゃしつの とどろきに はばからず
さけぶ さいしがそのなは)
意味・・列車が鉄橋に差し掛かると、車室にゴトゴトと轟く音
がしだした。そのはずみに、思わず妻子の名前を叫ん
だ、その妻子の名は。
ある日突然、「癩」と診断を受け、仲睦まじく暮らして
いた家族と別れ、治療のために療養所に向かう汽車の
旅の出来事です。
この歌が詠まれた昭和10年頃は癩病の特効薬・プロミ
ングがまだ発見されてなかったので、不治の病であり、
療養所に入ると、治って出て来る事が出来なかった。
作者・・明石海人=あかしかいと。1901~1939。沼津商業卒。
会社勤めの後、癩病を患い、生涯を療養所で過ごす。
指先が欠損し盲目になり、喉に吸気管を付ける状態で
歌集「白描」を出版。
出典・・歌集「白描」。
2018年02月16日
602 あたらしく 冬きたりけり 鞭のごと 幹ひびきあい 竹群はあり
あたらしく 冬きたりけり 鞭のごと 幹ひびきあい
竹群はあり
宮柊二
(あたらしく ふゆきたりけり むちのごと みき
ひびきあい たかむらはあり)
意味・・身の引き締まるような、冬の寒さの到来である。
吹きすさぶ寒風に、鞭のような鋭い音を立てて、
群らがり生えた竹がしなって揺れている。
厳しい冬の到来。それは鞭で打たれるような厳
しさである。寒さに震え、身体が縮れ込むので
はなく、鞭打たれる時の、身を引き締める力が
湧いて来る。
注・・竹群(たかむら)=竹林、竹やぶ。
作者・・宮柊二=みやしゅうじ。1912~1986。新潟・
長岡中学卒。北原白秋に師事。日本芸術院賞
を受賞。
出典・・インターネット「中学受験学習資料・短歌」
竹群はあり
宮柊二
(あたらしく ふゆきたりけり むちのごと みき
ひびきあい たかむらはあり)
意味・・身の引き締まるような、冬の寒さの到来である。
吹きすさぶ寒風に、鞭のような鋭い音を立てて、
群らがり生えた竹がしなって揺れている。
厳しい冬の到来。それは鞭で打たれるような厳
しさである。寒さに震え、身体が縮れ込むので
はなく、鞭打たれる時の、身を引き締める力が
湧いて来る。
注・・竹群(たかむら)=竹林、竹やぶ。
作者・・宮柊二=みやしゅうじ。1912~1986。新潟・
長岡中学卒。北原白秋に師事。日本芸術院賞
を受賞。
出典・・インターネット「中学受験学習資料・短歌」
2018年02月15日
2018年02月14日
2018年02月13日
2018年02月12日
・駒なめて 打出での浜を 見わたせば 朝日にさわぐ 志賀の浦なみ
駒なめて 打出での浜を 見わたせば 朝日にさわぐ
志賀の浦なみ
後鳥羽院
(こまなめて うちいでのはまを みわたせば あさひに
さわぐ しがのうらなみ)
意味・・志賀の山越えをして駒を連ね、打出の浜のあた
りを高みから見晴らすと、志賀の浦波は朝日に
きらめき、浜に打ち寄せる波頭が幾条にも見え
て来る。
志賀の浦なみ
後鳥羽院
(こまなめて うちいでのはまを みわたせば あさひに
さわぐ しがのうらなみ)
意味・・志賀の山越えをして駒を連ね、打出の浜のあた
りを高みから見晴らすと、志賀の浦波は朝日に
きらめき、浜に打ち寄せる波頭が幾条にも見え
て来る。
この姿は、木曽義仲が連戦連勝して朝日将軍と
呼ばれた勢いを思い起こされる。でも波が消え
るようにその義仲もこの打出の浜で命を落とし
たのだ。
注・・なめて=並めて。並べて、連ねて。
打出の浜=滋賀県大津市、琵琶湖の南端の浜。
木曽義仲が源義経に敗れた粟津の松原の近辺。
志賀の浦=滋賀県大津市、琵琶湖の西南岸一体。
朝日にさわぐ=「朝日将軍がさわぐ」を暗示。
木曽義仲=1154~1184。連戦連勝するので朝日
将軍と呼ばれた。1183年の倶利伽羅の戦いで
平家の大軍を破る。1184年粟津の戦いで惨死。
作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1180~1239。1221年
倒幕の企てが失敗して隠岐に流される。「新古
今和歌集」の撰集を下命。
出典・・松本章男「歌帝 後鳥羽院」。
今和歌集」の撰集を下命。
出典・・松本章男「歌帝 後鳥羽院」。
2018年02月11日
・限りとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり
辛い辛い事に耐えてきた、だが、根腐れして枯れてしまった。希望の松として、まだまだ
生きたかったのに・・。2011年3月東日本大地震で奇跡的に残った松なのだが・・。
限りとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは
命なりけり
桐壺更衣
(かぎりとて わかるるみちの かなしきに いかまほし
きは いのちなりけり)
意味・・もうこれが私の命の限りです。愛するあなたに
お別れをして、ひとり死出の道を歩んで行かな
ければなりまん。それが悲しい事です。今、私
が歩んで行きたいのは、あなたと共に生きて行
く命ある道なのです。
「源氏物語」は、主人公・光源氏の父・桐壺帝
と母・桐壺更衣との悲劇に終わる恋から描かれ
ています。
帝から特別に可愛がられていた桐壺更衣は、他
の后(きさき)から嫉妬されいじめぬかれ、死ぬ
ほどの病におかされます。
この歌は死ぬ前に詠んだ歌で、死にたくない、
生きていたい、愛する人と共に歩いていける命
が欲しい、と痛切な叫びです。
注・・限り=限界、臨終。ここで「限りある道」の事
で死出の旅路の意。
作者・・桐壺更衣=きりつぼのこうい。源氏物語の光源
命なりけり
桐壺更衣
(かぎりとて わかるるみちの かなしきに いかまほし
きは いのちなりけり)
意味・・もうこれが私の命の限りです。愛するあなたに
お別れをして、ひとり死出の道を歩んで行かな
ければなりまん。それが悲しい事です。今、私
が歩んで行きたいのは、あなたと共に生きて行
く命ある道なのです。
「源氏物語」は、主人公・光源氏の父・桐壺帝
と母・桐壺更衣との悲劇に終わる恋から描かれ
ています。
帝から特別に可愛がられていた桐壺更衣は、他
の后(きさき)から嫉妬されいじめぬかれ、死ぬ
ほどの病におかされます。
この歌は死ぬ前に詠んだ歌で、死にたくない、
生きていたい、愛する人と共に歩いていける命
が欲しい、と痛切な叫びです。
注・・限り=限界、臨終。ここで「限りある道」の事
で死出の旅路の意。
作者・・桐壺更衣=きりつぼのこうい。源氏物語の光源
氏の母。他の后から嫉妬され病死する。
出典・・源氏物語。
2018年02月10日
・曇りなき 子の日の影に うち出づる 野辺に心も 揺らく空かな
曇りなき 子の日の影に うち出づる 野辺に心も
揺らく空かな
荒木田守武
(くもりなき ねのひのかげに うちいずる のべに
こころも ゆらくそらかな)
意味・・曇りなく陽の射す初子(はつね)の日、野辺に
出て見ると心もゆったりとし、命も延びるよ
うな気のする空が広がっているとだ。
気持ちの良い初春の野に出た浮き浮きとした
気分であり現代のピクニック気分が詠まれて
います。
注・・子の日=正月の初子の日。ね「子」は十二支
の一番目で鼠。その日に不老長寿を願って
野に出て小松を引き、若菜を摘む行事が行
われる。
子の日の影=子の日に射す日光。
曇りなき=晴れ渡っている事と、御代(天皇
のご治世)が正しく行われている事を暗示。
うち出づる=「うち」は接頭語であるが、広
々とした所へ出る感じがある。
揺らく=玉が触れ合ってゆらゆらとさやかな
音をたてる意だが、ゆったりとしたという
気分や命が延びそうだという気分を表して
いる。
作者・・荒木田守武=あらきだもりたけ。1473~15
49。伊勢神宮宮内神官。連歌を宗祇に師事。
出典・・笠間書院「室町和歌への招待」。
2018年02月09日
2018年02月08日
2018年02月07日
・うづくまる薬の下の寒さかな
うずくもらずにいつもこんな状態でありたいものだ。
うづくまる薬の下の寒さかな
内藤丈草
(うずくまる くすりのもとの さむさかな)
前書・・ばせを翁の病床に侍りて。
意味・・師芭蕉の病状は重い。師の病を案じながら
火鉢の薬釜のそばでうずくまっていると、
寒さがひしひし迫ってくる。また心配の為
心も寒い。
芭蕉臨終の数日前の吟です。
内藤丈草
(うずくまる くすりのもとの さむさかな)
前書・・ばせを翁の病床に侍りて。
意味・・師芭蕉の病状は重い。師の病を案じながら
火鉢の薬釜のそばでうずくまっていると、
寒さがひしひし迫ってくる。また心配の為
心も寒い。
芭蕉臨終の数日前の吟です。
つのる不安を「寒さ」に込められています。
注・・うづくまる=しゃがんで丸くなること。
寒さ=冬の気温の寒さだけでなく、心理的
な寒さも含めている。心の寒さ。
作者・・内藤丈草=ないとうじょうそう。1662~
注・・うづくまる=しゃがんで丸くなること。
寒さ=冬の気温の寒さだけでなく、心理的
な寒さも含めている。心の寒さ。
作者・・内藤丈草=ないとうじょうそう。1662~
1704。 尾張犬山藩士。後に遁世(とんせい・
世を逃れ隠居すること)した。
出典・・丈草発句集(笠間書院「俳句の解釈と鑑賞辞典」)
2018年02月06日
2018年02月05日
2018年02月04日
2018年02月03日
・ねざめして 聞かぬを聞きて かなしきは 荒磯浪の 暁のこえ
ねざめして 聞かぬを聞きて かなしきは 荒磯浪の
暁のこえ
藤原家隆
(ねざめして きかぬをききて かなしきは あらいそ
なみの あかつきのこえ)
詞書・・承久三年七月以後、遠所へ詠みて奉り侍りし時。
意味・・ふと眠りから覚めて、実際には聞かない声を、
ありありと我が耳に聞いて、悲しいのは、隠岐
の島に寄せる荒磯浪の暁の声である。
後鳥羽院が承久の戦争に敗れ、北条氏によって、
隠岐の島に流されたのは承久三年(1221)七月、
42歳の時で、60歳で亡くなるまで、家隆は都か
ら島への便りを絶やさず、寂しい院を慰めてい
た。
この歌は、物音もない静かな明け方に目覚めて
遠く遙かな島をしのぶ心で、家隆の耳には荒磯
に砕ける浪の音が聞こえたというのである。家
隆の胸中には、暁の荒磯浪を聞いて寂しく目覚
めている、院の姿が耐え難く思われたのである。
作者・・藤原家隆=ふじわらのいえたか。1158~1237。
従二位・宮内卿。新古今和歌集選者の一人。
暁のこえ
藤原家隆
(ねざめして きかぬをききて かなしきは あらいそ
なみの あかつきのこえ)
詞書・・承久三年七月以後、遠所へ詠みて奉り侍りし時。
意味・・ふと眠りから覚めて、実際には聞かない声を、
ありありと我が耳に聞いて、悲しいのは、隠岐
の島に寄せる荒磯浪の暁の声である。
後鳥羽院が承久の戦争に敗れ、北条氏によって、
隠岐の島に流されたのは承久三年(1221)七月、
42歳の時で、60歳で亡くなるまで、家隆は都か
ら島への便りを絶やさず、寂しい院を慰めてい
た。
この歌は、物音もない静かな明け方に目覚めて
遠く遙かな島をしのぶ心で、家隆の耳には荒磯
に砕ける浪の音が聞こえたというのである。家
隆の胸中には、暁の荒磯浪を聞いて寂しく目覚
めている、院の姿が耐え難く思われたのである。
作者・・藤原家隆=ふじわらのいえたか。1158~1237。
従二位・宮内卿。新古今和歌集選者の一人。
出典・・玉吟集。
2018年02月02日
2018年02月01日
・君を思ひ おきつの浜に 鳴く鶴の たづねくればぞ ありとだに聞く
君を思ひ おきつの浜に 鳴く鶴の たづねくればぞ
ありとだに聞く
藤原忠房
(きみをおもい おきつのはまに なくたづの たずね
くればぞ ありとだにきく)
意味・・鶴が君を思い続け興津の浜で鳴いている。私が
君の健在な事だけでも聞くことが出来たのは、
君を思い訪ねて来たからだ。
紀貫之が和泉の国にいる時、忠房がこの地を訪
れた時に贈った歌で、直接面会したのではなく、
健在という噂だけを聞いて贈ったものです。鶴
は忠房自身です。
私はあなたの事を心配して、このように訪ねて
来たからこそ、あなたがつつがなくいる事を聞
いたのです。安心しました。
注・・思ひおきつ=思い置く、心中にたえず思うこと、
心配する。興津(今の大阪府泉大津市)を掛け
る。
あり=この世に生きていること。無事である。
だに=最小限の希望が叶えられた意。
作者・・藤原忠房=ふじわらのただふさ。925年没。山
城守。
出典・・古今和歌集・914。