2020年02月

2020年02月29日

今日ここに 見にこざりせば 梅の花 ひとりや春の 風にちらまし

1417

 
今日ここに 見にこざりせば 梅の花 ひとりや春の
風にちらまし
                  源経信

(きようここに みにこざりせば うめのはな ひとりや
 はるの かぜにちらまし)

詞書・・朱雀院に人々まかりて、閑庭の梅花といへる事
    を詠める。

意味・・今日、この院に私どもが見に来なかったならば、
    梅の花は誰にも賞美されず、一人さびしく春の
    風で散ってしまったのでしよう。
 
    人から見られるという事は、花ばかりでなく、
    人も励みになるものです。

 注・・朱雀院=平安時代の寝殿造りの宮殿。京都府中
     京区あたりにあった。

作者・・源経信=みなもとのつねのぶ。1016~1097。
    正二位大納言。

出典・・金葉和歌集・19。


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2020年02月28日

春霞 たてるやいづこ みよしのの 吉野の山に 雪はふりつつ

8033

 
春霞 たてるやいづこ みよしのの 吉野の山に
雪はふりつつ
                 詠人知らず
              
(はるがすみ たてるやいずこ みよしのの よしのの
 やまに ゆきはふりつつ)

意味・・もう春にはなったが、いったい春霞が立ちこめて
    いる所はどこにあるだろうか。この吉野の里の吉
    野山にはまだ雪がちらちら降っていて、いっこう
    に春めいても来ない。

    立春とは名のみで、雪の消えない山里の人々が花
    咲く春の到来を待ち望んだ気持ちを詠んでいます。

 注・・たてるや=「や」は反語の副助詞。立ち込めている
     のはどこであろうか、どこにもない。
    みよしのの=吉野は奈良県の南部の山地。「み」は
     接頭辞。

出典・・古今和歌集・3。


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2020年02月27日

春はただ わが宿にのみ 梅咲かば かれにし人も 見にぞ来なまし

1342

 
春はただ わが宿にのみ 梅咲かば かれにし人も
見にぞ来なまし
                 和泉式部
          
(はるはただ わがやどにのみ うめさかば かれにし
 ひとも みにぞきなまし)

意味・・春という季節は、ただもう私の住まいだけに
    梅が咲いたなら、音信が絶えてしまったあの
    人も梅見にと訪ねてくれるであろうに・・・。

 注・・かれにし人=疎くなった人。「かれ」は「離れ」。
    まし=反実仮想を表す。もし・・だったら・・ 
     だろう。

作者・・和泉式部=いずみのしきぶ。978頃の生まれ。

出典・・後拾遺和歌集・57。



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2020年02月26日

梅咲いて人の怒りの悔いもあり

1354


梅咲いて人の怒りの悔いもあり
               内藤露辿 

(うめさいて ひとのいかりの くいもあり)

意味・・梅の花には気品があり、心鎮(しず)まる
    ものがある。そんな梅の咲いているのを
    見ていると心は落ち着き、一時の激情で
    怒った事などが悔やまれる事だ。

    梅の花の高雅さには人の心を浄化するも
    のがあると強調しています。

作者・・内藤露辿=ないとうろせん。1655~1733。
    磐城国(福島県)の城主。宗因に学び、芭蕉
    らと交遊。

出典・・村上護著「今朝の一句」
  


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2020年02月25日

谷風に とくる氷の ひまごとに 打ちいづる波や 春の初花

1370

 
谷風に とくる氷の ひまごとに 打ちいづる波や
春の初花
                源当純
 
(たにかぜに とくるこおりの ひまごとに うち
 いずるなみや はるのはつはな)

意味・・早春の谷風で解け始めた川の氷の隙間隙間
    から流れ出て来る波こそ、春の最初の花な
    のでしょう。

    春の訪れを川のせせらぎに見出し、それを
    花にたとえた歌です。

作者・・源当純=みなもとのまさずみ。生没年未詳。
    903年従五位上・少納言になった
 
出典・・古今和歌集・12。


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2020年02月24日

このもだえ 行きて夕べの あら海の うしほに語り やがて帰らじ

8433


 
このもだえ 行きて夕べの あら海の うしほに語り
やがて帰らじ
                  山川登美子
             
(このもだえ ゆきてゆうべの あらうみの うしおに
 かたり やがてかえらじ)

意味・・この悶えている気持ちを訴えるために夕方、海辺に
    行き、荒れた海の潮に向かって語り、そのまま私は
    この世に帰るまい。

    悶え苦しんでいる今の私の気持ちを人に言うに言え
    ない。そうは言ってもこのまま胸にしまっておけな
    い程に苦しい。そこで荒れ狂った海に向かって、思
    い切り辛い心の内を皆吐き出してしまったならいつ
    死んでもよい。
    
 注・・もだえ=悶え。思い悩み苦しむ。

作者・・山川登美子=やまかわとみこ。1879~1909。29歳。
    与謝野鉄幹創刊の「明星」の社友。共著「恋衣」。
 
出典・・歌集「恋衣」。


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2020年02月23日

はたなかの かれたるしばに たつひとの うごくともなし ものもふらしも

1386
         2010年に復元された大極殿・背後は東大寺
 

はたなかの かれたるしばに たつひとの うごくともなし
ものもふらしも
                    会津八一
 
(畑なかの 枯れたる芝に 立つ人の 動くともなし
 もの思ふらしも)

詞書・・平城宮址の大極殿芝にて。

意味・・畑の中の枯れた大極殿址の芝に立つ人は
    動こうともせずじっと佇んでいるが、け
    だし物思いに耽っているのであろう。

    奈良時代の大極殿の址が、今見ると「畑
    なかの枯れた草」であることに、感慨を
    催して詠んだ歌です。

 注・・平城宮・大極殿=今の奈良県生駒郡に710
     年頃造営され、784年長岡京に遷都され
     るまで70年間、奈良の都として繁栄した。
    大極殿芝=大極殿址の土壇に生えている草。

作者・・会津八一=あいづやいち。1881~1956。
    早大文科卒。文学博士。美術史研究家。歌
    集「鹿鳴集」「南京新唱」。
 
出典・・歌集「南京新唱」。
  


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2020年02月22日

君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香をも  知る人ぞ知る

2536


君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香をも 
知る人ぞ知る
                紀友則

(きみならで たれにかみせん うめのはな いろをも
 かをも しるひとぞしる)

意味・・あなたではなくて、誰に見せようか。この梅の
    花を。この素晴しい色も香も、物の美しさをよ
    く理解できるあなただけが、そのすばらしさを
    本当に分かってくれるのです。

    一枝の梅の花を折って人に贈った時の歌です。
    あなただけが本当の物の情趣を理解してくれる
    人だ、の意です。
    また、友則の知人は高い地位に就いていたが、
    自分はまだ低い地位で不遇の時を過ごしていた
    ので、そのような不遇感の背景に我が真価は知
    る人ぞ知るの思いを梅の花に託してもいます。

 注・・誰にか=「か」は反語で、誰にも見せたくない
        の意になる。

作者・・紀友則=きのとものり。生没年未詳。古今和歌
    集の撰者の一人。

出典・・古今和歌集・38。 
 


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2020年02月21日

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ  海人の釣舟

1324


わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 
海人の釣舟
                   小野篁
             
(わたのはら やそじまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ
 あまのつりぶね)

意味・・たくさんの島々を目当てとして、私は大海原に漕ぎ
    出して行ったと、家人にきっと伝えてくれ。
    その辺の舟で釣り糸をたれている漁師たちよ。

    島根の隠岐(おき)島に流罪になり、舟に乗って出発
    する時に都に残された人々に贈った歌です。
    「海人の釣舟」にしかすがりつくものがない、孤独
    と絶望が表現されています。

 注・・わたの原=広い海のこと。
    八十島=「八十(やそ)」は数の多いことを表わす。
     摂津の国の難波(大阪市)から瀬戸内海の船旅になり
     島々を通り抜けるので、八十島といっている。
    海人(あま)=漁業に従事する人。漁夫。

作者・・小野篁=おののたかむら。802~852。当時の第一
    級の学者で漢詩文に優れる。嵯峨上皇に遣唐使を命
    じられ、断ったために隠岐の島に流された。
 
出典・・古今和歌集・407、百人一首・11。 


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2020年02月20日

手を折りて うち数ふれば 亡き人の 数へ難くも なりにけるかな

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手を折りて うち数ふれば 亡き人の 数へ難くも
なりにけるかな           
                  良寛

(てをおりて うちかぞうれば なきひとの かぞえ
 がたくも なりにけるかな)

意味・・手の指を折って数えてみると、亡くなった
    人の数が多くなって、数えることが出来な
    くなってしまったことだ。
 
    昔の職場のOB会に出ると、○○さんを知
    ってるやろう、亡くなったぞ・・。こんな
    話を 聞く事が多くなりました。
 
作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。
 
出典・・谷川敏郎著「良寛全歌集」。
 


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2020年02月19日

思ひ立つ 重きその荷を 卸すなよ 力車は  くだけぬるとも

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思ひ立つ 重きその荷を 卸すなよ 力車は 
くだけぬるとも         
                 宗川儀八

(おもいたつ おもきそのにを おろすなよ ちから
ぐるまは くだけぬるとも)

意味・・志を立てたなら、その志を貫くという事は
    重い荷を背負うと同じ困難さがあるので、
    荷を積んだ荷車が朽ちたとしても荷を卸さ
    ずに進んでくれ。どんな困難があろうとも
    志を捨てずに進んでいって欲しい。

作者・・宗川儀八=むねかわぎはち。生没年未詳。
    会津藩の武士。

出典・・童門冬二著「小説・内藤丈草」。


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2020年02月18日

名にし負はば いざ言問はむ 都鳥わが思ふ人は  ありやなしやと

1512

 
名にし負はば いざ言問はむ 都鳥わが思ふ人は 
ありやなしやと
                  在原業平

(なにしおはば いざこととはむ みやこどり わがおもふ
 ひとは ありやなしやと)

意味・・都という名を持っているのならば、さあ尋ねよう、
    都鳥よ。私の思い慕っている人は健在でいるのか、
    いないのかと。

    流浪の旅をする業平らが隅田川に着いて、舟の
    渡し守から見知らぬ鳥の名を聞いて詠んだ歌です。
    都鳥という名に触発され、都にいる妻への思いが
    急激にに高まったものです。

 注・・あり=生きている、健在である。

作者・・在原業平=~825。六歌仙の一人。伊勢物語の
    主人公。

出典・・古今和歌集・411、伊勢物語9段。


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2020年02月17日

灯影なき 部屋に我あり 父と母  壁のなかより 杖つきて出づ

1516

 
灯影なき 部屋に我あり 父と母  壁のなかより
杖つきて出づ
                 石川啄木 

(ほかげなき へやにわれあり ちちとはは かべの
 なかより つえつきていず)

意味・・いつの間にか日は暮れ沈んでいたが、電灯も
    つけるのも忘れて物思いにふけっていた。す
    ると暗い壁面から年老いた両親が杖をついて
    出てくるような気がした。

    文学に志しているが、それでは家族を養う事
    が出来ない。まともな仕事にもありつけない
    ふがいない自分を見ていると、両親が心配し
    ている姿が浮かんでくる。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。
     26歳。盛岡尋常中学を中退。与謝野夫妻に
     師事すべく上京。母校の代用教員、新聞校
     正係の職を転々とする。
 
出典・・歌集「一握の砂」。


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2020年02月16日

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな

1548  
明奴連波 久類々物止波 志利奈可良
            奈遠宇良女之機 朝保良希哉
 
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき
朝ぼらけかな       
                    藤原道信
               
(あけぬれば くるるものとは しりながら なお
 うらめしき あさぼらけかな)

意味・・夜が明けてしまうと、やがて日は暮れるもの、
    そして、再びあなたに逢えるとは分かってい
    ますけれど、それでもやはり、恨めしく思う
    夜明けですよ。

    当時の習俗は通い婚であったので、夫は日暮
    時に妻の家に通い、夜明け方立ち去っていた。

 注・・明けぬれば=夜が明けてしまうと。男は日暮
     時に女のもとを訪れ、夜明けには立ち去ら
     なければならないのが、当時の習わしであ
     った。
    朝ぼらけ=あたりがほのぼのと明るくなった
     頃。男が女のもとを立ち去る時分。

作者・・藤原道信=ふじわらのみちのぶ。972~994。
    23歳。左近中将従四位。三十六歌仙の一人。

出典・・後拾遺和歌集・672、百人一首・52。

参考です。
   明けぬれば くるる物とは しりながら
   明奴連波  久類々物止波 志利奈可良

   なをうらめしき 朝ぼらけかな
   奈遠宇良女之機 朝保良希哉


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2020年02月15日

知る人の 知るべき色に あらねども 見せばや宿の 梅の梢を

2236

 
知る人の 知るべき色に あらねども 見せばや宿の
梅の梢を        
                    散逸物語

(しるひとの しるべきいろに あらねども みせばや
 やどの うめのこずえを)

詞書・・娘のことを、左大将にほのめかし侍るとて。

意味・・素晴らしさの分かる人が分かってくれそうな
    花の色というわけでもありませんが、あなた
    にお見せしたいものです。私の家の梅の梢を。

    梅の梢は我が娘を指します。

    本歌は
   「君ならでたれにか見せむ梅の花色をも香をも
    知る人ぞ知る」 (意味は下記参照)

 注・・散逸物語=さんいつものがたり。散らばって今
     はもう無い物語。

本歌です。

君ならで  誰にか見せむ  梅の花  色をも香をも
知る人ぞ知る        
                  紀友則

(きみならで たれにかみせん うめのはな いろをも
 かをも しるひとぞしる)

意味・・あなたではなくて、誰に見せようか。この梅の
    花を。この素晴しい色も香も、物の美しさをよ
    く理解できるあなただけが、そのすばらしさを
    本当に分かってくれるのです。

    一枝の梅の花を折って人に贈った時の歌です。
    あなただけが本当の物の情趣を理解してくれる
    人だ、の意です。

    また、友則の知人は高い地位に就いていたが、
    自分はまだ低い地位で不遇の時を過ごしていた
    ので、そのような不遇感の背景に我が真価は知
    る人ぞ知るの思いを梅の花に託してもいます。

 注・・誰にか=「か」は反語で、誰にも見せたくない
     の意になる。
作者・・紀友則=きのとものり。生没年未詳。古今和歌
    集撰者の一人。

出典・・古今和歌集・38。


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2020年02月14日

くさまくら まことの華見 してもこよ

5526

 
くさまくら まことの華見 してもこよ
                     芭蕉
                     
(くさまくら まことのはなみ してもこよ)

詞書・・路通がみちのくにおもむくに。

意味・・これから奥州への旅に出て旅寝を重ねるとの事だが、
    憂いつらい旅寝をしてこそ本当に花の美しさが分る
    ものだ。旅を遊びと考えないで、真の花の美しさを
    発見して帰っておいで。

 注・・くさまくら=旅の枕詞、旅寝の意味だが、ここでは
     旅寝を重ねる生活、すなわち旅それ自体の意に用
     いている。
    まこと=真実、真理。
    華見(はなみ)=花見、花の美しさを見る。
    路通=1685年に琵琶湖で乞食の生活をしているのを
     芭蕉に見出され、蕉門俳人となった。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1695。「奥の細道」。
 
出典・・茶のさうし(小学館「松尾芭蕉集」)


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2020年02月13日

やわらかに 人分け行くや 勝角力

1416

 
やわらかに 人分け行くや 勝角力   
                     高井几薫

(やわらかに ひとわけゆくや かちずもう)

意味・・相撲に勝った力士が、歓声をあげる観衆をおだやかに
    かき分けながら場外に去って行く。

    勝ち力士の自信に満ちた余裕のある様子を詠んだもの
    です。
    この場面になる為には、涙ぐましい猛稽古があります。

 注・・やわらかに=やさしくおだやかな態度。
    勝角力=相撲に勝った力士。
 
作者・・高井几薫=たかいきとう。1741~1789。蕪村に師事。


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2020年02月12日

春遠く ああ長崎の 鐘の音

7505
                廃墟となった浦上天主堂

 
春遠く ああ長崎の 鐘の音    
                    江国滋

(はるとおく ああながさきの かねのおと)

意味・・浦上天主堂の静かで寂しい鐘の音を聴いていると
    悲しくなって来る。まだまだ、冬は厳しく春は遠
    いのだなあ。

    長崎は悲劇を背負った地です。キリシタン弾圧、
    原爆投下。88年12月には木島長崎市長が右翼
    の短銃で撃たれた。この時に詠んだ句です。また、
    07年4月に伊藤長崎市長が右翼暴力団により射
    殺されています。

     歌謡「長崎の鐘」参考です。
     https://youtu.be/VPrKdVswN8s

 注・・浦上天主堂=長崎にあるカトリック教会。33年も
    年月をかけて1925年完成。原爆投下により崩壊し
    赤レンガの壁が一部残るだけにとなった。浦上地区
    には当時12000人の信徒がいたが8500人が爆死し
    た。1959年再建された。
 
作者・・江国滋=えぐにしげる。1934~1997。慶応義塾
    大卒。評論家。俳人。


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2020年02月11日

隅々に残る寒さやうめの花

2295


 
隅々に残る寒さやうめの花
               与謝蕪村 

(すみずみに のこるさむさや うめのはな)

詞書・・すりこ木で重箱を洗ふごとくせよとは、政
    (まつりごと)の厳刻なるをいましめ給ふ。
    賢き御代の春にあふて。

意味・・春になって、梅が開花したとはいえ、冬の
    寒さが世間のあちらこちらに残っている。

    世間隈なく春なれかしと仁政を期する寓意
    句です。

 注・・すりこ木で重箱を洗ふ=大井利勝による戒
     めの言葉「丸き木にて角なる器の中をか
     きまわす如くにあれば事よき事なり。丸
     き器の内をまはす如く隅々まで探せば事
     の害出来候ぞ」による。

    賢き御代=新しい帝の治政。

作者・・与謝蕪村=よさぶそん。1716~1783。南宗
    画の大家。
 
出典・・蕪村全句集・126。


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2020年02月10日

荒栲の 布衣をだに 着せかてに かくや嘆かむ 為むすべをなみ

1397

荒栲の 布衣をだに 着せかてに かくや嘆かむ
為むすべをなみ   
                 山上憶良

(あらたえの ぬのきぬをだに きせかてに かくや
 なげかん せんすべをなみ)

意味・・お粗末な布製の着物でさえも子供に着せる
    ことが出来ないで、他にどうしょうもない
    ので、ただこのように嘆いてばかりいる事
    だろうか。(金持ちはどっさり不要の着物を
    しまっているのになあ)

    この歌は貧乏人の立場に立って詠んだ歌で
    次の歌は金持ちの側に立って詠んだ歌です。

   「富人の家の子どもの着る身なみ腐し捨つらむ
    絹綿らはも」  (意味は下記参照)

 注・・荒栲(あらたえ)=楮(こうぞ)の繊維による
     目の粗い布。
    着せかてに=着せかねて。可能の意の「かつ」
     に打ち消しの助動詞「ぬ」が接した形。
    すべをなみ=術を無み。頼るべき手段が無い。

作者・・山上憶良=やまのうえのおくら。660~733。
    遣唐使として唐に渡り、帰朝後、筑前守となる。
 
出典・・万葉集・901。

参考歌です。
富人の 家の子どもの 着る身なみ 腐し捨つらむ 
絹綿らはも           
                 山上憶良

(とみひとの いえのこどもの きるみなみ くさし
 すつらん きぬわたらはも)

意味・・物持ちの家の子供が着あまして、持ち腐れに
    しては捨てている、その絹や綿の着物は、ああ。
    (もったいない。粗末な布の着物すら着せら
    れなくて嘆いている人もいるというのに)

 注・・なみ=無み、無いために。
    着る身なみ=着物の数に対して、着る人が
       少ない状態。
    はも=深い感動の意を表す、・・よ、ああ。
 
出典・・万葉集・900。 
 

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2020年02月09日

踏み分けし 昨日の庭の跡もなく また降り隠す  今朝の白雪

1385 (2)

 
踏み分けし 昨日の庭の跡もなく また降り隠す 
今朝の白雪
                日野俊光
              
(ふみわけし きのうのにわのあともなく またふり
 かくす けさのしらゆき)

意味・・踏み分けた昨日の庭の雪に、その足跡もなくして
    しまうように、また降り隠す今朝の白雪よ。

    足跡のない庭の雪を美しいと詠んでいます。

作者・・日野俊光=ひののとしみつ。12360~1326。正二
    位権大納言。鎌倉期の歌人。
 
出典・・玉葉和歌集・961。


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2020年02月08日

おぼつかな 都に住まぬ 都鳥 言問ふ人に いかが答へし

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おぼつかな 都に住まぬ 都鳥 言問ふ人に
いかが答へし
               宜秋門院丹後 
          
(おぼつかな みやこにすまぬ みやこどり こととう
 ひとに いかがこたえし)

意味・・気にかかることだ。都に住んでいない都鳥よ。
    都の人の安否を尋ねた男にどのように答えた
    のか。都の事情に疎いはずなのに。

   「名にしおはばいざ言問はん都鳥わが思ふ人は
    ありやなしや」の歌を踏まえた作です。
            (意味は下記参照)

 注・・おぼつかな=心もとない、気に掛かる。
    都鳥=水鳥のかもめの一種。身体が白色、口
     ばしと足が赤い。
    言問ふ人=都にいる人を尋ねる人。

作者・・宜秋門院丹後=ぎしゅうもんいんのたんご。
     生没年未詳。1180年頃の人。後鳥羽帝の中
     宮・宜秋門院の女房(女官)。
 
出典・・新古今和歌集・977。

参考歌です。

名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は 
ありやなしやと
                 在原業平
             
(なにしおわば いざこととはむ みやこどり わがおもふ
 ひとは ありやなしやと)

意味・・都という名を持っているのならば、さあ尋ねよう、
    都鳥よ。私の思い慕っている人は元気でいるのか、
    いないのかと。

    流浪の旅をする業平らが隅田川に着いて、舟の渡
    し守から見知らぬ鳥の名を聞いて詠んだ歌です。

    都鳥という名に触発され、都にいる妻への思いが
    急激に高まったものです。

 注・・あり=生きている、健在である。

作者・・在原業平=ありわらのなりひら。~825。六歌仙
    の一人。伊勢物語の主人公。
 
出典・・古今集412、伊勢物語・9段。 



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2020年02月07日

知りぬらむ 行き来にならす 塩津山 世にふる道は からきものとは

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知りぬらむ 行き来にならす 塩津山 世にふる道は
からきものとは       
                  紫式部

(しりぬらん ゆききにならす しおつやま よにふるみちは
 からきものとは)

意味・・塩津山を行く人足よ、そなた達も人生の道はこの峠の
    ように険しいと知っているだろうに。
    
    紫式部の一行の旅の荷物を人足に持たせ、難所の塩津
    峠を越える時、人足たちが愚痴っているのを聞いて詠
    んだ歌です。

 注・・行き来にならす=よく行き来している。
    塩津山=滋賀県塩津の山、福井との県境の山。
    世にふる道=「ふる」は「古る(年月がたつの意)」、
     世を過ごす道、人生の道。
    からき=(塩が)辛い、険しい、厳しい。

作者・・紫式部=生没年未詳。1012年頃一条天皇の中宮・章子
    に仕えた。源氏物語が有名。

出典・・歌集「紫式部集」(ライザ・ダルビー著「紫式部物語」) 


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2020年02月06日

安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を  我が思はなくに

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安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 
我が思はなくに
                詠み人知らず
             
(あさかやま かげさえみゆる やまのいの あさき
 こころを わがおもわなくに)

意味・・安積山の姿までも映し出す清らかな山の井、
    浅いその井のような浅はかな心で、私がお
    慕いしているわけはありませんのに。

    この歌にはこんな伝えがあります。
    葛城王が陸奥の国に派遣された時に、国司
    の対応の仕方が甚だなおざりであった。
    それで、王はひどく不愉快に思って、怒り
    の表情がありありと見えた。接待の酒食を
    準備したにもかかわらず、どうしても打ち
    解けて宴に興じようとはしなかった。そこ
    にたまたま、前に采女(うねめ)であった女
    がいた。都風の教養を身につけた女であっ
    た。左手で盃を捧げ、右手に銚子を持ち、
    銚子で王の膝に拍子を打ちながら、この歌
    を吟(くちずさ)んだ。そこで、王の気持は
    すっかりほぐれて、一日中楽しく過ごした
    という。

 注・・安積山=福島県郡山市にある山。
    影さへ=「さへ」という助詞により、水が
     きれいな上に、さらに美しい山の影まで
     が映っている意を表す。
    山の井=山から湧き出る清水を貯めて置く
     所。
    葛城王=736年臣籍にあった橘諸兄(たちば
     なのもろえ)。
    陸奥=東北地方の旧国名。
    采女(うねめ)=女官として都へ遣わされた
     地方豪族の子女。容姿端麗な者が選ばれ
     た。
 
出典・・万葉集・3807。


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2020年02月05日

しづやしづ しづの苧環 くり返し 昔を今に なすよしもがな

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              苧環


しづやしづ しづの苧環 くり返し 昔を今に
なすよしもがな
               静御前

(しずやしず しずのおだまき くりかえし むかしを
 いまに なすよしもがな)

意味・・倭文(しず)の布を織る麻糸を丸く巻いた苧環
    (おだまき)から、糸が繰り出されるように、
    再び繰り返えして、昔の二人の仲を今に繰り
    返す方法はないものかなあ。

    義経を慕っている静御前が、頼朝の前で舞曲
    を奉じる時に吟じたものです。    

    義経が頼朝に追われているが、追われる前の
    良き時代に今をする事が出来たならなあ、と
    いう気持を詠んだ歌です。

 注・・しづ(倭文)の苧環(おだまき)=倭文は古代の
     織物の名、苧環は織物を織る糸を巻き取る
     道具、くるくると繰り返し巻き取る。


作者・・静御前=しずかごぜん。生没年未詳。鎌倉時
    代初期の白拍子。源義経の妾。

出典・・義経記。

 



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2020年02月04日

たのしみは 世に解きがたく する書の 心をひとり さとり得し時

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たのしみは 世に解きがたく する書の 心をひとり
さとり得し時        
                   橘曙覧

(たのしみは よにときがたく するふみの こころを
 ひとり さとりえしとき)

意味・・私の楽しみといえば、世間で難解だとされている
    本の真意を自分の一人の力で解き明かす事が出来
    た時です。学の道を歩んできた身には何とも喜ば
    しいことだ。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。紙商の
    家業を継いでいたが21歳の時に隠棲して学問・和
    歌に専念。越前藩主の松平春獄と交流。

出典・・岩波書店「橘曙覧全歌集・573」。


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2020年02月03日

とはれぬは たがためかうき 蓬生の 花よ人めを 待ちつけてみよ

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とはれぬは たがためかうき 蓬生の 花よ人めを
待ちつけてみよ
                  小沢蘆庵
              
(とわれぬは たがためかうき よもぎうの はなよ
 ひとめを まちつけてみよ)

意味・・誰にも訪問されないのは一体だれにとってつらい
    ことなのか。ほかならぬ自分がつらいのだ。荒廃
    した我が家に咲く花よ、人の訪れを待ち迎えたら
    どうだ。

    こちらの気持など知りもしないですまして咲いて
    いる花に、自分のようなつらい思いをしてみたら
    どうだと嘆いています。

    落ちぶれて手入れも出来ない荒廃のままの我が家。
    そのため人も訪れなくなった寂しさ・口惜しさを
    詠んでいます。









 注・・たがためかうき=一体誰にとってつらいことなの
     か、ほかならぬ自分がつらいのだ、の意。 
    蓬生(よもぎう)=「蓬生の宿」に同じ。荒廃した
     我が家。






作者・・小沢蘆庵=おざわろあん。1723~1801。和歌の
    指導のみを生業としたため生活は貧しく京を転々
    とした。

 
出典・・六帖詠草(小学館「近世和歌集」)


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2020年02月02日

世の中は 七たび変へん ぬば玉の 墨絵に描ける 小野の白鷺

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                                                          墨絵


世の中は 七たび変へん ぬば玉の 墨絵に描ける
小野の白鷺
                         良寛
               
(よのなかは ななたびかえん ぬばたまの すみえに
 かける おののしらさぎ)

意味・・世の中に対する態度・心の持ち方を七度変えて
     みよう。墨で雪野の白鷺を描く事が出来るよう

   に、不可能に見えたものも、可能になるものだ。

    一例です。
    世の中には嫌いな人はいるものです。
    あっ、また嫌な事を言って来た。だから嫌いだ。
    こんな時、知らぬ振りして逃げたり、文句を言
    い返したりする。
    こんな時に良寛はもっと穏やかになりなさいと
    言っている。
    七回自分の気持ちを整理すると、嫌に思う事も
    そうでは無くなると言っている。
 
    相手の言い分は無理を言っているのだろうか。
    自分が相手の立場なら言わないだうか。
    相手は辛い事を抱え込んでいるのではなかろうか。
    自分は反省をする事はないのだろうか。
    相手に嫌な事をしているのではないだろうか。
    相手の言い分は正しいのではないか。
    相手の欠点ばかり見てはいないか。
    ・・・・・・
     嫌な事があったら、カッカする前に十数えて見よ
    と昔の人は言っている。

 
 注・・ぬば玉の=「墨」の枕詞。
    小野=野原。ここでは白い雪のある野原の意。
    墨絵に描く白鷺=技術の上達によって不可能も
     可能になる事の意。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。
 

出典・・良寛全歌集・497。

 


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2020年02月01日

完きは 一つとてなき 阿羅漢の わらわらと起ち あがる 夜無きや

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完きは 一つとてなき 阿羅漢の わらわらと起ち
あがる 夜無きや
                大西民子 

(まったきは ひとつとてなき あらかんの わらわらと
 たちあがる よるなきや)

意味・・完全な姿を保つ阿羅漢像は一つもない。全て
    どこか欠けたり傷んだりしている。その傷み
    に耐えかねて、わらわらと起ちあがる夜はな
    いか。

    阿羅漢像は、永い歳月の中で、ある者は手が
    欠け、足が損なわれ、首のない者、耳の削(
    そ)げている者など、完全な形を保つ物は一つ
    としてない。こうした傷ましい阿羅漢たちが
    その傷みに耐えかねて、いっせいに起ちあが
    るような夜はないか。

    阿羅漢像のように、傷ついている作者自身の
    心を重ねあわせて詠んでいます。作者は人に
    言うに言われない苦渋を、誰かに知ってもら
    いたい気持ちを歌っています。

 注・・阿羅漢=仏教の修行者で悟りを完全に開いた
     者に与えられる称号。
    わらわら=ばらばらに。うわっと。

作者・・大西民子=おおにしたみこ。1924~1994。
    奈良女子高等師範学校卒。木俣修に師事。
    歌集に「無数の耳」「不文の掟(おきて)」。




出典・・歌集「不文の掟」(笠間書院「和歌の解釈と
    鑑賞辞典」)


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