2020年07月
2020年07月28日
身代は まはりかねたる 車引き つらきうき世を おし渡れども
身代は まはりかねたる 車引き つらきうき世を
おし渡れども
紀定丸
(しんだいは まわりかねたる くるまひき つらき
うきよを おしわたれども)
おし渡れども
紀定丸
(しんだいは まわりかねたる くるまひき つらき
うきよを おしわたれども)
意味・・つらいこの浮世を、難儀な道に車を押すように、
何とかして渡っていこうとするのだが、車引き
の仕事では、車は回っても身代は回りかねて、
とかく思うようにならない。
何とかして渡っていこうとするのだが、車引き
の仕事では、車は回っても身代は回りかねて、
とかく思うようにならない。
横に車を押すことも出来ないような下層労働者
の生活の嘆声を詠んでいます。今では派遣社員
の生活の嘆声を詠んでいます。今では派遣社員
や非正規社員の立場。
注・・身代=生計、暮し向き。
車引き=荷車などを引いて生活する人。
まはりかねたる=思うようにいかない。
おし渡れども=困難を排して渡る。
車引き=荷車などを引いて生活する人。
まはりかねたる=思うようにいかない。
おし渡れども=困難を排して渡る。
作者・・紀定丸=きのさだまる。1760~1841。四方赤
良の甥。御勘定組頭。著書「狂月望」「黄表
紙」。
出典・・徳和歌後万載集(小学館「日本古典文学全集・
狂歌」)
2020年07月27日
白川の 知らずともいはじ 底清み 流れて世々に すむと思へば
白川の 知らずともいはじ 底清み 流れて世々に
すむと思へば
平貞文
すむと思へば
平貞文
(しらかわの しらずともいわじ そこきよみ ながれて
よよに すむとおもえば)
よよに すむとおもえば)
意味・・白川という立派な川があることを「知らない」と
言いません。底まで清らかに澄み渡り、これから
も永年流れ続けると思うと。
言いません。底まで清らかに澄み渡り、これから
も永年流れ続けると思うと。
白川という川があるが、白川のように清らかで立
派なあなたが居ることを「知らない」とは言いま
せん。私の心も白川の底のように清らかなので、
その流れと同様に幾久しく契りを交わしたいと思
うからです。
派なあなたが居ることを「知らない」とは言いま
せん。私の心も白川の底のように清らかなので、
その流れと同様に幾久しく契りを交わしたいと思
うからです。
恋を告白する歌です。
注・・白川=次の句の「知ら」に同音で続く枕詞。
滋賀県の山から賀茂川に合流する川。
底清み=心の底が清いので。
流れて世々に=いつまでも月日を重ねて。
すむ=「住む」と「澄む」を掛ける。
滋賀県の山から賀茂川に合流する川。
底清み=心の底が清いので。
流れて世々に=いつまでも月日を重ねて。
すむ=「住む」と「澄む」を掛ける。
作者・・平貞文=たいらのさだぶん。871~923。
三河権介・従五位。
三河権介・従五位。
出典・・古今和歌集・666。
2020年07月26日
よしや君 昔の玉の 床とても かからんのちは 何にかはせん
白峰御陵
よしや君 昔の玉の 床とても かからんのちは
何にかはせん
西行
何にかはせん
西行
(よしやきみ むかしのたまの ゆかとても かからん
のちは いかにかはせん)
のちは いかにかはせん)
詞書・・白峰と申す所に御墓の侍りけるに参りて。
意味・・以前立派な金殿玉楼におられたとしても、
上皇様、あなた様がお亡くなりになられ
ました後は何になりましょうか。何にも
なりません。ただ成仏(じょうぶつ)を祈
るだけです。
上皇様、あなた様がお亡くなりになられ
ました後は何になりましょうか。何にも
なりません。ただ成仏(じょうぶつ)を祈
るだけです。
注・・白峰=讃岐国(香川県)綾歌郡松山村白峰。
御墓=崇徳院の墓。保元の乱(1156年・
地位をめぐり後白河天皇と崇徳上皇の
争い)に敗れて讃岐に流され、その地で
崩御した。
御墓=崇徳院の墓。保元の乱(1156年・
地位をめぐり後白河天皇と崇徳上皇の
争い)に敗れて讃岐に流され、その地で
崩御した。
よしや=たとえ・・(でも)。
玉の床=金枝玉葉(皇族の意味)の座。
かからん後=このように崩御された後。
玉の床=金枝玉葉(皇族の意味)の座。
かからん後=このように崩御された後。
作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。
出典・・山家集・1355。
出典・・山家集・1355。
2020年07月25日
古へに 変はらぬものは 荒磯海と 向かひに見ゆる 佐渡の島なり
古へに 変はらぬものは 荒磯海と 向かひに見ゆる
佐渡の島なり
良寛
(いにしえに かわらぬものは ありそみと むかいに
みゆる さどのしまなり)
意味・・昔と少しも変わらないものは、古里の岩の多い
海辺と、沖の向こうに見える佐渡の島である。
生きとし生きる物は皆死に、また生まれ変わる。
盛者は滅び、また生まれる。喜怒哀楽の感情も
その都度変わるものである。この、無常の世の
中で、大昔から変わらないものは、荒波の打ち
寄せる海岸と、海の向こうに見える佐渡島だけ
である。
佐渡の島なり
良寛
(いにしえに かわらぬものは ありそみと むかいに
みゆる さどのしまなり)
意味・・昔と少しも変わらないものは、古里の岩の多い
海辺と、沖の向こうに見える佐渡の島である。
生きとし生きる物は皆死に、また生まれ変わる。
盛者は滅び、また生まれる。喜怒哀楽の感情も
その都度変わるものである。この、無常の世の
中で、大昔から変わらないものは、荒波の打ち
寄せる海岸と、海の向こうに見える佐渡島だけ
である。
すべての物は移り行くので、今を大事に生きよ
う、怠らず努めよう、という気持ちが含まれて
います。
注・・荒磯海(ありそみ)=岩の多い海辺。
作者・・良寛=りようかん。1758~1831。
出典・・良寛全歌集・1239。
2020年07月24日
見れど飽かぬ 吉野の川の 常滑の 絶ゆることなく またかへり見む
見れど飽かぬ 吉野の川の 常滑の 絶ゆることなく
またかへり見む
柿本人麻呂
(みれどあかぬ よしののかわの とこなめの たゆる
(みれどあかぬ よしののかわの とこなめの たゆる
ことなく またかえりみん)
意味・・いくら見ても飽かない吉野は、吉野川のいつも
意味・・いくら見ても飽かない吉野は、吉野川のいつも
滑らかな所が絶えることのないように、何度も
来ては眺めて見たいものです。
吉野の離宮に来て詠んだ歌です。
山や川の清く美しい流域、そしてそこには立派
な宮殿が建てられている。それらは見ても見て
も見飽きないことだ。
注・・常滑(とこなめ)=絶えず水に濡れている川の岩石に、
水ごけがついてぬるぬるして滑りやすい所。
またかへり見む=くり返し来ては、また眺めよう。
吉野の離宮=持統天皇の時代、奈良県吉野郡吉野
川の宮滝にあった離宮。
作者・・柿本人麻呂=かきのもとのひとまろ。生没年未詳。
710年頃の宮廷歌人。
出典・・万葉集・37。
2020年07月21日
忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな
忘礼之乃 行末末天波 加多計連波
希不越 可起利乃 命登毛哉
希不越 可起利乃 命登毛哉
忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの
命ともがな
儀同三司母
(わすれじの ゆくすえまでは かたければ きょうを
かぎりの いのちもがな)
命ともがな
儀同三司母
(わすれじの ゆくすえまでは かたければ きょうを
かぎりの いのちもがな)
意味・・いつまでも忘れまいとあなたはおっしゃって
下さいますが、そのように遠い将来のことは
頼みがたいことですから、そうおっしゃって
くださる今日を限りの命であってほしいもの
です。
下さいますが、そのように遠い将来のことは
頼みがたいことですから、そうおっしゃって
くださる今日を限りの命であってほしいもの
です。
当時の上流貴族たちは一夫多妻であり、結婚
当初は男が女の家に通っていた。男が通って
来なくなれば自然に離婚となっていた。いつ
しか忘れ去られるという不安のなかで、今日
という日を最良の幸福と思う気持を詠んでい
ます。
平仮名のもとになった漢字、参考です。
忘れしの 行末まては かたけれは
忘礼之乃 行末末天波 加多計連波
けふを かきりの 命ともがな
希不越 可起利乃 命登毛哉
当初は男が女の家に通っていた。男が通って
来なくなれば自然に離婚となっていた。いつ
しか忘れ去られるという不安のなかで、今日
という日を最良の幸福と思う気持を詠んでい
ます。
平仮名のもとになった漢字、参考です。
忘れしの 行末まては かたけれは
忘礼之乃 行末末天波 加多計連波
けふを かきりの 命ともがな
希不越 可起利乃 命登毛哉
注・・忘れじの=いつまでも忘れまいと。
行く末=将来。
かたければ=難ければ。難しいので。
命ともがな=命であってほしい。「もがな」
は願望の助詞。
行く末=将来。
かたければ=難ければ。難しいので。
命ともがな=命であってほしい。「もがな」
は願望の助詞。
作者・・儀同三司母=ぎどうさんしのはは。998年没。
高階成忠の娘。藤原道隆の妻。「儀同三司」
は「太政大臣・左大臣・右大臣」と同じ意味。
出典・・新古今集・1149、百人一首・54。
高階成忠の娘。藤原道隆の妻。「儀同三司」
は「太政大臣・左大臣・右大臣」と同じ意味。
出典・・新古今集・1149、百人一首・54。
2020年07月20日
奈呉の海に 舟しまし貸せ 沖に出でて 波立ち来やと 見て帰り来む
奈呉の海に 舟しまし貸せ 沖に出でて 波立ち来やと
見て帰り来む
田辺福麻呂
見て帰り来む
田辺福麻呂
(なごのうみに ふねしましかせ おきにいでて なみ
たちこやと みてかえりこん)
たちこやと みてかえりこん)
意味・・誰かあの奈呉の海に乗り出す舟を、ほんの
しばらくでよいから貸して下さいませんか。
沖まで出て行って、もしや波が立ち寄せて
くるかと見て来たいものです。
しばらくでよいから貸して下さいませんか。
沖まで出て行って、もしや波が立ち寄せて
くるかと見て来たいものです。
福麻呂が使者として、越中(富山県)にいる
大伴家持の家に訪ねた時に挨拶の歌として
詠んだものです。
海のない山国の奈良から来た人なので、海
に対する好奇心を示しています。
大伴家持の家に訪ねた時に挨拶の歌として
詠んだものです。
海のない山国の奈良から来た人なので、海
に対する好奇心を示しています。
注・・奈呉の海=富山県高岡市から新湊市にかけ
ての海。
しまし=暫し。しばし。
ての海。
しまし=暫し。しばし。
作者・・田辺福麻呂=たなべのふくまろ生没未詳。
741年頃活躍した宮廷歌人。
出典・・万葉集・4032。
741年頃活躍した宮廷歌人。
出典・・万葉集・4032。
2020年07月19日
山高み 白木綿花に 落ちたぎつ 滝の河内は 見れど飽かぬかも
山高み 白木綿花に 落ちたぎつ 滝の河内は
見れど飽かぬかも
笠金村
(やまたかみ しらゆうばなに おちたぎつ たきの
こうちは みれどあかぬかも)
こうちは みれどあかぬかも)
意味・・山が高いので、白い木綿(ゆう)で作った花
のように、激した水がドーッと落ちている
この滝の河内の絶景は見ても見ても見飽き
る事がない。
なんとまあ美しいことだろう。
のように、激した水がドーッと落ちている
この滝の河内の絶景は見ても見ても見飽き
る事がない。
なんとまあ美しいことだろう。
養老七年(723)に吉野離宮で詠んだ歌です。
白波を白木綿(しらゆう)に見立てて離宮の
滝を讃(たた)えています。
白波を白木綿(しらゆう)に見立てて離宮の
滝を讃(たた)えています。
注・・白木綿(しらゆう)=斎串(いくし)としての
榊(さかき)の枝などにつけた白い木綿。
木綿は楮(こうぞ)の皮で作った。
たぎつ=激つ。水が激しく流れる。
河内=川を中心とした小生活圏。
離宮=奈良県吉野の宮滝付近にあった離宮。
榊(さかき)の枝などにつけた白い木綿。
木綿は楮(こうぞ)の皮で作った。
たぎつ=激つ。水が激しく流れる。
河内=川を中心とした小生活圏。
離宮=奈良県吉野の宮滝付近にあった離宮。
作者・・笠金村=かさのかなむら。生没年未詳。宮
廷歌人。
廷歌人。
出典・・万葉集・909。
2020年07月18日
2020年07月17日
2020年07月16日
そむく身は かぢの七葉も かき絶えて けふ手にとらぬ 草の上の露
そむく身は かぢの七葉も かき絶えて けふ手にとらぬ
草の上の露
花山院師賢
草の上の露
花山院師賢
(そむくみは かじのななはも かきたえて きょう
てにとらぬ くさのうえのつゆ)
てにとらぬ くさのうえのつゆ)
意味・・世にそむく身の自分は、七夕だからといっても
もう七枚の梶の葉に詩歌を書くこともなくなり、
七夕の今日だが墨をするための草におく露にも
手を触れない。
もう七枚の梶の葉に詩歌を書くこともなくなり、
七夕の今日だが墨をするための草におく露にも
手を触れない。
七夕の時には、芋の葉の露で墨をすり七枚の梶
の葉に思う事を書いて捧げる風習があったが、
罪人として流される身としては書くべき事も無
く、七夕の今日だが露もとることもしない、と
絶望した気持ちです。歌を詠んで三か月後に世
を去った。
の葉に思う事を書いて捧げる風習があったが、
罪人として流される身としては書くべき事も無
く、七夕の今日だが露もとることもしない、と
絶望した気持ちです。歌を詠んで三か月後に世
を去った。
注・・かぢの七葉=クワ科の落葉喬木。昔、この葉に
詩歌を書き織姫星を祭った。「七」は七夕に
ちなんだもの。
草の上の露=墨をするための里芋の葉の露。
詩歌を書き織姫星を祭った。「七」は七夕に
ちなんだもの。
草の上の露=墨をするための里芋の葉の露。
作者・・花山院師賢=かざんいんもろかた。1301~133
2。32歳。正二位大納言。鎌倉時代の末期の人。
北条氏討伐の首謀者として下総に流され間もなく
没した。
没した。
出典・・新葉和歌集。
2020年07月15日
わが世をば 今日か明日かと 待つかひの 涙の滝と いづれ高けむ
わが世をば 今日か明日かと 待つかひの 涙の滝と
いづれ高けむ
在原行平
いづれ高けむ
在原行平
(わがよをば きょうかあすかと まつかいの なみだの
たきと いずれたかけん)
たきと いずれたかけん)
詞書・・布引の滝を見に行って。
意味・・私の出世の時を、今日か明日かと待っていても、
そのかいがないので流す涙の滝と、この滝と、
どちらが高いであろうか。
そのかいがないので流す涙の滝と、この滝と、
どちらが高いであろうか。
布引の滝を見て、栄進の道の開けない悲しみの
涙に明け暮れる身が思われた作。
涙に明け暮れる身が思われた作。
注・・布引の滝=神戸市葺合区布引町の山中のある滝。
わが世=自分の出世の時。
かひの涙=「かひ」に「甲斐」と「峡」を掛け、
涙の「なみ」に「無み」を掛ける。
高けむ=「高からん」と同じ。
わが世=自分の出世の時。
かひの涙=「かひ」に「甲斐」と「峡」を掛け、
涙の「なみ」に「無み」を掛ける。
高けむ=「高からん」と同じ。
作者・・在原行平=ありわらゆきひら。817~893。正三
位中納言。業平の兄。
出典・・新古今和歌集・1649、伊勢物語87段。
2020年07月12日
2020年07月11日
夏陰の 妻屋の下に 衣裁つ吾妹 うら設けて 吾がため裁たば やや大に裁て
夏陰の 妻屋の下に 衣裁つ吾妹 うら設けて 吾がため裁たば
やや大に裁て
柿本人麻呂
やや大に裁て
柿本人麻呂
(なつかげの つまやのもとに きぬたつわぎも うらまけて
わがためたたば ややおおにたて)
わがためたたば ややおおにたて)
意味・・夏の木陰の妻屋の陰で衣を裁っている娘さんよ、
この私のため、という心づもりで裁っているの
なら、ややゆったりと裁っておくれ。
五七七五七七からなる旋頭歌です。
注・・妻屋=母屋の脇に建てた別棟の家。
吾妹(わぎも)=男性が妻や恋人を親しんで呼ぶ語。
うら設(ま)けて=心に思い設けて。心積りする。
吾妹(わぎも)=男性が妻や恋人を親しんで呼ぶ語。
うら設(ま)けて=心に思い設けて。心積りする。
作者・・柿本人麻呂=かきのもとひとまろ。生没未詳。奈
良遷都(710)頃の人。舎人(とねり・官の名称)とし
て草壁皇子、高市皇子に仕えた。
良遷都(710)頃の人。舎人(とねり・官の名称)とし
て草壁皇子、高市皇子に仕えた。
出典・・万葉集・1278。
2020年07月10日
2020年07月09日
今や夢 昔や夢と まよはれて いかに思へど うつつとぞなき
寂光院
今や夢 昔や夢と まよはれて いかに思へど
うつつとぞなき
建礼門院右京大夫
うつつとぞなき
建礼門院右京大夫
(いまやゆめ むかしやゆめと まよわれて いかに
おもえど うつつとぞなき)
おもえど うつつとぞなき)
意味・・さびしい今の事が夢なのだろうか、それとも
記憶に残っているあの華やかな昔の事が夢な
のだろうか、と思わず迷う気持ちになって、
どう思ってみても今のこの有様は現実とは感
じられない。
平家一門が滅び、右京大夫が都落ち以前に仕
えていた建礼門院だけが壇ノ浦で身を投げた
が助けられた。その後出家して今は大原の寂
光院にいる。右京大夫は山道を分け入って寂
光院を訪ね、瘦せ衰え変わり果てた建礼門院
に対面した。昔は華やかな衣装を着けていた
のだが今は粗末な尼の姿であった。この時に
詠んだ歌です。
記憶に残っているあの華やかな昔の事が夢な
のだろうか、と思わず迷う気持ちになって、
どう思ってみても今のこの有様は現実とは感
じられない。
平家一門が滅び、右京大夫が都落ち以前に仕
えていた建礼門院だけが壇ノ浦で身を投げた
が助けられた。その後出家して今は大原の寂
光院にいる。右京大夫は山道を分け入って寂
光院を訪ね、瘦せ衰え変わり果てた建礼門院
に対面した。昔は華やかな衣装を着けていた
のだが今は粗末な尼の姿であった。この時に
詠んだ歌です。
作者・・建礼門院右京大夫=けんれいもんいんのうき
ょうのだいぶ。1157頃~1227頃。高倉天皇の
中宮平徳子(建礼門院)に仕えた。
出典・・右京大夫集。
ょうのだいぶ。1157頃~1227頃。高倉天皇の
中宮平徳子(建礼門院)に仕えた。
出典・・右京大夫集。
2020年07月08日
ほととぎす 雲居のよそに 過ぎぬなり 晴れぬ思ひの 五月雨のころ
ほととぎす 雲居のよそに 過ぎぬなり 晴れぬ思ひの
五月雨のころ
後鳥羽院
五月雨のころ
後鳥羽院
(ほととぎす くもいのよそに すぎぬなり はれぬ
おもいの さみだれのころ)
おもいの さみだれのころ)
意味・・ほととぎすが、雲の彼方に鳴いて過ぎて行くのが
聞こえる。晴れ晴れしない思いに閉ざされている
五月雨の頃に。
聞こえる。晴れ晴れしない思いに閉ざされている
五月雨の頃に。
重苦しい五月雨の頃、政治上の悩みを抱いていた
作者に、雲の彼方に鳴き過ぎるほととぎすの声は
悩みをさらに掻き立てるものであった。
作者に、雲の彼方に鳴き過ぎるほととぎすの声は
悩みをさらに掻き立てるものであった。
この歌が詠まれたのは、1221年の承久の乱の13年
前ですが、鎌倉幕府の武家政治から朝廷側に取戻
そうという重大事が政治上の悩みです。
前ですが、鎌倉幕府の武家政治から朝廷側に取戻
そうという重大事が政治上の悩みです。
注・・雲居=雲の彼方。
過ぎぬなり=鳴き過ぎるのが聞こえる。
晴れぬ思ひ=五月雨が降り続くのでうっとうしい
気持ち。
過ぎぬなり=鳴き過ぎるのが聞こえる。
晴れぬ思ひ=五月雨が降り続くのでうっとうしい
気持ち。
作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1180~1239。第82代天皇。
1221年の承久の乱で北条氏に敗れ隠岐に配流され
た。新古今集を勅撰させた。
1221年の承久の乱で北条氏に敗れ隠岐に配流され
た。新古今集を勅撰させた。
2020年07月07日
2020年07月06日
樗咲く 外面の木陰 露落ちて 五月雨晴るる 風渡なり
栴檀
樗咲く 外面の木陰 露落ちて 五月雨晴るる
風渡なり
藤原忠良
風渡なり
藤原忠良
(おうちさく そとものこかげ つゆおちて さみだれ
はるる かぜわたるなり)
はるる かぜわたるなり)
意味・・樗の花が咲いている。戸外のその木の下陰には、
露がこぼれ落ち、五月雨が晴れようとするのを
思わせる風が吹き渡っている。
露がこぼれ落ち、五月雨が晴れようとするのを
思わせる風が吹き渡っている。
雨があがると感じた時の歌です。薄紫の栴檀の
花と葉が雨に濡れており、風のためにこぼれ落
ちる露のさわやかさを詠んでいます。
花と葉が雨に濡れており、風のためにこぼれ落
ちる露のさわやかさを詠んでいます。
注・・樗=栴檀の古名。柔らかい緑色の葉が細かく茂
り、夏に薄紫の小さな花を沢山咲かす。
り、夏に薄紫の小さな花を沢山咲かす。
作者・・藤原忠良=ふじわらのただよし。1164~1225。
正二位大納言。
正二位大納言。
出典・・新古今和歌集・234。
2020年07月05日
信濃なる 須我の荒野に ほととぎす 鳴く声聞けば 時過ぎにけり
長野県菅平にある歌碑
信濃なる 須我の荒野に ほととぎす 鳴く声聞けば
時過ぎにけり
信濃の国の防人の歌
(しなのなる すがのあらのに ほととぎす なくこえ
きけば ときすぎにけり)
時過ぎにけり
信濃の国の防人の歌
(しなのなる すがのあらのに ほととぎす なくこえ
きけば ときすぎにけり)
意味・・ここは信濃の須我の荒野、この人気のない野で
時鳥の鳴く声を聞くようになった。あの人が帰
ると言った時期はもう過ぎてしまうのだなあ。
時鳥の鳴く声を聞くようになった。あの人が帰
ると言った時期はもう過ぎてしまうのだなあ。
時鳥が鳴く初夏は農繁期なので人手の欲しい時
期である。防人として出て行った夫の帰りを待
ちこがれた歌です。
期である。防人として出て行った夫の帰りを待
ちこがれた歌です。
注・・信濃=長野県。
須我=小県(ちいさがた)郡菅平あたり。
ほととぎす=時鳥。初夏にやって来る渡り鳥で
農耕民への「時告げ鳥」となっていた。
時=防人として賦役などで旅に出た夫が帰ると
言った時期。
須我=小県(ちいさがた)郡菅平あたり。
ほととぎす=時鳥。初夏にやって来る渡り鳥で
農耕民への「時告げ鳥」となっていた。
時=防人として賦役などで旅に出た夫が帰ると
言った時期。
出典・・万葉集・3352。
2020年07月04日
里は荒れて つばめならびし 梁の 古巣さやかに 照らす月かげ
里は荒れて つばめならびし 梁の 古巣さやかに
照らす月かげ
木下長嘯子
照らす月かげ
木下長嘯子
(さとはあれて つばめならびし うつばりの ふるす
さやかに てらすつきかげ)
さやかに てらすつきかげ)
意味・・昔住んだ家のあたりは荒れていて、燕が並んで
止まっていた梁(はり)の、今は燕もいない古巣
を、はっきりと月が照らしている。
止まっていた梁(はり)の、今は燕もいない古巣
を、はっきりと月が照らしている。
昔住んだ家に久しぶりに帰ってみると、今は住
む者もいなくて荒れていて、その上を明るい月
が照らしているという情景です。梁に燕の古巣
が並んでいる家は田舎の大きな住居を思わせま
す。それと同時に燕と馴れ親しんだ、そこでの
生活を思い出させ、失われてしまった過去への
なつかしさと現在の寂しさを思わせます。
む者もいなくて荒れていて、その上を明るい月
が照らしているという情景です。梁に燕の古巣
が並んでいる家は田舎の大きな住居を思わせま
す。それと同時に燕と馴れ親しんだ、そこでの
生活を思い出させ、失われてしまった過去への
なつかしさと現在の寂しさを思わせます。
注・・梁(うつばり)=梁(はり)。棟と直角に柱の上に
渡し、屋根を支える材。
渡し、屋根を支える材。
作者・・木下長嘯子=きのしたちょうしょうし。1569~
1649。若狭国小浜城主となったが後に京の郊外
に住んだ。
1649。若狭国小浜城主となったが後に京の郊外
に住んだ。
出典・・東京堂出版「和歌鑑賞事典」。
2020年07月03日
夏草の しげみの花と かつ見えて 野中の森に 散るあふちかな
夏草の しげみの花と かつ見えて 野中の森に
散るあふちかな
正徹
散るあふちかな
正徹
(なつくさの しげみのはなと かつみえて のなかの
もりに ちるおうちかな)
もりに ちるおうちかな)
意味・・夏草の茂みが花ざかり。瞬間はそう見えたのに
落花なのだ。ああ、野中の森のおうちの花が早
くも散っている。
落花なのだ。ああ、野中の森のおうちの花が早
くも散っている。
おうちは粒のような花が花冠ごとに落ちるので、
夏草の花かと見間違えた感興を詠んでいます。
夏草の花かと見間違えた感興を詠んでいます。
注・・かつ=ちよっと、すぐに、一時的に。
野中の森=京都府久美浜町野中にある森。
あふち=楝。栴檀のこと。栴檀は落葉高木樹。
紫色の小さな花を咲かす。開花は5/20から
6/10頃。「栴檀は双葉より芳しい」の栴檀
は別の木で「白檀」のこと。
野中の森=京都府久美浜町野中にある森。
あふち=楝。栴檀のこと。栴檀は落葉高木樹。
紫色の小さな花を咲かす。開花は5/20から
6/10頃。「栴檀は双葉より芳しい」の栴檀
は別の木で「白檀」のこと。
作者・・正徹=しょうてつ。1381~1459。室町前期
の歌僧。
の歌僧。
出典・・草根集。
2020年07月02日
其子等に 捕へられむと 母が魂 蛍と成りて 夜を来たるらし
其子等に 捕へられむと 母が魂 蛍と成りて
夜を来たるらし
窪田空穂
夜を来たるらし
窪田空穂
(そのこらに とらえられん ははがたま ほたると
なりて よをきたるらし)
なりて よをきたるらし)
意味・・蛍狩りをせがまれて小川に行くと、幼子達は
無心に蛍狩りに興じている。蛍は上へ下へと
飛び舞っているが、我が子に捕らえられよう
として、母の魂が蛍となって飛んでいるのだ
ろうか。
無心に蛍狩りに興じている。蛍は上へ下へと
飛び舞っているが、我が子に捕らえられよう
として、母の魂が蛍となって飛んでいるのだ
ろうか。
この世に思いを残して30歳で亡くなった妻を
偲び、幼子の上に心を痛め、悲嘆を詠んでい
ます。
偲び、幼子の上に心を痛め、悲嘆を詠んでい
ます。
作者・・窪田空穂=くぼたうつほ。1877~1967。早大
卒。早大教授。国文学者。
卒。早大教授。国文学者。
出典・・歌集「土を眺めて」(短歌新聞社「現代秀歌
鑑賞」)
鑑賞」)
2020年07月01日
小縄もて たばねあげられ 諸枝の 垂れがてにする 山吹の花
小縄もて たばねあげられ 諸枝の 垂れがてにする
山吹の花
正岡子規
山吹の花
正岡子規
(こなわもて たばねあげられ もろえだの たれがて
にする やまぶきのはな)
にする やまぶきのはな)
意味・・小縄で結(ゆ)わえあげられて、たくさんの枝が
下に垂れることの出来なくなっている山吹の花
よ。お前も哀れだなあ。
下に垂れることの出来なくなっている山吹の花
よ。お前も哀れだなあ。
病室のガラス障子より見える処に裏口の木戸が
あり、木戸の傍らに一むらの山吹あり・・云々
と前書きがあります。人の出入りするため枝が
触れないように、小縄で結わえられていたと思
います。
寝たきりで不自由な身の子規の哀れさを重ねて
います。
あり、木戸の傍らに一むらの山吹あり・・云々
と前書きがあります。人の出入りするため枝が
触れないように、小縄で結わえられていたと思
います。
寝たきりで不自由な身の子規の哀れさを重ねて
います。
注・・がてに=能に。出来ないで、堪えられないで。
「に」は打消しの助動詞「ぬ」の連用形。
「に」は打消しの助動詞「ぬ」の連用形。
作者・・正岡子規=まさおかしき。1867~1902。東大国
文科中退。結核で喀血し脊髄も侵されて寝たき
の状態になる。
文科中退。結核で喀血し脊髄も侵されて寝たき
の状態になる。
出典・・墨汁一滴(学灯社「現代短歌精講」)