2019年07月
2019年07月31日
夏河を 越すうれしさよ 手に草履
夏河を 越すうれしさよ 手に草履
蕪村
(なつかわを こすうれしさよ てにぞうり)
意味・・流れも浅い夏の川を、手に草履を持って
はだしで渡っている。底砂の冷たい感触
も快く、このような水遊びが出来ること
に嬉しくなってくる。
はだしで渡っている。底砂の冷たい感触
も快く、このような水遊びが出来ること
に嬉しくなってくる。
画業で丹後にいた38歳から41歳ごろに詠
んだ句と言われています。
お金を儲けた嬉しさ、競争に勝った時の嬉
しさなど世俗的な嬉しさではなく、運動を
した時の心地よさを感じた時の嬉しさ、冷
たい水に入った生理的な快感を得た嬉しさ、
小鳥の鳴き声を聞いた時の嬉しさなど離俗
的な喜びを詠んでいます。
作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。
南宋画の大家。
南宋画の大家。
出典・・あうふう社「蕪村全句集」。
2019年07月30日
蟻と蟻 うなづきあひて 何か事 ありげに奔る 西へ東へ
蟻と蟻 うなづきあひて 何か事 ありげに奔る
西へ東へ
西へ東へ
橘曙覧
(ありとあり うなずきあいて なにかこと ありげに
(ありとあり うなずきあいて なにかこと ありげに
はしる にしへひがしへ)
意味・・蟻は這い回り餌を求めて巣に戻るのだが、
西へ行く蟻と東へ行く蟻がすれ違うとき、
何か出来事を伝えているようで、蟻の行
列を見ていると面白いものだ。
兼好法師は徒然草74段で次のように書
いています。
蟻のように集まって、東へ西へと急ぎ、
南へ北へと奔走している。身分の高い人
もおり、低い人もいる。老人もいるし若
者もいる。皆は、一体なんのためにそん
なにせかせかと急ぐのか。
出かけて行く所もあり帰る家もある。
夜には寝る事も出来、朝になれば起きる。
どこが不満なのだろうか。「つれづれ」
を楽しむ余裕がほしいものだ。
意味・・蟻は這い回り餌を求めて巣に戻るのだが、
西へ行く蟻と東へ行く蟻がすれ違うとき、
何か出来事を伝えているようで、蟻の行
列を見ていると面白いものだ。
兼好法師は徒然草74段で次のように書
いています。
蟻のように集まって、東へ西へと急ぎ、
南へ北へと奔走している。身分の高い人
もおり、低い人もいる。老人もいるし若
者もいる。皆は、一体なんのためにそん
なにせかせかと急ぐのか。
出かけて行く所もあり帰る家もある。
夜には寝る事も出来、朝になれば起きる。
どこが不満なのだろうか。「つれづれ」
を楽しむ余裕がほしいものだ。
作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。
出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。
2019年07月29日
杉の庵 すぎて思へば 世の外の 山の月日も 短かかりけり
杉の庵 すぎて思へば 世の外の 山の月日も
短かかりけり
短かかりけり
橘曙覧
(すぎのいお すぎておもえば よのそとの やまの
つきひも みじかかりけり)
意味・・過ぎて思えば俗世間から離れて、山家の
粗末な杉の庵で過ごした歳月も短く思え
ることだ。
つらかった事も過ぎて思えば短く、あっ
と言う間に終わったという気持ちです。
注・・杉の庵=杉の皮で葺(ふ)いた粗末な家。
すぎて=「杉」と「過ぎ」の掛詞。
世の外=俗世間から離れた世界。
(すぎのいお すぎておもえば よのそとの やまの
つきひも みじかかりけり)
意味・・過ぎて思えば俗世間から離れて、山家の
粗末な杉の庵で過ごした歳月も短く思え
ることだ。
つらかった事も過ぎて思えば短く、あっ
と言う間に終わったという気持ちです。
注・・杉の庵=杉の皮で葺(ふ)いた粗末な家。
すぎて=「杉」と「過ぎ」の掛詞。
世の外=俗世間から離れた世界。
作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~18678。
家業を異母弟に譲り隠棲。
2019年07月28日
世の中は うき身にそへる 影なれや 思ひすつれど 離れざりけり
世の中は うき身にそへる 影なれや 思ひすつれど
離れざりけり
源俊頼
(よのなかは うきみにそえる かげなれや おもい
すつれど はなれざりけり)
意味・・世の中とは、つらい我が身に付いている影
なのだろうか。つらい事を思い捨てたつも
りなのに、やはり離れずについてくる事だ。
(よのなかは うきみにそえる かげなれや おもい
すつれど はなれざりけり)
意味・・世の中とは、つらい我が身に付いている影
なのだろうか。つらい事を思い捨てたつも
りなのに、やはり離れずについてくる事だ。
この歌の前に長歌が詠まれています。
芹を摘んだ苦難という昔話があります。昔
宮中の掃除をしていた庭男が、芹を食べる
后を御簾の隙間から見て思いを寄せます。
それからは芹を摘んでは御簾の周りに置く
がその甲斐もなく焦がれて死んだという物
語で、思い通りにならないという譬えです。
自分の原因だと知りながら思い通りになら
ない辛い現実に堪えて生きていかねばなら
ない。万事に甲斐、学才もなく昇進も出来
ないのは仕方がないが辛い事だ。それにし
てもどうして何度も繰り返して、意思に添
わない不幸の身を恨むことだろうか、と詠
まれています。
人の影が付いて来るように憂き事もついて
来る、と辛い立場を詠んだ歌です。
作者・・源俊頼=みなもとのとしより。1055~1129。
従四位・木工頭。
出典・・千載和歌集・1161。
2019年07月27日
2019年07月26日
鉦鳴らし 信濃の国を 行き行かば ありしながらの 母見るらむか
鉦鳴らし 信濃の国を 行き行かば ありしながらの
母見るらむか
母見るらむか
窪田空穂
(かねならし しなののくにを ゆきゆかば ありし
ながらの ははみるらんか)
意味・・巡礼となって、鉦を鳴らしながら、信濃の
国をあちらこちらと尋ね歩いてゆくならば、
生前の姿のままの懐かしい母の面影に接
することが出来るだろうか。
20歳で母を亡くした頃の作です。
注・・鉦=たたき鉦。巡礼などに使う小型な物。
信濃の国=長野県。柔らか味のある語感に
巡礼の寂しい鉦の音が調和する。
ありしながらの=生前そのままの。
作者・・窪田空穂=くぼたうつほ。1877~1967。
(かねならし しなののくにを ゆきゆかば ありし
ながらの ははみるらんか)
意味・・巡礼となって、鉦を鳴らしながら、信濃の
国をあちらこちらと尋ね歩いてゆくならば、
生前の姿のままの懐かしい母の面影に接
することが出来るだろうか。
20歳で母を亡くした頃の作です。
注・・鉦=たたき鉦。巡礼などに使う小型な物。
信濃の国=長野県。柔らか味のある語感に
巡礼の寂しい鉦の音が調和する。
ありしながらの=生前そのままの。
作者・・窪田空穂=くぼたうつほ。1877~1967。
長野県生まれ。早大文学部教授。「国民
文学」を創刊。
出典・・学灯社「現代短歌評釈」。
2019年07月25日
独りして 堪へてはをれど つはものの 親は悲しと いはざらめやも
独りして 堪へてはをれど つはものの 親は悲しと
いはざらめやも
いはざらめやも
半田良平
(ひとりして たえてはおれど つわものの おやは
かなしと いわざらめやも)
意味・・自分一人でじっとしんぼうしているけれども、
出征兵士を持つ親の気持ちは、悲しさで一杯
なのだと言わないでおれようか。
昭和19年の作で、我が子のいるサイパン島の
悲報を聞いた気持ちを詠んでいます。
注・・やも=詠嘆を伴った反語を表す。・・だろう
うか、いや・・ではない。
作者・・半田良平=はんだりょうへい。1887~1945。
(ひとりして たえてはおれど つわものの おやは
かなしと いわざらめやも)
意味・・自分一人でじっとしんぼうしているけれども、
出征兵士を持つ親の気持ちは、悲しさで一杯
なのだと言わないでおれようか。
昭和19年の作で、我が子のいるサイパン島の
悲報を聞いた気持ちを詠んでいます。
注・・やも=詠嘆を伴った反語を表す。・・だろう
うか、いや・・ではない。
作者・・半田良平=はんだりょうへい。1887~1945。
窪田空穂に師事して「国民文学」を創刊。
出典・・笠間書院「和歌の解釈と鑑賞辞典」。
2019年07月24日
世間は 空しきものと あらむとぞ この照る月は 満ち欠けしける
世間は 空しきものと あらむとぞ この照る月は
満ち欠けしける
詠み人知らず
(よのなかは むなしきものと あらんとぞ この
てるつきは みちかけしける)
意味・・世の中はかくも空しいものであることを
示そうとして、なるほど、この照る月は
満ちたり欠けたりするのだなあ。
膳部王(かしわでのおおきみ)が亡くなり
詠んだ歌です。
照る月は満月のようにまん丸い月であっ
てほしいが、欠けてゆく。これと同じ様
に人も、元気盛りの時代があれば老いて
ゆく時代もやって来る。
王の死の悲しみを思い諦めようとして詠
んでいます。
注・・膳部王=母は草壁皇子の娘。724年没。
出典・・万葉集・442。
2019年07月23日
宇治の川瀬の 水車 何とうき世を めぐるろう
宇治の川瀬の 水車 何とうき世を めぐるろう
(うじのかわせの みずぐるま なんとうきよを
めぐるろう)
意味・・宇治川の川瀬にかけた水車は、うき世をどんな
ものだと思いを巡らして回っているのだろう。
無心に回る水車に人生流転の感慨として詠んで
います。浮き世から憂き世へ、そしてまた浮き
世と巡る人生。辛くとも堪えていれば必ずまた
元のように良くなる、と期待しています。
閑吟集が出たのは1518年頃。その当時の京都の
世相は、家の数が昔の十分の一になって、皆は
自給自足のために畑仕事ばかりしていた。京都
御所は麦畑の中にあった。荒れた京都の様子で
す。(1467~1477の応仁の乱では京都が戦場に
なりほぼ灰燼となった)
注・・うき世=浮き世(この世)と憂き世(つらい事の絶
えない世)を掛ける。
めぐる=「回る」と「巡る」を掛ける。
人生流転=人には人生最高だと思う幸せな時と、
落ち目でどうしようもない時がある。
出典・・閑吟集。
ものだと思いを巡らして回っているのだろう。
無心に回る水車に人生流転の感慨として詠んで
います。浮き世から憂き世へ、そしてまた浮き
世と巡る人生。辛くとも堪えていれば必ずまた
元のように良くなる、と期待しています。
閑吟集が出たのは1518年頃。その当時の京都の
世相は、家の数が昔の十分の一になって、皆は
自給自足のために畑仕事ばかりしていた。京都
御所は麦畑の中にあった。荒れた京都の様子で
す。(1467~1477の応仁の乱では京都が戦場に
なりほぼ灰燼となった)
注・・うき世=浮き世(この世)と憂き世(つらい事の絶
えない世)を掛ける。
めぐる=「回る」と「巡る」を掛ける。
人生流転=人には人生最高だと思う幸せな時と、
落ち目でどうしようもない時がある。
出典・・閑吟集。
2019年07月22日
もの思へど かからぬ人も あるものを あはれなりける 身の契りかな
もの思へど かからぬ人も あるものを あはれなりける
身の契りかな
身の契りかな
西行
(ものおもえど かからぬひとも あるものを あわれ
なりける みのちぎりかな)
意味・・同じもの思いをしても、こんなに苦しまぬ人
もあるのに、ああ、つくづくあわれな我が身
の宿命よ。
全く同じ事をしても、憂う人もおり気にかけ
ない人もいる。失敗したからといっていつま
でも悩まない、悩まない。
注・・かからぬ人=斯くあらぬ人。自分のごとくで
ない人。
あはれ=寂しさ、悲しさ。
契り=前世からの約束。
作者・・西行=1118~1190俗名佐藤義清(のりきよ)。
鳥羽上皇の北面武士であったが23歳で出家。
「新古今集」では最も入選歌が多い。
出典・・山家集。
2019年07月21日
かくばかり 経がたく見ゆる 世の中に うらやましくも 澄める月かな
かくばかり 経がたく見ゆる 世の中に うらやましくも
澄める月かな
藤原高光
(かくばかり へがたくみゆる よのなかに うらやま
しくも すめるつきかな)
意味・・このように過ごしにくく思える世の中に、
まことにうらやましくも、何の悩みもない
ように澄んでいる月である。
澄んだ月の光を見て、その清澄な光に対し
現実生活の悩み多いことを痛切に感じ、月
が羨ましいと言ったものです。
昇進が遅れ悩んでいた頃に詠んだ歌です。
参考歌です。
かくばかりめでたく見ゆる 世の中をうら
やましくやのぞく月影 (意味は下記参照)
注・・経がたく=時を過ごしにくく。
作者・・藤原高光=ふじわらたかみつ。940~994。
右近衛少将。三十六歌仙の一人。
出典・・拾遺和歌集・435。
参考歌です。
かくばかり めでたく見ゆる 世の中を うらやま
しくや のぞく月影
四方赤良
意味・・これほどにめでたく見えるこの地上の世の中を、
うらやましいと思ってか、そっと月が覗いて見
ている。
いかと現世謳歌をみせかけだと皮肉っています。
注・・月影=月光、月の明かり。
作者・・四方赤良=よものあから。1749~1823。支配
意味・・これほどにめでたく見えるこの地上の世の中を、
うらやましいと思ってか、そっと月が覗いて見
ている。
雲間からわずかにあらわれた月を、上記の古歌
の意を逆に用いて擬人化して詠んだ歌です。
この世はただ表面がめでたく見えるだけではないかと現世謳歌をみせかけだと皮肉っています。
注・・月影=月光、月の明かり。
作者・・四方赤良=よものあから。1749~1823。支配
勘定の幕臣。黄表紙、洒落本、滑稽本などで江
戸時代に活躍した。
出典・・万載狂歌集(小学館「黄表紙・川柳・狂歌」)
2019年07月20日
肩を落とし 去り行く選手を 見守りぬ わが精神の 遠景として
肩を落とし 去り行く選手を 見守りぬ わが精神の
遠景として
島田修二
(かたをおとし さりゆくせんしゅを みまもりぬ わが
せいしんの えんけいとして)
意味・・グランドの出口のほうへ、敗れ去った選手が
うなだれて消えていくのを見つめていると、
痛いものに触れないようにして来た私の精神
の遠景として、選手の後ろ姿がしきりに重な
ってならない。
敗者の後ろ姿に、悔しさ・惨(みじ)めさを思
いやり、自分が原爆にあった体験や身体障害
児の父親としての苦痛を重ねている。
そして、この悔しさをバネに必ず頑張って見せるぞ、という気持ちがこめられている。
作者・・島田修二=しまだしゅうじ。1928~2004。
東京大学卒。宮柊二に師事。新聞記者。在学
中に広島の原爆に会う。身体障害者の父とし
て苦悩を味わう。
出典・・歌集「青夏」(笠間書院「和歌の解釈と鑑賞
辞典」)
2019年07月19日
いにしへの 野中の清水 ぬるけれど もとの心ぞ 知る人ぞ汲む
いにしへの 野中の清水 ぬるけれど もとの心ぞ
知る人ぞ汲む
詠人知らず
知る人ぞ汲む
詠人知らず
(いにしえの のなかのしみず ぬるけれど もとの
こころぞ しるひとぞくむ)
こころぞ しるひとぞくむ)
意味・・古くなった野中の清水は水もぬるまっているが、
その昔のことを知っている人はこのように汲み
に来てくれる。
その昔のことを知っている人はこのように汲み
に来てくれる。
「もとの心」を忘れないことを主題に詠んだ歌
です。落ちぶれても昔の功績を知っている人は
思いやりのある心で接してくれる、の意。
注・・ぬるけれど=水が涸れ掛けて、汚れて暖かくな
ること。落ちぶれた自分をぬるい清水にたと
えている。
もとの心=涸れる前の清水、落ちぶれる前の自
分の姿。
汲む=水などをすいく取る。思いやる、やさし
い言葉をかける。
出典・・古今和歌集・887。
です。落ちぶれても昔の功績を知っている人は
思いやりのある心で接してくれる、の意。
注・・ぬるけれど=水が涸れ掛けて、汚れて暖かくな
ること。落ちぶれた自分をぬるい清水にたと
えている。
もとの心=涸れる前の清水、落ちぶれる前の自
分の姿。
汲む=水などをすいく取る。思いやる、やさし
い言葉をかける。
出典・・古今和歌集・887。
2019年07月18日
2019年07月17日
2019年07月16日
夕立の 雲もかからず 留守の空
夕立の 雲もかからず 留守の空
向井去来
(ゆうだちの くももかからず るすのそら)
補注・・京都に妻を残し、長崎の里に帰る時の句。
意味・・今は夏だ。いつ夕立が来るか分からない。
夕立が来る時は、必ず青い空がにわかに
曇って入道雲がモクモクトと湧き立って
来る。しかし、今見る京都には雲一つ無
い。空よ、どうかいつまでもこのままで
いてほしい。留守の家族に激しい風や雨
を降らせるようなことのないようにして
ほしい。
夕立は自然現象だけではない。女所帯に
襲いかかるいろいろな悪漢や暴行などに
襲われないように、去来はひたすら祈り
続けた。
作者・・向井去来=むかいきょらい。1651~17
向井去来
(ゆうだちの くももかからず るすのそら)
補注・・京都に妻を残し、長崎の里に帰る時の句。
意味・・今は夏だ。いつ夕立が来るか分からない。
夕立が来る時は、必ず青い空がにわかに
曇って入道雲がモクモクトと湧き立って
来る。しかし、今見る京都には雲一つ無
い。空よ、どうかいつまでもこのままで
いてほしい。留守の家族に激しい風や雨
を降らせるようなことのないようにして
ほしい。
夕立は自然現象だけではない。女所帯に
襲いかかるいろいろな悪漢や暴行などに
襲われないように、去来はひたすら祈り
続けた。
作者・・向井去来=むかいきょらい。1651~17
04。芭蕉門下10哲の一人。野沢凡兆と
「猿蓑」を編む。
2019年07月15日
世の中を おもひないりそ 三笠山 さしいづる月の すむかぎりは
世の中を おもひないりそ 三笠山 さしいづる月の
すむかぎりは
詠人知らず
(よのなかを おもいないりそ みかさやま さしいずる
つきの すむかぎりは)
すむかぎりは
詠人知らず
(よのなかを おもいないりそ みかさやま さしいずる
つきの すむかぎりは)
意味・・この世のことをくよくよ思いつめなさるな。
生きているかぎりはいろいろありますよ。
でも、三笠山からさし昇る月が澄んでいる
間は、闇夜ということはありませんよ。
生きているかぎりはいろいろありますよ。
でも、三笠山からさし昇る月が澄んでいる
間は、闇夜ということはありませんよ。
自分の官位より下位の者より越されて嘆い
ている人を見て、誰となく詠んだ歌です。
ている人を見て、誰となく詠んだ歌です。
注・・おもひないりそ=「な・・そ」は禁止の語。
思い入るな。
三笠山=藤原氏の氏神である奈良春日神社
の背後にある山。藤原氏の威光を暗示。
すむ=「澄む」と「住む」を掛ける。
出典・・詞花和歌集・291。
思い入るな。
三笠山=藤原氏の氏神である奈良春日神社
の背後にある山。藤原氏の威光を暗示。
すむ=「澄む」と「住む」を掛ける。
出典・・詞花和歌集・291。
2019年07月14日
2019年07月13日
2019年07月12日
年をへて 星をいただく 黒髪の 人よりしもに なりにけるかな
星をいただく
年をへて 星をいただく 黒髪の 人よりしもに
なりにけるかな
大中臣能宣
(としをへて ほしをいただく くろがみの ひとよりしもに
なりにけるかな)
意味・・長年の間、朝は星のあるうちに登庁し夜は
星を見て退庁するほどに精勤し続けて、黒
髪は霜のように白くなった。その私が人よ
りも下位になってしまったとはなあ。
自分より官位の劣るものに越されてしまっ
たので、見直しを期待して詠んだ歌です。
注・・星をいただく=星を戴いて出で星を戴いて
帰ること、早朝に出かけ夕方は星が出
て家に帰ること。勤務に励むたとえ。
しも=「下」に「霜」を掛ける。
年をへて 星をいただく 黒髪の 人よりしもに
なりにけるかな
大中臣能宣
(としをへて ほしをいただく くろがみの ひとよりしもに
なりにけるかな)
意味・・長年の間、朝は星のあるうちに登庁し夜は
星を見て退庁するほどに精勤し続けて、黒
髪は霜のように白くなった。その私が人よ
りも下位になってしまったとはなあ。
自分より官位の劣るものに越されてしまっ
たので、見直しを期待して詠んだ歌です。
注・・星をいただく=星を戴いて出で星を戴いて
帰ること、早朝に出かけ夕方は星が出
て家に帰ること。勤務に励むたとえ。
しも=「下」に「霜」を掛ける。
作者・・大中臣能宣=だいちゅうしんよしのぶ。921
~991。神祇大副・正四位下。
出典・・詞歌和歌集・374。
2019年07月11日
2019年07月10日
旅と言へば 言にぞ易き 術もなく 苦しき旅も 言にまさめやも
富嶽三十六景・葛飾北斎画
旅と言へば 言にぞ易き 術もなく 苦しき旅も
言にまさめやも
言にまさめやも
中臣宅守
(たびといえば ことにぞやすき すべもなく くるしき
たびも ことにまさめやも)
意味・・旅と口先で言うのはたやすい。しかし、どうしょう
もなく辛(つら)く苦しいこの旅も、所詮は旅としか
いい表わしょうがない。
どんなことでも表現は容易なものだが、表現出来な
いような苦しいこともある。こんどの旅がそれであ
る、という気持ちを詠んでいます。
注・・術もなく=どうしょうもない。
(たびといえば ことにぞやすき すべもなく くるしき
たびも ことにまさめやも)
意味・・旅と口先で言うのはたやすい。しかし、どうしょう
もなく辛(つら)く苦しいこの旅も、所詮は旅としか
いい表わしょうがない。
どんなことでも表現は容易なものだが、表現出来な
いような苦しいこともある。こんどの旅がそれであ
る、という気持ちを詠んでいます。
注・・術もなく=どうしょうもない。
まさめ=勝め。抜きんでいる。
やも=詠嘆を伴って反語を表す。・・だろうかな、
いや・・ではない。
作者・・中臣宅守=なかとみのやかもり。生没年未詳。763年
作者・・中臣宅守=なかとみのやかもり。生没年未詳。763年
に従五位になる。奈良時代の後期の歌人。
出典・・万葉集・・3763。
2019年07月09日
葛飾の 真間の井見れば 立ち平し 水汲ましけむ 手児奈し思ほふ
真間の井
葛飾の 真間の井見れば 立ち平し 水汲ましけむ
手児奈し思ほふ
高橋虫麻呂
(かつしかの ままのいみれば たちならし みず
くましけん てごなしおもおう)
意味・・葛飾の真間の井戸を見ると、ここに通って水を
汲んでいた可愛いらしい手児奈のことが思われ
て来る。
この歌の前に長歌が詠まれています、それによると、
手児奈のあまりにも美しさに多くの男が結婚を申し込
んで来た。男たちは我こそはと言ってお互いに醜い争
をしたり、病気になったりした。それを見た手児奈は
私が誰かさんの所にお嫁に行ったら、他の人たちを不
幸にしてしまう、といって海に入り死んでしまった。
真間の井戸を見ると、水汲みに来ていた可愛い手児奈
が思われて来る。悲しく死んでしまった手児奈が思わ
れて来る。
注・・葛飾=今の東京都と千葉県の一部。
真間=千葉県市川市真間。
立ち平(なら)し=歩きまわって平にする。
手児奈(てごな)=貧しい姿でも容姿が整った女の子。
作者・・高橋虫麻呂=詳細不明。
出典・・万葉集・1808。
手児奈し思ほふ
高橋虫麻呂
(かつしかの ままのいみれば たちならし みず
くましけん てごなしおもおう)
意味・・葛飾の真間の井戸を見ると、ここに通って水を
汲んでいた可愛いらしい手児奈のことが思われ
て来る。
この歌の前に長歌が詠まれています、それによると、
手児奈のあまりにも美しさに多くの男が結婚を申し込
んで来た。男たちは我こそはと言ってお互いに醜い争
をしたり、病気になったりした。それを見た手児奈は
私が誰かさんの所にお嫁に行ったら、他の人たちを不
幸にしてしまう、といって海に入り死んでしまった。
真間の井戸を見ると、水汲みに来ていた可愛い手児奈
が思われて来る。悲しく死んでしまった手児奈が思わ
れて来る。
注・・葛飾=今の東京都と千葉県の一部。
真間=千葉県市川市真間。
立ち平(なら)し=歩きまわって平にする。
手児奈(てごな)=貧しい姿でも容姿が整った女の子。
作者・・高橋虫麻呂=詳細不明。
出典・・万葉集・1808。
2019年07月08日
わたの原 寄せくる波の しばしばも 見まくのほしき 玉津島かも
わたの原 寄せくる波の しばしばも 見まくのほしき
玉津島かも
詠み人知らず
(わたのはら よせくるなみの しばしばも みまくの
ほしき たまつしまかも)
意味・・大海原を次から次へと寄せて来る波の如く、
私はこの地を再び訪れて、玉津島の美しい
景色を何度でも見たいと思う。
玉津島かも
詠み人知らず
(わたのはら よせくるなみの しばしばも みまくの
ほしき たまつしまかも)
意味・・大海原を次から次へと寄せて来る波の如く、
私はこの地を再び訪れて、玉津島の美しい
景色を何度でも見たいと思う。
美しい海岸の景色なのでまた見に来たい。
注・・わたの原=大海原。
しばしば=「しばしば寄せる」と「しばし
ば見る」を掛ける。
見まくのほしき=見たいと思う。
玉津島=和歌山市和歌の浦の玉津島神社の
ある山。古くは海中の島であった。景色
が美しかった。
出典・・古今和歌集・912。
2019年07月07日
2019年07月06日
あしびきの こなたかなたに 道はあれど 都へいざと いふ人ぞなき
あしびきの こなたかなたに 道はあれど 都へいざと
いふ人ぞなき
いふ人ぞなき
菅原道真
(あしびきの こなたかなたに みちはあれど みやこ
へいざと いうひとぞなき)
意味・・山のこちらにもあちらにも道はあるけれど、
「都へ、さあ行こう」と言ってくれる人は
いないことだ。
無罪の罪が晴れて都に帰る道への切実な願
いに、力を貸してくれる人は一人もいない。
その悔しさを詠んだ歌です。
道真は901年に右大臣の時、藤原時平の
謀略により大宰府に配流されて3年後に、
配所で亡くなった。
注・・あしびき=山の枕詞。山の意に用いる。
こなたかなた=こちらにもあちらにも。
都へいざ=「都へいざ行かん」の略。
作者・・菅原道真=すがわらのみちざね。903年没。
(あしびきの こなたかなたに みちはあれど みやこ
へいざと いうひとぞなき)
意味・・山のこちらにもあちらにも道はあるけれど、
「都へ、さあ行こう」と言ってくれる人は
いないことだ。
無罪の罪が晴れて都に帰る道への切実な願
いに、力を貸してくれる人は一人もいない。
その悔しさを詠んだ歌です。
道真は901年に右大臣の時、藤原時平の
謀略により大宰府に配流されて3年後に、
配所で亡くなった。
注・・あしびき=山の枕詞。山の意に用いる。
こなたかなた=こちらにもあちらにも。
都へいざ=「都へいざ行かん」の略。
作者・・菅原道真=すがわらのみちざね。903年没。
59歳。従二位右大臣。当代随一の漢学者。
出典・・新古今和歌集・1690。
2019年07月05日
我のみぞ ありしにもあらず なりにけり 花は見し世に 変わらざりけり
我のみぞ ありしにもあらず なりにけり 花は見し世に
変わらざりけり
白河院
(われのみぞ ありしにもあらず なりにけり はなは
みしよに かわらざりけり)
意味・・私だけが以前と違う境涯となってしまった。
が、花は帝位にあって見た昔と変わらぬ美
しさだ。
「加茂川の水、双六の賽、三蔵法師、これぞ
我が心にかなわぬもの」と嘆き、その権威を
誇った白河院であるが、今はこのような実力
が無くなり、また体力の衰えの寂しさも詠ん
でいます。
注・・ありし=以前の(姿)、昔の(境遇)。
作者・・白河院=しらかわいん。1053~1129。72代
変わらざりけり
白河院
(われのみぞ ありしにもあらず なりにけり はなは
みしよに かわらざりけり)
意味・・私だけが以前と違う境涯となってしまった。
が、花は帝位にあって見た昔と変わらぬ美
しさだ。
「加茂川の水、双六の賽、三蔵法師、これぞ
我が心にかなわぬもの」と嘆き、その権威を
誇った白河院であるが、今はこのような実力
が無くなり、また体力の衰えの寂しさも詠ん
でいます。
注・・ありし=以前の(姿)、昔の(境遇)。
作者・・白河院=しらかわいん。1053~1129。72代
の天皇。「後拾遺和歌集」「金葉和歌集」の
撰集を命ずる。
出典・・風葉和歌集・74。
出典・・風葉和歌集・74。
2019年07月04日
み吉野の 象山の際の 木末には ここだも騒ぐ 鳥の声かも
ひよどり
み吉野の 象山の際の 木末には ここだも騒ぐ
鳥の声かも
山部赤人
(みよしのの きさやまのまの こぬれには ここだも
さわぐ とりのこえかも)
意味・・吉野の象山の山中の木々の梢では、あたり一面
に鳴き騒ぐ鳥の声の何とにぎやかなことだろう。
朝の山中の生気あふれる鳥の声を詠み、象山の
素晴らしさを讃えた歌です。
注・・象山(きさやま)=吉野の離宮のあった近くの山。
ここだも=こんなにも数多く。こんなに沢山。
作者・・山部赤人=やまべのあかひと。生没未詳。柿本
人麻呂の伝統を継承した宮廷歌人。724年頃この
歌は詠まれている。
出典・・万葉集・924。
み吉野の 象山の際の 木末には ここだも騒ぐ
鳥の声かも
山部赤人
(みよしのの きさやまのまの こぬれには ここだも
さわぐ とりのこえかも)
意味・・吉野の象山の山中の木々の梢では、あたり一面
に鳴き騒ぐ鳥の声の何とにぎやかなことだろう。
朝の山中の生気あふれる鳥の声を詠み、象山の
素晴らしさを讃えた歌です。
注・・象山(きさやま)=吉野の離宮のあった近くの山。
ここだも=こんなにも数多く。こんなに沢山。
作者・・山部赤人=やまべのあかひと。生没未詳。柿本
人麻呂の伝統を継承した宮廷歌人。724年頃この
歌は詠まれている。
出典・・万葉集・924。
2019年07月03日
ほととぎす 聞かで明けぬる 夏の夜の 浦島の子は まことなりけり
ほととぎす 聞かで明けぬる 夏の夜の 浦島の子は
まことなりけり
西行
(ほととぎす きかであけぬる なつのよの うらしまの
こは まことなりけり)
意味・・郭公(ほととぎす)の鳴く声も聞くこともなく、
夏の短夜ははかなく明けてしまったが、まこ
とに浦島の子の玉手箱のように、あけてくや
しいことである。
時が過ぎ去るのが早すぎる !
唱歌「浦島太郎」です。
作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。俗名佐藤
義清(のりきよ)。鳥羽上皇の北面武士であっ
たが23歳で出家。「新古今集」では最も入選
歌が多い。
出典・・山家集・187。
2019年07月02日
2019年07月01日
この谷や 幾代の飢えに 瘠せ瘠せて 道に小さなる 媼行かしむ
この谷や 幾代の飢えに 瘠せ瘠せて 道に小さなる
媼行かしむ
土屋文明
(このたにや いくよのうえに やせやせて みちに
ちさなる おうなゆかしむ)
意味・・この山奥の谷よ、ここに幾代も幾代も飢餓に
耐えて人々はかろうじて生き抜いて来たのだ。
今その谷の道をとぼとぼとちいさな老婆が歩
いて行く。この谷の貧しさの象徴ででもある
かのように。
作者は昭和20年に戦災を被り群馬県吾妻群の
川戸部落に疎開した、その頃の作です。
川戸部落は吾妻渓谷の奥の貧しい不便な山村
であり、作者はここで土地を耕し生活をした
のである。村民は渓谷に棚田を作り稲を植え
たが、冷害で全然稔らない田もあった瘠せ地
である。
注・・この谷や=この谷よ。「や」は詠嘆を示す語。
幾代=幾代も幾代も。長い時代の経過を示す。
媼(おうな)=老女。
作者・・土屋文明=1890~1990。長野県諏訪高女の
媼行かしむ
土屋文明
(このたにや いくよのうえに やせやせて みちに
ちさなる おうなゆかしむ)
意味・・この山奥の谷よ、ここに幾代も幾代も飢餓に
耐えて人々はかろうじて生き抜いて来たのだ。
今その谷の道をとぼとぼとちいさな老婆が歩
いて行く。この谷の貧しさの象徴ででもある
かのように。
作者は昭和20年に戦災を被り群馬県吾妻群の
川戸部落に疎開した、その頃の作です。
川戸部落は吾妻渓谷の奥の貧しい不便な山村
であり、作者はここで土地を耕し生活をした
のである。村民は渓谷に棚田を作り稲を植え
たが、冷害で全然稔らない田もあった瘠せ地
である。
注・・この谷や=この谷よ。「や」は詠嘆を示す語。
幾代=幾代も幾代も。長い時代の経過を示す。
媼(おうな)=老女。
作者・・土屋文明=1890~1990。長野県諏訪高女の
校長。万葉集の研究家。
出典・・歌集「山川水」(学灯社「現代短歌評釈」)
出典・・歌集「山川水」(学灯社「現代短歌評釈」)