2020年10月

2020年10月28日

みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ

1606

 
みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ
ものをこそ思へ
                   大中臣能宣

(みかきもり えじのたくひの よるはもえ ひるは
 きえつつ ものをこそおもえ)

意味・・宮中の御垣(みかき)を守る衛士の焚く火のように、
    私のあなたを思う思いは、夜は赤々と燃え、昼は
    身も心も消えるばかりに、あなたを思いこがれて
    います。

 注・・みかきもり=御垣守。宮中の諸門を警護する兵士。
    衛士=夜はかがり火をたいて諸門を守る兵士。

作者・・大中臣能宣=おおなかとみのよしのぶ。921~991。
    神職の家柄に生まれる。「後撰和歌集」の編纂に
    かかわる。

出典・・詞歌和歌集・225、百人一首・49。


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2020年10月27日

みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらん

1601
             見可乃原 和幾天 奈可流ゝ 泉河 
            以川美幾登天可 恋之可留良天

みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか
恋しかるらん      
                 藤原兼輔
              
(みかのはら わきてながるる いずみがわ いつみき
 とてか こいしかるらん)

意味・・みかの原から湧き、いつしか見えてその原を
    分けて流れる泉川のように、私はあの人をい
    つ見たからといって、こんなに恋しくなった
    のであろうか。

    なんとなしに逢った女性が、いつしか恋しくて
    たまらない人になった気持ちを詠んでいます。
    湧いてしだいに流れとなる泉川の面影が女性
    への面影となっています。

 注・・みかの原=京都府相楽郡加茂町を流れる木津
     川の北側の一帯。
    わきて=「分きて」と「湧きて」を掛ける。
    泉川=現在の木津川。
    いつ見きとてか=いつか逢ったというので。
    「見る」は会う、対面するの意。

作者・・藤原兼輔=ふじわらのかねすけ。877~933。
    紫式部の曽祖父。

出典・・新古今和歌集・996、百人一首・27。

変体仮名(平仮名のもとになった漢字)・参考です。

みかの原 わきて なかるる 泉河
見可乃原 和幾天 奈可流ゝ 泉河

いつみきとてか 恋しかるらむ
以川美幾登天可 恋之可留良天


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2020年10月26日

訪ふ人も 嵐吹きそふ 秋は来て 木の葉に埋む 宿の道芝

1585

 
訪ふ人も 嵐吹きそふ 秋は来て 木の葉に埋む
宿の道芝
                藤原俊成女

(とうひとも あらしふきそう あきはきて このはに
 うずむ やどのしばみち)

意味・・もはや訪ねる人もあるまい。ただでさえ寂し
    い上に嵐が吹く秋になって、私の家の道芝は
    木の葉に埋もれてしまった。

    家の道芝はかって恋人が踏み分けて通って来
    たのだが、その道芝も木の葉に埋もれて見え
    ない。その上吹きすさむ秋風は、人を待つ望
    みも消えてたたずむ女の侘びしさ、哀しみを
    深めている。


 注・・嵐=「有らじ」と「荒い風」の意と、「あら
     し」を掛ける。
    あらし=気性や態度が荒っぽい。ここでは恋
     人の冷たい仕打ちの意。
    吹きそふ=一段と吹き加わって。
    あき=「秋」と「飽き」を掛ける。
    道芝=道端に生えている芝草。

作者・・藤原俊成女=ふじわらのとしなりのむすめ。
    1171~1252。幼少より祖父俊成に養育され
    た。

出典・・新古今和歌集・515。
    


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2020年10月25日

もみぢ葉の 散りてつもれる わが宿に 誰を松虫 ここら鳴くらむ

1626

 
もみぢ葉の 散りてつもれる わが宿に 誰を松虫
ここら鳴くらむ
                   詠み人知らず

(もみじばの ちりてつもれる わがやどに たれを
 まつむし ここらなくらん)

意味・・紅葉の葉が散って積り、埋もれるばかりの我が家の
    庭で、いったい、誰を待つと言って、松虫はこんな
    にしきりに鳴いているのであろうか。

    誰も訪ねて来る人もない、世間から全く遠ざかった
    我が家に、松虫だけは人待ち顔にしきりに鳴いてい
    いる。このことを通して、作者の人が恋しい気持ち
    を詠んでいます。

 注・・散りてつもれる=紅葉が散り重なって積もるという
     ので、訪れる人もない様をいう。
    誰を松虫=誰を待って松虫が。来ることを期待出来
     る人はないのに。松虫は、今の鈴虫。
    ここら=たくさん。

出典・・古今和歌集・203。


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2020年10月24日

さ夜深き 軒ばの嶺に 月は入りて 暗き檜原に 嵐をぞ聞く

1577

 
さ夜深き 軒ばの嶺に 月は入りて 暗き檜原に
嵐をぞ聞く
                 永福門院

(さよふかき のきばのみねに つきはいりて くらき
 ひばらに あらしをぞきく)

意味・・夜が更けた軒端のあたりから見える山の嶺には
    月が入ってしまって、暗い檜原に嵐の音を聞く
    ばかりだ。

    ほのかな月の光が消えて暗黒の世界。視界は消
    え失せて強風の音のみが聞こえる秋の夜半。そ
    の心細さを詠んでいます。

作者・・永福門院=えいふくもんいん。1271~1342。
    伏見天皇の中宮。

出典・・玉葉和歌集。


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2020年10月23日

死の側より 照明せばことに かがやきて ひたくれないの 生ならずやも

1595 (2)
星野富弘画

死の側より 照明せばことに かがやきて ひたくれないの
生ならずやも                 
                    斉藤史 

(しのがわより てらせばことに かがやきて ひたくれないの
 せいならずやも)

意味・・この現実から離れて、死の側から照明光をあてる様に
    照らし出してみると、現実では悩みが多く暗い私の人
    生も、また格別に輝いて、朱一色の美しさではないか。

    星野富弘さんという方がいますが、この方は口で筆を
    くわえ、上手に絵を描く有名な方です。この方は寝た
    切りの人で手を動かす事も寝返りも出来ません。食事
    も自力では出来ません。何一つするにも人の手助けが
    必要な方です。本人や周辺の人は、せめて、手が自由
    に動かせ、寝返りが出来ればもう何の望みも要らない
    と思っている事でしょう。
    健康状態から見て見ると、寝た切りの人を「下の下」
    とすれば、星野富弘さんは「下の下の下」の状態です。
    この寝返りも出来ない人が、腰の痛みを激しく感じて
    おれば「下の下の下の下」の状態といえます。
    死んだ人から見れば、死人は「下の下の下の下の下」。
    死んだ人から見ると、どんな健康状態の人でも「ひた
    くれない」・・朱一色の美しい状態に見えるという事
    です。寝た切りの人からすれば、自分はどん底だと思
    っていても、それより立場の悪い人から見ると、羨ま
    しい状態に思えるかも知れません。
    「ひたくれない」は、最低限の立場から見た言葉です。

 注・・照明(てら)せば=「ば」は仮定形ではなく、・・する
     との意。死の側にいるつもりで、そこから照らすと。
    ことに=殊に。きわめて、ぬきんでる。
    ひたくれないの=ひたすらにバラ色である。

    星野富弘=1946~。詩人・画家。1970年群馬大学卒業。
     中学の体育教師をしている時に頚椎を損傷して手足
     の自由を失い、自力で寝返りも出来ない状態になる。
     1972年、口に筆をくわえて絵や文字を書き始める。
     1982年、花の詩画展を開催。1991年、富弘美術館開館。
     現在も詩画や随筆の創作を続けている。

作者・・斉藤史=さいとうふみ。1909~2002。福岡県立小倉西高
    校卒。

出典・・歌集「ひたくれない」(馬場あき子著「歌の彩事記」)


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2020年10月22日

門を出れば 我も行く人 秋の暮

1600

門を出れば 我も行く人 秋の暮
                    蕪村

(もんをいずれば われもゆくひと あきのくれ)

意味・・門を一歩出て日常を離れれば自分も秋暮の
    景を行く旅人の一人となる。
  、
    雑踏の人の流れの中に、ふっと自分を見る
    瞬間がある。私もあのような姿で歩いてい
    るのか。あるいはまた、悩み事をかかえて
    気重く盛り場を歩いているような時、この
    私は、道行く人にどう眺められているのか
    と思う瞬間がある。今の胸の中を、誰が気
    づく事が出来るだろうか。そう思いながら
    大勢の道行く人の一人にすぎない自分を意
    識する。どんな悩みに苦しんでいようと、
    どんな喜びに弾んでいようと、戸外に出れ
    ば私は行く人の一人。当然すれ違って行く
    人々の心を、覗くすべもない自分をも意識
    する。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。
    南宗画も池大雅とともに大家。

出典・・おうふう社「蕪村全句集」。

 

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2020年10月19日

夜とともに 山の端いづる 月かげの こよひ見初むる 心地こそすれ

0027


夜とともに 山の端いづる 月かげの こよひ見初むる
心地こそすれ
                  藤原清輔

(よとともに やまのはいずる つきかげの こよい
 みそむる ここちこそすれ)

意味・・夜になると同時に山の稜線の上から現れ出る
    月の、なんと初々しいことか。出会うのは今
    夜はじめて。そんな心地さえする。

    秋といっても台風が来る年もある。秋雨前線
    も停滞しがちだから梅雨どきに匹敵するほど
    雲量が多い。満月を夜空に仰げる秋は意外に
    少ない。
    満月の翌夜、十六夜が「いざよい」である。
    十七夜を「立待ちの月」、十八夜を「居待ち
    の月」十九夜を「臥し待ちの月」という。
    「いざよい」はためらい。生憎の天候で満月
    を見せることが出来なかった。それを申し訳
    なく思うがゆえに、ためらいながら出る。
    「いざよい」も雲に閉ざされてしまうことが
    しばしばであるから、次の夜は、外に立って
    月の出を待つ心境になる。さらに次の夜は少
    しふてくされて居待ちをする。
    満月の月の出の時刻はまだ空に明るみがあっ
    て、月の現れる風情はややとぼしい。
    十六夜で夕暮れ。立待ちの月の出には夜のと
    ばりがほぼおりている。居待ちの翌日、十九
    夜になると月の出は遅く、夜具に臥して月を
    待った人が昔は多かったのだろう。
    一首は「夜とともに」であるから、十六夜か
    立待ちの月を詠んでいる。満月を見たいと思
    っていたが、待ちに待って、立待ちの今宵、
    ようやく月に対面出来た。なんと嬉しいこと
    か。希望が叶えられた嬉しさです。
   
作者・・藤原清輔=ふじわらのきよすけ。1104~1177。

出典・・清輔集(松本彰男著「花鳥風月百人一首」)

 

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2020年10月18日

はぜ釣るや水村山郭酒旗の風

1602

 
はぜ釣るや水村山郭酒旗の風
                      服部嵐雪

(はぜつるや すいそんさんかく しゅきのかぜ)

意味・・川には青緑の水が流れ、すぐ背後に迫る山里には
    紅葉が美しく映えている。点在する居酒屋には看
    板の旗が秋風にはためいている。そういう風景の
    中に悠々とハゼ釣りを楽しんでいる。

    杜牧の詩句を転用した句です。
    杜牧の漢詩「江南の春」下記を参照して下さい。

 注・・水村=川のほとりにある村落。
    山郭=山すその村。
    酒旗=酒屋が看板にしているのぼり。青や白の布
     を竹竿につける。

作者・・服部嵐雪=はっとりらんせつ。1654~1707。武士
    を30年間続けた後に芭蕉に師事。

出典・・句集「玄峰集」(小学館「近世俳句俳文集」)

参考です。

   江南の春  杜牧

   千里鶯啼いて緑紅に映ず
   水村山郭 酒旗の風 
   南朝 四百八十(しひゃくはっしん)寺
   多少の楼台煙雨の中

  見渡すかぎり広々とつらなる平野の、あちらからも
  こちらからも、うぐいすの声が聞こえ、木々の緑が
  花の紅と映じ合っている。
  水辺の村や山沿いの村の酒屋の目印の旗が、春風に
  なびいている。
  一方、古都金稜(きんりょう)には、南朝以来の寺院
  が沢山たち並び、その楼台が春雨の中に煙っている。

注・・金稜(きんりょう)=南朝の時代(420~589)に置い
      た都。



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2020年10月17日

夢に見て 衣を取り着 装ふ間に 妹が使ひぞ  先立ちにける

1607

夢に見て 衣を取り着 装ふ間に 妹が使ひぞ 
先立ちにける
                詠み人しらず

(ゆめにみて ころもをとりき よそうまに いもが
 つかいぞ さきだちにける)

意味・・夢にあなたが現れたので、矢も楯もなく逢い
    たくなり、着物を着て、出かける準備をして
    いるところに、あなたからの文の使いが先に
    来てしまいました。

    シンクロニシティ、同時性とか共時性という
    ことが詠まれた歌です。その人のことを強く
    思っていると、時を同じくして、その人から
    の電話なり手紙なり贈り物などが来たという
    例です。

 注・・使ひ=手紙などを持ってくる使者。

出典・・万葉集・3112。
 

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2020年10月16日

生きること 吹きつける雨に 濡れること みんな愉しい 生きてゆきたい

1628

 
生きること 吹きつける雨に 濡れること みんな愉しい
生きてゆきたい
                   赤木健介

(いきること ふきつけるあめに ぬれること みんな
 たのしい いきてゆきたい)

意味・・生きること、それは色々な困難が待ち構えている
    だろうし、吹きつける雨に濡れるのは苦痛である
    が、それらに耐えて、また打ち勝って生きること
    は愉しいものだ。どんなことにも負けずに、前向
    きになって生きてゆきたい。

作者・・赤木健介=あかぎけんすけ。1907~1989。九大中
    退。新日本歌人協会に所属。

出典・・歌集「意欲」(東京堂出版「現代短歌鑑賞事典」)


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2020年10月15日

あけぬるか 河瀬の霧の たえだえに をちかた人の 袖の見ゆるは

1633

 
あけぬるか 河瀬の霧の たえだえに をちかた人の
袖の見ゆるは
                               大納言経信母
            
(あけぬるか かわせのきりの たえだえに おちかた
 ひとの そでのみゆるは)

意味・・夜が明けてしまったのであろうか。川の浅瀬に
    たちこめていた朝霧がとぎれとぎれの中に、向
    こうの方にいる人の袖が見えるのは。

 注・・をちかた人の=遠方人の。向こうの方にいる人。

作者・・大納言経信母=だいなごんつねのぶのはは。生
    没年未詳。播磨守従四位下・源国盛の娘。源経
    信(1016~1097)の母。

出典・・後拾遺和歌集・324。


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2020年10月14日

秋風の いたりいたらぬ 袖はあらじ ただわれからの 露の夕暮

0338



 秋風の いたりいたらぬ 袖はあらじ ただわれからの
露の夕暮
                  鴨長明
 
(あきかぜの いたりいたらぬ そではあらじ ただ
 われからの つゆのゆうぐれ)

意味・・秋風の吹き及ぶ袖、吹き及ばない袖の区別は
    ないであろう。それなのに、私自身の所為(
            せい)で、私の袖だけに涙の露となって濡れる
    哀しい秋の夕暮れである。

    秋風は誰の袖にも吹くのに、夕暮れに露が置
    くように、自分の拙(つたな)さゆえに、自分
    の袖だけが哀感の涙で濡れてくる。

    夕暮れになれば悲しさで涙が出て来る・・。
    例えて見れば、家庭のトラブルがあります。
    病人がいるとか、子供が非行に走っている
    とか、夫婦仲が悪く離婚話になっていると
    か。そのような状態の時に会社から帰って
    くると、その問題を対処せねばならず、悩
    まされ辛い涙が出て来る・・。

 注・・われから=我から。自分ゆえ、自分が原因で。
            露=涙を暗示。

作者・・鴨長明=かものちょうめい。1155~1216。
    「方丈記」で有名。

出典・・新古今和歌集・366。


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2020年10月13日

ふしわびぬ 霜さむき夜の 床はあれて 袖にはげしき 山おろしの風

5982 (2)


ふしわびぬ 霜さむき夜の 床はあれて 袖にはげしき
山おろしの風
                                              後醍醐天皇

(ふしわびぬ しもさむきよの とこはあれて そでに
 はげしき やまおろしのかぜ)

意味・・寝ようとしも寝られない。霜の降りた寒い夜の床は
    荒廃している上、その床の上にかけている衣の袖に
    吹き付ける激しい山おろしの風のなんと冷たいこと
    か。

    足利尊氏の軍に追われ、吉野に逃げて仮住居に一人
    でこもって詠んだ歌です。山から吹き降ろす風の冷
    たさ寒さはすさまじく、眠ろうにも眠れない状態で
    す。その上心を重くしているのが都を追われている
    苦悩です。

 注・・ふし=臥し。体を横たえる、寝る。
    わびぬ=途方にくれて困る。
    あれて=荒れて。建物などが荒廃する。

作者・・後醍醐天皇=ごだいごてんのう。1288~1339。第
    96代天皇。足利尊氏の反逆で吉野に逃げる。南朝
    の天皇。元弘の乱に敗れ隠岐へ配流。

出典・・新葉和歌集。


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2020年10月12日

白露も 夢もこの世も まぼろしも たとへていはば ひさしかりけり

3420

 
白露も 夢もこの世も まぼろしも たとへていはば
ひさしかりけり      
                 和泉式部

(しらつゆも ゆめもこのよも まぼろしも たとえて
 いわば ひさしかりけり)

詞書・・ほんの少し通い始めてすぐに来なくなった男性
    に贈った歌。

意味・・(はかないものの例えの)白露も夢もこの世も
    幻も、恋のはかなさになぞらえていうと、こ
    れだって久しいものですよ。

    どんなはかないものでさえ、あなたの関係と
    のあっけなさに比べると、長続きするものに
    思われますと、男性に嘆き訴えた歌です。

 注・・白露も夢もこの世もまぼろしも=短いものの
     例えを列挙。
    たとへて=例える、なぞらえる。ここでは
     恋のはかなさに例えたもの。

作者・・和泉式部=いずみしきぶ。年没年未詳、977年
    頃の生まれ。朱雀天皇皇女昌子内親王に仕える。

出典・・後拾遺和歌集・832


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2020年10月09日

秋も秋 こよひもこよひ 月も月 ところもところ みるきみもきみ 

1564

 
秋も秋 こよひもこよひ 月も月 ところもところ
みるきみもきみ     
                 光源法師

(あきもあき こよいもこよい つきもつき ところも
 ところ みるきみもきみ)

詞書・・ある人が言うには、賀陽院で八月十五夜の
    月が美しかった晩に、宇治前太政大臣頼通
    さまが歌を詠めと仰せられたので詠んだ歌
    です。

意味・・秋もまさに仲秋、こよいもまさに十五夜、
    所も天下の賀陽院、月見る君も宇治前太政
    大臣の関白さま(時・所・人を得てこよい
    の名月はまさに最高でございます)。

 注・・賀陽院=関白頼通の別邸。
    秋も秋=秋(七・八・九月)といっても一番
      よい仲秋。
    こよひもこよひ=今宵といっても明月の今
      宵。
    月も月=月といっても十五夜の満月。
    ところもところ=場所もまさに関白邸の賀
     陽院。
    みるきみもきみ=月見る君といったら、ま
     さにこの人関白さま。

作者・・光源法師=こうげんほうし。比叡山の僧。
     1035年頃の人。

出典・・後拾遺和歌集・265。


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2020年10月08日

時しもあれ 故郷人は 音もせで 深山の月に  秋風ぞ吹く

1574

 
時しもあれ 故郷人は 音もせで 深山の月に 
秋風ぞ吹く
                藤原良経

(ときしもあれ ふるさとびとは おともせで みやまの
 つきに あきかぜぞふく)

詞書・・山家にいて見る秋の月、という題で詠みました歌。

意味・・ちょうどこういう寂しい時、昔なじみの故郷の人
    は訪れても来ないで、深山には月がひっそり照ら
    し、寂しい秋風が吹いている。

 注・・時しもあれ=折も折なのに。ここでは、ちょうど
     こういう寂しい時の意。
    音もせず=便りもない。訪れもない。

作者・・藤原良経=ふじわらのよしつね。1168~1206。
    38歳。従一位摂政太政大臣。新古今の仮名序を
    執筆。

出典・・新古今和歌集・394。


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2020年10月07日

・清水の 塔のもとこそ 悲しけれ 昔の如く 京の見ゆれば

1583

 
清水の 塔のもとこそ 悲しけれ 昔の如く
京の見ゆれば
                与謝野寛 

(きよみずの とうのもとこそ かなしけれ むかしの
 ごとく きょうのみゆれば)

詞書・・明治43年の頃。

意味・・東山のふもとに建つ清水寺の三重の塔のもとに
    立っていると、悲しくせつない思いが、強く胸に
    こみあげて来る事だ。全く昔と変わらない自然の
    たたずまいと、それを背景とした京の街々が一望
    のもとに見渡されるので。

    清水寺の三重の塔のもとでたたずみ、昔と変わら
    ない京の姿を見ていると昔が偲ばれる。
    昔は、何事も真面目一筋に、自分をあざむかず、
    ごまかさずに生きてきた。そしてその結果、名声
    を得る事が出来たのだが。
    今と昔はどこが違っているのだろうか。今は満足
    出来なく寂しく悲しいものだ。

    明治43年は寛の37才の時の作です。この頃は妻の
    晶子の人気が高まり、その反面、寛は極度の不振
    に陥り、全く注目されない存在になっていた。
    この時の気持ちを詠んでいます。

作者・・与謝野寛=よさのひろし。1873~1935。号は鉄幹。
    妻の与謝野晶子とともに浪漫主義文学運動の中心
    になる。「明星」を発刊。詩歌集「東西南北」。

出典・・新万葉集・巻九


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2020年10月06日

・秋をあさみ 色なき草に おきそへて おのれ時しる 庭の白露

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秋をあさみ 色なき草に おきそへて おのれ時しる
庭の白露
                  定為 

(あきをあさみ いろなきくさに おきそえて おのれ
 ときしる にわのしらつゆ)

意味・・秋が浅いので、草葉はまだ秋の色に染まってい
    ない。その草葉の朝露の湿りに置き変わって、
    自ずから時季をわきまえているのか、庭の玉の
    露が白く光っている。秋の気色が深まって来た
    のが感じられる。    

 注・・秋をあさみ=秋を浅み。「を」は「み」が付い
     て原因や理由を表す。・・が・・なので。秋
     が浅いので。「秋の気色を朝見ると」の意を
     掛ける。
    色なき草=草葉が紅葉していない。
    おきそへて=すでに置いている上に新たに置き
     加わって。草葉の朝湿りや朝濡れはすでに見
     られるのだか、そういう朝を何日か経て、露
     の玉が白く輝くようになること。
    白露=白い玉のような露。二十四節気の一つで
     草木の露が秋の到来を感じさせる9月7日頃。

作者・・定為=じょうい。生没年未詳。1327頃没。二条
     派の歌僧。
 
出典・・歌集「嘉元百首」。
 

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2020年10月05日

・行く水の 渕瀬ならねど あすか風 きのふにかはる 秋は来にけり

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行く水の 渕瀬ならねど あすか風 きのふにかはる
秋は来にけり
                 頓阿法師
            
(ゆくみずの ふちせならねど あすかかぜ きのうに
 かわる あきはきにけり)

意味・・流れ行く水の渕瀬ではないけれど、飛鳥の里に
    吹く風は昨日に変り、今日は秋が訪れたよ。

    飛鳥川は昨日まで渕であった所が今日は浅瀬に
    なっているように、移り変わりが早い。このよ
    うに昨日まで夏の風が吹いていたのに、今日は
    もう秋風に変わっている。

    参考歌です。
   「世の中はなにか常なる飛鳥川昨日の渕ぞ今日は
    瀬になる」

 注・・あすか=飛鳥の里。奈良朝以前に都が置かれた
     所。

作者・・頓阿法師=とんあほうし。1289~1372。二条
    為世に師事。同時代の浄弁・兼好・慶雲ととも
    に和歌四天王と称された。

出典・・頓阿法師詠(岩波書店「中世和歌集・室町篇」)

参考歌です。

世の中は なにか常なる 飛鳥川 昨日の渕ぞ
今日は瀬になる         
                詠み人しらず
             

意味・・この世の中は、いったい何が変わらないのか、
    不変のものは何一つない。飛鳥川の流れも昨
    日渕であった所が今日はもう浅瀬に変わって
    いる。

    世の中の移り変わりが速いことを詠んだもの
    です。

 注・・あすか川=奈良県飛鳥を流れる川。明日を掛
     けている。
    渕=川の深く淀んでいる所。
    瀬=川の浅く流れの早い所。

出典・・ 古今和歌集・933。


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2020年10月04日

・手に取れば 袖さへにほふ 女郎花 この白露に  散らまく惜しも

1592

 
手に取れば 袖さへにほふ 女郎花 この白露に 
散らまく惜しも
                 詠み人知らず
             
(てにとれば そでさえにおう おみなえし この
 しらつゆに ちらまくおしも)

意味・・手に取ると袖まで染まる色美しい女郎花なのに、
    この白露のために散るのがはや今から惜しまれる。

    今はまだ美しく咲いている女郎花だが、冷え込ん
    で白露が置く時期には枯れてしまう。もうすぐに
    散るかと思うと惜しく思われる。

 注・・女郎花=秋の七草の一。黄色い花が粟に似ている
    から粟花の別名がある。開花時期7/5~10/10頃。

出典・・万葉集・2115。


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2020年10月03日

・雲はみな はらひ果てたる 秋風を 松に残して  月を見るかな

3052

 
雲はみな はらひ果てたる 秋風を 松に残して 
月を見るかな 
                 藤原良経

(くもはみな はらいはてたる あきかぜを まつに
 のこして つきをみるかな)

意味・・雲をすっかり払ってしまった秋風を、松
    に残るさわやかな音として聞きつつ、澄
    んだ月を見ることだ。

    雲を吹き払い、松に音だけ残している秋
    風の中で、澄んだ月を見るさわやかさを
    詠んでいます。

    なお、裏の意味として、
    徳川家康は武士が読書する目的は身を正
    しくせんがためであると言って、源義経
    が滅んだのは歌道に暗く「雲はみなはら 
    ひ果てたる秋風を・・」の古歌の意味も
    知らずに、身上(しんしょう)をつぶして
    平家退治に没頭したためと言っています。

    戦いに勝つにはそれなりの作戦が必要
    である。敵の内情をさぐり内部の分裂
    を策し、敵の勢力を分散させる一方、
    我が陣営は一人一人の志気を高め一つ
    にまとめて戦いに望むことが大切だ。
    勝てる体勢になるまで待って戦いを仕
    掛ける。そうしたならば勝利して心地
    良い気分を味わえるものだ。

 注・・雲は=「雲をば」の意で主語ではない。
    雲はみな=敵、辛いこと。
    はらひはてたる=取り除く。
    秋風を=味方。軍資金とか有能な部下、
     作戦、知識・・などなど。
    松に残して=味方が育つまで忍耐強く
     待つ。
    月を見る=勝って心地よい気分になる。

作者・・藤原良経=ふじわらのよしつね。1168
    ~1206。38歳。従一位摂政太政大臣。
    新古今の仮名序を執筆。

出典・・新古今和歌集・418。


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2020年10月02日

・人皆は 萩を秋と言ふ よし我は 尾花が末を 秋とは言はむ

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人皆は 萩を秋と言ふ よし我は 尾花が末を
秋とは言はむ
                詠み人知らず
           
(ひとみなは はぎをあきという よしわれは おばなが
 うれを あきとはいわん)

意味・・世間の人は皆、萩こそが秋を告げる花と言う。
    よしそれならば、私は尾花の穂先だって秋ら
    しいのだと言おう。

    萩の花に秋の到来を喜ぶ一方、尾花に秋の風
    情の深まりを期待する歌です。

 注・・よし=縦し。不満足ではあるがしかたがない
     と許容・放任する意を表す。ままよ。
    尾花=薄のこと。

出典・・万葉集・2110。


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2020年10月01日

・まどろまで ながめよとての すさびかな 麻のさ衣  月にうつ声

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まどろまで ながめよとての すさびかな 麻のさ衣 
月にうつ声
                    宮内卿

(まどろまで ながめよとての すさびかな あさの
 さごろも つきにうつこえ)

詞書・・月の下に衣を打つ。

意味・・うとうとと眠らないで、この月をしみじみと
    見つめよといってする気慰めの業なのですね。
    月光の下で麻衣を打つ砧の音が聞こえてきま
    す。

    どこかで打つ砧の音が耳について眠れない。
    それならいっそ眠らないで月を眺めていまし
    ょう。きっとあの砧の音はそんな風流をさせ
    るためなのでしょう。

 注・・まどろまで=微睡まで。うとうとと眠らないで。
    すさび=手すさび、気慰めをすること。
    麻のさ衣=麻の着物。「さ」は美称の接頭語。
    うつ=砧を打つ。布につやを出したり柔らか
     くするために、木槌で布を打つこと。冬支
     度のため多く秋に行った。

作者・・宮内卿=くないきょう。生没年未詳。1205年
    頃、20才前後で没。後鳥羽院出仕。

出典・・新古今和歌集・479。


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